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第2話 未来死体②
正確には、全くの青天の霹靂というわけでもなかった。四日前にも、レイは「自分の死体を見た」という人物からの依頼に出かけ、そこで偶然にもその男を見かけていた。
幹線道路の事故現場は、平均的な大惨事になっていた。大型トラックが三車線を横切って道をふさぎ、何台もの乗用車があらゆる方向に転がっている。
「ちょっと! こっちよ!」
「マリさん」
警察に囲まれていた若い女性が、髪をひるがえして駆け寄ってきた。レイは軽く会釈をした。
「お電話の通りですか? 先日亡くなられた元交際相手があなたを恨んでいたかどうか、〈残声〉で確認してほしいと……」
「そう。よりによってあいつの死んだ場所で、あんなもの見せられたら、誰だって踏み間違えるわよ。これが祟りじゃなくて何なの? 絶対、私は悪くない。早く警察にそう説明してやって」
血走った眼でまくしたてるマリから、レイはすっと道路わきへ視線を移した。細い側道との交差点に、人の形をした黒い影が静かに佇んでいる。先ほどマリから送られてきた写真の男性に、よく似た背格好をしていた。
マリへじっと注がれているその視線を見ながら、レイは静かに問いかけた。
「もし彼の〈残声〉が、あなたへの恨みではなく……感謝や愛情の類だったとしたら、どうしますか」
「……バカなこと言わないで。そんなこと、ありえない」
口調は強かったが、マリの瞳は抑えようもなく揺れていた。レイは小さく息をついたが、それ以上は何も言わずに、電柱のわきで待つ影の方へ向かった。
電柱は、根元がひどく黒ずんでいた。レイはその前に片膝をつくと、右手の手袋を外した。ざらついたアスファルトに触れて、静かに目を閉じる。
瞼の裏で、闇がうごめき始めた。まるで底なしの沼へ降りていくように、雑踏の音が上へと遠ざかり、ここにないはずの音が近づいてくる。いきなり、クラクションがけたたましく鳴った。続いて、強烈な破壊音。言葉にならない叫び、何かが叩きつけられる鈍い音、そして……。
胸が一瞬、刺すように痛んだ。
「……どうだったの?」
戻ってきたレイを、マリはじっと見つめていた。どこか、祈るような声だった。レイはいつも通りに、意識して声から感情を消した。
「恨みか祟りかなどは、私にはわかりません。でも、最後の最後に被害者が呼んだのは、あなたの名前でした。それから……『君が、僕といなくて良かった』と。――それが、彼の〈残声〉です」
マリの息が、大きくはねた。ゆっくりとうつむいた顔を、長い髪が力なく覆い隠す。唇が、肩が、小刻みに震えだした。
「……なんで私……あんなこと、言ったのかしら……」
絞りだすような後悔が、アスファルトにこぼれ落ちた。
「私は、あなたがずっと……。ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……」
とうとう両手に顔を伏せ、嗚咽し始めたマリに、心なしか輪郭のはっきりした影がそっと寄り添った。レイは、無言で彼らに背を向けた。歩道に植えられた街路樹が、朝の風にゆっくりと揺れていた。
背中に感じる呼吸がいくらか落ち着いてくると、レイはようやく振り返った。マリの目は真っ赤だったが、先ほどよりも焦点がしっかりと合っていた。
「ありがとう。やっぱり、あなたの証言はいらないわ。私が、警察に全部説明するから。……それにしても」
マリは眉を下げ、気味悪そうに道の反対側を見た。
「あれは、何だったのかしら。本当に、私そっくりの死体があるように見えたんだけど……」
「猫か何かを見間違えたのかもしれませんね」
レイも、反対側の歩道を観察した。だが、こちら側との違いは、植え込みの陰に煙草が捨てられていることぐらいだった。
「それだけ、強いストレスを感じていたということでしょう。自然なことですから、しばらくゆっくりなさってください」
「……ええ。そうするわ」
マリが、初めて微笑んだ。遠くの方から、警察の呼んでいる声が聞こえる。しゃんと背筋を伸ばして歩いていく彼女を、レイは静かに見送っていた。
恋人の霊は、いつの間にか消えていた。レイは平坦な視線で、まだ救助活動が続いている現場を見渡した。オレンジ色の服を着たレスキュー隊員たちが、あちらこちらで懸命に動き回っている。
「聞こえますか? 運転手さん、聞こえますか?」
近くで、ひっくり返った軽ワゴン車へ固定具を取り付けながら、一人の隊員が呼びかけていた。ずっと応答がないようで、ときおり繰り返されるその声だけが、荒れた路面にむなしく響いている。だが、目を凝らしてみても、運転席のそばに死者の霊は見えなかった。レイは躊躇ったが、一応声をかけてみた。
「あの……その方は、生きていますよ」
「……え?」
しかし隊員は喜ぶどころか、レイを見るなり険しい顔になった。
「なぜそんなことがわかるんだ? 一般の方は離れていてください! ここは危険です」
「あ……、はい」
言われてみれば、その通りだった。レイの厄介な力について、この隊員が知るよしもない。妙な親切心を起こすものではないな、と苦笑してその場を離れようとしたとき、新たな声が割り込んできた。
「――ああ、たしかに。生存を確認」
「ジン!」
レイは、驚いて振り返った。巨大なカッターのようなものを軽々と抱えた別の隊員が、フロントガラスに耳を寄せている。しかし、普通の人間に、あれだけで何かがわかるはずがない。
首を覆う襟とヘルメットに邪魔されて、男の顔はよく見えなかった。知らないうちに、レイは手をそっと握りしめていた。もしかして、この男も……自分と、同じなのだろうか。今まで、そんな人物には一人も出会わなかった。もし、万が一そうだとしたら、自分は……。
「呼吸が浅い」
低いのに、よく通る声だった。
「それに、速い。小さく呻いてる……意識あり」
「了解。それなら、こっち側から切ろう」
「ああ。――運転手さん、聞こえるか? ちょっとうるさくなりますよ、少しだけ協力してくださいね……」
てきぱきと動き出す二人の隊員に、レイはただ見入っていた。オレンジ色の腕が鮮やかに動き、回転する刃がうなりを上げて車体に食い込む。ガタンとドアが外れた音で、レイは我に返った。腕時計を確認し、無意識に奥歯をかみしめて、事務所に戻ろうと踵を返す。
その時、後から来た隊員が顔を上げ、二人の視線が一瞬だけ交わった。
印象的な、強い金色の瞳をしていた。
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