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第7話 崩れる鼓動②

 三階の廊下に出ると、穴の開いた天井の向こうに空が見えていた。外から見た通り、ここより上は、もう構造体の解体が始まっていた。建材の割れ目から突き出た鉄骨が、灰色の空に食い込む歪な指のように見える。床もあちこち欠けていて、遠く一階の地面が見えるところもあった。  廊下の奥は、まだ天井が残っていた。床に落ちた影の中に、黒ずんだ柱のようなものがいくつか転がっている。レイは目を細めてそれらを観察した。何かがあるとすれば、あの陰ぐらいだ。あの周りだけ、最後に確かめたら……。  一歩踏み出したレイの足元で、何かがきしむかすかな音がした。 「――レイ!」  何が起こったのか、まったくわからなかった。気がつくと息が詰まり、足が床を離れていた。軽いめまいが波のように立ち上がって消えたとき、レイは身動きが取れなくなっていた。頬に触れているシャツの布地だけが、異様な熱さを持っているように感じた。  もし、誰かがこれを見ていたなら、ジンの早業に度肝を抜かれたに違いなかった。床にピシリと最初の亀裂が走った時にはすでに、ジンはレイの腰をひっつかみ、肩に抱え上げていた。もろくなったコンクリートがガラガラと崩れ落ち、不気味に振動する床の上を、階下に残る柱の位置さえ瞬時に推測して、飛ぶように駆け戻っていく。あっという間に階段まで退避したジンは、そこでレイを胸元へしっかりと引き寄せなおした。  振動がおさまり、階下に落ちた最後の釘が動きを止めるころ、レイはようやく顔を上げた。床は完全に抜け落ち、大きな塊が脆くなっていた二階を突き抜けて地面まで落下していた。ジンに引き戻されなければ、今頃あそこで潰れていたのはレイ自身だっただろう。だがレイは、どこか他人事のような気持ちで、抜け落ちた床をただ無言で見つめていた。 「大丈夫か?」 「……はい」  頭上から低い声が降ってきて、レイはまだジンに抱えられていたことを思い出した。小さく咳ばらいをして、目を合わせずにその腕を抜け出そうとする。  しかしジンは、レイを離さなかった。何の前触れもなく、大きな手のひらが首筋にあてられ、レイは飛び上がった。 「何をして――!」 「動くな」  反対の腕でがっちりと腰を抱いたまま、ジンがさらにかがみこんできた。半眼になって、何かに耳を傾けている。 「呼吸、正常。脈、正常……いや少し早い、瞳孔、左右差なし……」  ぶつぶつ言いながら身体に触れていく手に、レイは必死で耐えていた。いっそ、もう一度床が抜けてほしいぐらいだった。表情を変えないように、目を閉じて自分の世界へ逃げ込む。そのせいで、自分に触れるジンの心臓が、自分以上に激しく脈打っていることに、レイは気づいていなかった。  ようやく身体が解放されると、レイはすぐに二歩下がった。ゆっくりと深呼吸をして、乱れた感情を落ち着ける。ジンはそれをじっと見つめていたが、やがておもむろに言った。 「うち来るか?」 「……はい?」  レイは唖然とした。 「なぜですか?」 「心配だから」 「異常はなかったはずでは?」 「そうなんだが……後から痛みや吐き気が出ることもあるし」 「結構です。もしその必要があれば医者に行きます」  ジンはしばらくレイの顔を探っていたが、やがてふっと息を吐いた。  同時に、その顔から、何かが抜け落ちた気がした。 「……それは残念だ。せっかく、あんたを連れ込めるかと思ったんだが」  そう言いながら、装備袋から幅広のスリングを選び出して、ベルトのカラビナに通す。そして、何の説明もなく、反対の端をレイの腰に回そうとした。レイはスリングを押さえた。 「これは?」 「降りるまでの安全装置だ」 「……必要ありません」 「いいから」  腰と鼠蹊部が軽く締め付けられ、カチャンとロックがかかる。返事を待たずに、ジンはレイの肘を掴んだ。手に触れられなかったことに、レイは少しだけ安堵した。 「外に出たら外すから安心しろ。とにかく、もう調査はやめて戻るぞ。いいな」  どこか上の方、四階のあたりで、何かが軋むような音がした気がした。肘を掴むジンの力が、徐々に強くなってくる。  レイは頷き、彼に従う他なかった。

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