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第9話 夜と花の間①

 空の青と木々の緑が、徐々にその濃さを増してきていた。聞き込みをしていたコンビニから出てくると、植え込みに咲いたツツジが目にとまった。白とピンクの五弁花の中に、蜂が忙しそうに飛び込んでいく。満開になった花が、甘い香りを放っていた。レイは、かすかに唇を湿した。  ポケットの中で、電話が振動した。画面に表示された番号を見る前から、レイはため息をついていた。だが、話をするだけなら、あれこれ仕事に手を回して邪魔されるよりはよほどマシだ。 「……もしもし」 『よう、レイ』  相変わらず大きなジンの声は、まるで本人が目の前にいるかのように響いた。レイは歩きながら、すれ違う人々が顔をしかめていないか、そっと辺りを見回した。 『変わりないか? 今日は何してるんだ?』 「いつも通りです。聞き込みのために、少し出かけていますが」 『どこに?』 「故人の個人情報にかかわるので、答えられません」  山岳部で起きた災害対応に派遣されてから、ジンはレイの様子がよくわかっていないようだった。むしろ、どうして前はあんなに筒抜けだったのか、そちらの方がいまだに不気味だ。 『俺だって当事者だろ。何か進展はあったのか?』 「残念ながら、報告できるようなことはあまり。とにかく、物証がなさすぎるんです。ただ、個人を特定しない範囲で言えば……再調査で、七名中六名が精神科の受診歴を申告していることはわかりました。ですので個人的には、死体を誰かが操ったり隠したりしていた線より、幻覚の線の方がまだあり得ると思ってはいますが……」 『……それは、ありえない。俺は申告してないし、死体はこの目で見たんだからな』 「承知しています。だから、こうして現場周りの聞き込みを続けているんですよ」 『危ないことはしないでくれ。……また、縛らないといけなくなるから』  独り言のように付け加えられた言葉は、冗談にしては温度がなかった。しかし、ジンの声はすぐに明るくなった。 『明日、そっちに戻る。ようやく最後の部隊の研修が終わってな』 「そうですか。お疲れさまでした」  対応自体は、一週間ほど前に終わっているようだった。だが、現地での働きを買われ、後続部隊の研修講師として残っていたらしい。毎日のように電話をかけてくるジンのせいで、レイは彼の事情を細大漏らさず知る羽目になっていた。 『ああ。だから……明日の昼あたり、事務所に行っていいか?』  レイはぴたりと足を止めた。 「……何のために?」 『あんたと話すためだよ。他に何があるんだ?』 「話なら電話でもできるでしょう」 『まあ……そうだが、直接会った方がわかりやすいこともあるだろ。昨日は何時間何分寝た? 食事はとったのか? 一日で何歩あるいた?』 「だから、私の生活に干渉してこないでください。それに、明日はすでに別件が入っています」  まるでペットの世話をするようなジンの確認に、返事が必要以上にそっけなくなる。ジンがなぜここまでつきまとってくるのか、レイはさっぱりわからなかった。仕事の邪魔も毎日の電話も、明らかに探偵と依頼人の線を越えている。  とはいえ、ジンにももう一度聞き取りをしなければならないのは確かだった。向こうから勝手にどんどん踏み込んでくるおかげで、目撃者の中では最も話を聞きやすい相手ではある。 「ですが……それが終わった後ならお話できるかもしれません。事務所に帰ってくるのは少し遅くなりますが」 『なら、俺があんたのいるところに行こう。後で待ち合わせ場所を送ってくれ』 「わかりました」  承諾すると、ジンが楽しげに笑った。 『それじゃ、久しぶりのデートだ』  軽薄なからかいを最後まで聞くことなく、レイはぶつりと電話を切った。  *  *   東暮雨公園は、川に沿って東西に広がる、市内で一番大きい公園だった。ちょうど連休に合わせて、芝生広場と庭園エリアでは、フラワーフェスティバルが開かれていた。夕陽に染まりつつある園内は、あちこちで屋台の照明がつき、ますます活気が増している。  消防署前でも見かけたリバイブ・コーヒーの白いワゴンは、祭りに合わせてカラフルなポップで装飾されていた。順番を待ちながら、レイは靴の先についた土を芝生に軽くこすった。隣でジンが小銭を探りながら、もう三回目になる問いを繰り返す。 「あんた、本当に何もいらないのか?」 「はい。先ほど食事は済ませたので」 「本当か? ここ、コーヒー以外も美味いんだぞ。なあ?」  カウンターの向こうで、ジンの馴染みらしい店員たちがにこやかに応じた。 「はは。いつもご贔屓にありがとうございます」 「店長、また喉……大丈夫か? しばらくは、そっちのあんたに任せた方がいいんじゃないか?」  穏やかそうな印象の男の隣で、大学生ぐらいの青年が苦笑いした。 「僕もそう言ったんですけどね。あ、ちょうどソーセージ焼けましたよ。いかがですか?」 「お、じゃあ頼む。ソースはいつものやつで」 「かしこまりました」  二週間ぶりに見るジンは、以前と何も変わらなかった。近くて、大きくて、遠慮がない。おまけに、髪を切っていた。かすかな整髪剤の香りをまとうハンサムな顔に、自然と周囲の耳目が集まる。レイはできるだけ、彼が西陽に作る影の中を歩くようにしていた。 「やれやれ、やっと――って、おう! ジンじゃないか! お前、来てたんだな」 「久しぶりだな、ハヤさん。家、無事に建て直せたって聞いたよ。あの子は元気にしてるか?」 「もうすっかり元通りだよ。お前に会いたがってたから、今日来ると知ってたら連れてきてやったのになあ。そうだ、あれから――」 「あら? もしかして、ジンさんですか?」 「わあ、あなたが! この前、うちの息子が消防教室でお世話になって――」 「あなたは顔が広いんですね」  レイは、先に近くのベンチに座っていた。ひとしきり人々と挨拶を交わしたジンが、ホットドッグを片手に戻ってくる。 「まあな。地域交流は大事だから」  隣に腰を下ろしたジンは、キャベツを避けて包装紙を捲りながら肩をすくめた。 「新人だった頃、それで助かったことがあったんだ。火災現場で、崩落に巻き込まれるミスをした」 「そうだったんですか」 「ああ。しかも、逃げ遅れた子供と一緒だった。受け身は取ったが……あたりは、火の海だった。天井も、完全に塞がってた。俺には逃げ場がなかった」  ジンの声は、淡々としていた。白い歯の間で、ソーセージの皮がはじけた。 「だが、その三日前に、俺は偶然そこの家主と話してたんだ。それで、地下の貯蔵庫が庭に繋がってるって話を思い出して……なんとか、脱出に成功した。あの雑談がなかったら、どうなってたかわからない」 「危なかったですね」  陽が沈むにつれて、屋台の列は長くなっていった。賑やかにはしゃぐ人々を見ながら、レイは静かに問いかけた。 「怖かったですか?」  ジンが答えるまでに、少しの間があった。はみ出したケチャップをどう口に収めるか、考えているようだった。しかし、最後の一口を飲み込んでからレイに向き直った彼は、いつもの〈英雄〉の顔をしていた。 「まさか。外でチームが動いてるのはわかってたし……そもそも、そんなことを怖がってたら、この仕事はできないだろ?」  ジンは包装紙をくしゃりと丸めて立ち上がった。 「さて、そろそろ行くか。何から始める? あそこのダーツか?」 「……え?」  ジンが何を言っているのか理解するのに、三秒ほどを要した。レイの背中が、ベンチの背もたれから浮いた。 「私は遊びませんよ。だいたいあなたは、私に話があるのではなかったのですか?」 「話は明日でもできるが、祭りは今日までだ。探偵だって、いろんな奴と話して情報網を広げた方が良いんじゃないのか?」 「いえ、私の場合は――」  立ち上がったレイを、急にジンが捕まえて引き戻した。賑やかな学生の集団が、レイを庇ったジンの腕に軽くぶつかり、すみませんと声を上げて去って行く。  ジンはレイの腰あたりをじっと見て、それから無言でベンチに手を伸ばした。レイが座っていた場所を、手のひらでゆっくりと撫でる。暮れていく空のせいか、その瞳は奇妙にうつろに見えた。しかし、レイが寒気を感じるより早く、またもやジンはいつも通りの笑顔に戻って、今度こそレイを出店の列に引っ張っていった。

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