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第14話 許しの罰①

白いミルクの泡が、綺麗に口紅をひいた唇へ吸い込まれていく。テーブルに戻されたそれから、レイは向かいに座る人物に視線を移した。 「久しぶりね」  マリが笑った。あの事故からまだ二か月とたっていなかったが、レイも同感だった。それだけ、マリの印象は変わっていた。背負っていた疲労と刺々しさが消え、自分の足で前に進んでいる人間の顔だ。 「お元気そうで何よりです」 「おかげさまで。それで、協力してほしいことって何かしら?」 「はい。以前の事故の時に、あなたが見た遺体のことについてなのですが」 「……あら」  マリは少し目をそらした。 「まあ、結局あれは、見間違いだった気がするわ。あの時は、私もどうかしていたし」 「ええ、そうですよね。きっと、ストレスも大きかったことでしょうし」  レイは理解を示した。マリはうなずいて、またマキアートを一口飲んだ。 「そうなのよ。ただでさえ……あのことがあったのに、あの時期は仕事もめちゃくちゃ忙しくて。転職しようとしてたから、余計にね……」 「そうだったんですね。今は少し楽になりましたか?」 「もう、全然楽よ。なんでもっと早くしなかったのか不思議なぐらい。やっぱり前の上司が無能すぎたわ。ずっと振り回されて、夜もよく眠れなくて……」  コーヒーカップが、銀のスプーンに当たって軽い音を立てた。 「なるほど。そういう時って、目に入るものすべてが不吉に見えたりしますよね」 「そうそう。ほんと、余計なものまで気になっちゃうのよ。あれもそうだったし、変な迷惑メールとか見ちゃったりね……」 「――迷惑メール、ですか?」  さりげなさを装ったレイの関心に、マリはうなずいて携帯を取り出した。いくつかの操作をしてから、端末をレイの方に向ける。 「ほら、これ。こういうのがいっぱい来るのよ。どこからアドレスが漏れたんだか知らないけど……」  スパムフォルダに並んだメールは、タイトルからして怪しげなものばかりだった。ネイルを整えた指が、メールを順にスワイプしていく。しかし、あるメールで、レイは突然手を上げた。 「待った。このメール」 「……え?」  添付されたリンクの文字色には、既に踏まれた形跡があった。レイはメールのタイトルと文章をもう一度読み、顔を上げた。 「マリさん。これ、私のアドレスに転送してもらえませんか」 「いいけど……なに、何か開けちゃいけないメールだった?」 「いいえ」  不安そうな言葉を否定して、レイはじっと画面を見つめた。 「あなたに何も間違いはありません。ただ、おそらく……これが、私の探していた答えかもしれませんので」 「……そう」  マリは怪訝な顔をしていたが、それ以上聞かずに黙ってマキアートを飲んだ。レイは下唇に手を当てたまま、じっと考え込んでいた。やがて、マリがカップを置いた。 「ねえ、探偵さん。今度、またお茶しましょうよ」 「……はい?」  レイは不意をつかれた。画面から顔を上げると、マリが笑っていた。 「やだ、変な意味じゃないわよ。ただの、友達として」 「友達……?」  レイはますます眉を寄せた。 「仕事ではなく、ということですか?その場合、何を話せば……?」 「ふふっ」  マリは声を上げて笑い、レイの前から携帯を取り戻した。テーブルのレイ側にあった伝票を、爪の先でとんとんと叩く。 「今日は、ごちそうになっておくわ。でも、次は私がマキアートおごってあげるから」 「……別に、私は」 「じゃあ、またね」  マリは、背筋を伸ばして去っていった。テーブルの上には、ミルクのやわらかな香りが残っていた。  *  *  公園の入り口には、カラフルなクレープのワゴンが停まっていた。小さい女の子が母親の手にぶら下がって、メニューのポスターの中の一つを指し示そうとぴょんぴょん跳ねている。  視線を落とすと、打って変わっておどろおどろしい配色のサイトが、携帯に表示されたままになっていた。来月の命日はあなただ、などと書かれた枠の中に、何人かの死体が写実的なタッチで描かれている。その中には、マリそっくりな顔もあった。レイは画面を横にスライドした。マリのソーシャルネットワークサービスの公開アカウントが表示される。上げられている写真の中には、死体のイラストにされたのとよく似た角度の顔があった。  バッテリー残量は、20%を切っていた。レイはここしばらく、片っ端から電話をかけまくっていた。このくだらないサイトが、おそらくイツキのいう「きっかけ」であったのだろう。サイトの運営元やスパムの発信源の特定はレイの職域ではないから、警察にかけ合うしかない。だが、このサイトが閉鎖できれば、ひとまずはこれ以上の被害者が出るのは防げるだろう。マリだけでなく、他六名の目撃者からも、メールの転送をもらっている。……残るは、あと一人だ。  手袋の中でそっと手を握りしめると、レイは十日ぶりの連絡先を呼び出し、簡潔なメッセージを送った。  *  *  事務所に現れたジンは、リバイブ・コーヒーの紙カップと、水玉の描かれた小さな箱を手にしていた。メープルの香りがする謝罪を、レイは儀礼的に受け取った。  ジンは、レイの様子をちらちらと伺っていた。ただしその理由は、しばらくぶりの気まずさだけでもないようだった。 「食べないのか?」 「後でいただきます。もらいものは、大切にしたいので」 「今にしてくれ」  相変わらずの話の通じなさに、なぜか安心感すら覚える。ジンはレイから一人分空けたところに座ったが、箱からドーナツを一つとると、大真面目な顔で差し出してきた。 「食わせてやろうか?」 「けっこうです!」  思わず語気が強くなる。頬によくわからない熱が集まりかけるのを抑えつけ、レイはじりじりと近づいてくるドーナツを避けた。 「メールはきちんと読みましたか?未来死体事件に決着がつきそうなので、今日はその話をしたいんです。ただ、その前に……ひとつ、確認しなければならないことがあります」  レイは、少し間を置いた。改めて姿勢を正し、ジンの顔をじっと見つめる。彼が相手でも……いや、彼が相手だからこそ、切り出し方を間違えられない。  だが、先に口を開いたのはジンだった。 「気を遣わなくていい。……タナトフォビアのこと、あんたはもう知ってるんだろう」

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