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第16話 声混線①
窓の外には、本格的な夏が到来していた。
事務所の応接テーブルの上には、分解された腕時計と、小型カメラの部品が散らばっていた。レイはドライバーの芯を外すと、一回り小さいものに取り換えた。机の上を転がったネジが、かすかな音を立てて床に落ちた。それを追って屈むと、部屋の隅に残されている大量のパッケージが目に入る。数日前、サンタクロースのような大荷物で事務所に現れた男を思い出して、レイは大きなため息をついた。
ソファにどさりと置かれた巨大な袋から、レイは中身を取り出していった。乾麺。クラッカー。保存用の水に、チョコレートバー。
「なんですか、これは」
ジンは言い訳した。
「ここだって、一応事務所だろう。災害に備える安全配慮義務はあるはずだ」
「必要ありません。私以外に事務員もいないのに」
「じゃあ、家用にすればいい。とにかく、どこかで役に立つはずだ。それぐらい、受け取ってくれてもいいだろう」
「ですから、必要ありません」
デスクに戻ったレイは、うんざりしてエンターキーを叩いた。
「まあ、あなたを含め、来客用にというなら理解できますが。とにかく、それでも多すぎるので、半分は持って帰ってください」
ジンは不満そうな顔で、パッケージを一つずつ戻していった。彼は三つごとに手を止め、いちいちレイを見た。レイは毎回頷いて、彼がきっちり半分を戻すまで監視を続けた。
未来死体事件は、一応解決を迎えたはずだった。まだ少し引っかかることはあるものの、警察が動いて無事にサイトは閉鎖されたし、あれから新たな目撃者も出ていない。レイとジンの関係も、他人に戻ったはずだった。にもかかわらず、ジンは何かにつけて、レイの事務所を訪れていた。
もちろん、怖くなったら来ていいと、許可を出したのはレイだ。だが、こう頻繁に来られるとは予想外だった。給湯室には、カップが増えていた。観葉植物の下のカーペットには、やりすぎて溢れた水のシミができていた。間違い探しのように増えていくそれらの痕跡は、レイが一人でいる時ほど、妙に目についた。
組み立て終わった腕時計を合わせようと、壁の時計を確認すると、もう出る時間になっていた。テーブルを片付け、捲り上げていたフリルシャツの袖をおろし、いつもの黒い鞄を持って事務所を出る。だが階段を降りかけたところで、レイはちょうど階下に現れた長身と鉢合わせした。
「よう」
ジンの目が、レイの顔から服、鞄、そして足元へと素早く流れた。
「どこに行くんだ?」
「教英大学です。そこの学生からの依頼なので」
「やめとけ。去年、あそこの研究室でガス漏れ事故があっただろう。話をするだけなら、他の場所で……」
レイが黙ってじっと見つめていると、ジンの声が少しずつ小さくなっていった。
「仕事の邪魔はしないでくれと、言いましたよね」
「……ああ」
ジンはぐっと拳を握った。
「なら、俺もついて行く。それぐらいならいいだろ」
「ご自由にどうぞ」
レイは軽く頷いて、ジンの横を抜けようとした。――その腕を、ジンが掴んだ。
しかし、そのまま胸元へ抱き寄せられようとしたところで、ジンの動きが止まった。
「ジン」
レイは静かに呼んだ。少し頭を傾ければ、鼻先がジンのシャツに触れるほど、二人は近くにいた。だが、ジンは動かなかった。外の強い日差しと対照的な階段の暗がりで、その表情はよく見えない。
「……いや」
呟く声とともに、体温が一歩下がった。……また、寸前でこれだった。
「良いんですか?」
「ああ」
短く頷いて、ジンが外へ出ていく。レイは鞄を少し揺すり上げると、彼に続いて、焼けるような日差しの下へ足を踏み出した。
* *
昼を過ぎて、食堂へ雪崩れ込む学生の波が少し落ち着いてきた。ガヤガヤとした活気の中に、空席がぽつぽつとでき始めている。
「なるほど。声混線ですか」
「声、混線?」
依頼人のカナは、レイの向かいでノートを広げていた。レイは、水のコップについた水滴を、人差し指ですっとなぞった。
「はい。聞こえないはずの声が聞こえてしまったり、逆に聞こえるはずの声が消えてしまったりする現象です。十二人で点呼を取ったのに、必ず十三回返事があると言いましたよね?」
「そうなんです」
キャップを閉めた赤ペンで、カナはノートを一枚めくった。
「うちのミステリーサークルは、毎年三回合宿をします。この前の春合宿でその声混線があって、それで――」
隣のテーブルがどっと盛り上がり、カナが言葉を切った。興奮気味に話す声が、空になった食器の上で弾けている。
「え、マジっすか!俺、あの大会見てたんすよ。あれ、ジンさんだったんだ」
「意味わかんないぐらい速い人いるなーと思って……すげえな、筋トレのメニューとか知りたいわ」
「それなら、俺の行ってるジム紹介しようか? 身体も性格も、顔も良い奴ばっかりだぞ」
「あははっ、やべえ気になる」
ちらりと見ると、他の部員たちに囲まれたジンが、すました笑みを浮かべていた。リョウが評した「女癖が悪い」という言葉が、なぜか脳裏に浮かんだ。
「それで、次の夏合宿でも同じ旅館に行って、調査しようと思ってるんですが」
音量が戻るのを待って、カナが続けた。
「ただ、もう一つ、妙なことがあって……。その合宿以来、サークル内で病気や怪我がめちゃくちゃ増えてるんです。それで、私たちだけでは少し不安なので、レイさんにも来てもらえないかなと」
「なるほど」
レイは目の端で、食堂の入り口の方をそっと確認した。騒がしく列をなす学生たちの向こうに、ひっそりと佇んでいる黒い影があった。普通の霊が避けがちな生者の活気にも、その霊は全く無頓着なようだった。うつろな視線が、たしかにこちらの一団へ向けられている。あれは……なかなか、厄介そうだ。
自分の手帳をもう一度確認してから、レイはカナに向かって頷いた。
「わかりました。その合宿に同行して、現地調査を引き受けましょう」
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