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第20話 空に昇る声②

 大部屋は、次の学祭で仕掛ける展示を議論する、賑やかな声に満ちていた。誰かが流している流行りのメドレーが、アップテンポのリズムを刻んでいる。 「ジンさん」  ハルに呼ばれて、ジンは日課のプランクを止めて身を起こした。 「みんなの飲み物買いに行くんですけど……何か飲みたいものありますか?」 「そうだな。俺は水で――」  鉛筆の粉を擦らないようにするためか、ハルは黒い手袋をしていた。ジンは顔をしかめて、立ち上がった。 「いや、俺も行こう。一人だと持ちきれないだろ」 「あ、助かります」  冷房の効いた廊下に、分厚い絨毯が心地よかった。ロビーを通り過ぎながら、一瞬だけ意識を広げて、耳をすませる。聞き慣れたレイの呼吸音は、まだ宿の裏手にいるようだった。足音に水が混ざっているのが心配だが、リズムは落ち着いている。遠ざかっていくそれにもう少しだけ耳をすませてから、ジンは無理やり意識を引き戻した。  自動販売機は、喫煙室の近くにあった。三台も並んでいて、なかなかの品揃えだ。 「やっぱり、いい宿はこういうところまですごいですね」  ハルは、真ん中の自販機に近づいた。 「ええと、ジンさんは水でしたよね。カナはお茶で、ユウタたちが炭酸……レイさん、何が好きかなあ」  ジンの眉が、ぴくりと動いた。しかし、すぐに笑みを浮かべて、左の自販機に手をのばす。 「大人はな、そういう時は、ぜんぶ買っとくんだ」  ざっと見渡して、目についたボタンを次々に押していく。 「一番よく飲んでるのは、コーヒーだな。甘いのが好きそうだから、カフェオレもいいかもしれない。紅茶も飲んでるのを見たことがあるから、加糖と……一応無糖も買うか。それに、塩分補給ならスポーツドリンクと水もあった方が……」  ジンの指が、ゆっくりと止まった。青く光るボタンをしばらく見つめてから、やがて小さく息をついて全てを取り消す。 「……まあ、二人で持って帰るにはちょっと多いか。とりあえず、コーヒーにしておいて、不満があったら後で戻ってこよう」 「レイさん、不満とか言うんですか」  ごとん、ごとんと吐き出されてくる飲み物を見ながら、ハルが意外そうに言った。ジンは、薄く笑った。 「言わない。……だから、困るんだ」  コーヒーを拾い上げるジンの背中を、ハルはじっと見つめていた。  部屋に帰ると、レイが戻ってきていた。ハルはぱっと顔を明るくしたが、ジンはレイの表情を見て、学生たちの輪の外へ下がった。彼が顔を上げると、雑談が自然と小さくなり、消えていった。 「全員、戻ってきましたね」  相変わらず、水のように静かな声だった。 「結論から言えば、今回の声混成も皆さんの体調不良も、よくある祟りの部類でした。カナさんから聞きましたが、十年ほど前の冬合宿で、このサークルの部長が亡くなっていたようですね」 「あ、はい……でも、祟りがよくあるってどういう――」 「では、その時の合宿地もこの旅館であったことはご存知でしたか?」  カナは目を見開いて、首を横に振った。レイは、淡々と続けた。 「当時の合宿では、部員同士でよく謎を仕掛けあっていたようですね。おそらく、その部長も熱心だったのでしょう。ただ、あの年は大雪でした。部員たちが解くのを待っていた部長は、この旅館の裏で、屋根から落ちてきた雪に埋まって、身動きが取れなくなってしまった。……これは、そこで見つけたものです」  レイは、ぼろぼろに崩れかけた、木とプラスチックでできた札のようなものを掲げた。不思議な形をしていて、小さい穴がいくつか、意味ありげな位置に開けられている。 「部員たちは、部長は謎の一環で先に帰ったと勘違いして、彼をおいて帰ってしまった。雪に埋もれ、冷たくなっていく彼の位置からは、もしかしたら彼らが帰っていくバスが見えたのかもしれません。最後の〈残声〉は――『置いていかないで』でした」  部屋は、しんと静まり返っていた。レイに手渡された木札を、カナがぎゅっと握りしめている。  しかし、真っ先に声をあげたのは、ハルだった。 「それなら、俺らでその謎解いて帰ろうよ。ちゃんと供養できたら、この変な感じも収まるかもしれないし。だろ?」 「……うん。そうしよう! みんな、いいよね?」  にわかに色めき立った学生たちが、木札を取り囲んで、わいわいと話し出す。それを静かに見守るレイは、いつもより少し優しい表情をしていた。 「よかったな」  ジンは、そっと彼の横に並んだ。傾き始めた日差しが、目に心地よかった。 「はい。私の仕事は、ひとまずここまでです。無事に彼を弔えるかは、彼らにかかっています。でも……この様子なら、大丈夫でしょうね」 「だろうな。あ、これ、あんたの分だ」  持っていたコーヒーの存在を思い出して、ジンはレイに手渡した。 「さっき、ハルの奴と買いに行ってたんだ。休憩時間に飲もうって」  レイはコーヒーを受け取ったが、なぜかジンの手をじっと見ていた。右手を見て、左手を見て、それからまた右手を見る。 「これだけですか?」 「足りなかったか?」  ジンは急に焦った。 「本当は、もっといろいろあったんだ。でも、あんたが何を飲みたがるかわからなかったから。なんなら、もう一回一緒に――」 「いえ」  小気味良い音とともに、レイは飲み口を開けた。 「ただ、気になっただけです。あなたにしては、その……」  言い淀んだレイは、コーヒーを一口飲み、小さく息をついてジンを見上げた。 「あなたの分はいいんですか?」 「俺は水がある。さっきハルが持ってったが」 「そうですか。……それなら、よかったです」  ハルたちの方を見ながら、レイは再びコーヒーに口をつけた。何か、物思いにふけっているような顔だった。彼が何を考えているのか、ジンにはやはりわからなかった。

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