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第28話 炎の示す先に①

 消防署に近いコインパーキングでその車を見つけた時、ジンは思わずナンバーを確認した。運転席では、ジンと同じ年代ぐらいの、短い黒髪の男がハンドルに腕をひっかけている。綿素材のゆったりした紺色のTシャツに、胸元にさしたサングラス。まるで、休日に年下の恋人を迎えにきた彼氏みたいだ。  助手席の窓をコンコンと叩くと、わずかに間をおいてから、ロックが解除される音がした。 「……目立つことはしないでくれと、言ったはずですが」  黒髪の下から、見慣れた氷色の瞳が呆れたようにこちらを見る。 「だから変装してるじゃないか」  ジンはかぶっていたテンガロンハットを取って、持ってきたザックと一緒に後部座席へ放った。椅子をぎりぎりまで後ろに引いてから、隣の男をじっくり眺める。 「すごいな、あんた。化けるもんだ」 「これが仕事なので」  バタンとドアを閉めると、革と彼の香りが強くなった。 「だいたい、私がどんな姿をしていてもあなたには関係ないでしょう。違いますか?」 「……ああ。俺は、聞こえるからな」  ジンは目を瞬き、それから笑った。 「そんなことより、そろそろ動きがあるはずです」  ごつい腕時計のせいで、レイの手首はいつもより細く見えた。フロントガラスの向こうに目を凝らすと、街路樹に挟まれて停まっている白いワゴン車が見える。二、三人の列を愛想よく相手している若い店員の奥で、店主がいつも通りにコーヒーをいれていた。あの穏やかな表情の裏で、これまでに何人の命を葬ってきたのだろう。胃の奥がむかついて、ジンはむりやり唾液を飲み込んだ。 「あの店員も、まさか殺人者と仕事してるとは思ってないだろう。さっさと保護してやらないと……」 「いえ、大丈夫でしょう。今朝、あなたの……あの男性の死体を引きずっておいて、何食わぬ顔で営業に戻っているぐらいだ。カモフラージュのための環境は、そうすぐに壊さないはずです」 「だが、あいつに似た顔の奴に、タナトフォビアの人間がいたらどうなる? こうなったら、この街のタナトフォビアの奴全員に手を上げさせて、そいつらと似た顔のリストを作ってでもおかない限り――おい、」  ジンが声を上げた時には、レイはステアリングを握っていた。ワゴン車のカウンターにシャッターが降り、店員が外の看板を畳んで、後ろに停めてあった白い軽バンに積み込み始める。店主は、その車で通勤しているらしい。一日の仕事を終えた二人は、リラックスした顔で会話をしていた。  レイがちらりとジンを見た。 「もしかして、あの会話もここから聞こえたりするんですか」 「え? ああ。聞きたいか?」  ジンはすぐに意識を広げた。 「えーと、『明日も十時オープンにしていいかな』『良いですよ、何かご予定が?』『ああ、子供の送りがあって。悪いね』『いえ、朝寝坊できるので――』」 「便利なものですね」  レイが呟いた。 「あなたがいれば、盗聴器も必要なさそうだ。恐ろしいことですが」  ジンはニヤッとした。 「俺が助手にほしくなったか?」 「……もう少し、変装を勉強してからものを言ってください」 「残念だな。警備費はサービスしてやろうと思ったのに」 「今すでに無償でやっているでしょう」 「トライアル期間ってやつだよ。早く本契約にしてくれ」  「……冗談ですよね?」  レイは呆れたように首を振ったが、口元には小さな笑みが浮かんでいた。 「とにかく、出します。必ずシートベルトをしてください」 「はいはい」  車の波に揉まれて、白い軽バンは進んでいった。帰宅時間で、徐々に車が増えてきていた。五台先にいる軽バンとの間に、横道からもう一台がウィンカーを出した。 「また入られた」  ジンは落ち着かなかった。 「あの黒いやつも入って来そうだ。見失うぞ」 「たしかに、厄介ですね」  レイが言うと、全く厄介そうに聞こえないのが不思議だ。 「ジン、あなたが聞こえる範囲はどれぐらいですか?」 「二、三キロってところかな。だが、こう人の多い街中だと雑音が多い。せいぜい数ブロックだ」 「了解です」  そういうなり、レイがハンドルを左に切った。車の連なる幹線道路から外れて、ビルとビルの間の細い道に入っていく。ジンは運転席の肩をつかんで、後ろを振り返った。 「おい! これじゃ見失っちまう――」 「方向を教えてください。ジン、早く」  カーナビを見ながら、レイが遮る。ジンは慌てて意識を広げた。 「っ、右後ろの方だ」 「絶対方位でお願いします」 「えーと、北。北に向かってる」 「了解です」  レイが右にハンドルを切った。ジンも半目でカーナビを見ながら、眉を寄せて店主の咳混じりの呼吸に集中する。しかし、人の多い街中では、思うように動けなかった。横切る歩行者にこちらが速度を落とすたびに、かすかな音がどんどん遠ざかっていく。 「西、いや北西かな……」  ジンは両手をこめかみにあてた。必死に耳を澄ませても、目標の音はもうほとんど聞こえなくなっていた。 「悪い。もう抜けられたみたいだ」  しかしレイは、頷いていた。 「十分です。この動線ならおそらく……」   言葉をとぎらせ、そのまま車を進めていく。ジンはダッシュボードに手を突っ張りながら、固唾を飲んで前を見つめた。街路樹のざわめく角を右に切り、斜めに伸びたY字路を左に進む。陸橋を一度わたり、現れた突き当たりを再び右に曲がると―― 「……さすがだな」  国道に出た二人の車は、白い軽バンの二台後ろにぴたりとつけていた。  都心を抜けたおかげで、道は先ほどよりずっとスムーズに流れていた。ジンは大きく息をついて、シートに深く座りなおした。郊外に向かって、流れが徐々に速くなっていく。レイの運転は、安全というより正確だった。目標を確実に捉えるために、時に滑らかに、時に強引に車線変更を繰り返す。真剣なレイの表情は、どこか生き生きとして見えた。  建物はまばらになり、群青色に染まる空に暗い緑の影が多くなってきた。軽バンが右へウィンカーを出し、郊外の町へ向かう幹線道路に入っていく。  しかしレイは、ウィンカーを出さなかった。戸惑っている間に分岐が迫り、分かれ、軽バンがみるみるうちに右斜め上の方に遠ざかっていく。 「追わなくていいのか?」  「ええ。もう充分です」  レイはそのままもう少し車を走らせると、手入れされていない空き地の端で止めた。ブレーキが入り、エンジンが静かに停止する。ゆっくりと息をついて、レイはジンを見た。 「ここまでくれば、向かう場所は推測できます。もしあなたが、たくさんの遺体を保管しなければならないとなったら、どんな場所を使いますか」  ジンは顔をひきつらせたが、真剣に考えてみた。 「そうだな。病院か、警察……いや、いっそ墓とか、葬儀場か……」 「はい。張り込みの間に、該当しそうな場所を調べました。そして現在地と、今から新たな遺体が処理されることを考えると、目的地はおそらくここです」  ジンは、レイが示したスマホの画面をのぞき込んだ。それは、昨年できたらしい山中の葬儀場だった。緑あふれる地で安らかな眠りを、と書いてあるが、レビューの類がいっさいついていない。 「表向き、ここは葬儀場です。ただ、地図でこの場所を調べると……昔の、焼却場の跡地なんです」 「焼却場……」  いやな予感が、背筋を冷たく伝い落ちた。荒れた空き地にぽつんと立つ建物の写真は、まるで人の消えた実験施設のようだった。言いようのない不気味さに、無意識に喉が締まる。ここで、あと数時間のうちに、新たな犠牲者が出るかもしれない……。  しかし険しい表情で顔を上げたジンは、レイがぼうっと窓の外を見つめているのに気づいた。視線の先では、近くの低木が花をつけている。 「……食うなよ」 「私は何も言っていません」  「食おうとしてただろ」  なんだか、拍子抜けしてしまった。ジンはため息をついて、後部座席に放っておいたザックをあさり、小さな紙袋を取り出した。かすかに甘い匂いのするそれを、レイは驚きの表情で受け取った。 「腹ごしらえなら、花よりこっちにしろ」 「……そうですね」  レイが口元を緩めた。取り出したドーナツを半分に割り、片方をジンに差し出す。 「ですが、あなたもです。おそらく、侵入時にはたくさん動いてもらうことになりますから」 「あんた、ほんと容赦ないよな」  ジンは鼻を鳴らしてドーナツを受け取り、二口で平らげた。胃の底がまたそわそわし出して、自然とレイに視線が向く。見慣れない黒髪の下で、小さな口が時間をかけて半円を少しずつ食べていった。ジンは、画面の消えたスマホをもう一度見た。 「本当に……行くんだな?」  車内の空気が、静かに変わった。ここから先は、何が起こるかわからない。殺人犯と対峙するのは、街中での追跡とは危険度がまるで違う。二人とも、それをよくわかっていた。  しかしレイは、一も二もなく頷いた。 「もちろんです。ここまで来て、引き返すわけがないでしょう。それに、あなたがいるのだから私のリスクは低い。違いますか?」  急な信頼を向けられて、ジンは返事に詰まった。自分が慣れているのは救助で、殺人者のような狂人ではない。救うために死の淵へ飛び込むことより、死へ落とそうとしてくる者を相手にすることはさらに恐ろしかった。だが、ここでジンが何を言っても、レイが一人で乗り込むことは目に見えている。 「……ああ。俺の前では、誰も死なせないからな」  そう呟くと、レイは頷いて、ドーナツの最後のかけらを飲み込んだ。  レイがTシャツの裾に手をやり、紺色のそれを頭から抜き取った。下に着ていたいつもの白いフリルシャツの袖をおろし、手際よく袖口のボタンを留めていく。それが終わると、黒い髪をつかんで引っ張った。偽物の髪束が後部座席へ投げられ、美しい銀髪がさらりと流れる。 「ジン」  痛いほどに見つめているジンの前で、レイが両手でハンドルを握った。 「行きますよ」

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