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第29話 炎の示す先に②
薄汚れたコンクリートの四角い建物は、まるで爆心地に一つだけ残ってしまった要塞のようだった。いくつかの窓には明かりが見え、煙突からは夜空よりも黒い煙が立ち昇っている。異様なほど濃い死の気配に、レイは手袋が皮膚に張り付くような気がした。
「生体音を確認――二名」
ジンが目を開けた。
「一人は店主で、もう一人は要救助者だろう。まだ生きてるが、たぶん気絶してる。店主はうろうろしてるから、気づかれないように入らないと」
「あそこから入れるかもしれません」
二階を見上げて、レイは呟いた。端の窓が、僅かに開いていた。
すぐに頷き、出て行こうとするジンを、レイは呼び止めた。建物の裏に、黒い人型の影が伸びている。少し合図しただけで、影は指示を仰ぐように、レイの方に歩いてきてくれた。ここで店主に殺された、犠牲者の霊に違いなかった。
レイは、ジンを見上げた。
「あなたに、霊を同行させます」
ジンが身をこわばらせた。レイは静かに続けた。
「あなたの身体に何か変化があるわけではありません。ただ、困ったことがあれば、声に出して話してください。そうすれば、霊がそれを聞いて、私に知らせてくれます。――お気をつけて」
「……わかった」
張り詰めていたジンの顔が、最後の言葉に緩んだ。それ以上は何も言わずに、ジンは建物に向き直った。ザックからロープを取り出し、先端についている金属金具を、窓から二階に投げ入れる。数度引っ張って固定されたことを確かめると、ジンはあっという間にそれを伝って登り、中へと姿を消した。霊が、音もなくその後を追う。待つこと数分で、裏口のドアが内側から開き、レイは建物へ侵入した。
死者の霊が多すぎるという点を除けば、内部は葬儀場よりも焼却施設に近い作りだった。かつては作業員が行き来していたであろう、つるりとした灰緑色の通路が、用途のわからない部屋をぬって複雑に続いている。突き当たりのT字路で、レイはジンを見た。ジンは無言で、左を指し示した。
侵入してから間もなく、二人は通気口から天井裏に上がった。鉄の匂いがする狭い空間を、息を殺して這っていく。レイは大柄なジンを気にしたが、彼は信じられないほど機敏に移動していた。レイの身体が当たりそうなところを手で的確にガードしながら、被害者の呼吸を目指して確実に進んでいく。ジンがいなかったら、この複雑な建物構造の攻略にどれほど時間がかかったか、レイにはわからなかった。
「この先だ」
しばらくぶりに、ジンが無声音を発した。侵入してからずっと、二人はジェスチャーとアイコンタクトだけで会話していた。
「被害者がいる。まだ気絶してるようだ」
「犯人は?」
「一階にいる。やるなら今だ」
「了解です」
いよいよだった。レイは息を吸って、腹の下を見渡した。緩んでいそうな板を見つけ、力をかけてそれを外す。そのまま床に飛び降りようとするレイを、あわててジンが止め、腕を掴んで床に下ろした。
広く、静かな部屋だった。入り口には大きなシャッターがあり、その横に非常用の小さいドアもある。向かいの壁には、大きな銀色の蓋のようなものが付いていた。その向こうから、不気味な地響きのような振動が伝わってくる。今までそこに何が投入されてきたのか、考える間でもなかった。
古びた床は、数か所が鉄板で補強してあった。一番端、最も投入口に近いところに、後ろ手に縛られた女性が倒れている。どことなく、イツキの精神科ですれ違った女性に似ている気がした。
ジンがすぐに跪き、脈を確認した。
「気を失ってるだけだ。早く運び出さないと」
「はい」
被害者はジンに任せて、レイは部屋と現場の写真を撮っていた。腕時計に仕込んだ小型カメラが、録画状態になっているのを確認する。今夜の目的は、人質の救出だ。犯人の逮捕自体は、証拠固めをした後に警察へ引き継いだ方がいい。
「今きたルートを引き返しますか?」
「ああ。少し待ってろ」
ジンは持ってきたザックからロープを出して、被害者の身体へ的確にかけながら、彼女の音に集中しているようだった。
「思ったより、脈がしっかりしてるな。鼓動、正常……呼吸、浅い……」
だがレイは、壁からすうっと現れた霊の方に気を取られていた。ジンから解除した後、犯人の動向を探るように頼んでおいた霊だ。
霊がレイを見て、それからゆっくりと俯くような仕草をした。その目線は、床の、鉄板に向いていた。
レイは顔色を変えた。
「ジン、離れて――!」
間一髪だった。女性を抱えてジンが飛んだ瞬間、鉄板が下へ開いた。凄まじい熱気が立ちのぼり、空気の焼ける匂いがする。思わず顔を庇った腕の隙間から、レイは鉄板の斜め下の方に、赤く燃える炎を見た。
「レイ! 大丈夫か?」
熱気の向こうから伸びてきた腕が、レイを掴んで穴から遠ざけた。熱気ではりつく喉を咳で剥がして、レイはジンに頷いてみせた。
「私は問題ありません! それよりも――」
レイの声が止まった。ジンの動きも止まった。機械音の唸りすら、一瞬静かになったようだった。
「おや」
湯気の立ち込める部屋に、聞き慣れない声が響いた。
「いらっしゃいませ」
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