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3◇アラバスター|労働

 グラスウォールの一日は、溺れそうな程大量の仕事に満ちている。  人生の大半を『何もせずにただ座っていろ』と強要されてきた僕にとって、辺境地の生活はあまりにも忙しい。  いや――仕事が山積みであることについては、あまり文句はない。何といっても王都を出た僕は驚く程健康だ。  与えられた広く静かな作業場には、毎日とんでもない量の壊れかけの農具が運び込まれる。この地で初めて命じられた仕事は、農具への強化加護付けだった。  グラスウォールの民の仕事は、国境の警備と農作だ。  大気を汚す毒気を浄化するために、明の国の王都の土には浄化石が撒かれる。罪人の宝玉を砕いたこの石は毒気をきれいさっぱり消してくれるものの、副作用として植物を枯らした。  王都の土では、木々や農作物は育たない。  故に、国に必要な作物はほとんど全て、グラスウォールを含む辺境地区で栽培されている。  宵の国と隣接するグラスウォールは夜獣の被害も多く、開墾には時間がかかったと聞いた。  領主であるラリマー伯爵は自虐のように『ゴミ捨て場』などと仰るが、この土地の見事な運営っぷりを見れば彼の手腕は推して知るべしだ。  追放地で僕を待っている未来など、下級労働か幽閉だと信じていた。  どこに流されても僕の苦痛は続くのだから、どうでもいい――そう思っていたが、今となってはグラスウォールに追放されたことに大変感謝している。そのおかげで僕は、長年悩まされてきた毒気病からすっかり解放されたのだ。  そのうえ、動くな何もするななどと言われることもない。  ひとつだけ不満があるとするならば、仕事が山積みすぎて自由時間がない事くらいだ。 「あの、休憩中に失礼します……っ、アラスタ様、替えの水差しをお持ちいたしましギャーーーーーーーーッ!?」  控えめなノックの音の後に入室してきた小柄な女は、伏せがちな視線を上げた瞬間飛びのく勢いで叫んだ。  哀れにも僕の世話を押し付けられた女中、トリンだ。  なんだ、転がっていた農具でも踏んだのか? と訝しんだが、どうやら彼女の動揺の理由は僕そのものだったらしい。 「な、なんて格好してらっしゃるんですかー!? ふ、服を着てください……っ!」 「え、ああ……いや、鍛錬をしていたら体温が上がってしまって……」 「アラスタ様っ、あのっ、何度も申し上げておりますがぁ、仕事の合間に筋トレなさるのやめてくださいぃぃぃっ……また倒れてしまいますぅ……!」 「初日は自分の能力の底を知らなかっただけだ。夜はラリマー卿にお借りした本を読みたいし、仕事合間しか鍛錬の時間がない。いっそ僕も私兵隊の訓練に組み込んでほしいくらいだ」 「そんな格好で訓練に混ざってしまったら、他の皆さんのご迷惑ですぅー……」  ひどく眩しそうに目を細めたトリンは、小さく唸りながら温くなった水差しを交換してくれた。頭の上の獣に似た耳が、怯えたようにヘタレている。  そんな格好、と言われても、別に全裸になっているわけではない。うざったい髪を結び、上着を脱いだだけだ。 「大袈裟だろう……まあ僕の魅了加護は僕の力ではどうにもならん、が、グラスウォールは毒気も多いし、皆魅了くらいは軽くいなせるんじゃないのか?」 「そんなことないですー……あの、アラスタ様にかかっている加護は、その、本当にびっくりするくらい強力なんですよぅ? だからこんなところにおひとりで隔離されているんです……」 「あー……やはりここは、僕専用の特別な仕事場だったのか」  この仕事を仰せつかってから数日、僕はトリン以外の民と顔を合わせたことがない。 「他の宝石術師は専用の職場があるのか? 僕は彼らの仕事の邪魔をしていないと良いが」 「あのう、それが、実は、グラスウォールには本当に、宝石術をちゃんとつかえる方がほとんどいなくてですねぇー……」 「……では、今までの加護付けは誰が……」 「鍛冶職人の方が、一生懸命空き時間にこなしてくださっていました。他は皆、明りを取る程度の宝石術しかつかえませんー……」 「それは、なんというか、……大変だったな……?」  明の国では木材が貴重だ。  家具や調度品などの材料は、宝石術で加工した石か、工作作物(マテリア)と呼ばれる植物を加工し強化の加護を与えたものが主である。  辺境地ではこのマテリアと、食物であるミールを主に生産することになる。  田畑を耕す農具も、勿論貴重だ。壊れたからと言って、すぐに新品が用意できるわけもない。何度も強化の加護をかけて、無理やり耐久値を上げる他ない。  農具の整備は、直接的な生産量の向上につながるものだ。  毎日山のように運ばれてくる壊れかけの農具の山の理由がわかった。これは辺境地の民の使い方が悪いわけではなく、単純に農具を直す宝石術師が居なかっただけなのだ。  ラリマー卿が僕の存在を歓迎していた理由も察せる。術師が居ないとなれば確かに、罪人だろうが何だろうがとにかく働いてもらわねばならないだろう。 「ええと……アラスタ様は、もしかしたらご存じないのかもしれませんが……グラスウォールは、その、……本当にゴミ捨て場なのですー……」 「その言葉、ラリマー卿もよく使うな」 「はい……これは、ただの自虐ではなく事実なので……。ええと要するになんというか、王都で、ちゃんと暮らせなかったり、いらないと判断されたり、そういう落ちこぼればかりなんです」 「きみも生まれは王都か?」 「え、あ、はい。この地で生まれる命は、ほとんどありませんから」  ――それもそうか、と納得する。  明の民の女は、王宮から承った宝玉がなければ子を成せない。わざわざ辺境地に捨てた民に、貴重な宝玉を渡すわけがない。子は王都で産み育て、。  嫌なシステムだ。しかしまあ、合理的ではある。 「宝石術の才は鍛錬では伸びないからな……確かに優秀な術師を王都が流す筈も無いか」 「そうなんです……だから、アラスタ様は特別というか、渡りに船というか、大変ありがたい逸材というかー……。なの、でっ、あのっ、お身体には気を付けていただきたく……っ」 「ああ、そこに話が繋がるのか……。なんだかきみ、今日はよく喋るな?」 「……お話をしてくださっている間は、鍛錬を休まれる様子なのでー……」 「成程、きみは頭がよくて洞察力がある」  僕は彼女のその機転を、『ゴミ捨て場の落ちこぼれ』と腐す気はない。見かけによらず少しずるい、その様に思わず少し笑う。  瞬間『ひゅっ』と息を吸いこんだトリンは、獣に似た俊敏さで半歩後ろに飛びのいた。 「…………なんだその反応は。僕は聊かも笑わない冷徹なブローチだと思っていたか?」 「いいいいえ、決してそんなことはないのですが、不意打ちをくらいますと大変心臓に悪く……っ!」 「きみは魅了が効かないから、僕の側仕えをさせられているんじゃないのか?」 「効かない、えーと、効かないわけではないのですが、あの、わたしは……シーズン以外は、ほとんどそういう欲求を持たないタイプなもので……」  大変言いにくそうな告白を聞き、己のデリカシーの無さを若干悔いた。僕は本当に、対話スキルが底辺すぎる。  シーズンは、明の民にとっては非常に繊細な話題だ。  夜獣は交尾によって子を成すと聞く。しかし宝玉を母体に与えることによって子を成す明の民にも、交尾は存在する。  それはシーズンと呼ばれる身体の不調を発散させるための行為だ。  シーズンには個体差がある。定期的に訪れるシーズンの平均は三日間とされるが、その差異も様々だった。  僕の場合は月に一度、五日程度のシーズンが訪れる。その間はとにかく誰かの体温が恋しくて仕方なく、無理にでも身体を動かしていないと発狂しそうになった。  幸い、誰かと交わる体力も気力も毒気に奪われていた為に、実際に性行為に及んだことはない。僕を囲っていたスタトゥアリオは、長じてからは僕に指一本触れることはなかった。  多くの民が、このシーズンをパートナーとの交わりでいなす。相手が居ないものは娼館に通うか、それとも自室にひきこもり熱が通りすぎるまで膝を抱えて過ごすと聞いた。  個体差があるシーズンの中には、トリンのように『シーズン以外は他人への愛着が薄れてしまう』というものもある――らしい。  確かに魅了など、薄まった性欲を無理やり湧き上がらせる呪いだ。普段性欲を抱かない体質であれば、ある程度は無視できるものかもしれない。 「…………配慮が足りない質問だった。謝罪する」 「えっ、あの、いえ、別に、というかわたしも本当は初日にご説明するべきだったなーと、思っていましたので……!」 「この通り僕は人間関係の構築においては屑だ……今後もきみには迷惑をかけるかもしれないが、都度臆せずに指摘してほしい」 「……それでは、休憩中の鍛錬はおやめくださいますね……?」 「いや、それは止めない」 「なんでぇ……っ!?」 「身体の資本は体力だ。宝石術も体力がなければ施せない。僕の体調は過去イチで良い。環境に慣れる為にもまずは鍛錬を積み――」 「わ、わたしのお話を聞いていましたぁ!?」 「聞いていた。倒れなければいいんだろ?」 「んっ、ぐぅっ――」  ……そんな泣きそうな顔をしなくてもいいだろうに。  案じてくれるのはありがたいが、僕の調子がいいことは確かだ。息をしても痛まない胸。歩き回ってもぐらつかない頭。指先が痺れて震えることもなければ、吐き気で朦朧とすることもない。  健康。健康とはなんと素晴らしいものか。  少しくらい強めの鍛錬を課しても、倒れることがないのだ。すごい。嬉しい。庭などを全力疾走したくなる。許されることならばやってみたい。  今の僕は、新しいおもちゃを手に入れた子供だ。  しかし機転がきく女中は、更なる策を講じていた。  さて鍛錬を再開しようかとした時、作業場のドアがノックされた。この場所に顔をだす者は三人しかいない。トリンと、時折サボりにいらっしゃるラリマー卿と、そして農具を運び込む係のディアンだ。  ……また新しい仕事だろうか。それならば休憩を切り上げて仕事に励むことにしようか――そんなことを思いながらも、ノックに応えてどうぞと声を上げる。  予想通り、顔を出したのは眼帯の男だった。  しかし彼は予想外に手ぶらで、そして何故か苦笑している。 「……うちの女中を困らせないでください。御覧の通り、彼女はとりわけ有能なんですから」 「聞いていたのか」 「俺の出番がなければ聞き流そうと思って耳を澄ませていただけです。ですが、か弱い女中の手にはあまりそうでしたので――」 「成程。トリンは最初から味方を呼んでいたというわけか。……本当に有能だな」 「わ、わたしは、その、アラスタ様が、心配でぇー……でも止めても、聞いて下さらないからー……」 「……なにも、泣かなくとも……」 「彼女は貴方の事を心配しているんですよ。トリン、あとは俺がどうにかするから、他の仕事に戻っていい。大丈夫、担いででも休ませてみせる」  余裕の笑顔を浮かべる男に、小柄な女中は頭を下げてから小走りに部屋を出て行った。  ……申し訳ない事をしただろうか。いやでも、僕は本当にそこまで疲れていないんだが……。  解せない僕の感情をさっと読み取ったのだろう。加護付けが終わった農具の山を眺めたディアンは、やれやれと息を吐く。 「トリンの心配はもっともですよ。いいですか、アラスタ殿。俺は『急がないので今日中に』と言いました。……何故午前中だけで全て終わってるんですか」 「いや、早めに終わらせた方がいいだろう。確かに急がないとは言われたが、ゆっくりとやれとは言われていない」 「しかもまた休憩を無視しましたね? 初日に倒れた事をお忘れですか?」 「忘れたわけではないが――」 「こんな事を言うのも何ですが、貴方は自分が思っているよりもはるかに優秀なんです。少し手を抜くくらいの気持ちで生きていただきたい。常に全力で突っ走らないでください。いざぶっ倒れた時、俺がいなければトリンが困ることになる」 「ああ、それは……うん、……悪かった。僕は自分の限界も、この地での普通も、何もかもまだ手探りだ。もう少し先の事を考えて体力を温存することにする」 「そうしてください。そして今日はもう休んでください」 「え、いや、別に疲れていないが?」 「まず、疲れるまで身体を酷使しないでください。貴方の今日のノルマはとっくに終わっています。座学に励みたいのならば、夜ではなく午後をその時間に当ててもいい。とにかく、具合が悪くないのだからまだやれる、という考え方を捨ててください」 「………………あー……」 「返事」 「……善処、したい」 「怪しい返事ですが、まあ、良しとしましょう。貴方は他人の話をきちんと理解できる方ですから」  嫌な圧のかけ方をする男だ。薄々思っていたが、ディアンは見た目よりも狡猾な性格なのかもしれない。  一件爽やかな優男だが、辺境地の私兵隊の実質的な隊長なのだから、優しいだけでは仕事はこなせないのだろう。 「まあ、いきなりこんな個室に押し込んで仕事の山を押し付けるやり方もどうかとは思います……。本来なら領地を案内し、他の民と仕事を分け合うべきなんですが、如何せん貴方の体質が特殊すぎるもので」 「だろうな。王宮でさえも僕は腫物扱いだったからな。きみはともかく、ラリマー卿とトリンがけろりとしていることが不思議だ」 「例外は何処にでもあるものですから。……そんな状態で外を歩けば隊員の風紀が一瞬で崩壊しますよ……」 「? 僕は服を着ているが?」 「汗で服も髪も非常に煽情的です。本当に気を付けてください。シーズン中のシリシャス隊長とエンカウントしたら一巻の終わりレベルです」 「…………きみに、魅了は効かないんじゃ?」 「効きませんよ。ただ、むやみやたらと発情させる呪いにかからないだけです。美しいものは素直に美しいと思います」  僕の顔など、少々小奇麗なだけだと思うが。  しかし、あー……彼に褒められるのは、存外に気分がいい。なんとなしに落ち着かない気持ちになり、素直に『気を付ける』とだけ返事をすることにした。 「隊の薬師が、魅了加護を相殺する薬を開発中です。それが出来上がれば、貴方にグラスウォールを案内できる」 「……ずっと不思議だったんだが、そういう我々の体質や加護を打ち消すような薬、軽々しく作っていいものなのか?」 「駄目ですね。ですがその薬のおかげで、心労なく生きている者も居ますので」  確かに、髪と宝玉の色を変えている薬のおかげで、僕は毒気から逃れられた。とんでもない発明をホイホイと作り出す薬師とやらに不安もあるが、同時にとても感謝している。 「まあ、機会があれば薬師にも紹介します。あまりお勧めできない人物ですが、逃げ回ってもどうせ捕まると思いますし……。ですがまずは早急に休んでください」 「え。いや僕はもう少し――うおっ!?」 「…………あ、わりと、重いですね?」  唐突に担ぎあげられ、しかもそんな文句を言われる。  軽いと言われるよりはマシではあるが、重いなら降ろせと抗議するが、勿論ディアンが僕の要望を聞くはずもなかった。  なにせ僕は休憩に関しては信頼がない。そんなもの、生まれてこのかた取った事がないのだから。 「トリンに約束しましたから、寝室にぶちこむまで降ろしませんよ。……担ぐより、抱きかかえた方が良かったですか?」 「寝室に運ばれる淑女のようにか?」 「まあ、そうですね。怪我をした隊員を運ぶ要領で抱えることくらいはできますよ」 「勘弁してくれ。僕なんざ、荷物程度のぞんざいさで扱ってくれていい」  荷物のように運ばれながら、出来る限り身体の力を抜き感情を凪ぐように努める。  グラスウォールでの生活は忙しなく、今まで遭遇してこなかった出来事や感情に面をくらう。  僕はそのうち、彼に対する感情と向き合わなくてはいけないのだろう、と思う。僕は情緒が完熟した大人ではないが、ディアンが僕にとってかなり特別な存在であることは明らかだ。そのくらいの自覚はある。  だが、生憎と毎日が忙しなさ過ぎる。  まだ僕は、新しい感情と向き合う余裕はない。日々に慣れるだけでも、手一杯なのだ。

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