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5◇アラバスター|火と食事

 子供のように手を引かれて連れていかれた先は、ラリマー卿の執務室の隣室だった。  整頓された質素な部屋は、どうやら私兵隊副長殿の寝室らしい。 「……直接執務室に出入りできるようになっているのか。前から思っていたが、きみはかなりラリマー卿に信頼されているんだな」  明の民ではないのに、という僕の内心は、聡い彼には筒抜けだっただろう。  軽やかに苦笑したディアンは、床の一画にしゃがみ込むと、薄くなった床敷布の下の板をゴトリと引き上げた。  ……すごい。絵に描いたような見事な隠し通路だ。 「そうですね、隊長があの様、というのもまあ理由の一端ではありますが、俺をグラスウォールの民にしてくださった人がラリマー卿ですから。宵の国流に言えば、義理の『父親』のようなものでしょう」 「ああ……そうか、宵の国は夜獣のようにツガイが子を成すのかだったか……」  母体が宝玉を賜り、子を産む明の国とは、本当に生物としての成り方が違う。見た目はほとんど同じなのに、不思議な事だ。  ……ディアンは半分だけ宵の血が流れている、と言ったが、一体どうやって子を成したのか、少し不思議に思ったが今は問いかける事をやめた。  いい加減僕にも、デリカシーというものが備わってきている。 「父親とは、母体の男版か。それは確かに、お互いに気を許した関係になるな」 「ラリマー卿には、大変よくしていただいています」 「この秘密通路も、きみの為に用意されたのか?」 「いやこれは、元々あったそうで……昔、人目を忍んでサボるためだけに作った隠し通路だとか」 「……あの人はあんなに優秀なのに、何故ああもサボろうとするんだ……?」 「世の中には様々なタイプの民が存在しますからね。誰もが有能ではないし、誰もが仕事馬鹿ではありません」 「悪かったな、仕事馬鹿で」 「それが悪いとは思っていません。加減していただきたいだけです。まあ、ラリマー卿とアラスタ殿を足して割れば丁度いいのにとは思いますが――足元に気をつけて」  暗い階段の中に招かれ、先にと促される。簡単な宝石術で手元に明りをともすと、古い石の階段が下に向かって伸びていた。  階段はかなり先まで伸びている。  方角と距離を考えると、私兵隊宿舎の裏手の森に通じるようだった。宿舎はグラスウォールの端にあり、国境付近の森に面している。  人目につかない場所としては、最適だろう。  階段の終わりに現れた扉を開けると、そこは洞窟に繋がっていた。外の世界への出口は明るく、鬱蒼とした森に繋がる。  開けた視界の中、静かに佇む古めかしい小屋を見て、僕は思わず感嘆の息を吐いた。 「――ああ、ここは確かに、秘密基地だな」  小さいとはいえ、大人一人が暮らすにはかなり広い小屋だ。一見廃墟にも見えるが、小屋の中はかなり整頓されていて生活の気配が伺える。  キッチンと、寝台と、カウチ。そのどれもが簡素だが、きちんと整備されていて清潔だ。  ふわりと漂う不思議な香りは、壁際に干された草や獣の皮のものだろうか。 「どうぞ楽にしてください。ここはもう進入禁止区域の森の中です。民間人はもとより、私兵隊員も森の中には入って来ることはありません」 「危険じゃないのか?」 「時折夜獣が近くまで寄ってきますが、特に問題はありません」 「きみには宝石術が使えないのに? どうやって身を守るんだ?」 「…………火を、焚きます」  ――火。  久しぶりに聞いたその邪悪な言葉に、思わず言葉を飲み込んでしまう。そして、目の前の男が宵の民であったことをこれでもかと実感した。  そうだ、宵の人々は火を炊く。  あの忌々しく恐ろしい火を恐れない。  僕達明の民は――火を使うことはできない。本能があの熱の塊を拒絶するのだ。 「すみません、こればっかりはどうにか慣れていただくほかないです。俺は宝石術が使えない、故に必要な時には火を使います。夜になれば油に火を灯しますし、調理の際の煮炊きにも――」 「煮炊き?」 「……俺はミールだけでは栄養が取れないんですよ。肉や植物を食う必要がある。そのまま食らいつくわけにはいかないので、火を使って煮たり焼いたりしないといけません」 「なんだその面倒な工程は……宵の民はみな、食事の度にわざわざ火をおこすのか!?」 「大抵はそうです。どうしても怖いと仰るなら、俺は外で飯を食いますが」 「…………ここは、きみの隠れ家だろ。僕は軟禁されるだけの客なんだから、気を遣うことはない」 「貴方に無理を強いている自覚はあるんです。なるべくなら快適に過ごしていただきたい」 「快適だ。というか、あの王宮の部屋以外なら僕は、辺境地の路上の上だって快適だと思うだろうさ」  好きにしていいと言われたので、ありがたく手ごろなカウチにどかりと腰を下ろす。  ディアンも腰を落ち着けるかと思ったが、彼はさっそく『調理』とやらに取り掛かる様子だった。  ……そういえば都度、夜獣の死体を回収していたのはディアンだった。皮と骨以外はどこかに埋めているのかと思ったが、何と彼はその肉を食べるらしい。  目の前で肉と内臓を細切れにされたらさすがに吐くかもしれない――と思っていたが、彼が籠の中から取り出したものは干した肉のようなものだった。それと、細長い数珠繋ぎのなにか……あれも肉の加工品なのだろうか?  よくわからん草を、刃物を使って板の上で叩く。彼の調理の合間に、僕はすっかり緊張を溶かしていた。  僕は辺境地の人々を信頼していた。半生を共にした、スタトゥアリオに抱いていた警戒心とは、真逆の感情だ。 「王都の生活は、それほどまでに辛いものだったのですか?」  作業合間に、まるで雑談のようにディアンが問いかける。これは僕にとってはかなり答えたくない質問だったが、今更デリカシーなどを理由に誤魔化すのも面倒くさくなっていた。  この場所は、安全だ。ここには僕と彼しかいない。  その安心感を理由に、僕は億劫な口を開く。 「辛い、と一言で表してしまうのが腹立たしいほどの苦痛だったな。知っての通り僕は宝玉の色を誤魔化す為に常に毒気を身体に溜め込んでいたし、そのせいで慢性的にひどい毒気病だった。頭痛、吐き気、手足のしびれ、寒気、発熱、その他ありとあらゆる不調がてんこ盛り状態だ。正直、背を伸ばして座っているだけでもきつかった」 「……横になって過ごすわけには」 「そんなことをしたら僕が毒気病であることがバレるだろ? バレちゃまずいんだ。毒気を抜かれたら、僕の宝玉の白が白日の目に晒される」  故に、まるで何事もないようなツラをして耐える他なかった。  しかし日々鍛錬をこなしても息をするだけが精いっぱいで、国の為に宝石術を使う余裕すらなかった。  どうせあの部屋から一歩も出ることがないのなら、色を偽る必要もなかったのだが――しかし僕が白であることを、スタトゥアリオは許さなかった。  王族の白は高貴な色の証。王族以外の白は許されない。  幼い頃からそう言い聞かされてきたスタトゥアリオは、僕が白い宝玉を持つことを絶対に誰にも悟らせたくなかったのだろう。おそらく、白がバレたら流される、と思い込んでいた。  彼の僕に対する妄信的な好意は、もはや信仰に近いものがあった。  何もしなくていいから、ただそこに居てくれと懇願された。  そしてそれ以外の生き方は、僕には一切選択できなかった。 「それは……外の者はみな、貴方は陛下に寵愛されて引きこもり豪華な生活を送っているものとばかり……」 「実際、寵愛はされていたんだろうよ。僕は一切の仕事をすることもなく、民に尽くすこともなく、スタトゥアリオの為だけにそこに存在することを求められた。実際座っているだけでも手一杯だったからな……最近ではもういっそ殺してほしいと懇願することもあったが、僕が死を求めるとスタトゥアリオは情緒を乱して泣き叫ぶものだから、最終的には何も言えなくなったよ。何もできない暗君ならまだしも、自暴自棄になって暴君になり下がる理由を作るわけにはいかない」 「……すみません、無神経な質問でした」 「いやべつに、いい。思い返せば他にやりようがあったように思うよ。今となっては過去の事だ」  グラスウォールの生活には、あの悲惨な毒気病の気配すらもない。その上僕は大いに仕事を与えられ、比較的好きなように過ごしている。 「追放と聞いた時は正気かと思ったが、今は新宰相殿の弱気な選択に感謝している」 「追放の決定は、カラカッタ王女を通していないと聞きましたが――」 「宰相殿の独断だそうだ。たぶん、スタトゥアリオを切り捨てられなかった結果だろう。スピネル新宰相殿はスタトゥアリオの教育係だった女性だ。僕を処刑すれば、スタトゥアリオは十中八九発狂する」  辺境地で元気に暮らしていますよ、という体にしておけば、スタトゥアリオが自ら命を絶つこともないだろう。彼は暗君だったが、王宮の人々には割合愛されていたことを知っている。馬鹿ではあったが、愛嬌があったのだ。  僕は追放過程で刺客に襲われ命を奪われそうになった。  あれは、スタトゥアリオを憎む者の仕業だったのかもしれない。彼は本当に、誰の目から見ても異様な程、僕に固執していたから。 「まあ、今後前陛下がどういう処遇を受けるのか知らんが……」 「この国はクーデターが多いですからね。あまりにも政権交代の期間が短く暗君と暴君が多いものですから、基本王族は処刑されないと聞きます」 「新しい陛下がとんでもない馬鹿だった場合のスペアか」 「辺境地への噂では、カラカッタ王女は勇気ある名君だと届いておりますが」 「あー……うーん、どうかなぁ……」 「お会いした事がありますか?」 「ある。数度歓談をした。例によって僕は息をするだけの人形だったが故にほとんど記憶はないが、彼女はかなり自己中心的であまり人の話を聞かない女性だったような気がするんだよな……」 「……それでは、早々と政権はスタトゥアリオ前陛下に戻るかもしれませんね」 「そうなったら僕は連れ戻されると思うか?」  それは今、僕が一番恐れていることだ。  ディアンは少し悩むような間を置いたあと、素直に『そうですね』と肯定する。 「前陛下の執着っぷりを聞く限り、貴方を返せと言われる可能性は高いでしょう。ですが俺たちは有能な術師殿を傲慢な王都になど返すつもりはありません。貴方はグラスウォールに尽くすと誓ってくださったのですから、最後までその約束を守っていただかなければ」  冗談っぽく締めくくったのは、彼なりの配慮だったのだろう。  いつか来るかもしれない不安な未来について、あれこれと憂いでも仕方がないことだ。とりあえずは手放すつもりはない、と宣言してもらっただけでもありがたい。  僕はこの土地が好きだし、そして僕の周りの新しい友人たちが好きだ。友人と言っていいのかイマイチわからない者ばかりではあるが――。  いや、うん……友人ではないのかもしれない。  少なくとも僕とディアンの関係は、決して対等ではないように思う。  僕はどうやら術師としては有能らしいが、今もこうして体質のせいで彼に迷惑をかけている。  魅了なんてものがなければ、シーズン中の馬鹿からわざわざ隠れる事もないし、護衛に頼る事もない筈なのだ。  なんだか、じわじわと申し訳なくなってきた。  軟禁されているのは僕なのだが、何も彼が付き合うことは無いのではないか。というかいつまで僕はここで過ごすのか。そしてディアンはいつまで一緒にいるつもりなのか。 「……きみはいつも、ここで寝起きしているのか?」  探るように声をかけると、石窯のような場所に屈みこんだディアンが作業を続けながら答える。 「基本的には宿舎で過ごしていますよ。時折腹が減った時は、他の者にバレぬようにここで飯を食います。今回はラリマー卿からの指示ですから、貴方の護衛としてしばらくここで寝起きする予定です」 「いや、その……何もそこまでしなくとも、」 「念には念を入れるべきです。貴方の魅了加護は本当にとんでもない強さなんですよ……愛妻家のアンバーですら、正直くらっとしたという話をしていました」 「ああ……彼は確かに、浮気をするタイプではないな……」 「寝台は一つですが、俺は床で寝ますので気にしないでください」  それはさすがに申し訳ない――と、僕が抗議しようとした時、カツンという軽い音が鳴った。  ディアンが何かを両の手に持ち、勢いよくぶつける。  カッ、カッ、カツンッ……何度かそれを繰り返した後、唐突に部屋の中に明りが差した。 「…………ッ」  火だ。  彼はキッチンの壁の穴に、火を灯したのだ。  どうやら火の上の石の台で、素材を温めて調理をするらしい。ジュウ……と肉が焼ける音が響き、思わず身を竦ませる。 「……やっぱり、怖いですか?」 「ああ、うん――火を恐れない明の民はいないだろ……普通に怖いに決まってる。だが、まあ、苦痛の度合いでいえば毒気病の方が数段上だ」  火への恐怖は、我慢できない程ではない。  素直にそう告げると、少しだけ驚いた様子を晒した隻眼の男は珍しくほのかに笑った。 「……貴方の我慢強すぎる体質に感謝しますよ。火を許していただけたら、もう憂いはありませんからね」 「それ、さっきから気になっていたんだが、一体どんな食い物なんだ?」 「腸詰です。夜獣の腸を洗ってその中に砕いて味を付けた肉を詰めて燻製にしたもので――」 「腸を……洗って……肉を…………?」 「いや、こういうものはその、あんまり製法を細かく言うものじゃないですね。物は試しです。一口、食ってみますか?」 「――――え!?」  いいのか、そんなものを食って。  大丈夫なのか、腸だぞ、それも、夜獣の。  という僕のとんでもないビビり方に、ディアンは軽やかに笑う。 「そんなに警戒せずとも大丈夫ですよ。明の民が食っても死にません」 「……本当か……? 本当、だな……信じるぞ?」  手乗りサイズの刺股のようなものを手にしたディアンは、器用にそいつで腸詰とやらを串刺しにする。  手招かれ、恐る恐る火の側に近寄ると、バチバチと木材が燃える音と共に肌が焼かれるように熱くなる。  手渡されると思ったが、何故か顔の前にひょいと掲げられる。齧りつけ、ということだろうと理解し、思い切って僕は口を開きそのてらてらと光る肉料理に歯を立てた。  最初に感じたのは熱だ。  熱くてびっくりして口を開けそうになり、慌てて口に手を添える。息を吐いて熱をやり過ごすと、あたたかで塩気のある汁のようなものが口内に溢れた。  僕達が日々口にするミールのスープは少しだけしょっぱい。味はミールに似ているが、もっと濃く、そして奇妙なほど後引くうまみのようなものがあった。 「………………うまい……」  噛みしめ、ゆっくりと飲み込むと、ディアンは満足そうに目を伏せる。 「俺の食事が口にあってよかったです」 「こんなにうまいなら、夜獣の肉にも価値がつきそうなものだが……」 「明の国の人々は料理を知りませんから、食い方も知らないんでしょう。それに夜獣の肉には毒があると信じている者も多い」 「なんだか知らん匂いがするな……さっき刻んでいた草か?」 「香草です。水で煮だしてもうまいですよ。後で茶を淹れましょう」 「……………」 「…………もう一口、食いますか?」 「いいのか!?」  きみの食事だろうからと辞退するなんて選択肢はない。素直にありがたく口を開くと、何故か目を細めたディアンが少々言いにくそうに、少しだけ声を落とした。 「……他の者に、食事をねだらないようにしてくださいね……」 「? 僕に『食事』なんてものを与える男は、いまのところきみだけだが?」 「それはまあ……そうですね」  苦笑いを零した彼は、少しだけ照れた様子で僕の口の中に残りの腸詰を放り込んだ。

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