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幕間□スピネル
私は、間違えたのだろうか?
「陛下、カラカッタ陛下、どうぞお気をお静めくださいませ……!」
焦り動揺した我々の声は、彼女の耳には届けども心までは鎮める事はできない。
広い部屋の中を苛々と歩き回る少女――麗しのカラカッタ陛下は、その美しく高貴な白い髪を振り乱し、配下である我らを一人ずつ睨みつけた。
陛下はとてもお優しい。故に、我らに手を上げるような愚行はない。だが心の内の激高は陛下の可憐な鈴の音のような声を、石を打ち付けた際の耳障りな音の如く尖らせる。
「落ち着いている場合ではない! 何事も手順手順といくら待っても何も進まない! 一刻も早く手を打たねば、この国は宵の闇に呑まれてしまうというのに……!」
「陛下、お怒りはご尤もです――しかし、軍備の拡大は易々と行えるものではなく――」
「この十日で行方不明者は五人も出ているんだぞ!? 愛しい私の民が、五人も、死体を残さずその宝玉ごと消えている! これは由々しき事態だ!」
「報告のあったオールウォールには調査団を向かわせております。それに、宵の国と隣接している区域といえばあのグラスウォールです。領主であるラリマー伯爵は私兵隊を所有しています。グラスウォールに兵を向かわせとなると、ラリマー卿との調整も必要となりますし――」
「だったら早く呼びつけろ!」
「書状は送っております、しかし、ラリマー卿は多忙を理由に上都を拒否しておりまして……」
「辺境伯如きに拒否権があると思っているのか……やはり今までの王都は舐められていたんだな。いいか、これは国の存続をかけた戦いだ。民を増やし、戦争に備える必要がある。辺境地の食糧生産を五割増やせ! 私はスタトゥアリオとは違う。おおかたラリマーもスタトゥアリオ相手に好き勝手やりたい放題だったのだろう――あの暗君は、昔から決断というものができない!」
「仰る通りでございます」
「ならば私の決断をさっさと尊重し、スタトゥアリオを処刑しろ」
「……それは……」
できかねる。
そう言うのは簡単だが、陛下を納得させるための理由が見当たらず、口ごもる他ない。
スタトゥアリオ前陛下は、今も王宮の牢獄に幽閉されている。カラカッタ陛下の御意向を最大限配慮し、最も過酷な環境の独房に入っていただいた。それでもなお、発狂したとも、自害したとも報告はない。
彼の処刑を決行するためには、今も王宮に多く残るスタトゥアリオ派の高官共を説得せねばならない。彼らの多くは、カラカッタ陛下の謀反の際に『スタトゥアリオの命を奪わないのであれば』という条件で協力を仰いでいた。
スタトゥアリオ前陛下はただそこに居るだけの暗君だった。
しかし彼は威張らず、誰かを叱責する事もない。根が優しいだけの弱い男である。故に王としての能力には辟易としつつも、彼自身を嫌う高官はあまり多くはなかった。
――いつか、謀反で殺される運命ならば、せめて穏便に命くらいは助けてやりたい。
――相手がカラカッタ王女ならば、まだ若い故にスタトゥアリオの命までは取らぬだろう。
どの高官も、まるで慈悲をかけるかのようにそうやってスタトゥアリオ前陛下を裏切った。
カラカッタ陛下は己の高貴な信念が道を開いたと信じていらっしゃる。このような地道な策略の存在自体をおそらくご存じではない。
私の沈黙を慈悲の心と見誤ったのだろう。
カラカッタ陛下は心底辛そうに奥歯を噛みしめた。
「……お前はあの兄王の乳母だったものな。スピネル、お前があの暗君の身をさばけぬ事など知っている。だが暗君は王都には必要ないものだ。愚かな暗君を生み出した汚れた宝玉も、いち早く砕かねばならない」
「陛下、王族の宝玉を砕くわけには……」
「通例などいつかは変えねばならないものだ。私は、この国の古き習慣を変えてみせる」
ああ、なんと頼もしい少女だ。美しく、力強く、そして理想は必ず実現できると信じてやまない輝きがある。私はその輝きの為に、いくらでも汚れる覚悟を決めていた。
「スタトゥアリオを殺せば、きっとあの人も戻ってきてくださる筈だ」
しかしそのお言葉に、私の胸は張りさけそうな程痛む。
陛下は今までのお怒りなどまるでなかったかのように、愛し気に目を細めて窓辺に寄る。
……ああ。私は間違ってしまったのだろうか?
グラスウォールはラリマー伯爵の領地だ。
宵の国との境である辺境地は、作物の生産量は多くとも夜獣の害が消えず、民はみな死と隣り合わせの生活を送ると聞いた。
あの怠慢なラリマー卿のことだ……おそらく何かと言い訳ばかりを口にして、民をおろそかにしている事だろう。
グラスウォールに送った罪人は、全てひどい労役につくと聞く。命からがら王都に逃げ帰った民の話では、ラリマー卿は裁判もせずに独断で無茶な労役を課したという。
私はカラカッタ陛下のよりよい生活の為、スタトゥアリオ前陛下の命を脅かすことはできない。前陛下の寵愛を受けていたブローチを処刑すれば、前陛下は命を絶たれるかもしれない。
しかし辺境地に追放となれば、まだどこかで生きている、と信じることができる。……その体で道中死んでもらえたらありがたかったが、暗殺には失敗したと報告を受けた。まあ、どちらでもいい。どうせラリマー伯爵の手にはあまる腑抜け術師だ。
あのブローチは何も成せない。
いつも青白い顔で儚げに佇むばかりで、民の為に成したことなど何一つない。
今頃はどこかで野垂れ死んでいるか、それともラリマー卿の元慣れぬ労働を強いられているか……いっそ幽閉されていたらありがたいと思うがしかし、私にとって想定外だったことは、カラカッタ陛下がかのブローチと面識があったことだ。
そういえば――スタトゥアリオ前陛下は年下のカラカッタ陛下を殊更気に入っていらした。家臣の目を盗み、何度か部屋まで招き入れたのだろう。
「ひどい境遇からやっと逃れたというのに、どうして王都から去ってしまったのか……私は必ずや、貴方の住みよい素晴らしい王都を作ってみせます――アラバスター様」
ああ、こんなことならば、一瞬貴女に恨まれてしまったとしても――あのブローチをこの手で殺しておくべきだった。
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