9 / 20
6◆オプシディアン|確約
「作付け面積の増量、ですか?」
本日の朝の報告が全て終わったところで、ラリマー卿は唸りながら顎を撫でる。
尚、彼は決して現在の話題について悩んでいるわけではない。
朝っぱらから駒取りゲームの盤を広げ、一人でウンウンと唸っているだけだ。俺の報告が終わった後は大概どうでもいい雑談をふっかけてくる御仁である。おそらくはこの王都からのお達しも、彼の中では比較的どうでいい話題なのだろう。
「土地は余っていますし、このところ農作物の生産量は増加しています。やれと言われればまあ、出来なくはないでしょうが――王都への運搬についてはこれ以上増やせないのでは?」
「そうなんだよねー。水路往復の時間は短縮できないからねぇ」
「アラスタ殿の移動術と軽量術を船にかければ、なんとかなりそうな気がしないでもないですがね……」
「うーん。それはあんまりやりたくないのよね。うちの領地内で大活躍していただくのは大歓迎なんだけど、王都にあの方の有能っぷりがバレちゃうのはよろしくない」
「……傾国のブローチである、と、誤解されたままでいてほしい、と?」
「名誉よりも身の安全でしょう。私だってね、彼の有能さを民にご説明して回りたいけどね、命狙われたりしてんだからそこは慎重にならないと」
仰る通りなのだが、なんとなく解せない気持ちになってしまうのは、俺があの有能術師殿を贔屓しているせいだろう。
何も成せないブローチ、ただ息をしているだけでも苦痛の生活。そんなものを告白されては、今辺境地の民の生活を根本から支えている彼の活躍を吹聴したくもなる。
現にグラスウォールの民はすでに、アラスタ殿への感謝で溢れている。
農具は新品同様に整備され、それだけではなく扱いやすいようにと改良された。アラスタは『自分は無知である』ということを前提に、何でもかんでも相手の話をまずはよく聞く。その姿勢のおかげか、民の声を反映した改革が急ピッチで進んだ。
壊れた橋は頑丈に生まれ変わり、水路も引き直され、果ては宿舎の壁なども直し始めた。あまりにも仕事が早いため、最近は暇を持て余し気味のようだ。
その暇ついでに何度か駒取りゲームでラリマー卿をぼこぼこにしてしまったらしく、最近の伯爵は対有能術師殿へのゲーム対策で頭を悩ませていらっしゃる。
平和で良い事ではあるが――王都の動きは、あまり平和だとは思えない。
「食料生産量を増やすということは、兵糧を作るということでしょうか。それとも民を増やす準備ですかね?」
どう見ても詰んでいる盤面を覗き込みながら、雑談気分で声をかける。相変わらず難しい顔で唸る卿は、のったりとした声で応じた。
「民ねぇ、増やすって言っても、おいそれと種があるわけじゃないじゃないの。夜獣じゃないんだから、母体に宿っていただく宝玉がないと」
「王宮はあと数百の宝玉を隠し持っている――などという噂もありましたね。本当なんですか?」
「うーん、どうかねぇ……噂は知らないけど、確かに最近妙に人口増えてる感じはするんだよね。王都の暮らしは知らないけど、ウチの領地ではお返しした宝玉の数より、流されてくる民の方が断然多いし。その割には王都の食糧があまってる感じもしないし」
「……人口を増やして、何に備えているんでしょうか」
「戦? でもなぁ~ここ数年は宵の国との国交も絶えて休戦状態でしょう? こちらから打って出るわけもないだろうし、不思議だよね~。でも政権変わったばっかりのタイミングって、大体わけわかんないお達しだしてくるもんだからね~一々真に受けてたら疲労ばっかり溜まっちゃうからね、無視できるものは無視していこうそうしよう」
「王都への上都要請があったかと思いますがあれは、」
「あんなもの無視一択だよ。ちゃんとミールもマテリアも言われた通り献上してるんだから、領地運営に文句言われる筋合いないよ」
それで相手が納得してくれるならばいいのだが、とりあえずラリマー卿は王都へ向かうつもりはないらしい。
卿はこう見えて優秀だ。いくら部下が有能であろうとも、ラリマー卿がグラスウォールを離れてしまう事態は避けたいところである。
「まったく面倒くさい文ばかりでイヤになるよー。そういえばオールウォールからも面倒な文届いてたね。ミールの生産量が足りないから民を分けてくれみたいなやつ」
「ああ……ありましたね」
「気持ちはわからんでもないんだけどねぇ。確かに今の政権は辺境地を叩けばお菓子を出してくる袋かなにかと勘違いしてるところがあるよ。ウチは幸い貯えもあるし、皆が頑張って労働してくれてるから無茶振りにも耐えられるけどね」
王都をぐるりと囲む辺境地は、主に三つに分けられる。
宵の国との国境を守るグラスウォール、巨大な砂の丘を有するサンドウォール、そして明の国と接するもうひとつの国『間 の国』との国境を守るオールウォールだ。
この三つの辺境地に、表立った交流はない――という建前になっているが、秘密裏に文が行き交う場合もある。勿論それは謀反や反乱の為ではなく、王都の無茶な要求に疲弊する民を少しでも救おうとする領主たちの苦肉の文通だ。
「民はさすがに分けられないよねぇ。みんな、ウチの為に頑張ってくれてるのに『ちょっとオールウォールに行って働いてきてよ』なんて言えないよ。百歩譲ってちょっと農作物を融通するくらいはできなくもないけど」
「しかしあちらの言い分的には、民ではなく『技術を乞いたい』といった感じでしたね」
「いやぁ、まぁ、うーん……要するにアラスタ殿ちょっと貸してくんない? って事なんだよね。たぶん。いやまあ、王都はまだしも同じ辺境地で目に見えて生活が向上してたらね、ちょっと考えれば流されたブローチ殿のおかげじゃないのって思うよね?」
「……貸し出しされるんですか?」
「するわけないでしょう。アラスタ殿はウチの大事な民だよ」
ラリマー卿は大事な術師、とは言わなかった。あくまで己が養う民のひとりとして、アラスタを渡すわけにはいかないと言い切ったわけだ。
こういうところがとても好ましい御仁なのだが、いかんせん外での評判が底辺すぎて残念に思う。まあ、民には好かれているので良しとするほかない。
「いやでも、アラスタ殿に訊いた方がいいかしら?」
「訊く、とは、何を」
「オールウォールに行きたいか否かの話。彼別に好きでここで働いているわけでもないでしょ? ただ流されてきただけなんだから」
詰んだ盤の上の駒を弄りつつ、卿は首を傾げる。
「私としてはずっとここにいてほしいけどね、選択肢はあってもいいじゃないって思うのよ。ずっとここにいてほしいけど。ずっと」
「随分と願望が強めに零れておりますが……」
「主張はわかりやすくしておくべきだって思ってるからね。言わないとわかんないんだし、伝わらなきゃ無だもの。だから実際アラスタ殿がオールウォールに行きたいですって言ったら私は全力で泣き落としてでも止めるけど、判断するのは彼だから」
「それは……そうですが……。ですが実際、彼の宝玉の色を誤魔化す薬はうちのテラヘルツしか作れないのでは……?」
「テラヘルツは有能だけどねぇ、極端な話顔も髪も目も隠しちゃえば、別に暮らしていく分には問題ないんだよ。そこはあんまり引き留めポイントにならないんだよ……とっても残念なんだけど……」
「引き留める気合がすごいですね……」
「うーん、有能だからねぇ彼ってば……それに今までさ、人生に選択肢なかったんでしょ? せめてこれからは、あなたはこれだけの権利があるよって提示してあげたいって思うんだよね。……絶対に引き留めてたいっていう私の個人的感情はともかくね? ディアンも引き留めてくれるでしょ? 最近きみたち特に仲良しじゃないの」
「――仲がよい、というわけでは」
「え、そう? 昨日もシリシャス相手にアラスタ殿の代わりに手合わせしてあげてたんでしょ?」
「それは、隊長が性懲りもなくアラスタ殿に決闘を申し込みまくるので仕方なく――」
「一昨日はテラヘルツの薬の副作用で倒れたところをお持ち帰りしてたじゃないの」
「放っておくとヘルツが実験まがいの薬を飲ませまくるんですよ。アラスタは無駄に丈夫で耐性があるらしく、すっかりヘルツの実験体扱いです。まあ、今のところ魅了加護の相殺薬は問題なく作用している様子なので、あの変態薬師には感謝もしていますが……」
「すっかり保護者だねぇ。その勢いでちょっと篭絡しといてよ」
「無茶言わないでください」
アラスタには、人生を選択する権利がある。これは確かに、間違いなくその通りだ。
その選択を、俺は己の事情を理由に妨げたくはない。
ようやくゲームの盤面を覆せないと諦めたらしいラリマー卿は、しずしずとボードと駒を片付けると、大変嫌そうに仕事に向かう姿勢を見せた。
今日の雑談はここまでなのだろう。
「ま、私個人としてはオールウォールに少々支援はできても、民を労働力として差し出すつもりはないからね。そっちに住みたいって子がいるなら考えなくもないけれども。ディアンは仕事合間に、できるだけウチの領地のすばらしさをアラスタ殿に刷り込んでおいてね」
無茶を強いることは止めないらしい。
半分は冗談なのだろう。嫌そうながらも常に仕事に追われていた卿が、軽口をたたいてゲームに頭を悩ませる時間がある。この事実は、まあ、悪くないものだ。
期待しないでほしい旨をもう一度告げ、礼をしてから執務室を出る。
作付け面積の増量に関して明確な指令は受けていないが、一応農地の具合を見て置くか――と思いながら息を吐きつつ扉を閉めた時、その後ろに隠れるように立っていた人物の存在にやっと気が付いた。
「――……ッ……!? ア、ラスタ殿……ッ!?」
びっ……くりしておかしな声が出てしまった、くそ……。
まさかそんなところに先ほどの会話の主語である御仁がいるとは思わず、思い切り飛びのいてしまう。驚きすぎて心臓が撥ねたせいで、やたらと鼓動が煩い。そう――これは断じて驚いたせいだ。そういうことにしたい。
……最近、特に隊長のシーズンから逃れるために彼を俺の隠れ家に軟禁してから、やたらと距離が近く、若干意識してしまいそうになるので離れてほしいと心底思う。
「こんなところで何を……ラリマー卿と対局のお約束ですか?」
「いや、王都から文が届いたとシリシャスシストが騒いでいたから、探りを入れに来ただけだ。正々堂々尋ねようとしたが、ありがたいことに耳を澄ませるだけで事足りた」
「……盗み聞きはあまり褒められる行為ではありませんよ」
「キミたちはいつでも心地よい会話しかしないじゃないか。誰が聞いたところで問題ない話ばかりだ」
褒められたのだろうか。まあ、ラリマー卿が見た目や態度よりも慈愛に満ちた良き領主であることは確かなので、否定しないでおくことにする。
それより個人への文の内容をデカい声で吹聴する我が隊長殿の方が頭が痛い。一度ヘルツの薬か何かで物理的に黙っていただきたく思う。
「オールウォールが僕の力を借りたいと?」
「……俺たちはそんな大声で話していましたか?」
「この宿舎の中で執務室に耳をそばだてる不届き者なんて僕くらいだから気にするな。ラリマー卿の心遣いはありがたいが、命令でもないかぎり僕はグラスウォールから離れる気はないからな。なにより僕はきみに誓った」
……グラスウォールに尽くすと誓う。
確かにそれは、彼がグラスウォールで目を覚ました日に口にした、贖罪の為の言葉だ。
「僕はここの生活に満足している――と言うとすこし、傲慢だな……グラスウォールを好いているし、周りの民も好きだ。最近はトリンも笑うようになったし、テラヘルツにも慣れてきた」
「ヘルツには慣れない方が良いと思います。ですが、そう言っていただけるとラリマー卿も喜んでくださる筈です。ただ……先日の誓いは貴方の人生を縛るものではありません。もし、他の地に移りたいと思うことがあれば、その時は、遠慮せずに――」
「きみは、僕にここから去ってほしいのか?」
「まさか。共にグラスウォールを守っていただけたらこれほど心強いことは無いと思っています」
これは勿論本心だ。
彼はあまりにも有能だ。そして心配していた人格の面でも。不安はすっかり杞憂に終わった。
アラバスター・フェルエナは真面目だ。
本人曰く対人スキルが底辺故に間違いを起こす可能性が高いと言うが、誰に対しても驕ることなく、真摯に向き合う。故に、アラスタに関わった民の多くは、魅了加護など関係なく彼に好意を抱く。
能力もあり、性格も良い。全く、言うことのない人材だ。
俺の言葉を聞いたアラスタは、しばしじっとこちらを見つめる。視線がいやに痛く刺さる――胸の内がざわつきそうになるので、凝視するのをやめてほしい。
誰もが好意を抱くアラスタ殿は、いつも困ると俺を呼ぶ。
その優越感の沼に、足を踏み外しそうなところで踏ん張っているのだ。容易に落ちそうなのでできれば距離をとっていただきたいのだが――。
しかしこの有能な男は、さっぱりとした好漢ながら、デリカシーというものをあまり持ち合わせてはいない。
「……うん。まあ、いい。同じ志を持つ同僚として信頼を得たなら嬉しい、と思うことにする。ときにディアン殿、きみの上司殿は僕が他の地へと流れることを危惧していたように思うが」
「あの人の我儘は聞かなかったことにしてください。貴方がよい人生を送るのなら、きっとそれがどこでも歓迎する筈です」
「きみたちの懐の深さには恐れ入るが、残念ながらきみがグラスウォールにいる限り、僕はこの地を離れないと誓って宣言できる」
「…………俺、ですか?」
「うん。先に謝っておく。たぶんきみにとっては面倒な話だ。だがラリマー卿にとっては吉報だろう」
「一体何が、」
「僕はきみの事が好きだ」
「――――は?」
一瞬、本当に何を言われたのかわからず、完全に阿保面を晒してしまったと思う。
この人は今、何と言った?
きみのことがすき、と言ったか?
ああいや……つまり信頼している、ということかそうなのか、そうだな? そうに違いない――。
「言っとくが恋愛的な意味だ。僕はきみに恋をしているし、これはどう考えても初恋だし、面倒すぎる感情すぎて自分でも持て余しているから覚悟して僕と向き合ってほしいと思う。いや別にきみも僕の事を好きになれと脅迫する気はないから安心しろ、ただ自分でもどうしていいかわからんから先に言っておくし、以上の事実から僕がきみのいない場所に移り住むことは無いと断言しておくよ」
「………………どうしてあなたは、その……全部口に出してしまうんですか……」
「言わなければ伝わらないんだろう?」
それは先ほど、ラリマー卿が口にした言葉だ。続けてアラスタは自身の主張を並べる。
「うだうだ悩んで距離感を図るより、先に曝け出して付き合ってもらった方が早い。僕はこと対人スキルに関しては底辺だ」
……ついでにデリカシーも底辺なのだが、その指摘をする気力は勿論俺には残っていなかった。
如何ともしがたい、この――育むべきではない感情の芽が育つ前に勝手に囲われてしまった、ような、何とも言い難い気持ちを、俺は彼に伝えるつもりは毛頭なかった。
ともだちにシェアしよう!

