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7◇アラバスター|森の中

 そもそも、好きになるな、という方が無理だ。  というのが僕の主張だ。 「まず真面目だ。正しさは個々によりけりではあるが、きみの正義の感覚は大変好ましいし、その真摯な性格は僕も見習うべきだとうなと思う。かといって完璧な冷徹男というわけでもない。適度に間抜けで可愛い。きみと過ごした三日三晩は僕にとってかなり衝撃的だった」 「……大袈裟ですよ……ただ寝床を提供しただけです」 「きみは空気を読むのがうまいんだろうな。丁度良い心地よさで距離をとる。近づきすぎない距離感が良い。もっと近くに来てくれてもいいのにと何度かうっかり声に出しそうになった」 「そんな風には見せませんでしたが……」 「僕は感情表現が苦手なんだ。だからいっそ全部口から吐き出すことにしている。そもそもきみが『一体俺なんかのどこが良かったのか』などと訊いてきたから言葉にしているんだが」 「それは、その、はぁ、まあ俺が悪いですね……?」 「最終的に『この男が僕以外の民のお世話をしているところを見たら狂いそうだな』と自覚したのでこれは恋だろと定義した。テラヘルツもトリンもヴァーダも『それは恋だ』とお墨付きをくれた」  これでも一応それなりに悩み、他者の判断を仰いだのだ――という僕の主張に、思い人である男は慌てて口を挟む。 「待ってください。ヴァーダイトにまでそんなことを……? いつのまに鍛冶職人と懇意になったんですか」 「皆の農具と武器の適切な重さがわからなかったので助言を求めに行っただけだ」  僕がグラスウォールに流されてから、すでに一月が経っていた。  有能ではあるが癖のある薬師・テラヘルツのおかげで、僕は己の色と加護を気にせずに外を出歩けるようになった。  加護を完全に打ち消すには及ばす、多少効果を薄める程度ではあるが、それでも僕にとってはかなり意味のある薬だ。  シリシャスシストなど本能で動くタイプの前では気をつける必要があるが、理性を重んじる常識ある民との交流には、なんら問題はない。  おかげでトリン以外の住人と気安く交流を持つことができるし、顔を隠さずに外で作業ができる。……といっても、今日に限ってはあまり、気にする必要はないが。  僕とディアンは、禁忌である離れの森にいた。  夜獣が多く、宵の国との境も近い為、通常なら民はおろか私兵隊も立ち入ることのない禁足地だ。  しかし森には、貴重な薬草が多く生息している。今日の午後はテラヘルツの調薬の材料集めのために、僕たちは少数精鋭で森へと分け入っていた。  ミールとマテリア以外の作物を作ることがない明の国では、薬草などを栽培する習慣も、ノウハウもない。というかそもそも、薬などというものを気安く常用する習慣がない筈だ。  シーズンの不調や些細な怪我などは、大抵は加護術でどうにかなる。不調を抱えた民は宝石術師の元を訪れ、そして加護を付けてもらえばいい。  王都ではそのように生活していたはずだ。  しかし、辺境地には優秀な術師は少ない。  僕が流される前は、鍛冶職人のヴァーダイトがほとんどすべての加護付けをやらされていた様子だ。  火を使わない我々は、鍛冶や工作のすべての過程に宝石術を用いる。熱が必要となる際は宝石術が用いられる。職人と名のつく者は大抵優秀な宝石術師だ。  辺境地は広い。民の全てがヴァーダイトを頼れるはずもなく、結果持ち運びが簡単な『薬』が注目された――とラリマー卿に聞いたが、テラヘルツの普段の言動を見る限り、単に実験や調薬が好きなだけなんじゃなかろうか、と疑っている。  テラヘルツは自他共に認める変人だ。  正直僕もなかなか変なヤツだろうな、と自覚しているが、アレには勝てる気がしない。  テラヘルツは今、少し離れたところで薬草採取に精を出している。  身を守る宝石術を持つ僕や、宵の国の民であるディアンならともかく、ごく普通の明の民だというのに彼は森を恐れない。それだけでもかなり、いや相当変なヤツなのだ。  そりゃ追放《なが》されるだろ、お前は……と不躾ながらも納得してしまう。  トリンはグラスウォールに流されてきた民の事を『出来損ない』と卑下するが、ことテラヘルツに至っては『こんなヤツを王都においておけない』と判断されたんじゃなかろうか、と予測している。  実際、彼の作る薬は危険だ。  宝玉の色を変える、加護を打ち消す、シーズンの衝動を抑える――これらテラヘルツがアッと言う間に作り出す薬は皆、王宮が聞き及べば不敬だとしてすぐに禁止されるだろう。  シーズンは明の民の持って生まれた生命力の象徴であり、生まれ持った石の色は決して変えることはできない。幼いころにつけられた加護も含め、己の色と特徴を抱えて死ぬまで生を全うする、それが、王宮が理想とする民だ。  テラヘルツの薬は副作用もなく、努力もなく、特に何の問題もなく、当たり前のように平等に効果を発揮する。  用法によっては犯罪に応用できる薬もあるが、そこはラリマー卿とディアンがきちんと目を光らせている様子だった。 「ところで、かなり奥まで進んできたが――僕はともかく、テラヘルツの身は安全なのか?」  ふと気になり、僕は背後のディアンに話しかける。  荷籠を背負ったディアンは、少し遠くに視線を馳せた様子だった。 「この時分は夜獣も飛禽獣も少ないでしょう。陽が暮れれば別ですが……この先はでかめの川がありますから、あまり近づかないように注意してください。川の向こうは宵の地です」 「……国境には、柵や壁があるわけじゃないんだな」 「この辺境地自体が壁のようなものですよ」 「辺境地そのものが王都を守る為の壁《ウォール》か……。侵略があったのは随分と昔の話だと聞くが……きみも、この川を渡ってきたのか?」  少々踏み込んだ話だった。しかしこういう話は、宿舎の中ではなかなかできない。  万が一テラヘルツに聞かれる可能性はあったが、薬師である彼はディアンの生まれを知る数少ない民の一人だというので問題はないだろう。 「俺が渡った時は、もう少し水位は低かったですね。とはいえ、かなり昔の話です」 「あちらの国に、残してきた者は?」 「……家族は息災だとは思います。友人もいなかったとは言いませんが――俺は御覧の通りの半端ものなので、何処にいても肩身は狭かった記憶しかありません。別に宵の国が嫌いなわけではありませんが、今の生活に満足しています」 「そうか。それなら安心しだ」 「……安心?」 「うん。だって今すぐ帰ることにした、と言われたらさすがに困る。僕はきみの隣を死守するつもりだが、行き先が宵の国となればそれなりの覚悟が必要だ」  しばらく沈黙が続いたので、呆れられているのか? と少々不安になる。  不安、などという感情が己にまだ残っていたことに驚きつつ振り返ると、予想外にほのかに苦笑したディアンと目があった。  僕は一応愛の言葉を口にしているつもりだったので、恥じらってくれたらありがたいとは思っていたが――思いもよらず柔らかい表情をくらってしまって息を飲む。  ふふ、と笑った男は、いかにも愛おしそうな顔で(だが経験上この男は別に口説いているわけではなくこれが素だ)言葉を零した。 「死守する、という言い方が、なんというか……貴方らしいですね」 「可愛らしく愛恋の感情を吐露したほうがいいか? いや、やれと言われても難しいけどな……僕はきみの事が好きだと自覚はしているが、こと口説く術についてはほとんど知らない」 「知らぬままでいてください。そちらの方が俺は好きです」 「…………きみ、別に僕のことが好きなわけじゃないんだろう?」 「普通に好ましいとは思っていますよ。ただ、貴方の人生を俺如きの存在でぶち壊したくないので、パートナーになるつもりはありません」  僕が不器用すぎる愛の言葉をチラつかせるたびに、彼は頑固にこう主張した。  要するに、己では僕に釣り合わない、的な事を言っているのだと思うのだが、僕こそ元傾国のブローチだぞ? 出生を隠して生きる宵の民だとしても、ディアンの方が確実に明の国にもグラスウォールにも貢献しているはずだ。  察するに求愛を断る言い訳なのだろうが、嫌いだから近づくなと言われた方がまだ――ああ、いやそれはちょっと悲しいかもしれない。うん。  ……まあ、嫌われていないのならば良しとしよう。  なにせ僕は恋愛などしたこともないし、この目で見た事もない。  僕に対するスタトゥアリオの感情は正しく執着であり、恋愛ではなかった筈だ。彼は魅了の呪いに取り込まれ、ついぞ這い上がることができなかった。  ディアンには、僕の呪いのような加護は効かない。  故に僕は安心して彼の隣で過ごすことができる。魅了など、本当にただの呪いだ。生まれたての僕に呪いのような加護をつけた王宮の人々は、一体どんなつもりだったのか。  王宮から流された今となっては、知る由もないことだが。  話しながらもざかざかと藪の中を突き進んでいた僕は、いつの間にか川岸近くまで来ていた。  川べりに、誰かが屈んでいる。  まさか宵の民か――と一瞬身構えたが、それは見覚えのある銀灰色の髪を括った男だった。 「……そんなとこで何をしているんだ、テラヘルツ」  僕より先に、僕の後ろのディアンが声をかける。  途端にバッと首を曲げて振り向いた男は、今日も妙にダルそうな、しかし焦点の定まらない不思議な表情でへらりと笑った。 「そんなとこもなにも~川辺は薬草の宝庫じゃん? ほら見てよ~川底にサァ~砕かれた浄化石がいっぱい重なっててキラキラしてんだよね~ぇ、ふふふ、これ回収したら怒られるかなぁ……」 「やめろ、宝玉攫いはさすがに擁護できん。それは国境に撒かれた夜獣除けの浄化石だ。勝手に触るだけでも罪になる」 「ちょっとくらい拾ってもばれやしないと思うんだけどなぁ~。宝玉の研究権利は王都にしかないなんてずっるいよー。まあオプちがそう言うならやめとこー」 「変な呼び方をするな」 「あれ、そっち大量じゃーん! わ、これすっごい貴重な菌類のやつ!? えーーーーどこに生えてたぁ!?」 「これはアラスタが見つけて――」 「バスタんお手柄すぎない!?」 「……変な呼び方をするな……」  思わずディアンと同じつっこみをしてしまう。  グラスウォールの天才薬師であるテラヘルツは、身長だけならオプシディアンと張るだろう。だが妙に姿勢が悪く、その上全体的になんというか、ぺらい。  足と手だけは細く長いので、廃材を適当に組み合わせて作った子供用のおもちゃのようなシルエットだ。その上首が座っていない。  テラヘルツは紛れもなくグラスウォールを支える天才なのだが、見ての通りの変人だ。そしてかなり残念なことに、僕よりもデリカシーがない男である。 「いや~バスタんほんと有能で助かるよぉ~~~オプちさ~~~性格は細かいのになんでかこういう作業は雑っていうかぁ、大味でさぁ~~~何度説明しても風見草以外覚えないんだもん~~~。森の中はみんな嫌がって手伝ってくんないしさ~~~! バスタんずっとここにいてね? ね? 王都帰んないでね? ね?」 「別に、帰るつもりは毛頭ないが……そんな話、どこから出てきたんだ……」 「たまーに私兵隊の子たちが噂してんだよ~。ブローチ殿は優秀すぎるから、何かの手違いで流れ着いただけで、そのうち王都に戻るんじゃないかってサァ。ま、確かに何でもできてちょっと怖いよね~~~最初からバスタんがいたら、ぼくは薬なんか作らせてもらえなかったかも」 「いや、いくらなんでも宝玉の色を変える術はないし、加護を打ち消すような術も存在しない。きみの薬に救われた民は数えきれないほど存在するはずだ。この偉業はぼくにはできない」 「……ふふ。そういうところがね、うーん、きっとみんなに好かれるんだろうねぇ。ぼくはヒトの良心なんてもの大して興味ないけどねー、でもイヤなヤツよりいいヤツと話してた方が気分はいいよねー」 「…………僕は今、褒められたのか?」 「おそらくは」  けらけらと笑うテラヘルツを眺めつつ、僕とディアンはこそこそと囁き合う。  テラヘルツの言葉は直接的すぎることもあれば妙に歪曲的な時もあり、意思の疎通がきちんとできているのか、正直怪しい。 「いままではヴァーちゃんしかいなくってサァ、みーんな忙しくて生活こなすだけで手一杯だったじゃない? でも今はちょっと余裕あるじゃない? 有能な術師さんがいてくれたら、色々ね、薬と宝石術の掛け合わせ実験とかもサァ、できそうじゃない? ぼくの薬学研究の為にもバスタんは永久にグラスウォールに居てほしいよ~~~もう早く結婚しちゃいなよぉ二人でー」 「なんでそうなるんだ……」  げんなりと言葉を漏らしたディアンを相手に、テラヘルツは一切臆することがない。  私兵隊を実質的に束ねているディアンは、厳密にはテラヘルツの上司ではないらしい。  しかしこの厳しくまともでしっかりとした男にへらへらと盾突くことができるのは、おそらく宿舎内ではテラヘルツとシリシャスシストくらいのものだろう。 「えーだってバスタんはオプちのこと好きなんでしょ? お似合いじゃない? お似合いだよね? うん、すごくお似合い、早く結婚して既成事実作ろ? もしかしたら宝玉無しで子供つくれるかもよ?」 「できるわけないだろう……俺は明の民ではないし、宵の国であったとしても男同士で子は成せない」 「でも性行為はできるんでしょ?」 「……いや……あちらの国では基本、番になるのは男女のみで……」 「はぇ~~~それが生物的なルールなの? ふぅん? 面倒だねぇーぼかぁ生物的なルールに縛られんの、好きじゃないな~~~」  なかなか勝手なことを言いつつも、手元はさくさくと薬草を採取している。  変なヤツだし、あまり近づきたくもないのは本音だが、優秀な人材であることは確かなんだよな……と実感する。  テラヘルツはとにかく手が早い。それは彼の有能さのひとつだ。 「でもぼくはバスタん応援してるよ~~~惚れ薬とか発情薬が必要ならいつでも言ってねぇ? 頑張って研究するからね? まぁ……オプちにはぼくの薬全般ぜんっぜん効かないんだけどねぇ……ギーーー」  ……薬も効かないのか。それはなんというか、大変だな、と他人事のように思う。  発情薬があればそれはまあありがたいなと口に出してしまったことで、ディアンから非難の視線をもらってしまったが、別に変な事を言ったわけじゃないだろう?  僕はディアンを洗脳したいわけじゃない。ただ、性欲を煽った状態の方が口説きやすかろうよ、と思っただけだ。  と言うことを隠さずに口にすると、呆れたようにため息をつかれた。 「……全部口に出すスタイル、やめませんか……?」 「え、嫌だが? 僕は駆け引きなどできる気がしないから無理だ、無理。きみの事が愛おしいと思った時には愛おしいと伝える。それが精いっぱいの口説き文句だ」 「過剰すぎる口説き文句ですよ、勘弁してください……」  漸く少しくらいは照れてくれただろうか。そう期待して、ディアンに向き直ろうとした、その時だ。  目の前を、何かが高速で横切った。  それが投げられた刃物だ、と気が付いた時にはもう、ディアンの手に強い力で引き寄せられ、僕はバランスを崩していた。  ああ僕は――まったく、よく物騒なものに狙われる人生だ。そんな風に苦笑できたのは随分と経ってからだ。  この時はただ、唐突に襲ってきた命の危機に、素直に混乱していた。僕は所詮、外に出ることも稀なブローチだった。ディアンと違い、緊急事態にとっさに身を屈めることもできない。  ぐらり、と身体の重心が傾く。ディアンの声が響く。 「ヘルツ、逃げろ――!」  次いで、肌を打つ衝撃が襲う。  僕はこの衝撃に覚えがある。川面に身体が叩きつけられる感触だ。  次の瞬間、何者かに襲撃された僕とディアンは、透明で冷たい川の中に見事に落ちていた。

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