14 / 20
10◆オプシディアン|残り時間
「きみは、知っていたのか?」
アラスタにしては感情的な、ひどく曖昧な問いかけだった。
日が暮れてからの川渡りは危ない。そう引き留められ、俺たちは渋々城で夜を明かすことになった。
今頃グラスウォールでは、帰りが遅い俺たちを心配していることだろう。一刻も早く無事を知らせたいところであるが、確かに夜の川を無理に渡る勇気はない。清浄なる川は、夜になるとひどく冷たく凍てつく。
質素な客間には、硬いベッドが四つ並んでいた。テラヘルツは城内を探索すると息巻いて出て行ってしまったので、今はアラスタと二人きりだった。
「宵の民が行方知らずになっていた件は初耳です。ラリマー卿が話題にしていた記憶もありません。明人が宵人に触れると精神的安寧と身体的快楽を得る、という話は一応知ってはいましたが、迷信だと思っていました」
「……寿命の件は」
「知っていました」
誤魔化したところでどうしようもない。
素直に認めると、窓辺に寄り掛かっていたアラスタは、天井を見上げて大きく息を吐いた。
「成程、納得した……。きみが事ある毎に、『俺を選ぶべきではない』と言っていたのは、その為か。――自分の方が僕よりはるかに早く死ぬ、と、知っていたんだな」
これはまあ、彼の言うとおりだ。
俺は正直なところ、アラスタを憎からず思っている。これが巷でいうところの恋なのか、それはわからない。弟曰く『無駄に潔癖でカタブツなオプシディアン』は宵の国に住んでいた時も、明の国に渡った後も、恋人を作ったことは一度もない。
アラスタは非常に好感度の高い男だ。
しかし性行為に男女の括りがない明の国ならばともかく、宵人である俺にとって同性をパートナーにするという感覚がない。偏見があるわけではないが――どうしても、彼は男なのに、と臆してしまう。
それでもうっかり手を伸ばしそうになる。抱きしめて思う存分体温を分かち合いたくなる。そのような衝動が湧き上がる度、己と彼の生きる時間の差を思い出した。
彼の事を好ましく思う。
彼も、俺の事が好きだと言う。
しかし俺は彼の求愛に応えることはできない。必ず彼を残して先に死んでしまうからだ。
ため息のようなものを吐きだしたアラスタは、硬いベッドに腰かけると頭を支えるように額に手を当てた。どうやら、相当疲れている様子だ。
「……流石に、驚いた。が、納得したこともある。カイヤ妃の最期だ」
賢妃と謳われた才女、カイヤ妃。
彼女は宵人だった、と、アラスタは告白していた。
それは事実だ。カイヤ妃は元宵の王族であり、秘密裏に明の国の王宮へと嫁いだ方だ。
「以前話したように、僕はカイヤ妃とは面識がある。彼女の最期も看取った。誰も治せぬ奇病だった……徐々に皮膚が渇き、急激に老人化が進む奇病。カイヤ妃は、王宮に現れてからわずか三年でこの奇病に侵され無残に死んだ。だがあれは、きみたちにとっては正常な死だったのだな」
「そうですね。貴方の感覚で三年なら、俺たちにとっては三十年です。それだけ経てば、大概の大人は老人になります」
「そもそも……きみは『半分は宵人である』と言ったよな? 宵人の王の子だと言うのならば、きみの母君は宵人ではなかったのだろう? あと半分というのは、明人である可能性は――」
「ないですね」
俺の父は宵の王であり、母の顔は知らない。しかし俺の髪と左目の色は、宵人の黒ではなかった。
これはもしかしたら、ただの『特殊変異』なのかもしれない。アラスタが赤の宝玉の母体から白い宝玉を持って生まれてしまったように、ただ単に外見の色が黒ではなかっただけかもしれない。
俺の身体の特徴は、色以外は完全に宵人のそれだ。成長の仕方も、必要な食事も、宝石術の加護を無効にする体質も。……そもそも、交尾で子を成す宵人と、宝玉で子を成す明人がどうやって交わるというのだろう。
俺の母親が宵人かどうかはさておき、明人ではないことは確かだ。
「きみはこちらの数えでいくつだ?」
「三十そこら、ですかね」
「……僕の国の数えでは三歳か? 百が寿命としたら、あと七年しかないということ?」
「単純計算ではそうなります。だから、俺は貴方のパートナーには向いていない。これは宵と明の如何ともしがたい違いであり、どうにもできない壁です」
「あー……それは、さすがに、否定し辛い」
心底頭が痛い、と言った顔だった。彼はいつも淡々と悩まずに物事をいなす人だ。こんな風に、頭を抱えることは珍しい。よほど、ショックな事実だったのだろう。
出来れば俺も告白したくはなかった。誰しも、身近な者の死など考えたくはない筈だから。
俺だってラリマー卿の命があと数日だ、と告げられたら、頭を抱えてしまうに違いない。
――申し訳ない事をした、と思う。やはり俺は、明の人々に近づくべきではないのだ。
一人粛々と反省を始めた俺をよそに、アラスタはひときわ大きく息を吸い、ゆっくりと吐き切り、そしてまるで何事も無かったかのように顔を上げた。
「――よし、腹を括った。あと七年、悔いなく生きよう」
きっぱりと言い放つ、その顔はひどく晴れ晴れとしていて、俺はただひたすらに首を傾げる他なかった。
「…………は?」
「きみが問題にしているのは残された時間の差だろう? 幸い、きみより僕の方が寿命は長い筈だ。明の民の寿命はこちらの数えで五十年――要するに、きみから見ると五百年だな。僕はそのうち二十二年を消費している。あとおおよそ二十八年の時間が残されている筈だが、うん、七年で終わりにしよう。それだけあれば、まぁ、やりたいこともなんとか達成できるだろう」
「……あの、一体貴方は、何の話をしているんですか」
「何って、寿命の話だ。きみにとって寿命の差が問題ならば、僕がきみに合わせればいい。きみと同じタイミングで死ねば、寿命は一緒だ」
「…………………」
何を言っているのだろうか、この人は。
正直本当に呆れてしまい、今度は俺が頭を抱えてしまった。
……いや、確かに、仰る通りではあるのだが、こんな暴論を認めてしまうわけにはいかないだろう。
「……意味がわかりません。俺は貴方を、俺の寿命に合わせて殺すつもりはありません」
「僕が勝手に死ぬだけだ、別にいいだろう?」
「よくない。俺のせいで貴方の寿命を縮めるなんて、論外だ」
「七年あれば、まあ自分の人生のやり残しくらいは回収できるはずだ。もとより僕は、王都を出るまでは処刑されてしかるべきと思っていた。死んだはずの命を、きみたちに生かしてもらっている。それだけでも十分だ。それに、別に僕たちの方が時間の流れが早いというわけじゃない。単に年の数え方が違うだけだろう? きみの数え方でいえば、僕はあと五十年もきみと一緒に過ごせる」
「それは……」
「僕は、きみの隣を死守したい」
アラスタは立ち上がり、俺の真向かいまで近づく。思いもよらず至近距離まで迫った彼の顔は、いつになく真剣だった。
「きみの隣は心地よい。この心地よさを、他の誰にも譲りたくない」
「……その感覚は、貴方が明人であるが故、宵人に感じるただの本能的な物、なのでは……」
「そうかもな。いやでも、別にカイヤ妃にこんな感情は抱かなかった。さっきのジェットとやらも親切だったし、きみの弟の媚びへつらわない素直な無慈悲さは逆に好感を持てたがしかし、別に心惹かれることも無かった」
「それは、触れ合っていないからで、」
「そうか? 正直きみに触れたことなど、数える程しかないが? というかそもそも、その話は本当なのか? テラヘルツは毒気が抜けたなどと言っていたが、僕はあまり信じていない」
「貴方は毒気にかなり耐性がありますから、そういうものには鈍感なのでしょう」
「これでもかなり我慢している方だ。別に倒れる程じゃないが、じわじわと頭が痛くなってきた」
「そういうことは、耐えずに言ってください……! やはり、夜を待たずにこの国を出た方が――」
「きみが、毒気を抜いてくれたらいい」
「……………っ」
まっすぐな視線の彼は、冗談だ、と笑ってくれる気配はなかった。
その上、無遠慮に俺の頬に指を馳せる。指の腹が肌をなぞる感触が、悪寒とは違う震えを沸き立たせた。
「ここは毒気に満ちている。実験するには最高のタイミングじゃないか?」
「…………正気ですか?」
「言っておくが正気じゃない。毒気はそれなりにきつい上に、襲われ川に落ち拉致られ、その上初めて見る、聞く、知る話ばかりで頭がおかしくなりそうだ。気を抜くと現実から目を逸らして喚き散らしたくなる。この場で僕がギリギリ正気を保っているのはきみがいてくれるおかげだ。……僕の事が少しでも心配なら、ちょっとくらい配慮してくれてもいいんじゃないか?」
そしてやたらと顔面の圧が強い男は、俺の手を取り上げると自分の頬にぴたりと添えさせた。
なんというか――この人は本当に、誰とも恋愛をしたことがないのか? 本当に? 今のは随分と手練れた様子だったが!?
「……口説き方が、随分と、板についていませんか……」
無駄な抵抗を試みたものの、真顔の男は恥じることなく堂々と苦笑した。
「僕の今の脅迫を口説き文句だと認識してくれるのは、明の国でも宵の国でもおそらくはきみくらいだろうな。……そういう僕に対する理解が、殊更好ましい」
「本当に貴方は、見目麗しいのにおかしな趣味をしている……」
「外見は性格に関係ないだろう? 僕が少々おかしな趣味であることは否定しないが――」
「――俺もたぶん、貴方と同じく、変な趣味なんでしょうね」
何もかも諦めて、俺は彼の細い腰を抱き寄せた。
何か言おうとしたその唇を、言葉が飛び出す前に塞ぐ。息が零れるような甘い音が零れ、腕の中の身体は一瞬びくりと硬直した。
何度か啄むように唇を合わせた後、口を開けるようにと促す。誰かに恋をしたことは無いが、まあ、こういう行為をしたことがない、とは言わない。
対する腕の中の男は、本当に誰にも身体を、キスすらも許したことが無かった様子だ。
ぎこちなく口を開き、ぎゅっと俺の肘のあたりを掴む。背中に腕を回して良いと囁くと、ひどく歯がゆそうに身を竦めながらも俺の背中を掴んだ。
しなやかな女の身体とは随分と違う感触だった。アラスタは決して薄幸の美少年というわけではない。むしろ運動嫌いなテラヘルツなどよりも、きちんと鍛えられている。
しっかりとした骨格は、思っていたよりも抱き心地が良い。立ったままでも、あまり屈まなくて良いのが楽だ。
しなやかな腰に手を這わせると、一瞬だけ逃れようと力が入る。けれどすぐに、恥を忍ぶ様子で身を任せてくる。
……白状する。俺はこのキスに、早々に夢中になった。
「…………、苦しい?」
呼吸の合間に尋ねると、息を荒げたかわいい男が少し首を横に振る。その身振りを信じるふりをして、柔らかで初心な舌を緩やかに転がした。
純朴な若者のように戸惑っているかと思えば、時折舌を噛む勢いで反撃してくる。そのうちに息の仕方を覚えたのか、荒く官能的な息継ぎの合間に俺の舌を追いかけはじめた。
どのくらい、彼の口を塞いでいただろうか。
気が付くと腕の中の男は随分と消耗した様子で、ぐったりと体重を預けていた。重い、が、可愛くないとは言い難い。
「……きみは……その、……こういうことに、本当に手練れているんだな……」
「はぁ、まあ、そうですね、この国の寿命でいえばそれなりの年齢ですから」
「恋人がいた事は?」
「それは誓ってありません。誰かを好きになるような余裕はなかった。だから、そうですね……俺もたぶん、初恋なのでしょう」
しれっと口にするのは、少々ずるい言葉だった。しかしアラスタは流してはくれず、俺の腰をぐっと掴む。
「それは、僕と、添い遂げてくれるという意志表示か?」
「違います」
「何故!? 今恋とか言っただろ!?」
「好きかどうかと問われたら好きです。ですが俺は貴方の人生を、俺のせいで終わらせるつもりはありません。だからパートナーにはなれません」
「な……生殺しじゃないか……? 僕にこんなエロいキスを教えて置いて逃げる気なのか……?」
「あー……それについてはまあ反省しているところですが……ところで、お加減はどうですか?」
そもそも、宵人は明人の身体にどう作用するのか、という実験のようなものが発端だった。
さっと話題を逸らした俺を恨めしそうに睨んだアラスタはしかし、少し考えた後に大変嫌そうに目を細めた。その顔かわいいな……毎日寝る前に眺めたい。
「……認めたくないが確かに毒気が消えたな……」
「認めたくないんですか?」
「だって嫌だろ、そんな、解毒剤のような効能がついているなんて。僕は自分についている魅了加護に随分と迷惑しているんだ。自分にならともかく、他人に作用する体質なんて迷惑以外の何物でもない。それにこの効能のようなものが明の国にとって有益であれば、宵人を攫ったのは明人である、という疑惑が深まる」
「ああ……そう、ですね。毒気を抜くというだけでも、かなり有益な情報でしょう。その上快楽などが得られるなら、コンドライトの仮定も笑って流すわけにはいかなくなる。……快楽はどうだったんですか?」
「知らんに決まってるだろ、僕はきみ以外のサンプルがないんだぞ……」
忌々しそうに眉を寄せる様がまたかわいく見えてしまって駄目だ。俺の目は相当彼にやられているらしい。
勿論そんなことはおくびにも出さず、腰を抜かす寸前のアラスタを硬いベッドの上まで運んだ。
「まあ、毒気が抜けたならば良かったです。いくら耐えられると仰っていても、辛いものならばない方が良い」
「まったくその通りだ。僕よりもテラヘルツの方がしんどそうだったけどな……後でテラヘルツにもキスをお見舞いしてやったらどうだ?」
「……俺が彼に? キスを? 冗談でしょう」
「冗談じゃない、人命救助だ。アレがうっかり死んだらグラスウォールどころか国の損失だぞ」
「…………確かにそうですが……俺がアレにキスをしてもいいんですか?」
「人命救助だ、仕方ないから我慢する。だが後で不快になって暴れるかもしれない」
「貴方はどうしてそうやって、容易に可愛い事を言うんでしょうね……」
「こんな偏屈なヤツをかわいいと思っているなら目がおかしいな。たぶん普通の女性とは付き合えないぞ。いっそ僕と付き合ったらどうだ?」
「なかなかどうして、めげませんね」
「しつこさには自信がある。我慢強いところも長所だ。別にいい、ゆっくり落とすからな、なにせ僕にはあと七年の時間がある」
いたずらに笑うには少々パンチのきいた冗談だ。しかし疲れ切っていた俺はうっかり笑ってしまい、不謹慎さに咳ばらいをする羽目になった。
不謹慎だ、笑うべき話題ではないが、しかし――『たかが寿命の違いじゃないか』と笑い飛ばす、彼の豪胆な気質が俺はやはり、好ましかった。
ともだちにシェアしよう!

