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12◆オプシディアン|オールウォール

 荷運びの船は問題なく順調に、オールウォールへと到着した。  予想以上に平坦な道のりで、少々肩透かしを食らった程だ。道中我々を苦しめたものといえば、暴走するテラヘルツと彼から逃げる為に必死なジェットが引き起こす騒動くらいだった。 「平和な旅だったな」  荷降ろしをしつつ呟くと、げっそりとした様子の茶髪の若者――アンバーがへろへろと肩を落とす。  オールウォールの端の船着き場には、俺達以外の人影はない。元来、川は民が寄り付かない場所だ。 「いや、ぜんっぜん平和じゃなかったっすよ……よくあの水面の揺れの中で元気に騒げますねヘルツは……あいつどっかおかしいんじゃねーか、いやおかしいんだよなそういえば……」 「ああ……お前は、船旅は初めてか」  四人で調査をして来い。  そう命じられたものの、俺達四人では些か手が足りない。その為船の留守を任せる雑用として、アンバーも同行していた。  勿論彼には、調査の概要は話してあるが、ジェットが宵人であることは伏してある。黒は忌むべき色ではあるが、明人の中にも黒髪黒目の民は多少存在している。  アンバーは船に乗ったことがない。  王都への荷運びは基本シリシャスシストが行きたがる為、船に乗る御者はおのずと俺になってしまう。  まあ良い経験だろうと放り込んでみたが、アンバーは清浄なる川の洗礼を見事に受けた様子だった。  そう、船酔いだ。 「練習では……問題なかったんすよ……むしろヴァーダの方が吐きまくってて……」 「いや有能な術師を二人も領地外に出したりはしない。アラスタがこちらに同行している以上、ヴァーダがグラスウォールに留守番だぞ……」 「俺もそう言いましたけど! 旦那と術師殿が心配だからってうるさくてッ!」 「彼女は存外に愛情深いからな……。あー……トリンも喚いていたか」 「二人とも船の練習から吐いてましたから、置いて来て良かったっすよ」 「何事にも向き不向きはあるものだから、まぁ、そういうこともある。あとは慣れだ」 「そうだぞ、慣れればある程度の苦痛などなんとでもなる」  俺達の会話に当たり前のように入ってきたのは、アラスタだ。  一瞬、誰かわからず混乱してしまう。『ブローチとバレたらかどわかされる可能性もある』と皆が心配した結果、彼はテラヘルツの薬で髪の色を深い藍色に変え、アンバーと同じ私兵隊制服を着用していた。  簡単な変装だが、実際に顔を見た事がある者以外なら難なく騙せることだろう。 「きみの舵は安定していてありがたかった。酔いながらも仕事を全うする胆力は、さすがだな」 「恐れ入りますっす~……アラスタ殿も船酔いは平気な質なんです?」 「いや、存分に気分が悪い。立っているだけで苦痛だな」  キリっと言い放つ彼は確かに、若干青い顔をしている。だがどう見ても体調不良には見えなかった。  ……末恐ろしい耐久力だ。不調があるときはぜひ我慢せずに『しんどい』と喚いてほしいものだ、と心底思う。 「か、……かっけぇ…………ッ」  そしてアンバーは訳のわからない羨望を向けないでほしい。このあたりの些細な文句は後々、余裕が出来たら告げることにしよう。  今は、オールウォールの調査が先だ。  荷を全て荷車に乗せ終えた俺は、アラスタに向き直る。本当は船の中で今後の予定の話をしたかったのだが、前途の通りテラヘルツは人の話を聞かず、そしてアラスタも青い顔をしていたので後回しにしたのだ。 「とりあえず、俺とテラヘルツは領主の元に挨拶に向かいます。今回のオールウォール入りの建前は、ミールの支援ですからね。船はこの船着き場で碇を降ろしたままにして、船番にはアンバーを残します」 「……アンバー、船酔いは大丈夫なのか?」 「何も船の中で見張ってなきゃいけないってことは無いっすよ。野宿でもなんでも平気なんで、アラスタ殿も副長も気にせず存分に仕事をこなしてください!」 「感謝する。きみも十分に気をつけろよ」 「ッス!」  昔から返事だけは良かったアンバーだが、最近は信頼できる部下に成長してきていた。  まあ、何かしら不備があり船が壊れたとて、最悪歩けば数日でグラスウォールに帰ることはできるだろう。  その際の問題は俺とジェットの食事だが、夜獣が多い森を進めば何とかなるはずだ。そうなるとしかし、アンバーに俺とジェットの正体を明かさねばならないだろうし、なるべくならばそんな未来は避けたいところだ。 「アラスタは、現地の調査をお願いしたいのですが……大丈夫ですか?」 「現地というのはつまり、森の中の国境付近か」 「そうです。貴方なら、森の危険にもある程度対応できるはずですし。代わりと言っては何ですが、街の中の聞き込みは俺とテラヘルツで回ります」 「別行動か。まあ、僕が街に同行したところで、特に成せることは無いしな……了解した」 「もし、ジェットと共に行動することに抵抗があるようでしたら、ヘルツと彼を交換してもいいのですが、」 「いや勘弁してくれ、ヘルツとジェットなら僕はジェットの方を選ぶぞ……。それに戦闘能力も彼の方が格段に上だろう」 「……いいんですか?」 「何が。……ああ、ジェットを信頼できるのか、ということか? その点はあまり心配していない。きみは彼を信頼しているんだろ?」 「はぁ、それはまあ……アレは初対面の時から、差別に加担しない男でしたから」 「能力主義ならありがたい。僕が自信をもって誇れるものは宝石術くらいのものだ」  するりと話を流されてしまったが――要するに『お前の信頼している男を疑うことは無い』という事なんだろう。  なにげなく、本当に何の世辞でも見栄でもなく、本気でそういう事をさらりと言う。先ほどのアンバーの感激を笑えない。確かにアラスタは格好いい男だ。  しかし、心配でないと言えば嘘になる。  彼がどれほど優れていても、元部下を信頼していたとしても、アクシデントというものはいつ何時襲ってくるかわからないものだ。  くそ、俺が同行できればいいのだが、こちらはこちらでラリマー卿からの書状も渡さねばならないし、かといってジェットとヘルツをペアにするわけにもいかない。  四人で、というのは、この件を知ってしまった俺達が直接動くのが早いと踏んだラリマー卿の考えだろうが、ヘルツは正直置いてきたかった。  ちらりとヘルツを伺うと、荷物降ろしを早々にサボり、嫌がるジェットに覆いかぶさって遊んでいる。 「……ヘルツ、ジェットを離してやれ……お前ちゃんと仕事をする気あるのか」 「えー。あるある! ていうか仕事してるけど!?」 「どう見ても嫌がるペットをなでまわしているようにしか見えないが」 「わはは。奴隷(ペット)制度なんてもうとっくに廃れちゃってるのに、よく知ってるねぇオプち。でも残念~彼はねーペットじゃなくて実験体だからぁ~」  ペットの方がまだマシだ、と、恨めしい男の声が聞こえた気がしたが一旦無視をする。申し訳ないが、テラヘルツは基本『言うだけ無駄』なのだ。  上機嫌なテラヘルツは、ごそごそと上着のポケットから見た事もない様々な紙の切れ端を取り出す。どうやら薬品を塗った紙らしい。 「ちゃーんとこの辺の水とか空気の品質とか計測してるよ~~~あ、水の成分って分析したら王様におこられちゃうんだっけ? アンバーちゃんこれオフレコね~~~」 「アンタの奇行一々報告してたらキリねえっすよ……」 「んでねー、この辺なんかさぁ、毒気が妙にうすーいんだよねぇー。グラスウォールより断然息がしやすいでしょ?」  最後の問いかけは俺ではなく、アラスタに向けられたものだ。  藍色の髪を小奇麗にまとめたアラスタは、確かに、と頷いて見せる。 「川のせいかと思ったが、オールウォール自体の性質か。この領地はそういう特性があるのか?」 「いえ、基本はグラスウォールと変わらぬ気候の筈です……。確かにグラスウォールは宵の国と隣接していますが、そこから強い毒気が流れ込んでくることはありません。川がすべてを遮断しますから。グラスウォールに満ちている毒気は、土地が本来持っているものです。それを無効化するには、王都と同じく浄化石を撒く他ない」 「では、浄化石をより多く撒いているのでは?」 「ありえません。そんなことをしてしまえば、土は死にます。農耕には、浄化されていない土地が必要なのですから」 「ふうん……まあ、実際に色々と調べることが増えたという感じだな。街の方は任せたぞ。確かにグラスウォールの街すらよく知らぬ僕がうろうろしたところで、何の手伝いにもならないだろうしな」 「すいません、俺も同行したいのですが、」 「案ずるな、僕はこと防衛に関しては誰よりも自信がある。きみの大切な旧友も勿論守る」 「……助かります」  アラスタが共に来てくれて助かった――本心からそう思い、軽く頭を下げた時だった。 「……僕の事が心配なら、景気づけに毒気を抜け」  わずかに聞き取れる程度の囁き声がした。  急に腕を引かれ、一瞬のうちに俺は体勢を崩す。抵抗する間もなく、気が付けばアラスタの顔がぶつかりそうな程の距離にあった。  いや、ちょっと、待て――と押しのける前に、颯爽と唇を奪われる。  ほんのささやかな口づけだ。  しかし突然の衝撃に対応できず、彼を押しのけることもできずに固まってしまった。  …………迂闊だった。  そうだった。この人の愛情表現には、羞恥心というものが欠けている。 「……何でそんなにびっくりしているんだ? 初めてでもないだろ」 「回数を重ねたわけでもないでしょう……こんな、人前で、貴方は、どうして、」 「誰も見ていないタイミングを測った。実際問題、僕の体調は万全にしておいたほうがいい、違うか?」  そっと囁かれる台詞に反論はできない。確かに、少ない毒気でも抜けるものなら抜いておいた方がいいし、俺は彼の身体の中にたまった毒気を抜くことができる。……別にその手段はキスでなくてもよいのだが。  しかし、唐突にこのような奇襲のようなキスを仕掛けてくるのは駄目だ。 「少しくらい許せ。……本当は腰を抱いてもらってもう嫌だと根を上げるまできみに蹂躙されたいところを、軽い接触だけで我慢したんだ。僕は偉いと思わないか?」  ……しかもそんな、貴方は本当に、どこでそんな殺し文句を覚えてくるのだろう?  いつもと違う色の藍色の瞳が細められ、さも偉そうに見上げてくる。  ある意味、ここが外で良かったのかもしれない。  誰も居ない密室であったなら、壁に押し付けてお望み通りひどいキスをしてしまいそうだった。 「…………怒ったか?」  その上更に、少しだけ申し訳なさそうに俺の顔を伺う。もう、本当に、どうしたいんだこの人は。いや俺と添い遂げたいのだったな、この人は、まったく本当に変な明人だ。 「怒っていませんが、呆れてはいます。本当にその……あまり安易に挑発するようなことを言うべきではありません」 「挑発されてくれているのか?」 「喜ばないでください。俺以外にやらかさないでくださいよ、本当に……」 「ある程度なら腕力と宝石術でどうにかできる自信はあるが、そもそも僕はきみ以外の民に嬲られたいなどとは微塵も思わないから安心しろ」 「………………嬲られたいんです……?」 「きみ、しつこそうだからな。あの時のキスも相当にしつこかった。アレ以来、僕はきみに嬲られたい欲望を持て余して困っている――と言ったら夜の相手をしてくれるか?」 「しません」 「だろうな。きみのそのクソ真面目な所が好きだ」  ふふ、と軽やかに笑って、藍色の男は颯爽と俺から離れてしまった。  どこからどこまでが本気なのか、いや、きっと全部本気なのだろう。本気だから、こちらは困る。 「さっさとこなしてしまおう。失踪事件の詳細を把握し、ジェット殿には早急に帰ってもらわないと僕が困る」 「……ジェットが俺の部屋に居候しているから?」 「そうだ。きみを口説く時間が減る」  まったくこの人は本当に無駄に格好よくて、それがとても、困ったことに可愛らしくて俺にとっては頭の痛い事だった。

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