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16◆オプシディアン|夜の子供
オールウォールの宿に戻った時、すでに日はとっぷりと暮れていた。
ジェットは宵の民の使者として、もう少し詳しい話が聞きたい、とラ・トス・トスに願い出た。
宵の国から出た俺はともかく、今もそこで暮らす純血のジェットには、ひどく衝撃的な話だった筈だ。さらに詳しい話を、とせがむ気持ちもわからなくもない。
それならば俺も残るべきかと思案していたところ、テラヘルツも残りたい、と言い出した。
ジェットを一人にしておくよりは、誰かと共にいてくれた方がありがたいがしかし――と一瞬躊躇したものの、珍しく真剣な顔をしたテラヘルツに『ぼくが残る』と言いきられてしまい、結局オールウォールまでは俺とアラスタのみが戻ってきた、というわけだ。
ただでさえ閑散としている宿の部屋は、二人だとかなり広く感じてしまう。
部屋に掛けられた宝石ランプは古く簡素で、今にも消えてしまいそうなほど弱々しい灯りが室内をぼんやりと照らす。
やっと、少し冷静になってきた。
間の国は蒸し暑く、頭がうまく働かない。
しかし現人類であるラ・トス・トスにとってはどうやら適温らしかった。『ぜひきみをグラスウォールに招きたい』と申し出たところ、『寒くて無理』と事も無げに断られてしまったからだ。
俺もジェットも、辺境地を寒いと感じたことは無い――どうやら宵の民は、随分とこの場所の環境に慣れてしまったらしい。
テラヘルツはともかく、ジェットは体調を崩したりはしないだろうか。少し心配だ。明日の朝には帰る、と言っていたが……。
「……あんまり考え込んでいると、無駄に疲れるぞ」
ふと、部屋の隅から軽い声が飛んできた。
水を汲んでくる、と言い置き部屋を出ていたアラスタだった。
「あの場所は相当暑かったからな、僕はともかく、きみは水分を取ったほうがいい。……飲ませてやろうか?」
「ご冗談を。別に俺は、具合を悪くしてぶっ倒れたわけではありませんよ」
「その割には随分と青い顔をしている。……きみにとって、そんなに衝撃的な話だったか?」
さらりと言葉を並べ立てる有能な男は、ひとときの動揺をすでに飲み込んでしまっているらしい。感情を引き摺らないところも、彼が有能な証だ。
「十分に衝撃的です。今やこの土地の大半を占拠している明の民が、実は宵の民の愛玩動物だったなどと言われては……長年信じていた常識が、根底から覆ります」
「始まりはそうだったとしても、現状には何も関係ないだろ。過去
僕らがペットだったとして、じゃあ今からペットに戻れと言われても困る。そんなものは知らぬ時代の話だ」
「それは、そうですが……」
「想像するに、きみは別の話題に衝撃を受けているんじゃないか?」
――俺の向かいのベッドに腰かけたアラスタが、臆せず軽々しく予測する。察するに、聡い彼はすでにその正解に心当たりがある様子だ。
別に求めちゃいないが、本当にデリカシーというものを持ち合わせていない人だ。
だが、故に話しやすく、こちらも気を遣う必用が無いともいえる。
「きみは、宵の国に未練はない。だが逆に明の国自体への恩義もない。きみが心を砕いているのは、過去の部下や友人たち、そして今の仲間たちだ。要するに僕と同じだ。それなのに、ラ・トス・トスのモノガタリにひどく動揺していた。僕が予想するに――あ、いや……これは、踏み込むべき話題ではない、のか?」
「今になって怖気づかないでください……個人的な話とはいえ、必要な情報は共有すべきだったと今は反省しています。いくら父に口外禁止を固く言いつけられていたとしても」
「……そうか。言ってはならぬと言われたら、きみは守ってしまうだろうな。だから誰にも言わなかったのか――きみの母親は、カイヤ妃だな?」
易々と、しかし珍しく少々言いにくそうに、アラスタは俺の秘密を暴いた。
出会った頃に、俺を宵人だと見抜いたように。
いかようにも、誤魔化すことはできた。そうやって危うい追及を逃れたことは幾度もある。
しかし俺は抵抗する気力はなく、言い訳を並べ立てて逃げるつもりももはやなかった。
「そうです。俺の母は宵の国の先代国王第一婦人、カイヤ・フジツギです」
俺は混同種《ハーフ》だ。
しかし両親は宵と明ではなく、宵と正体不明の種族の混血だった。そう、母の正式な種族は長らく不明だったのだ――つい先ほど、祖先を名乗る怪しい男からの信じがたい話を聞くまでは。
「……カイヤ妃ときみに共通した既視感は、宵人の特徴ではなく、親子の面影そのものだったんだな……」
「結果的に俺は半分宵人なのですから、間違ってはいませんでしたよ。カイヤ妃は黒い髪をしていませんでしたが、しかし生活の基本は宵人と同様でした。火を恐れず、獣と作物を食し、番で子を産む。だから彼女と同じく黒い特徴を持たなかった俺も含め、『特殊な変異か何かだろう』と言われ続けていました」
「僕と同じだな。生まれる筈の無かった色を持って生まれた異型だ。しかし僕は本当の意味の外れ値だったが、きみにはきちんと理由があったんだな……」
母は、宵人ではなかった。
遠く過去から目覚めた、今はもう変質してしまった宵人の祖先だったのだ。
「きみも、幼いころは差別されたのか?」
唐突に尋ねられ、真剣に聞き返してしまう。
「どうして?」
「カイヤ妃は、時折そう零していたからだ。私はいつもよそ者で、皆少し距離を置く、と」
「ああ……確かに母はかなり、規格外の人だったと聞いています。きっと宵の民にも差別されたことでしょう」
「きみは実母に会ったことはないのか」
「ありません。彼女は俺を産んだ直後、明の国からの要請で王宮に住まいを移しました。この国には婚姻の制度はありませんが、当時の王弟とパートナーの契約を交わしたとのことなので、まあ、実質的には輿入れした、ということでしょう」
「他国の王妃だろ? きみの父上は、よくもそんなとんでもない要求を呑んだな……」
「母が――カイヤ様が自ら望まれた、と、俺達は聞かされています。幼いころからコンドライトは『弱気な父が屈しただけだ』と蔑んでいましたが、ラ・トス・トスの話を信じるならば、カイヤ様は明の国を正す為にあえてその身一つで乗り込んでいった、と考えるべきでしょう」
「豪胆な方だ。……いや、そういえば、随分と元気で強い老人であったよ、彼女は」
「……貴方は、俺の母と懇意でしたね」
「懇意というか、うーん……まあ、王宮に居場所がない者同士、同情されていたんじゃないだろうか……」
「曲がったことが嫌いな人だった、と父が懐かしんでいた記憶があります。きっと母は、貴方のまっすぐで豪胆な心根を好いていたのでしょう」
「そうだったら光栄だ。僕は、随分と彼女に救われたし、今でもカイヤ妃を尊敬している。……だからこそ、この国の滅亡は避けたい、と願う」
両手を組み、視線を床に落としたアラスタは、殊更真剣な声色で告げる。
「正直なところ、僕は王都の人間が苦手だ。好きではない。なにせろくな思い出もなければ、唯一親切だったカイヤ妃はもう鬼籍に入ってしまっている。国が滅び民が殺されるぞ、と脅されたところで、勝手にしたらいいじゃないかと易々と答えられる程度には、思い入れもない」
「あー……それは、まあ、わからなくもないですね……。俺とて、王都に特に思い入れはありませんから」
「だが、グラスウォールも巻き込まれるとなれば、別だ。それに、きみの母君は宵も明も辺境地も王都も、すべての民を救うために奔走したのだろう? 今の僕は嘘偽りなく、ラ・トス・トスと同じ気持ちだ――僕は、誰にも死んでほしくない」
「……俺も、同じ気持ちです。ですが、一体何から手を付けるべきなのか――」
「王都に直接殴り込んでも叩きだされて終わりだろうな。政治的な力関係や動きについて、僕はあまりにも無知だ。早急にラリマー卿のお力を借りる他ない。カイヤ妃はその身一つで殴り込んでどうにかしたらしいが、並みの民ができることじゃないだろうな。僕達は、僕達のやり方で正さねば。……と思うがしかし、時には休息も必要だ」
「…………アラスタ?」
ふいに彼が立ち上がり、迷うことなく俺の膝の上に跨る。俺は相変わらず疲弊していて、抵抗どころか何が起こったのか、咄嗟に理解することもできずに固まった。
「あの、何を、」
「休息だ。きみ、さっきも言ったが顔色が悪すぎる。真面目な所はきみの長所だが、真面目過ぎる性格は少々見直した方がいいんじゃないか? 男は多少ダメなくらいが可愛い――と、ヴァーダイトはよく言ってるぞ?」
「そ、れは彼女の趣味というか、ほぼアンバーの事でしょう……。あの、どいていただけますか……」
首に両腕を回され、冗談では済まされない程密着する。いや、以前何度か戯れた事があるとはいえ、二人きりの寝室の中で、こういう行為はいかがではと俺は思う。
……何より今は、心が弱っている自覚がある。
心遣いはありがたいが、あまり甘やかされると自制がきかなくなりそうで怖い。
「退く? 何故? 嫌だが?」
それなのに、至近距離でメンチを切る美人は俺を解放してくれる気配など微塵もない。
「ディアン、きみはちょっと真面目すぎだ。僕に言われたかないだろうが、いや、僕ときみは別方向で不器用というか仕事馬鹿なんだろうが、とにかく今は考えることをいったんやめろ。テラヘルツがよく言ってるだろ……不安や心配は感情の無駄使いだと」
「あいつは、少し、極端なんですよ……確かに起こるかわからないことに心を砕いたところで、無意味だというのはわかっています……ただ、今日は本当に、あまりにもショッキングな話が多すぎて」
「だから一回そこから目を逸らせ、と言っているんだ。どうしても考えてしまうというのなら、別の事で気を紛らわせろ。オールウォールには、グラスウォールにない珍しい遊びや店はないのか?」
「……どうでしょうか。ざっと見た感じ、民の生活はあまり豊かには見えませんでしたが……」
「王都での遊興といえばボードゲームと娼館遊びだろ。きみはどちらも興味ない?」
「はあ、別段、興味はありません――あの、アラスタ、あなたは俺の事を好いていらっしゃる筈では……?」
「好きだが、何か?」
「……俺が娼館で遊んでも、気にならないんですか?」
「気になるというか、きみに抱かれる女の事を思うと歯ぎしりしそうにはなるな。しかし僕にきみを止める権利はないだろ」
「この体勢で、それを言えてしまうところが、なんというか、貴方らしい、とは思いますが」
てっきり、自分の身体を使って遊べと迫られているのかと思った。己の浅ましい勘違いに恥じ入っていると、少し目を細めた美丈夫が首を傾げる。
「なんだ……誘惑しても良かったのか?」
「……………ゆ、」
「きみ、かなり参っているみたいだったし、あまり負担をかけちゃ悪いと思ってたんだが……つまりこのまま押し倒しても僕は怒られないということか、そうか、成程、よいことをきいた」
「アラスタ、冗談は……」
「僕に冗談のセンスはない。きみの事に関しては、いつだって本気だ」
まっすぐに見つめられ、視線を外すことすら許されないまま、彼の唇が重なる。
間の国の熱をまだ逃がしきれていない体は、お互いに妙な熱をもっているように感じた。
ほんの少し唇を離したアラスタは、身体を引くことなく鼻先が触れ合う距離のまま声を潜めて囁く。
「……それとも、僕なんかの身体では、きみを満足させられないか?」
「…………本気で、言ってますか、それは……」
「宵の民は同性で性行為しないだろ? 明の民はシーズンを解消するためなら男女の境など無いも同然だ。まあ、元々はニンゲンの愛玩用品だったというのだから、そこはどんな主人にでも対応できるように嫌悪感などは切り捨てられたんだろう。だがきみは、男相手では勃たないのでは?」
「勃、つか、どうかはわかりませんが、貴方の誘惑は俺にとって耐えがたい程魅惑的ですよ……」
「……珍しく、耳に甘い事を言うんだな。さてはきみ、とんでもなく疲れているな?」
「疲れています。考えることが多すぎて、頭がおかしくなりそうだ……だから、」
「う、わっ――!?」
俺の太ももの上に伸し掛かっていた身体を、勢い任せて抱きしめベッドの上に押し倒す。心底驚いている顔が素直に可愛い。ああ、くそ、疲労で自制心が死んでいる――ただ、感情が湧き上がるままに可愛いと思ってしまう。
「心底、大変な一日でした。心身ともに限界です。だから、貴方がいてくれて、良かった」
「…………すわ、ついに獣のように襲われるのかと期待したが、そんな真摯な礼を頂戴するとは思わなかった……きみ、本当に真面目すぎるだろ」
「疲れていますが理性くらいは保てます」
「そんなもの投げ捨ててしまえばいいのに」
「……この国と民の未来が掛かっているというときに、こんなところで貴方に無体を働くわけには――」
「それはどうでもいいだろ。別に僕達が今寝る間を惜しんで走ったとて、明人の愚行をすぐに止められるわけじゃない。例え誰が死に瀕していようと、きみは食事をして、睡眠をとり、仕事をして友人と笑いあっていい。普通に生きていいんだよ、ディアン」
「…………アラスタ」
「なんだ?」
「キスをしてもいいですか?」
「さっきしたじゃないか……それ毎回訊くのか、きみは」
「先程の可愛らしいキスではなく、もっとしつこいキスをしてもいいか、と尋ねています」
「………………きみの睦言は独特なのに耳に甘くて困る」
珍しく恥ずかしそうにする様を見るに、おそらくこれは同意を得たと判断していいのだろう。
さすがに旅先でこれ以上の痴態をさらすつもりはない。
が、疲労しきった俺は、今日くらいは多少甘えてもいい、と己に言い聞かせた。
この人の正しさが、少々自分本位な強さが、ひどく心地よい。
情報過多でおかしくなりそうな頭が、やっと少し楽になる。
結局もう勘弁してくれ、と背中を叩かれるまで彼の唇を塞ぎ続け、その寛大さに大いに甘えて腕の中に抱き込んだまま眠りについた。これは明人と宵人故の相性の良さか、それとも彼と俺の相性が良いだけなのか――久しぶりに、嫌な夢も見ずにすっきりと起きた。
ただし、目覚めは最高とは言い難い。
グラスウォールの方向の空に、細々とした明るい色の煙が立ち上っていることに気が付いたからだ。
アレは、テラヘルツが開発した遠方への報告用の狼煙であり、美しい黄色が示すメッセージは『非常事態』だった。
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