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17◇アラバスター|私兵隊長

「ほ、ほんとに待たなくていいんですか!?」  慌てふためくアンバーの声は、動転しすぎて裏返っていた。 「構わん。あの色の狼煙は、今すぐに帰って来いという合図だ。元々何かあったら個人でどうにかしろと言ってあるし、テラヘルツはどうにかできる」 「も、もう一人の民の方は……っ!? 彼、平民じゃなかったんです!?」 「アレも一人前の兵士だ。うちの領民じゃないがな。どうにかするだろ」  必死に櫂を漕ぐ傍らそれだけ叫べるのは羨ましい。僕など、軽量化の宝石術を連続して発動しているだけでも息が切れそうだ。  だがしかし、テラヘルツとジェットを置き去りにするという選択は、僕も同意せざるを得ない。  直近、間の国とオールウォールで危機的な状況に巻き込まれる可能性は低い。問題があるとすれば帰りのアシがないことくらいだろうが、あの二人ならば協力してもしなくてもおそらく何とかなるだろう。  彼らはどうにでもなる。どうにかする能力がある。ならば、どうにかできていない方を優先すべきだ。  あのラリマー卿が『至急帰還せよ』などと大それたメッセージを送るなど、一刻を争う事態に他ならないだろう。  本来ならばラリマー卿も、『何があっても大概はどうにかできる』人なのだから。 「狼煙はいつから上がっていた?」  とんでもない速さで川を上る船の上で、ディアンは冷静に声をかける。昨日はあれほど動揺していた男だが、有事にはいっそ頭が冴えるタイプなのだろう。 「わ、わかりません、昨日は無かったっすよ……! 今朝明るくなってきてから周囲の確認をして……そん時も無かった、気がします」 「それならばまだ、上がったばかりか……? くそ、夜の名残があって邪魔だな」  清浄なる川は、夜になると凍てつく。うっすらと氷が張り、船の航行を妨げるのだ。  立ち上がったディアンは櫂で氷を砕きながら水を掻く。  僕の宝石術でどうにかできたらいいのだが、防衛以外には、この便利な術は役立たずだ。僕に今できることは、体力を温存しつつ少しでも船の重量を軽くする術をかけ続けることくらいだ。  やがて、周りの景色が徐々に変わる。  同じ辺境地とはいえ、気候も土地も違う。周囲には、テラヘルツに無理やり教え込まれた薬草が増え始めた。  グラスウォールが近い。 「副長、まずは宿舎へ……!?」 「いや、狼煙の袂に行く。見たところ規定通り複数個所に分けて炊いている様子だが、先ほどまた新たに狼煙が上がった。そこを目指す。アラスタ、生きてますか?」 「安心しろ、酔っている余裕もない」 「貴方は船に残っていても――」 「冗談はよせ。僕が行かねば、誰がきみの無防備な身体を守るんだ」 「……言い方……」 「本当の事を言ったまでだ。……対岸は静かだな。宵の国関連のごたつきではないのか……?」  ……宵の国は、ディアンと僕がグラスウォールを離れていることを知っている可能性が高い。  その隙を突いて何か仕掛けてきたのかと勘繰ったが、よくよく考えれば優秀な私兵隊のうちたかが数人不在になったとて、グラスウォールの戦力は変わらない。  ならば、この騒ぎの原因は、何だ?  嫌な予感がする。僕は生まれてこのかた、予感や予兆など感じたことなどない。しかし今僕は、己の首筋を這い上がる不快な悪寒のような感覚に、心臓の音を速めた。  やがて見覚えのある小さな船着き場に到着した。  あたりは特に、変わった様子もない。ただ森を越えた領地のあたりが少々騒がしいような気もする。 「こっちです。足元に気を付けて」  ディアンに先導され、藪道を走る。貴重な薬草を何度か踏みつけたが、今はそんな細かい事に構っている余裕はなかった。  やがて、視界が少々開けると共に――。 「アラスタ様……っ!」  小さな少女がダイナミックに僕の胸に飛び込んできた。すっかり僕の侍女、というか最近は弟子扱いになっているトリンだ。 「良かった……良かったです、よくぞご無事で……!」 「僕は無事だが一体何事だ!? ここにいるのは、宿舎の女中ばかりじゃないか……! 私兵隊の連中はどうした!?」 「た、隊の方々は今、宿舎をお守りいただいていますぅ……っ! どうしても手が足りず、わ、私達が志願して、シリシャスシスト隊長のご指導の元、狼煙上げをさせていただきました……っ」 「シリシャスシスト?」 「遅いッッッ……!」  唐突に、馬鹿でかい声で一喝された。  耳障りな声は振り向く必要もなく、私兵隊長殿の声だとわかる。なにせ僕はこの地に来る前から、彼の声にはずっとうんざりしているのだから。 「一体何をしていたんだ!? 領地の緊急事態だぞ!?」  女中に囲まれ、腕を組み仁王立ちをしている赤毛の男に、僕が反論しようとする前にディアンに制される。 「……申し訳ありません。狼煙を確認しすぐにオールウォールを発ったのですが、夜の名残がどうにも多く、無駄な時間を要してしまいました」 「言い訳は――」 「そうですね、言い訳をしている時間も勿体ない、ご尤もです。隊長の仰る通り、まずは現状確認を急がせてください。一体、何事でしょうか」  相変わらずあの馬鹿の扱いがうまい、と感心してしまう。  しかし僕が冷静に周りを見ていられたのはここまでだった。  シリシャスシストはディアンの言葉に乗せられたのか、それとも本当に余裕などなかったのか――とんでもない事をさらりと口にした。 「昨日、陛下が官軍を引き連れてグラスウォールに入られた。陛下の要求は『元宮廷術師であるアラバスター・フェルエナの引き渡し』だ」 「………………………は?」  僕の間抜けな声だったのか、ディアンの声だったのか、わからない。同時に口を開けていたかもしれない。それほどまでに、シリシャスの言葉は意味が分からなかった。 「なんだ、それは、? は? そもそも陛下、というのはカラカッタ王女か!? 陛下自ら辺境地に!?」 「異例ですね、官軍の視察すらほとんどないというのに」 「ここに流したのは、王宮の決定だぞ? 流した民の回収など……そんな事あり得るのか?」 「……俺は聞いた事はありません。過去に同様の事があったのかは、存じませんが」 「無い。一度も無い」  きっぱり、と、シリシャスシストは言い切る。 「カラカッタ王女陛下は昨日、官軍三百名を率いてグラスウォール領地に入られた。そしてアラバスターの引き渡しを求めラリマー卿と会談し、ラリマー卿はこの要請を拒否した」 「…………あの人は、なぜ、そんなことを……」  僕一人の為に領地の民を危険に晒したということか? そんな選択をするような方ではないのに、と訝しむが、ディアンは冷静に眉を潜めただけだ。 「いえ、妥当な対応です。そもそも、正式な人事なら先に書状を出すべきです。王都からの書状は全て把握していますが、ここ最近は作付け面積の拡大要請と献納作物増量の書類くらいしかありません。ラリマー卿ならば『正式な書状を寄こしてから出直して来い』という内容を角が立たぬ程度に遠回しに伝えるでしょう」 「……で、角が立ったから大事になった、ということか?」 「そうだ。話し合いから数刻後、官軍は領地の家々の『強制捜査』を始めた。領主の態度を不敬とし、正しい民であるかどうかの確認として、と言い張っているが探し物はおまえ(アラバスター)だろ」  つっこみどころが多すぎて、頭がおかしくなりそうだ。  いや……考えてみれば王宮の者たちは皆それぞれうっすらと馬鹿だった。  それは僕が見ている世界が狭すぎる故かと思っていたが、グラスウォールが正常に平和を保っていられた理由はひとえに王宮の政策に問題が無かったのではなく、ラリマー卿始め、流された民の自治がうまくいっていただけなのだろう。  現に、隣の領地であるオールウォールは、上納分の作物が用意できずに労働で疲れ切っている様子が伺えた。  国が正常に運営されていたことなどないのだ。  元々僕ら明の民は頑丈であり、飢えを知らぬ故に、ある程度適当な環境でも問題なく生きていけるだけだ。  しかし馬鹿はついに、王都という囲いから出てきてしまった。 「傾国のブローチなどに今更なんの価値があるというんだ……? 僕はカラカッタ王女と親しくした記憶もないし、王都に僕を慕うような友もいないのに」 「カラカッタ王女は、前陛下を随分と憎んでいるという噂が届いておりましたが――スタトゥアリオ前陛下への制裁として貴方が必要になったのでは……」 「まあ、流したのは実際スピネル宰相だからな。陛下が何をお考えか僕にはわからんが、ひどい無茶を押し付けているということはわかる。……ラリマー卿は今どんな状態なんだ」 「領地の民を出来る限り避難させ、ご自身は宿舎にて私兵隊の指示を取っておられる。私はのろし上げに志願した女中たちの護衛、そしてきみたちへの指示をだす上官として森へと分け入った!」 「それは、まあ、勇敢な選択だな……」  僕の台詞は決して嫌味ではなく本心だった。  森は実際のところ危険な場所だ。宵の国との緊張も高まっている中、非戦闘員である女中だけでは心もとないどころかだいぶ危ない。  正直、このような場面ではシリシャスシストは宿舎に籠城するものと思っていた。僕の認識では彼は、大言壮語なだけのプライドの塊男だったからだ。  しかし赤毛の男は変わらず居丈高に胸を張る。 「ディアンは私と共に来い、一刻も早くラリマー卿のお力にならねばならない! アラバスター、きみはさっさと逃げろ!」 「…………逃げ……え、逃げていいのか? きみは僕を疎んでいると思っていたが」 「疎んでいる! ハッキリ言って苦手だし嫌いだ!」 「ハッキリ言いすぎだろう……」 「きみは十分人気者なんだから、私一人に嫌われたところでどうでもいいだろ!? いいか、アラバスター、私はきみを、辺境地私兵隊として認めてはいない! だがきみも、この地に流されてきたひとりの民だ! 辺境の民は! すべて! 私兵隊が守らねばならない!」  これまたはっきりと言い切った男の啖呵に、僕はしばし言葉を失った。  そしてやっと、ラリマー卿やディアンが再三繰り返していた言葉を思い出し、初めて納得した。  シリシャスシストは面倒で迷惑な男だ。しかしもある。 「成程――貴殿の『いいところ』をやっと理解した」  見栄っ張りでプライドは高いし頭も悪い。  だが、その分誇り高く、部下や民を守る為ならば痛みを恐れない。  ラリマー卿はいつも零していた。ここはゴミ捨て場だと自嘲しつつも、同じ口で、慈しむような声色を滲ませて。 『みんな捨てられたのは無能だからって思ってるみたいだけど、そんなこたぁないよ。適材適所ってあるんだし、何が自分に合っているかなんて、やってみなきゃわかんないんだし。本当の意味で無能な民なんて、いないと思うよ、私は』  ……きっとそうやって、グラスウォールの民はラリマー卿の元で個性を伸ばしてきたのだろう。何事に対しても大抵ダメだが、民を守る事にだけは長けているシリシャスシストのように。  僕も共に戦う――と言いたいところだが、この件に関してはシリシャスシストの指示は的確だ。僕は領地外、できれば宵の国付近で身を潜めた方が良いだろう。 「シリシャスシストの指示に従い、僕は身を隠そう。女中たちの警護を務めつつ、場合によっては宵の国へ渡る」 「……すみません、お守りしたいところですが、俺はラリマー卿の元へ参ります」 「いい、防御に関しては僕の方が上だ、気にするな。ラリマー卿のところにはヴァーダイトがいるだろ? 彼女がついているなら僕が出しゃばる必要もない。……ディアン、死ぬなよ。僕の寿命をあと数刻にすることは許さない」 「心得ております。俺も貴方の宝玉の色を見たくはない。どうかご無事で」  一度だけ頷き、眼前に上げられた彼の腕に、己の腕を勢いよくぶつける。本音を言えば思い切り唇に食らいつきたいところだったが、そのまま女々しくも離れがたくなりそうだったので我慢した。  そんなものは、すべてが終わってから思う存分やればいい。  この時の僕は、僕達の生活は必ずもとに戻ると、軽々しくそう信じていた。

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