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19◇アラバスター|上都

 辺境地では、随分と好き勝手に過ごさせていただいていた。という事実を、首に感じる息苦しさで実感する。  詰襟の正装は酷く窮屈で、ぴったりとしたインナーは腕が上げにくく、外套は重すぎる。  機能性を一切無視したデザインに苦笑どころかため息も零れない。くそ、きっちりと編み込んだ髪のせいで俯くとうなじの皮膚が引っ張られて痛い……。 「いやーきみたち本当に目立つねぇ~」  先に船を降りたラリマー卿が振り返る。いつも通りの、まったりとした無表情だが、さすがに少々緊張が滲んでいるように思えた。  ラリマー卿にしみじみと見つめられた僕とディアンは、おそらく同じ理由で眉を潜める。こんな格好、褒められたところでまるで嬉しくもない。仕事ぶりを評価された方が百倍ありがたい。 「俺は普通です。まあ、黒い瞳とブラウンのオッドアイが少々珍しいだけでしょう」 「きみは眼帯をしていたとて十分目を引く。僕は髪が白いからだろ」 「……本当に薬を飲まなくてよろしかったのですか」 「いい。僕は今日壁の花に徹するわけじゃないからな……多少はインパクトがあった方がいい。……トリン、足元気をつけろよ」  朝から三回程ドレスの裾を踏んでよろけているトリンに手を貸し、抱き上げる勢いで引き寄せる。青い顔で礼を言う少女の後ろからは、同じくあまり楽しくなさそうな背の高い女性が顔を覗かせた。 「うーわ、懐かしい……もう、全然嬉しくないですねぇ。いっそこんな光景さっさと忘れたいくらいだってのに……」 「ヴァーダはこのあたりに住んでいたのか?」 「あたしは娼館の住人でしたから、家はもっと外れでしたよ。でも、お得意さんがよく外での逢引を強要してきたんで、まあ、色々な場所に良くない思い出がたんまりあります」 「……悪かったな、つき合わせて」 「いえいえ。旦那の長身に合う女はあたしくらいですからね」  しっかりと髪を結い、化粧を施した女性二人は、普段の仕事っぷりからは想像できない程真っ当で無力な淑女然としている。  王都、中央区付近の船着き場である。  辺境地グラスウォールの領主、ラリマー卿は本日、カラカッタ王女陛下の戴冠式に出席するために王都へと馳せ参じた――という名目になっている。  王宮ではほとんど毎日といって言い頻度で、何かしらの催しが開催されているものだ。ありとあらゆる招待状が王都の中を行き交い、時折そのおこぼれのように辺境地まで届くこともある。  ラリマー卿はその全てを一切視なかったことにしていたらしいが、今回初めて重い腰を上げた。王都から、術師アラバスターの返還要請が正式に届いた為だ。  あの書状が届いた時は、大変だった。  ラリマー卿の執務室で内容を共有した途端、ディアンは珍しく怒り狂うし、テラヘルツは笑い転げるし、ラリマー卿に至ってはそっと机の中に仕舞って見なかったことにしようとした。  いや気持ちはわからなくもないが、無視という選択肢を容赦なく選ぶ領主はいかがなものか……。  とはいえ、『勝手に押しかけて勝手に領地を荒らした賊まがいの君主なんて、誰が従えっていうの』という言い分には反論できない。宵の国の者たちの方がはるかにまともだ。  しかし明の国の土壌で暮らしている以上、王宮の命令に歯向かうことなどできない。辺境地は広く民も多いが、宝石術を使う官軍が一気に攻めてくれば無論、抵抗する余地などない。  カラカッタ王女陛下直々の書状は、以下の通りの内容だった。  アラバスター・フェルエナのグラスウォールへの追放は前宰相の陰謀であり、王宮の真意ではない。  誤った命令をただちに破棄し、アラバスター・フェルエナを王都に返却せよ。  とのことである。  ……なんというか、すごい。微塵も謝罪していない。  勝手に命令を反故にしたことも、そして、先日の侵略まがいの王女の暴走についても。辺境地の民に王都の民が頭を下げることなど、想像すらしていないに違いない。  ラリマー卿はこの要請を二度程無視し、そして三度目でようやく僕達に共有したそうだ。そういう事は初回に報告してほしく思う。いくらそれが僕の為と言えど、信頼を失い損をするのはラリマー卿だ。 「いやぁ、だってさ、どう考えたってさ、きみを差し出すメリットないし、え、帰りたい? 帰りたくないんでしょ? じゃあよくない?」  などと仰る卿に頭を抱えたのは僕とディアンで、テラヘルツはずっと笑っていた。とはいえ、王宮の命令を無視し続けるわけにはいかない。  何故王女が僕の身柄の返還を求めるのか、その理由に全く心当たりがない。理由がわからないので、交渉のネタも、反撃の準備もできない。もういっそ、直に問いただす他ないだろう。  勿論この僕の提案は、(主にディアンとトリンに)全力で反対された。  最終的に『オールウォールと間の国がごたついてる間に手を売っておくべき』という僕の意見に、皆渋々納得した様子だった――いやたぶんディアンは納得していないだろうが、一応説得はされてくれた。ものすごく嫌そうだったが。  というか今も大変嫌そうだ。  テラヘルツとシリシャスシストに領地を任せ、僕達一行は王都へとたどり着いた。何日ぶりかわからないが、まあ、別にいい気分ではない。おそらくディアン以外の全員が同じ気持ちを共有していることだろう――己を捨てた麗しい都に、何の未練もない。  戴冠式への参加ということで、我々は皆正装を強いられた。  下げ髪は禁止されているので、朝から女中に囲まれて散々髪を弄られた。  僕はまあ、普段から邪魔で結い上げることもあったので違和感はないが、緩い三つ編みが板についていたディアンがさっぱりと髪を結わえている様は正直とてもいい。新鮮でいい。その髪型も良い。うん。  その上宝石品以外の装飾が禁止されている為、彼は眼帯も外していた。普段は隠れている左の瞳は、コンドライトの吸い込まれる黒い瞳と瓜二つだ。  黒髪黒目の明の民も存在はするが、すぐに流されるし、グラスウォールに流れついた民に関してはテラヘルツの薬によって多少なりとも色を薄めることができた。  だがディアンは宵の民だ。宝石術の加護が効かないのと同じように、テラヘルツの薬も全く効果がない。故に物理的に隠す他なかったというが……今日の彼は、白い髪を隠さぬ僕と同じように堂々と、黒の左目を晒していた。  今更疎まれたところで何だというのだ。  白い髪も、黒い目も、王都はただ追放し見なかったことにして終わるだけで、流された民の生活は辺境地で続いていくのだ。居なかったことにされた僕達だが、命を終えたわけではない。  じろじろと、彼の顔を見すぎたかもしれない。  僕の視線に気が付いたディアンは、ラリマー卿を先導しつつ顔を顰めた。 「……黒の瞳が、珍しいですか?」 「いや、別に。ただ、きみが眼帯をしていないのが珍しくて眺めてしまう。……両の目が揃うとなんというか、端正だな……きみ、そんなに美人だったか?」 「美人に美人と言われると落ち着きませんね。もしや眼帯を外して真摯に口説けば、今日の王都行きは阻止できたんでしょうか」 「なんだ、まだ怒ってるのか?」 「怒ってはいません。反対しているだけです。ラリマー卿はともかく、貴方は領地に残っているべきでした。俺は貴方を危険に晒したくはない」 「僕だって同じだ、ディアン。僕は、きみと、きみの家族を守りたい」  家族、という概念は、明の国には存在しない。  これは宵の国で知った言葉だ。  家族――血を分け、慈しみあい、助け合う集合体。僕には家族はいないし、ディアンの本当の意味での家族もこの国にはいない。けれどきっと、彼にとってラリマー卿を含む辺境地の人々は、かけがえのない『家族』と同じものなのだろうと理解していた。  僕は、彼を守りたい。  故に、王都へと帰ってきたのだ。カラカッタ王女の真意を見極める為に。  何度も繰り返した問答だ。しかし何度も僕はこの主張を曲げず、その都度ディアンは心底悔しそうに息を吐く。  彼は本気で僕の身を案じているだけだ。しかし同時に、グラスウォールも彼にとっては大切な土地だ。 「……そう案ずるな。少なくとも僕は王都に帰るつもりはない。僕はきみに誓っただろ。グラスウォールに尽くすと。僕を信じられないのか?」 「貴方の事は信じています。王都のすべてを疑っているだけです」 「いい心がけだ。だが誰も彼もにガンを飛ばすのをやめろ、きみの真顔は存外に怖い」 「睨んでいません。機嫌が悪いだけです」 「機嫌が悪い自覚はあるんだな……」 「ちょと、ほら、そこ、痴話喧嘩しないの。もうこっから先王宮だからね、男二人でいちゃついてないで、レディーのエスコートしたげなさい」  ラリマー卿に窘められ、渋々僕らは女性陣に肘を差し出した。  王宮への私兵隊の入場は許可されていない。戴冠式の参加者として、パートナー同伴でしか参加を許されていないのだから、仕方ない。  領地を出る前から顔面蒼白だったトリンは、今やぶっ倒れそうな有様だ。可哀そうで申し訳ないが、元王宮のメイドだった彼女しか正式な作法を知らなかったので仕方がない。 「……落ち着け、トリン。大丈夫、どこからどう見ても完璧な淑女だ」 「だっ、あっ……あ、アラスタ、様、わたし、あのっ……」 「息を吸って吐け、死ぬぞ……」 「…………王宮に、まさか、戻る日が、来るとは、思っていなくて……お、おなかのあたりが、ぎゅっとしますー……」 「わかる。僕も若干吐きそうだ。もう毒気からは解放されているというのにな。ここで待つか? 具合が悪いなら、言い訳にはなる」 「いえ……い、行きます、わたし、わたし……にも、グラスウォールを守るお手伝いが、できるなら……っ」 「僕とディアンの髪を麗しく結い上げただけでも十分な功績だ。その上こんなところまでついてくれくれて、感謝する。きみとヴァーダの安全は、何よりも優先すると誓おう」 「いいいいえ、わたし、わたしはいいんですっ、アラスタ様はアラスタ様の安全を第一に……っ」 「私の安全は……?」 「ラリマー卿は自力でどうにかなさるでしょう。知っていますよ、貴方は宝石術つかえるじゃないですか」 「ふふ。ばれてーる。でも得意じゃないんだよ、本当だ。ていうか得意じゃないからね、宝石術が使えなくてもみんなが便利になるようにって安全に熱を生み出す道具を開発しようとしたらね、不敬だっつって流されちゃったんだよね~私が宝石術不得意なばっかりに」  いやそれは、不得意とかは関係ないのではなかろうか。  まあ、宝石術至上主義の王宮がそのような判断をしたことについては何の疑問もないが。おそらくテラヘルツも、似たような理由で追放されたのだろう。  宝石術が出来ぬ人々。宝石術に頼らぬ人々。そういう民が、辺境地で必死に生きている。 「よし、じゃあ行こうか。お洋服汚れてない? 大丈夫? 足震えてない? 私は震えてるよ、みんな一緒だ。みんなね、他人の命優先みたいなツラしてるけどよろしくないからね? まずは自分を守る事。だってみんな、ここにいる子の誰一人だって欠けてほしくないでしょう?」  まったくその通りだ。  ラリマー卿は非常に彼らしい発破をかけて、僕達全員の顔を見た。  刺さる視線に針の筵のような気分を味わいながら、僕達『グラスウォール一行』は華やかな王宮の扉を潜る。  周囲のざわめきが、気のせいではなく一瞬静まる。まあ……噂の辺境伯爵と元ブローチに加え、黒い瞳の男が同行しているとなれば、針の筵状態も致し方ないだろう。  戴冠式はまだ始まっておらず、ゲストは各々、優雅な時間を過ごしている。王女は今頃まだ、支度の途中か――そう思い少し肩の力を抜いたところだった。 「アラバスター様……!」  甲高い声が、広いエントランスに反響した。  反射的に顔を上げると、眼前の豪奢な主階段から軽やかに駆けてくる少女が見えた。  明の国の現在の主上、カラカッタ王女陛下だ。  白い滑らかな髪をなびかせる様は、健康的で美しいがしかし、この場には些か不釣り合いだ。戴冠式への準備の途中で抜け出してきたのだろうか? さすがに下着姿というわけではないが、手袋も髪留めも着用していなかった。  まるで生き別れの恋人を出迎えるかのような彼女の笑顔に、僕は違和感を覚え、歩みを止めた。  一生懸命頭を捻るが、僕と彼女にそれほどまでの信頼感があるとは思えない。何ならグラスウォールへの不躾な侵略未遂のせいで、彼女に対する信頼など微塵もないが……。  嫌な予感がひしひしと這い上がる。  僕は……僕はこの、押し付けられる好意のようなものを、知っている。  魅了加護。  僕に生まれた時から備わっている、抗えない呪いに惑わされた者たちは、大抵同じ反応を示す。全く話したことも無い、信頼など築いていないにも関わらず、彼ら、彼女らは僕の顔を見るだけで、全力で好意を押し付けた。  ……そう言えば、彼女に会った時の僕はまだ、魅了加護に悩まされていた筈だ。最近はテラヘルツの薬のおかげでひどく快適になった。そのせいで、己の体質をすっかり忘れていた。  まさか、彼女が僕の返還を求めている理由は、魅了加護の呪いのせいか?  いや、そんな、まさか、一国の主が、己の感情を優先させるなんて――と言いきれたらどんなに良いだろう。最悪な事に、我が国の歴代の主君で名君と言われたものは、記録に残る限り宵の民(いや、性格には人間なのだが)であるカイヤ妃のみだ。  きっと我々は、国を作ることに向いていない。  生きる上での本能や欲求が薄く、寿命も長く、そして頑丈な僕らは、元々は人間達を守る為の生き物なのだから。 「アラバスター様、よくぞお戻りになりました……! 一報くだされば迎えの船を出しましたのに……!」 「…………カラカッタ王女陛下」 「そんな、昔のようにカラカッタとお呼びください」  言い訳させてもらうが、僕は彼女を呼び捨てにした記憶などない。断固ない。  ラリマー卿とディアンが同時に驚いたように僕の方を見たので、彼らに向かって必死に頭を横に振った。一体、彼女の中で僕はどのような思い出補正されているんだ……。 「王女陛下、私は――本日、帰還の命について、その真意をお伺いしたく上都いたしました。こちらが上申書でございます。文官に預けますので、ご確認いただきたく――」 「上申……? ああ、先日の不敬に関しての申し開きでしょうか? そんなもの気にしないでください。私はあの程度の無礼は気にしておりません!」  にっこりと笑う。  彼女の顔を凝視したグラスウォールの民は皆、呆然としていた。  王女陛下は謝るどころか、そもそも、悪い事をしたとすら思っていない。  陛下自らわざわざ辺境地まで赴き、直命を与えたにも関わらず、それをあしらった無礼について、『不問だ』と仰ったのだ。  ……ディアンとヴァーダはよくぞ耐えてくれた。  トリンは吠えるタイプではないので心配していないが、残りの二人は案外情熱的な民だ。いっそ愕然と言葉を失っている様子だったが、ガチの不敬を働くことだけは避けたかった。  どれだけコケにされても構わない。言葉の刃など耐えれば過ぎる。問題は、話が通じるかどうかちょっと怪しい、という方だ。 「式の前にお会いできて僥倖でした! すぐに着替えをご用意しましょう。それは辺境の古い装いですから、アラバスター様には似つかわしくありません」 「私は、王都に戻るつもりは、」 「貴方の意志は問題ではありません」 「……………」 「この国は私を選びました。私が王なのです、アラバスター様。小さき宝玉の意志を、ひとつひとつ拾っていては日が暮れてしまいます……王とは、大いなる目標の為に、声を聞かずとも突き進むことができる勇気を持つものの為の座です」 「……民の声など、聴く必要はない、と」 「今まで、この国はそうやって栄えてきました。民は皆我儘です。すべてに耳を傾けても疲弊するだけ。私は正義なのですから、私は私を信じて貫けばいい。アラバスター様も、私の正義の為に必要な方です。ですから、王都から出ることは許しません」  なんと、見事な暴君か。  何もしなかった暗君を反面にし、そして突き進んだ結果がこれか。  そして考えうる限り、最悪の展開だ。  ……どう考えても、話が通じそうには思えない。なにより彼女は最初から『お前の話など聞かない』と言い切っている。  説得や交渉はどうやら、期待できなさそうだ。  少しでも彼女を貶めずに事を運びたかったが、その道は絶たれてしまった。ほらみろ、というディアンの視線が痛いが、漸く僕も腹が決まった。  きみがそのつもりなら、僕はもう、彼らを止めることは無い。  そしてその声は、まるで僕達の会話の切れ目を待っていたかのように絶妙なタイミングで割入った。  顔を向けなくてもわかる。僕は、その声を、人生の大半聞いて過ごしてきた。 「もう、やめなさい、カラカッタ」  ――そこに立っていたのは、懐かしい王の装いを纏ったスタトゥアリオだった。

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