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20◆オプシディアン|共存

 その人は、存外に美しい容貌をしていた。  白く輝く長髪は結い上げられていても目を引き、恐ろしい程整った顔面から視線を外すにはそれなりの努力が必要となる頬だ。  長身、長い四肢、小さな頭、細く長い指先。どれをとっても、一度目にしたら忘れぬ美しさである。  スタトゥアリオ前陛下――稀代の暗君と呼ばれ、勇気ある王女に敗北した『何も成さぬ王』。  そして、アラスタを籠の中の鳥として苦痛の中で拘束した男。  ……正直、なんというか、もう少し醜い見た目を想像してしまっていた。民の本質と外見はイコールではない。それは知っているものの、悪とは醜いもの、という概念がどうしても拭えない。  そもそも、彼が本当に悪だったのかすら、わからないというのに。 「見苦しい真似は控えなさい。まずはその格好……公務を控えた王のいで立ちではない」  柔らかな声で、しかしきっぱりとスタトゥアリオ前陛下はカラカッタ王女を咎めた。  おおよそ完璧な装いのスタトゥアリオと並ぶと、被髪を振り乱した王女はまるで親に怒られている子に見えた。  しかし王女は怯まない。 「何故お前がここに居る。見苦しい顔を民に晒すことを私は許した記憶はない」  さすが、『私の歩む道こそが国』と言い切った女である。……あんな言葉を口にすれば、コンドライトですら暴動に飲み込まれるだろう。  誰が上に立ったとてほとんど生活に変わりが無い(要するに食糧危機や命の危険がない)、温和な明の民だからこそ許される発言だ。  王など誰であっても構わない。今まではそうだった。  しかし人口増加がすべての民を危機に晒している今、間違いを見逃している余裕はない。 「カラカッタ、私はお前に『貴様は明の民ですらない』と断罪された。故に、明の王であるお前の命に従う必用はない」 「詭弁だ……罪人が、自分勝手な解釈で罪を重ねているだけだな。さっさと牢に戻れ。その装いと脱獄の手引をしたのはお前の世話係のスピネルか? あの女はどこまで私をコケにしたら気がすむんだ?」 「スピネル殿はお前を貶めるつもりはない。彼女なりに、お前を大切に思っての行動だ。アラバスターの追放も――」 「それが私の心を殺したのだ! 押しつけがましい好意など、ただのエゴではないか!」 「全くその通りだ」  一度肯定した前陛下は、ほんの一瞬こちらに視線を寄こした気がした。アラスタを見たのだろうか――しかし当のアラスタは、前陛下ではなく目の前で喚くカラカッタ王女をただ無表情に見つめていた。 「だが、お前も民に対して同じことをしている。お前の正義を押し付けている」 「民は個ではない。すべての民の言葉を聞くわけにはいかない。そんな時間はない。私は王になるべくしてなった。故に、私こそがこの国の意志を決定する権利がある」 「ない、とは言わない。だが、お前は幼すぎる、カラカッタ。王宮の中で、どのような罪が犯されてきたのか……お前は気づきもしない」 「罪……?」 「宝玉を弄ぶ、許しがたい蛮行だ。私は――知らぬふりをした。そのことを、牢の奥で悔いた。スピネル殿は、気が付いておられたよ。だからお前の目を覚まさせようと、お前の目が眩みそうなものを遠ざけ、必死に訴えた。だがお前は煩わしい苦言に怒り、万能感に酔い、己の欲望しか見ていなかった。……私とお前は似ているよ、カラカッタ。私はただ、動かなかっただけ。お前は昔から、身体が先に動くたちだった」  少々懐かしそうに目を細める美丈夫に、同性ながら危うく見惚れそうになる。  しかしその言葉は柔らかな外見とは反対に、重く鋭く王女を突き刺しているように見えた。 「自分を優先する時間は終わりだ。お前がまだ国と民を顧みず王様ごっこを続けるのならば、その座を私に返してもらう」 「……謀反を企てるとでも? 貴様は一度見捨てられているのだぞ? 数少ない親衛隊も処分した。味方などどれほど残っているのだ?」 「味方はいない。だが、」  この言葉を合図に、一気に王宮はどよめいた。  俺達の真横にある正門から、十数人の団体が王宮に足を踏み入れたのだ。  それはこの国では忌み色とされる、漆黒の服を纏っていた。  ――宵の民。  その先頭の男は外套の面布をふわりと取ると、ひどく懐かしい笑顔を見せた。 「お初にお目にかかります、明の国の王様。招待もされていないのに乗り込んだ無礼、お許しくださいとはさすがに言えませんね、ふふ、無礼すぎますからね。ですが私は本日、次の王となる方に招かれましたのでどうぞご容赦ください」 「よ、宵の――」 「私の名はコンドライト・アーレスライト。宵の国を統べる、まぁあなた方の呼び方で言えば『王』的なものです」  ……さぞ、気持ちの良い自己紹介だったのだろう。  血のつながりのある俺は知っているが、我が弟君はサプライズ的な物が大好きな質だ。彼の細君の苦労が知れる。  渾身のドヤ顔で丁寧に宵の国流の一礼をしたコンドライトは、俺達グラスウォール一行の隣を何食わぬ顔で通り過ぎ、スタトゥアリオ前陛下の横に並んだ。  目にまばゆい白と、深く艶やかな黒が並ぶ。  それはこの国を、この世界《ほし》を象徴するかのような光景だった。 「カラカッタ現王女陛下。私は本日、宵の国の代表として明の国との和解協議を進める為に馳せ参じました。つきましては――」 「黙れ」 「…………おっと、苛烈ですね。私、どこが不躾でしたか?」 「存在全てだ。宵の民の言葉など耳に入れるだけでも不快だ。切り捨てられたくなければこの場から一刻も早く出て行け」 「……だ、そうですよ、じゃあスタトゥアリオ様、ご説明バトンタッチいたします」  にやにやしながら一歩引いた弟のなんと楽し気なことか……さすがに隣のアラスタが呆れた顔でこちらを見上げた気配がしたが、俺は他人のフリを貫くことに徹した。  しかしスタトゥアリオ様の気迫は薄れることは無い。 「カラカッタ、彼らは隣人だ。憎しみ合っていた過去はもう遠い。良き隣人として手を取り合う必用がある」 「そんなものはない。アレらは汚らわしい蛮族であり、夜獣の如き不潔なものだ。火を使い、糞尿を垂れ流し、性行為で子を成す――ああ、なんと汚らわしいことか!」 「そういう生き物だというだけだ」 「理解しがたい……我々は長らく、彼らに勝ってきた! どうしてわざわざ、負け犬と手を組む必要がある!?」 「多くの民の不安を除くのも国の務めだ。カラカッタ、勝たねばならない道理は何だ? 我々は勝つのではなく、生きれば良いではないか」  尊い説教であるが――まあ、実のところ詭弁だ。  何故ならばコンドライトの助力がなければ、スタトゥアリオ前陛下は政権を取れないからだ。暗君と罵られ捨てられた彼には、王宮での力はないに等しい。  しかし宵の国が彼に付けば、話は別だ。  宵の民が『野蛮』だと恐れられているのは理由がある。明の民は宵の民を攻撃することはできないが、その逆は酷く簡単なのだ。  宵の民は、やろうと思えばこの場の明の民を皆殺しにもできるだろう。彼らが攻め入ってこない理由は、明の民の土地は浄化石がばら撒かれているせいで居住区にしても意味がないからだ。  スタトゥアリオ前陛下の後ろには、圧倒的暴力が控えていた。  これはもはや脅しだ。  しかし、こうでもしなければ、政権など容易く摂ることはできない。  秘密裏にスタトゥアリオ前陛下と連絡を取る際、ラ・トス・トスの遠隔通信機が非常に役立った。  世界に介入するのは本当は駄目なんだとなんだかんだ言っていたが、結局彼は『盗まれたってことにしよう!』と便利な道具を貸してくれた。  王宮への道順や牢への侵入は、ヴァーダとトリンの知識が役に立った。王宮の警備は殊の外ザルだ。まあ、謀反を企てられても死ぬのは王だし、他の者に危機感が無いのも頷ける。  俺はジェットと共にコンドライトの説得に当たっていたため、スタトゥアリオ前陛下の事はよく知らない。スタトゥアリオ前陛下の説得は、主にラリマー卿が一人で担っていた。  彼は俺達の知る事実を全て聞いた後、ほとんど何の質問もなくこの『謀反』の首謀者となる事を了解してくれた、らしい。  幽閉生活で何か、思うところがあったのか、俺達は知らない。大切なことは、スタトゥアリオ前陛下が今一度立ってくださったという事実だけだ。  こちらはともかく、宵の国にはメリットの無い話であった。  しかしここでラ・トス・トスが『念入りに調査した結果出てきた情報』が役に立った。  明の国の王都の民は、宵の民を秘密裏に誘拐し、個人の愛玩物として所有していたのだ。  コンドライトが問題にしていた宵人の誘拐事件の真相がこれだった。停戦中、しかも武力的に勝る宵の民相手に何故そんな命知らずな『狩り』ができたのか。この真相はやはり、明の民が砕かれた宝玉から生まれ始めていることに由来するのだろう。  砕かれた宝玉から生まれた民は、不完全だ。  忘れっぽく、危機能力も低下し、考える力も常より低い。  ラ・トス・トス曰く、 『たぶんね、感受性も落ちてんじゃないのかな? って思うんだよね、私ね。とにかく受け取る情報が多すぎると、絞っちゃうんだよ、生き物は。で、そういう状態で生きてても刺激が足りない。だから手っ取り早くキモチイイものに手を出しちゃったんじゃないかな。だってほら、人間補佐用愛玩ヒューマノイドは、人間と性行為すると多幸感が得られるように設計されてるんだもの』  という事だ。  結局、王宮の愚かな民が宝玉を割ったことによる弊害だ、と俺達は結論づけた。  早急に、間違いを正さねばならない。人口増加が世界の破滅のスイッチになる、という与太話が嘘だったとしても、結局宵の民は奴隷として消費されているのだ。  コンドライトはこの事実を踏まえ、明の国で囚われているすべての宵人の引き渡しを条件に、今回の和解交渉の席に着き俺達の政権交代劇に手を貸してくれることになった。  本当に和解にありつけるかどうかは、まあ、この後の話し合いの結果に寄る。しかし今は、耳を塞ぎがなり立てる現王女陛下に、国を手放してもらうほうが先だ。  強気で喚いていたカラカッタ王女陛下も、徐々にその勢いを失くした。  じっと彼女を見つめるコンドライトに向かい、ひどく怯えた表情を見せる。……ヒューマノイドとしての設定が、彼女の本能を刺激しているのだろう。 「……和解……和解など、どうして信じられる……? 野蛮な種族の勝手を許せば、我々は古き時代のようにまた隷属種にされてしまうに違いない」 「おとぎ話を信じるより、今の彼らと話し合いをすることの方が建設的だ。それで無理なら、また境界線を引くほかない」 「どうせ裏切られる」 「彼らが明の国を襲うメリットはない。心配ならば監視すればいい。幸い、我らの国の間には、有能な『壁』がある」  辺境地、グラスウォール。  スタトゥアリオ前陛下の視線を受け、若干嫌そうな顔を無理やりに隠したラリマー卿がひどく仕方なさそうに一歩前に出た。  ここでドヤ顔を晒さずしてどうする。  もう一歩進んでください、と俺とアラスタが同時に卿のケツを押し出すと、漸く決意が固まった様子で手を上げた。 「はい、あのー、ご指名いただきましたんでね、発言させていただきますね。これを機にと言いますか、まあずっと言おう言おうと思ってはいたんですけども。グラスウォールは明の国から独立したいなぁと思いましてそのご相談をしたく思いまして、はい」 「……独立……? 何を馬鹿な事を言っている。そんなことが許されるわけ、」 「いや別に、あなた方と敵対する気はありませんよ。これまで通り農作物もお届けします。が、搾取されるのみの関係はこれでおわりにしていただきたいなぁと申し上げているだけです」 「…………離反、するというのか。そんなことをしたら、我が国の庇護が――」 「いやそんなもの今まで一度もいただいたことありませんよ。ウチはウチでどうにか頑張って農地を改革して、住居を整備して、私兵隊作って夜獣から領地を守ってたんですよ。だって『勝手にしろ』と放り出したのはそっちだもの。勝手にしてきたんですよ、ずっと。だからこれからは更に勝手にさせていただきます、という宣言です」  王都に見放された辺境地で、ラリマー卿は長く戦ってきた。ごみ箱扱いの土地で、いらないと判断された民と共に生きてきた。  いらないと言うのなら、もう勝手に生きちゃおうか。卿はそう言ってこの離反を決意した。 「まあ、幸いと言っては何ですけども、ウチは宵の国にコネがあります。勿論明の民として、明の国に従属はしますけども、なんというかイメージとしてはお互いを監視する中立国家? みたいな? 感じになるといいなぁと思っております。行く行くはどちらの民も受け入れる場所になれればいいなぁと」 「絵物語だ……そんなことができるわけがないだろう。明と宵は共に暮らせない」 「いやぁ、そうでもないんですよ。だってウチには、もう三年も一緒に暮らしてる前例が居ますからね」  ね? とにこやかに振り返られ、どういう顔をしていいやらわからない。とりあえず神妙に礼をしてみたが、突き刺さる視線がより一層鋭く感じるばかりだった。  尚、トリンは『え!?』という顔をしていたが、ヴァーダはしれっとしていた。まあ、すべての加護が効かぬ俺の為に武器を作り続けてくれた女だ。聡い彼女にバレていたとて、驚きはない。  誰が見ても、カラカッタ王女陛下の劣勢は明白だった。  彼女は王だ。しかし、ただ先代の暗君の座を奪った暴君でしかなく、王宮の者たちは彼女の味方ではない。誰が王でもさしたる問題はなかった故に、ただ無視していただけだ。 「……謀ったのか。皆で、私を馬鹿にしていたのか」  ついに膝をついて脱力する少女に、さすがに居たたまれぬ気持になる。彼女は暴君であったが、被害者でもあるのだから。  故につい、俺は声を上げてしまった。 「カラカッタ王女陛下……陛下の失脚が目的ではありません。両国の民の為の――」 「黙れ。宵の声など耳にする気はない」  ぴしゃり、と言われて口を噤む。まあ、なんとなく予想はしていたが、彼女に取って宵の民の言葉は汚らわしい『鳴き声』なのだろう。……そう教え込まれてきたのなら、それはもう呪いだ。その呪いは、容易に解けるものではない。  しかし、黙れと言われてしまった俺の代わりに、アラスタが口を開いた。 「王女陛下、誰も貴女を蔑んではいません。国とは、たった一人の発言で容易に動くようなものではないと、皆知っています」 「アラバスター様……どうして……。貴方は清く、正しい方ではないのですか? グラスウォールに流された罰のせいで、穢れてしまったのですか? こんなことなら、……こんなことならグラスウォールなど、焼け野原にしてしまえばよかった!」 「僕に幻想を押し付けるのはどうでもいいですが、グラスウォールを焼いたとしたら僕は貴女を一生許さないでしょうね。僕は、グラスウォールと、そして彼と一生を共にすると誓っていますから」  その瞬間、彼女の顔から一切の感情が消えた。  絶望は、怒りも悲しみも全て食らうのかもしれない。カラカッタ王女陛下の心は、見事に折れてしまったのだろう。必死に追いかけていた、憧れの男に突き放されて。  ……いい気味だと、思う自分も居る。彼女の官軍に家を壊された民は、一人や二人ではない。  しかし少女の慟哭があまりにも不憫で、少々心が痛む。  まあ、俺に同情されたところで、より一層病むだけだろう。大人しく口を噤み、『どうして皆俺を巻き込むのか』とため息を呑んだ。 「カラカッタ……目先の欲を、一旦、忘れよう。そして考えることを放棄せずに向き合おう。我々は、間違いを恐れすぎて逃げていたのだから」  こうしてこの日、何もしなかった暗君は、何もきこうとしなかった暴君から国を奪った。  歴史が動いた――というほどの事でもない。ただ一つの区画が独立し、宵と明の距離が少々近づいた、それだけだ。  本当の危機――人口増加による現人類からの粛清――が去った事は、俺とアラスタと、そしてその周辺の数人だけが知る、この星の秘密となった。

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