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21◇アラバスター|誓約
詰襟を緩め重い外套を脱ぎ捨ててもまだ、肩こりにも似た緊張は取れなかった。
やっと安堵の息を吐いたのは、全員無傷でグラスウォールに帰還し、しばらくの休暇を言いつけられてからだった。
やるべき仕事は山のようにある。何せ我々は明の国始まって以来の独立領地となったのだから――と思うものの、疲労を取らねば何も始まらない、というのがこの地の領主の考え方だった。
ひとりふたり休んだところで、世界の運命は変わらないよ、と吐き捨てるラリマー卿の言葉は、自分への言い訳かもしれない。しかしすっかり疲れ切った僕は、この言葉に甘えることにした。
這う這うの体でディアンの『隠れ家』に避難し、息を吐く。
僕が自室で寛いでいると、トリンがあれこれと世話を焼いてしまう。副長殿の秘密の家は、休暇を堪能するには丁度いい。
「…………つかれた」
思わず本音が零れてしまう。
僕のどうしようもないただの感情を聞きつけた部屋の主は、簡素な私兵隊服に着替えながら苦笑を零した。いつのまにか、左目は眼帯に覆われている。
「お疲れ様でした。ラ・トス・トスとの交渉、スタトゥアリオ前陛下への根回し、コンドライトとの交渉、そしてカラカッタ王女陛下との謁見、大役でしたね……」
「いや僕は大した仕事はしていない。ラリマー卿が珍しく本気を出しただけだな。あとはなるようになっただけだ」
「現陛下相手に、あれだけの啖呵が切れたのですから相当なものですよ。むしろ俺など、本当に何もやっていません。ただ大木の如く立っていただけです」
まあ、彼は王宮内で発言を封じられていたので仕方がないことだ。コンドライトですら『喋るな』と拒絶された有様なので、無理もない事だと思う。
明の民は、宵の民への嫌悪感が強すぎる。今後の事を思えば頭の痛い課題だが、今は仕事や国の事を考えるのは一旦やめることにした。
「ごく普通の民なら、あの場で背筋を伸ばして立ち続けることすら困難だろうよ。きみが背筋を伸ばして立っていてくれたからこそ、ラリマー卿の独立宣言に箔が付いた」
「そう言っていただけると、助かります」
「それに僕はただ不敬なだけだ。本来ならきみと同じく口を噤んで、ラリマー卿に全てを任せるべきだったんだからな……あー、あの場で、あのような形で告白まがいの発言をしたことは謝る」
「……どうして?」
「まるできみと正式なパートナーのような口ぶりでドヤ顔を晒したな、と、今になってじわじわ反省の気持ちが沸いてきた」
これは本当だ。
僕はただ目の前の女を心底軽蔑していたが故に、嫌悪感を押さえきれずに湧き上がる攻撃的な怒りをそのまま言葉にしてしまった。反省している。本当だ。他人を傷つける目的で、ディアンの存在を盾に使うべきではなかった。
僕としては本気で反省していたのだが、当のディアンは心底驚いたような顔を晒した後、右目を細めて苦笑する。
「……謝っていただかなくても結構ですよ。別に、怒ってなんかいません」
「だが傾国のブローチ付きだと思われたら、万が一きみに懸想した女性がいたら困るんじゃないか? 宵の民は、番で子を成さなきゃならないんだろ?」
「そもそも俺は、混ざり物の民ですから、母国では血を残すなと言いつけられていました。俺もそのつもりです」
「……あのカイヤ妃の子孫を、残さずともいいのか?」
「純粋な宵の民の血ではありません。俺が受けた差別を、子にも強要するのはいかがなものかと思っていました。目の色が、髪の色が違うだけで、民は敏感に避けるものです。それに今は、不特定多数の女性に興味はありません」
「特定の女性に興味があるのか?」
「……言い直します。貴方以外に興味はない」
それはまさしく、僕が求めていた求愛の言葉だった。
が――あまりにも唐突に突きつけられた為、うっかり歓喜よりも慟哭と疑問が顔に出てしまった、らしい。
若干引き気味の僕の態度に、ディアンは苦笑を強くする。
「あれだけ拒否しておいて、と、呆れていますか?」
「え。ああ、いや、別に――オールウォールの宿でも、きみは僕に甘かったし、なんというか、嫌われてはいないだろというよくわからん自信はあった、が……このタイミングで、きみが腹を括ってくれるとは思いもしなかった」
何せ僕は『僕の人生はきみの余生分だ』と言い切っている。ディアンの『貴方の人生を俺のせいで終わらせることはできない』という主張も、まあまあわからんでもない、とは思っていたのだ。
なんとなく、なぁなぁのまま、緩やかに彼の隣を独占できればそれでもいい。そんな風に思い始めていたところだった。
キッパリと告白したものの、覚悟が決まっていなかったのはもしかしたら僕の方だったのか?
そう思う程、心の臓の鼓動が煩い。
しかしディアンは僕の動揺を知ってか知らずか……いや絶対に知っているだろうに猛攻を緩めてはくれない。
突っ立ったままの僕に歩み寄り、緊張ですっかり冷えた手を取り握る。
「さっさと腹を括らなければ、悪い虫がどんどん貴方に群がる。スタトゥアリオ陛下とのやりとりも増えるでしょうし、かの方が完全に魅了の呪いから逃れたかどうかは疑問です」
「スタトゥアリオは……確かに僕に固執していたが、アレは恋愛感情ではなかったと思うがなぁ……? 現にお互いにシーズンであろうとも、そういう行為をしたことは無い」
「…………そう、なんですか?」
「以前にも言ったと思うが? 僕はこういう行為に関しては、きみ以外のサンプルはない。抱き着いて眠るのも、キスも、それ以上の危うい行為もすべて、きみが初めての相手だ」
あまりドヤ顔で語ることでもないのだろうが、僕は経験不足すぎて何が良くて悪いのか、さっぱりわからない。
いっそ全て開示してしまう方が楽だと信じていたので、恥ずかしげもなく経験不足を告白したまでだが、何故かディアンに強めに抱きしめられてしまった。
……今のあられもない経験不足告白が彼の何かのツボを突いたのだろうか。わからん。わからんが抱きしめられる行為自体は悪くはないので、戸惑いながらも彼の体温を堪能する。
ディアンの体温は高い。
宵の民だからか、ディアンだからなのか、カイヤ妃の子だからなのか……彼について知らない事をひとつずつ、確認して埋めていく。その過程が甘痒くて、とても良い。
「俺なんかが、と、思ってしまいそうになります。でも貴方はその断固たる態度で『きみがいい』と言ってくださるんでしょうね」
「きみがいい。他の誰でもきみの代わりにはなれない」
「……感極まって泣いてしまいそうだ。ラリマー卿に初めて会った時以来の感動です」
「いやそれは、卿の方の思い出を大切にしてやれ……僕の言葉なんざ、乞われればいつだってきみに向かって吐き出せる。僕はきみの隣を諦める気はないからな。好きだと言ってほしければすぐ隣に言えばいい、僕はいつでもそこに居る」
……我ながら粘着質な台詞だった。
しかしディアンは珍しく頭がおかしくなっていた様子で、息を詰まらせていた。
きっと彼は、数多くの差別を受けてきたのだろう。
宵の民ではないから。明の民ではないから。きみは違う、きみではない、と言われて育ったのだろう。うっかり白を抱いて生まれてきた、僕と同じように。
ふと彼の拘束が弱まり、僕は抱擁から解放される。
なんだもう終わりなのかと少々残念に思っていた僕は、唐突に手を取られたまま彼に跪かれて驚いた。
王宮でもなかなかお目に掛かれない、麗しく堂々とした平伏の姿勢だ。
「言葉にせずとも、聡い貴方には全て伝わっているのでしょうが……堅物男の不器用な睦言としてお聞きください」
「う、うん?」
「アラバスター・フェルエナ。どうか俺に、あなたの寿命を背負わせてください。貴方の恋人として、その名誉を承りたい」
厳かに僕の手を取ったディアンは、愛おしそうに手の甲に口づけを落とす。
百点満点の告白だった。ディアンらしい、堅苦しくて完璧な愛の言葉だ。
あまりにも理想的過ぎて、これは都合のいい夢では? と疑ってしまう。僕は王宮で不慮の事故に遭い、今は生死の境をさまよっていたりしないよな……? 大丈夫だよな? これは現実だな? そうだな? 喜んでいいんだな? と、完璧な告白に対してひどく残念な動揺を返してしまったせいで、さすがのディアンも少々不安そうに眉を落とした。
「……俺の告白は、少々遅かったですか? もしや正気に戻ったスタトゥアリオ様の方が――」
「あんな顔がいいだけの無能は僕の好みではないが!? いや、そのっ、完璧すぎて動揺しただけだ、きみのその生真面目な気障さは僕に効きすぎる……!」
「喜んでいただけたなら幸いです。俺が貴方の恋人の座に居座ることを、許していただけますか?」
「ゆるす」
他に選択肢などない、当たり前だ馬鹿。の気持ちを込めて断言すると、膝まずいたディアンは立ち上がり、心底愛おしそうな顔で目を細めた。
「……良かった」
きみほんとうにその甘い顔良くないぞ僕がシーズンでなくて命拾いしたな、と思ったのもつかの間、握られたままの僕の左手に彼の熱い右手の指が滑らかに絡む。
うん?
と疑問に思った途端、爽やかな甘い笑顔のままのディアンは、僕の耳元に顔を寄せると声を潜めて囁いた。
「――では、このままベッドに引きずっていってもよろしいですか?」
「………………うん!?」
待て、と思う。
待て、待て、いや、きみ、そういうキャラじゃないだろう? なんというか……閨事には消極的なタイプだと思っていた。
思わず腰が引けたが、気が付けば僕は壁際に追い詰められた状態だった。いや逃げる気はないが、しかし、こう、『詰んでいる』感がすごい。
「つ、疲れているんじゃないか? 王都から戻ったばっかりで、」
「疲れているから貴方が欲しい」
「……きみはどうして堅物のくせにそういう、ぐっとくる言葉を吐くんだろうな……」
「お互い様です。勿論嫌ならば自重しますが――」
「嫌なわけじゃないが、僕で勃つのか?」
雰囲気をぶち壊す最低な言葉だった。しかしこれは、素直な疑問だ。
シーズンというどうにもならない性衝動を備える明の民は、同性同士でもセックスを楽しむことがある。性行為はただ身体の不調を治める為の行為であり、シンプルな娯楽だ。
しかし宵の民であるディアンにとって、性行為とは子作りのための行為だろう。宵の民は、同性で閨を共にはしない。同性を性的な行為の相手として認識していない、筈だ。
僕の好意に折れてくれた事には大変感謝しているし感動している。絶対にもう離してやるものかと思っている。全力で愛を囁きいちゃつくつもりはある。
が、彼の意にそぐわない行為に付き合ってもらう必要はないと考えていた。僕のシーズン中には手くらい借りるかもしれないが……。
僕は彼を案じてそう考えていたというのに、当のディアンは少々心外だという顔をして僕を壁に押し付ける。
そして彼にしてはかなり強引に、そして露悪的に股間の物を僕の太ももに押し付けた。
その硬さに、思わずひゅっと息を飲む。
「ご心配に及ばずとも、すでに十分興奮しておりますが?」
「……デカくないか……?」
「恐縮です」
「褒めてないが?」
「……俺とそういう行為をするのは、嫌ですか?」
「嫌なわけあるか、願ったり叶ったりが押し寄せすぎていてさすがの僕もキャパオーバーしているだけだ……」
「良かった。貴方に嫌われていないなら何でもいいです。それならゆっくりと待ちます――と、普段なら引くところですが、すいません、無理です」
「無理なのか……?」
「無理です。自覚したら貴方が可愛らしすぎてどうにかなりそうなんです。すいません、大人げないとは思っています。ですが、今日だけはご容赦ください」
いや正直なところ、そこまで求められると悪い気などしないし、こちらもシーズンでもないというのにそういう気持ちが湧き上がってくる。
これも『人間』に求められた『ヒューマノイド』の設定なのだろうか?
だが僕は、ただの馬鹿げた恋愛感情のせいだと思いたい。
あまり引き延ばして興が冷めても困る。ディアンは僕が了承しなければ一生口説いてしまいそうだし、仕方なく大変恥ずかしい事この上ないが勇気を出して彼の手を握り返した。
「……いい。好きにしろ。僕も、あー……その、そういう行為に関しては、興味がないとは言わない」
「ありがとうございます。……で、どちらが良いですか?」
「は? どちらとは?」
「女役か、男役か」
「……それ、僕が決めて良いのか……? きみの要望は?」
「俺はどちらでも構いませんよ。貴方の身体に誰よりも深く触れることができるのなら、奉仕の形は問いません」
「あー……まあ、どちらだろうときみは『奉仕』を貫きそうで怖いな……それなら、僕がされる方で良い」
「……いいんですか? 逆の方が、身体の負担は少ないと思いますが」
「いい。気にするな、多少の苦痛は僕にとっては慣れたものだしどうでもいい。そんなことより、僕はきみに嬲られたい」
「………………それ、俺以外に言わないでくださいね?」
「言うわけないだろ。言う必用も理由もない」
きみには嘘をつかない。僕は本心でそう思っている。
その気持ちが伝わればいいが――いや、何もこんな言葉でお互いの愛を確認することもなかったな……と、後々地味に反省はしたが、この時はお互いに高ぶりすぎていてそれどころではなかった。
正しく淑女のように抱えられた僕は、寝台の上に寝かされると熱い身体の男に死ぬほどキスをされながら服を脱がされる、という初めての経験に酔った。
僕は今まで、己に掛かっていた呪いに惑わされる大人たちを軽蔑してきた。
けれど恋愛などという浮足立った熱を経験した当事者として、魅了加護の被害者の苦悩に、少しくらいは同情する気持ちになった。
こんな熱くて甘いものを、持て余しては死んでしまう。
僕はそのことを、この夜嫌と言う程知った。
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