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〈第2部〉第15話①※
先程までの綺麗な夕焼けが嘘のように辺りはあっという間に暗くなり、俺たちは混雑する国道を走る。
「なっちゃん、夕飯食べて帰ろっか」
信号待ちのときに中岡からそう提案され、国道沿いのファミレスに入った。「うちの店のほうが美味いな」なんて言いつつも、中岡は相当腹が減っていたのか珍しく俺より先に食い終わっていた。
「今日は疲れたでしょ?家まで送るから、ゆっくり休んでね」
「‥おう」
今日は、泊まっていくのか聞かないのか。‥たったそれだけのことに、俺はなぜかひどく動揺してしまった。
アパートに着いたのは19時を少し回った頃。俺は複雑な心境のままバイクを降りてメットとグローブを中岡に手渡した。
「今日はありがとな」
「こちらこそ!すっごく楽しかった!」
「気ぃ抜いて事故んなよ」
「あはは、気引き締めないとな」
淡々と流れていく会話が少し寂しくて、曖昧な笑顔しか作れない。‥このまま別れてしまって本当にいいのだろうか。
「‥‥それじゃ、月曜日‥」
「あっ、あの‥!」
考えがまとまらないうちに別れを切り出され咄嗟に呼び止める。やっぱりこのまま別れるのは少し寂しく思ってしまったから。
「なーに?」
「ウチ、寄ってかねえ?」
「‥え?」
「コーヒーくらいしか‥ねえけど」
「‥‥それじゃあ、お邪魔しよっかな」
途中で目を逸らしてしまったから中岡がどんな顔をしているのか分からないけれど、俺のわがままを笑って許してくれているような気がした。
インスタントコーヒーをカップに適当な量入れて湯を注ぐと、香ばしい匂いが鼻を掠める。人を部屋に上げることなんてほとんどなかったから、カップは大きさも形も不揃いで不格好だ。俺は大きい方のカップを中岡の前に置き、ローテーブルを挟んで向かい合うように座った。
「この前バッタバタだったから、よく部屋の中見てなかったけど‥めっちゃ和室だね」
「なんだよそれ。和室で悪かったな」
中岡を部屋に上げるのはあの日以来2度目。キョロキョロと辺りを見回しながらそう言う中岡に突っかかりながら、俺はコーヒーを一口飲んだ。
「実はさ、ツーリングするの結構久々だったんだ。最近バイト忙しくて近場の移動ばっかで‥やっぱいいなって思った」
「遠出とかしたことあんの?」
「一回バイクで実家に帰ったことあるんだけど、楽しかったよ!」
「そっか」
バイクの話になると、中岡はいつもの3割増しくらい楽しそうだ。今までに行った場所、知り合った人、景色や美味い料理‥たくさんのことを教えてくれて、俺は一層バイクに興味が湧いてきた。
「なっちゃんはどんなバイクに乗りたいの?ネイキッド?あ、でもフルカウルも似合いそう!色は?何ccがいい??」
「‥‥‥ぷっ、あははっ」
怒涛の質問攻めがなんだかおかしくて、思わず吹き出してしまった。
「悪い、全然分かんねえ」
「‥‥あ!だ、だよねー!ゴメン、つい興奮しちゃって」
「いいよ。俺、バイクのこと全然知らねえから、だから‥色々教えてよ、これから」
「‥うん!」
照れ笑ってすごく嬉しそうな顔をするから、なんだか俺まで恥ずかしくなってしまう。慌ててカップを掴んで、俺はコーヒーを一気に飲み干した。
「はー‥でも和室っていいねー」
「は?さっきバカにしてたじゃねえか」
「えーしてないよ!俺和室好きだよ。落ち着くし。‥けど今はそれ以上に心乱れてるんだけどね」
「‥なんで?」
「だってここはなっちゃんの部屋で、二人きりなんだもん。気ぃ抜いたら襲っちゃいそう」
「!!」
「あはは、そんな固まんないでよ。絶対襲わないから。だから‥‥隣、座ってもいい?」
なんなんだこのオンオフの差は。さっきまでの陽気なテンションとはうってかわって、この突然の甘ったるい雰囲気にいつも戸惑ってしまう。
「こっ‥」
「ん?」
「コーヒー、もう一杯飲む?」
‥どうしても、あと一歩が踏み出せない。
カップを引っ掴んで逃げるようにキッチンへと向かい、ケトルのスイッチを押して項垂れながら湯が沸くまでの間必死に考える。俺は一体何がしたいのか。中岡とどうなりたいのか。
‥答えはもうとっくの前に出ていたんだ。ただそれを認める勇気がなかっただけで。
ケトルのスイッチが切れる音が聞こえて、俺はゆっくりと顔を上げた。
「お待たせ」
「ありが‥‥」
「‥なに驚いてんだよ。隣、座るんだろ」
「う、うん」
カップをテーブルに置いて、中岡の右隣に腰を下ろす。‥そういえば講義を受けるときや並んで歩くとき、中岡は決まって俺の左側にいることに気がついた。いつの間にかそれが俺たちの定番になっていたんだと思うと、なんだか少しくすぐったい。
「‥今日さ、マジですげえ楽しかったんだ。今日だけじゃなくて、お前といるといつも楽しくて‥俺、あんま感情表現上手くないから全然伝わってないかもだけど。だからお前には‥すごく感謝してる」
面と向かって言う勇気はまだないから、カップの中のコーヒーに視線を落としながらそう伝えると、少し間を開けて中岡の優しい声が聞こえてきた。
「礼を言うのは俺の方だよ。なっちゃんのおかげで毎日すごく幸せだもん。‥俺ね、なっちゃんの前ではちゃんと俺でいられるんだ。作らないで、偽らないで、自分のままでいられる。‥あ、その分カッコ悪いところもいっぱい見られちゃってるから、時々すっごい凹むんだけどね」
顔を覗き込んで目が合うと、中岡はバツが悪そうに頭を掻いた。
「お前がネガティブとか、全然似合わねえ」
「俺、超ーーネガティブだよ。細かいことウダウダ考えちゃう」
「‥ふふっ」
「なに?」
「ちょっとホッとした。イケメンにも悩みがあるんだなって」
「‥俺、全然イケメンとかじゃないよ。自分が一番よく分かってる。中身だって優柔不断だし、しょっちゅう周り見えなくなるし、‥あ、あと超嫉妬深い。実はこの前の店長のこともまだ引きずってるから!」
中岡の口から溢れるのはネガティブ発言ばかりで、そのうち自虐しすぎて声が震えていた。いつも明るくて強いところしか見たことがなかったから、中岡が自分自身のことをそんな風に思っていたなんて正直驚いた。
今まで俺は、無意識に中岡から一歩引いていたのかもしれない。凄い奴だって一目置いて、俺には不釣り合いだと勝手に決めつけて。‥だけど本当は、そんなこと全然ない。いつも必死に悩んで、考えて、その結果がいつもの中岡なのだ。
それが分かったら不思議といつものような緊張はなくなって、穏やかな気持ちで中岡と向き合える。今はただ、傍にいたい。傍にいて、俺の存在が少しでも中岡の人生の糧になれたらいいなと思った。
「中岡、こっち向いて」
「なに‥‥っ?!」
いつも固まったままの右手を伸ばして、中岡の口元にそっと触れる。
「このほくろ、触りたいってずっと思ってたんだ。艶ぼくろって言うんだろ?」
「なっちゃん‥?」
「‥うん。やっぱお前、カッコいいな」
「っ‥」
「もちろん顔だけじゃないぜ。性格とかひっくるめて俺は‥‥って、これどこかで聞いたような‥」
「‥ぷっ。それ、さっき俺が言ったやつ」
「あ‥」
顔を見合わせて思わず苦笑う俺を、中岡は優しく抱き寄せてくれる。同じ男なのに、身長差が10センチもあるとこんなに体格が違うのかといつも羨ましく思ってしまう。俺だって筋トレしてるのに‥なんて張り合ってみたり。
「不思議だな。なっちゃんにそう言われると、ホントにそうなのかなって思えてくる」
抱きしめられた腕に力が込められて、俺も中岡の背中にそっと腕をまわした。
「‥あ、そっか。さっきからすごいドキドキするのなんでかなって思ったんだけど‥この部屋、なっちゃんの香水の匂いがするんだ」
いつも付けている香水の香りが気に入っていて、最近はルームフレグランスとしても時々利用している。元々自分の気持ちを落ち着かせるために香水を付け始めたのだけれど。
「俺好きなんだ、なっちゃんの匂い」
また一つ、“好き”が積み重なっていく。
「なっちゃん‥キス、してもいい?」
いつもより少しだけ低めの、心臓に響く深い声に誘われて顔を上げ、返事をするかわりに目を瞑る。優しく唇が重なり抱き合ったまま何度も口づけを交わすと、心臓は痛いほど脈打ってあっという間に欲情した。いつの間にか中岡の手は俺の頭を押さえ込んでいて、何度も出入りする舌の感覚に思わず体が震えた。
「あ、ごめ‥止まんなくて‥‥大丈夫?」
息苦しさで背中に回した手に力が入ると、それに気づいた中岡は慌てて顔を離してしまう。それがひどく寂しくて、俺は咄嗟に俯いた。
離れたくない。もっとキスして、抱き合って、それで‥‥それ以上のことをしたい。
何考えてるんだと必死に抗うけれど、ふしだらな妄想は止められなくて、とうとう観念した俺は中岡の服を掴んだ手にぐっと力を込めた。
「なっちゃん‥?」
「‥‥ぶ‥‥大丈夫だから‥、やめんな‥っ」
顔を上げてみっともなく懇願する俺に中岡は少し驚いて、それからいつもより何倍も優しい笑顔で答えてくれる。
「‥‥うん」
返事と同時にキスを落とすと、中岡の舌が再び深く入ってきて俺の口腔内を犯していく。
歯や歯茎をなぞられるくすぐったさはすぐに快感に変わり、唾液が絡み合う音に無性に興奮して、上顎を舐められるとゾクゾクと体が反応した。激しく弄ばれたと思ったら急に優しく舌を包まれて、俺の頭は大混乱だ。
唇を離すと唾液は糸を引き、中岡はそれをすくい取るようにキスをしてそのまま口元を伝う唾液も唇でそっと拭ってくれた。
頬を撫でる手は温かく気持ちがよくて、思わず目を細めてしまう。しばらく撫でられていると、急に首元に顔を埋められてビクつく。左耳のピアスにちゅっと軽く口づけ、そのまま耳や首筋を甘噛み舌を這わせられて、俺は声を抑えるのに必死だった。
「‥あ、俺‥すげえ汗臭い‥」
「いいよ、続きはシャワーしてからで」
「っ‥」
クスクスと笑うと吐息が耳を掠める。耳元で囁かれ、中岡が離れたあとも体が熱を帯びてしばらく動けなかった。
「なっちゃん」
「なに?」
「ゆっくり入ってきていいからね」
「?おう‥」
中岡の台詞に若干の疑問を抱きつつ、俺は浴室へと向かう。20分ほどして部屋に戻ると中岡は何故か汗だくで、ものすごく息を切らしていて驚いた。
「え‥‥平気か?」
「ぜ‥全然‥っ!俺も‥‥シャワー借りるね‥」
「おう‥‥あ、服!俺の‥って、いねえし」
足早に浴室に入っていった中岡を見送った俺の謎は更に深まってしまった。
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