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〈第1部〉第10話
7月に入り、相変わらずパッとしない天気が続いている。まだまだ梅雨が明ける気配はないし、おまけに前期のテストがチラついて、構内には重苦しい雰囲気が漂っていた。
「相沢、今日バイト?」
「今日は休み。‥なんで?」
講義が終わったところで相沢に声をかける。 “休み”と聞いて俺は心の中で思わずガッツポーズを決めた。梅雨明けよりもテストよりも、今の俺には相沢の今日の予定のほうが重要なのだ。まずは第一関門突破。相沢の返事を聞いて、俺は鞄から一枚の紙を慌てて取り出した。
「これ、バイト先の今月の新メニューなんだけど、どれも結構美味くてさ。俺今からバイトなんだけど、良かったら食いに来ない?」
“夏のハンバーグフェア”とでかでかと書かれたチラシを目の前に広げると、相沢は一瞬俺を見て、それからチラシに視線を移して真剣に眺め始める。‥最近、料理の話になると割と食いついてくれることに気がついて、学校以外で相沢と会うにはこの作戦が一番いいと思ったんだけど‥ちょっと安易すぎたかな?
「‥お前のバイト先、ファミレスだろ?男一人でファミレスとかおかしいだろ‥」
「へ、平気平気!今結構ひとりファミレスの客多いんだよ!」
沈黙が続いて半ば諦めかけていたときに相沢にそう言われて、このチャンスを何としてでもモノにしたい俺は説得するのに必死だ。
「‥あ!何なら俺が休みの日に一緒に」
「それは行かねえ」
「だから即答すんなって!」
相変わらず反応がいい。‥っつーか良すぎる。もはや定番になりつつあるこのやり取りに思わず吹き出してしまう。
「じゃあ今日はオッケーな?」
念押しにそう言うと、相沢は小さくため息をついて頭を掻いた。
「‥場所、どこだよ」
「あとで地図送っとく!‥って俺、相沢の連絡先知らなくね‥?」
そういえば‥今の今まで相沢の連絡先を知らなかったことに驚く。普段なら知り合ったら真っ先に連絡先を交換するのに、そのことすら頭から抜けてしまうくらい、相沢といるときはいつもテンパってたんだ。おっちょこちょいかよ!スマホを取り出して急いでアプリを起動させると、俺は友だち追加の画面を開いた。
「教えてくれる?」
「‥別に、いいけど」
作戦は大成功、そしてまさかの連絡先ゲットでバイト先へ向かう足取りは軽い。本当は自慢の手料理を披露したいところだけれど、それは追々‥かな。
*
「中岡、最近いいことあった?」
「なっ‥んっすか、急に」
店長の質問に飲んでいた水を思わず吹き出しそうになる。意外に鋭いんだよな、この人。
「んー?なんかここんところ楽しそうだから。‥あ、さては彼女でき」
「てません。いつも通りです」
被せ気味に返事をする。ニヤけ顔で“いつも通り”なんて言っても全然説得力がない気がするけど‥彼女じゃ‥ないもんな。
「あ、今日友達来るんで」
「女子?」
「男です!」
「ちぇっ、つまんねぇのー。過剰サービス禁止なー」
「しません!」
‥いや、する気満々なんだけど。
積まれた段ボール箱に座りヒラヒラと手を振る店長に背を向けて、俺はそそくさと厨房へと向かった。
相沢が店に来たのは18時を少し回った頃。
“ひとりファミレスの客多いんだよ”
‥そう言ったにも関わらず、この日に限って客はカップルや家族連ればかりで、こちらに向けられる相沢の視線が非常に痛い。窓際のテーブル席に通された相沢は、手渡されたメニューを熟読して、特製デミグラスハンバーグセットを注文した。
いつも隣りで講義を受けているから、こんな風に遠目に相沢を見るのはなんだかとても新鮮だ。頬杖をついて窓の外を眺める相沢はすごく絵になって見惚れてしまう。
「優介!焦げてる!!」
「え?あ、やっべ」
‥思わず手が止まるほど。
仲間に笑われながら大慌てでメインのハンバーグを焼き直し、俺は店長の目を盗んで出来る限りのサービスした。‥ちなみに、見事に焦げたハンバーグは本日の俺のまかない行きである。
マンガ顔負けの山盛りご飯の登場に相沢は一瞬固まって、くるりと俺の方を見る。笑顔で手を振ってやると、思いっきり睨まれた。
『手とか振ってんじゃねえよ!』
そんな相沢の声が聞こえてくるようだった。
‥にしても、厨房からだと遠くてあんまよく見えねえ。それによく考えたら、バイト中じゃ全然話とかできねえじゃん‥なぜ気付かなかった俺!‥‥相沢が食いに来たときくらいは、ホールやってもいいかも‥なんて。
「えっマジで?!」
「‥え?なんっすか?」
「今、ホールやってくれるって‥」
横で嬉しそうに目を輝かせている店長を見て我に返る。やば、声に出てた‥。
「‥いや、やっぱやりません」
「なんだよー!!」
店長にどつかれながら、俺はヨコシマな思考を反省した。
店長がタバコ休憩に行っている隙に、ホールの子に「あそこにいるの、友達だから」と言ってこっそりパフェをお願いした。再び固まっている相沢を厨房のカウンター越しに見て大笑いし、しかめっ面でパフェを頬張るのを眺める。
そういえば‥相沢って意外に大食いなんだな。大盛りのライスも、付け合せの大量のポテトも、そして特大サイズのチョコレートパフェも、見事に完食していた。
23時半。バイトが終わって着替えていると、テーブルに置いていたスマホが短く振動したのに気づいて手を止める。画面を覗くと相沢からのメッセージだった。
『真面目に仕事しろ』
第一声それかよ!思わず心の中でツッコんでしまった。
『うまかった?』
『おう』
『いつでもどうぞ!サービスします!^^』
『しすぎだっつーの』
スタンプも絵文字もなくて、メッセージでも相変わらず無愛想だけど、そういう裏表のないところが相沢らしい。そんな風に思いながら再び着替え始めると、もう一度メッセージを受信した。何か言い忘れてたことでもあったのかと、画面を覗き込む。
『ありがとな』
「‥‥‥‥なにそれっ!!」
「うおっ!な、なに?!」
数秒固まったあと思わず大声を出してしまい、通りすがりの店長が大袈裟に仰け反った。
‥それは相沢からの、初めてのストレートな感謝の言葉だった。もちろん、今まで感謝されてないわけじゃない。ただこんな風に素直に言われたことがなかったから、めちゃめちゃ動揺する。‥し、なんかもう‥めちゃめちゃ嬉しい。
「おーい、中岡ー?」
名前を呼ばれているのは分かってる。だけど俺は、スマホを握りしめてうずくまったまましばらく動くことができなかった。
ねぇ、今どんな顔してるの?
お前は俺のことどう思ってる?
今すぐ会って確かめたいよ。
‥ダメだ俺、相沢のこと‥‥すごく好きだ。
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