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〈第2部〉第1話
「はーー終わった!腹減ったぁ」
そう言いながら隣で盛大な伸びをしているのは、同じ学科の中岡優介。アシメで襟足が長めのアッシュグレーの髪に少し緑がかった切れ長の目、口元のほくろ‥オマケに高身長ときたもんだから、構内でもそれなりに目立ち、一緒に歩いていると時々すれ違う女子の黄色い声が聞こえてくる。
‥そんな中岡と、俺は今、付き合っている。告白されたのはつい1週間前だ。
「なっちゃんメシ行こう」
「なあ、前も思ったんだけど‥それなに?」
「ん?なっちゃん呼び?可愛くない??」
「可愛くねえよ。やめろ」
相変わらず口悪く言葉を返すと、中岡は口を尖らせて子供のように拗ねてみせた。
*
俺は昔から自分の容姿が嫌いだった。華奢な体、オマケに女顔。それだけで恰好の的になる。同級生には馬鹿にされ、知らない大人に声を掛けられることもあった。
自分の身は自分で守らなければいけない‥子ども心にそう思って、俺は小1の夏休みから近所の空手道場に通いだした。始めてみると思った以上に上達が早くて、いつしか道場で一目置かれる存在になっていた。小3のとき、クラスメイトと大きな喧嘩をして相手を本気で投げ飛ばしたことがある。それ以降、俺のことを馬鹿にするやつはいなくなったけれど、近づいてくる奴もいなくなった。
別に一人でいることは苦じゃない。友達と呼べる友達はいなかったけれど、面倒ごとに巻き込まれるよりはよっぽど楽だと思った。
空手は結局、高校卒業まで続けた。仲間はいい奴ばかりだった気がするけど、浪人して学業に専念するのを機に辞めて、連絡手段も自分から全て断った。別に好きで始めたわけでもなかったから、辞めることや繋がりを切ることになんの躊躇いもない自分にほとほと失望した。
一年の浪人の後、今の大学に合格して実家を出た。やっと自分のやりたいことができる‥そう思った矢先、大学の構内で突然告白された。いかにもチャラそうな男だった。高校のときも何度か男から告白されたことがあって、ロクに話したこともないのによく平気でそんなことができるなとドン引いたのを思い出した。‥俺はそういう奴らが大嫌いだ。大学に入って以前にも増してそういうことが多くなり、いい加減嫌気が差していた。もう放っておいてくれ、そう思っていた。
そんなときに出会ったのが中岡だった。
他の奴らと同じで、最初はただチャラくてムカつく奴だと思っていたけれど、徐々にその思いは変わっていった。
中岡は不思議な奴だ。どんなに酷い言葉で突き放しても、何事もなかったように追いかけてきて、いつの間にか当たり前のように隣にいるようになっていた。ガキみたいにはしゃいで楽しそうに話しかけてくる中岡のペースに、いつも巻き込まれている自分に気づいて戸惑ったけれど、不思議と嫌ではなかった。
ある日、他の奴らといるところを偶然見かけたことがあった。ただクールに笑って周りの奴に合わせて相づちを打っているだけで、普段と全然違ってて思わず笑ったのを覚えている。中岡への興味が恋心に変わっていったのはその頃からかもしれない。
当時は恋愛感情を抱いているなんてそんなこと考えもつかないで、ただ一緒にいる心地よさに満足していた。‥そんなときだ。中岡に突然手を握られたのは。特定の誰かと親しくなることを自分から断っていたくせに、まるで浮かれているのを見透かされたようで怖くなった。
それからしばらくは徹底的に中岡を避けるという子供みたいな真似しかできなくて、でも、寝ても覚めても頭に浮かぶのは中岡のことばかりで、授業もまともに頭に入らないわ階段を踏み外して手首捻挫全治二週間とか‥かっこ悪すぎる。告白された日もそう。いつもだったらどんなに嫌味を言われてもスルーできたはずなのに、そこに中岡がいたから、頭に血が上ってあの場から逃げ出したんだ。
いつの間にか中岡の存在は、俺の中でそれほどにまで大きなものになっていたのだ。そのことに気づいて、自分自身に驚いた。
今でもひとりでいることは別に苦じゃない。周りの目も、言葉も、受け流すことができるようになったから。
でも、時々感じる。
誰かが側にいるというのが、こんなにも心地良いものなんだということを。今まで何でもなかった景色が、まるで違うもののように見えるということを。
*
「どうかした?」
「‥え?」
「さっきから俺の顔じーっと見て‥あ、さては惚れ直」
「してねえ」
「ですよねー‥っつーか相変わらずツッコみ早っ!」
ケラケラと笑いなら立ち上がった中岡の背中を見つめてふと思う。最近ようやく、付き合っているという実感が湧いてきた気がする。‥たぶん。
「なっちゃん、行こ!」
振り返って笑顔で手を差し伸べる中岡はさながらどこかのオウジサマのようだ。
「だから、なっちゃんってなんだよ」
そう言ってその手を思いっきり叩き落としてやると、衝撃で前のめって転びそうになっていたから、俺は思わず吹き出して、中岡の腕を力いっぱい引き上げた。
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