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〈第2部〉第3話
「相沢は夏休み、実家帰る?」
「帰らないです。人手不足ですか?」
「んー‥ちょっと、ね」
中岡の家に行った翌日。この日は昼過ぎからバイトで、先程から横にいる店長のため息が絶えることなく聞こえてくる。夏休みは帰省する奴も多くてなかなかうまくシフトが回らないらしく、店長はカウンター業務をしながらシフト表と格闘していた。
「俺、出来る限りシフト入りますんで」
「ありがと。助かるわ」
「俺の方こそ助かります」
夏は電気代が馬鹿にならない。なるべく家から出て光熱費を抑えたい俺としては、ありがたい話だ。
「あ!夏生さんが出るなら俺も出ます!」
そう言いながらレジ台に駆け寄ってきたのは、先日からこの店でバイトをしている新人の友利葵。
「お、友利も出てくれるか!ありがとな」
「いえいえ!その代わり、夏生さんと時間帯被せてくださいね!」
「あはは、分かったよ。友利は相沢のことホント好きだな」
「はい!大好きです!!」
‥訳あって俺は今、コイツの教育係をしている。店内に響き渡る盛大な告白も、最近ようやく聞き流せるようになった。客がいなくて良かったわ。
「お前、品出し終わったのかよ」
「まだです!」
「じゃあ続きして来い」
「はい!喜んで!!」
ここは居酒屋か。陽気に敬礼なんかしやがって。バタバタと再び持ち場に戻って作業を始めた友利を眺めながら、俺は先程の店長に代わって特大のため息を漏らした。
「相沢モテモテだな」
「そういうのいいんで」
*
俺のアパートは大学から電車で数駅離れたところにある。あえて遠い場所を選んだのは、大学以外で知り合いに会いたくなかったから。
アパートから駅へ向かう道の途中にコンビニがあって、俺は大学の帰りに時々そこに立ち寄るようになった。あまり聞いたことがない名前のローカルコンビニで、いつもレジにいるのは年配の夫婦だった。どうやら店長らしい。そのうち顔を覚えられて声をかけられるようになり、初めはお節介だと思ったけれど、気づいたら話をするのが少し楽しみになっていた。
大学1年の夏休み前、そのコンビニでアルバイト募集の貼り紙をみつけた。正直接客は得意ではないけれど、アパートからも近く、時間を持て余していた俺は即頼み込んでバイトを始めた。
大学2年になってすぐ、店長が体調を崩し、代わりに来たのが今の店長だ。前の店長の息子で、ずっとフリーターだったが一念発起して両親のあとを引き継いだらしい。
少し長めのボサボサの茶髪を後ろで結び、黒縁眼鏡から覗く目はいつも少し眠たそうにしている。鼻のそばかすのため若く見えるが、年齢は俺よりも10コ以上上だ。どこか抜けているが愛想はよくて、客からも従業員からも慕われる。‥そんなところが前の店長と似ているなと思った。
そして、友利が入ってきたのは7月の終わり。地元高校に通う2年生で、ド派手な金髪と今流行りの服装が嫌でも目につく。しかも
「一目惚れしました!」
初対面での第一声がそれだったから、印象は最悪だった。
「‥俺、男だけど」
「え‥‥‥‥‥えーーーっ?!」
やっぱり勘違いしてたか。驚くほどのオーバーリアクションを見せたあと、頭を抱えて座り込み何やらブツブツ言っていたから、てっきり諦めると思ったんだけど‥勢いよく立ち上がった友利は完全に開き直っていた。
「お、男でも構いませんっ!一目惚れしました!俺と!付き合っ」
「無理」
「なんでですかーーー!!理由は?!」
「色々だよ。あと声デカい」
面倒ごとに巻き込まれるのは懲り懲りだ。できればあまり関わりたくないなと思っていたのだけれど。
「あの、相沢‥こんな状況で頼むのは本っ当に申し訳ないんだけど‥友利の教育係を頼」
「はぁ?!」
「あーーゴメン!でも、曜日と時間被るの一番多いの相沢でさ。俺ができたらいいんだけど‥」
いつも忙しそうにしている店長を見ているから無下には断れない。シフトの件でも結構融通を利かせてもらってるし。
「‥分かりました、やります」
「あ‥ありがとー!」
「いいですよ。‥つーか泣かないでください、あと拝まないでください」
不本意ではあるが、俺は友利の教育係を引き受けることにした。
「やった!これはもう‥運命ですね!」
「違えよ」
「よろしくお願いします!」
「人の話聞いてんのかよ‥」
「俺、諦めませんからっ」
「‥‥‥」
号泣する店長の横で無駄に気合の入る友利に、もはや反論する気力も湧かなかった。
*
19時過ぎ、客足が減って友利を休憩にまわす。店長から頼まれた発注作業を済ませ、宅配便のチェックをしていると、俄に入り口が騒がしくなる。
「あ、いたいた!なっちゃん来たよー!」
聞き覚えのある声にギクリとして視線を向けると、手を振る一ノ瀬と目が合った。もちろん、譜久田と中岡も一緒だ。
「は?!なんでいんの?!」
「イッチーがなっちゃんのバイトしてるとこ見たいって言うから‥来ちゃった」
「来ちゃった、じゃねえよ。譜久田止めろ」
「ええっ?俺??」
思わず睨んでしまい、譜久田に本気で怯えられた。
三人が揃うととにかく騒がしい。特に一ノ瀬の高めの声は店の端から端まで筒抜けで、コーラを買うかファンタを買うかで悩んでいるのまで分かってしまった。
「なっちゃんこれください!」
「489円」
「えー!もっとちゃんとやってよー!!」
「は?面倒くせえ」
「もー、オレお客っ!ほら、お弁当だよ?アレ、聞いて聞いて!」
「‥‥温めま」
「ますますー!!」
「‥‥‥」
あまりの声のデカさに弁当を落としそうになる。コイツはホント‥人の話を最後まで聞かないな。っつーか、温めても家着く頃には冷めてんだろうが。
「相沢ゴメン、あとで叱っとくから」
そう言う譜久田は完全に一ノ瀬の保護者だ。
「大丈夫、弁当と一緒にチョコレートも温めておいた」
「‥‥‥ふふっ、おう」
「ねえねえ俺も!なっちゃんこれください」
「316円です。箸はお付けしますか?」
「‥いや、これプリンだから」
「はい、温めます」
「プリンだからっ!!」
そんな冗談混じりのやり取りをしていると昨日のことを思い出して、何だか少しこそばゆい。
「なっちゃんまたね!バイト頑張って!」
「おう、またな」
「お騒がせしました」
「いいよ。またどーぞ」
「あ、なっちゃん今日何時まで?」
「23時」
「あとで電話してもいい?」
「おー」
三人が帰ると急に店内が静まり返り、どっと疲れが出る。それと同時に少しだけ寂しくも感じて、俺は小さく息を吐いて誤魔化した。
「相沢の友達?」
いつの間にか外出先から戻ってきていた店長にそう声をかけられて、ちょっとハメを外しすぎたかなと、なんとなく気まずい。
「あ、まぁ‥そんなんです。スンマセン、うるさくして」
「全然いいよ。‥ははっ、珍しい」
「何がですか?」
「相沢も笑うんだなーと思って」
「‥っ、笑ってません!」
ガラにもなくムキになってしまったから、もう一度店長に笑われた。
「大学関係?」
「はい」
「‥そういえば、相沢どこ住んでるんだっけ?」
「穂高三丁目ですけど」
「お、この辺じゃん。‥でも大学からは遠くない?」
「あー‥あんま知り合いに会いたくなんいで」
「そっか、相沢はプライベートは割り切りたい派かあ」
「まあ‥店長もこの辺りなんですか?」
「俺?俺はね‥ここ」
「‥は?」
「この上、俺んちなの。一階がコンビニで、二階が住居」
「‥そう、だったんですね」
緊急の用件があって連絡すると、いつもすぐに駆けつけてくれていたからずっと疑問に思っていたのだけれど‥通りで早いわけだ。
「いつでも遊びに来てね。相沢だったら大歓げ」
「あーーー!俺もーーー!!」
店長の言葉を遮るように、馬鹿でかい声が店内に響く。その正体はもちろん友利で、バタバタと足音を立てながら猛スピードで俺たちの方に走ってきた。
「びっ‥くりした、友利休憩中だったのか」
「店員ズルいっす!何で夏生さんと二人でそんな楽しそうな約束してるんですか?!俺も遊ぶの混ぜてくださいよー!」
「いや、遊ばねえから」
この日は終始騒がしくて、バイトが終わる頃にはガラにもなく結構ヘトヘトになっていた。帰りにチョコレートケーキなんか買って、久しぶりに自分を甘やかすのもいいかもしれない。ロッカーにユニフォームを片付けながら、俺はそんな小さな幸せに心を踊らせていた。
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