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〈第2部〉第4話

バイトが終わって家に着いたタイミングで中岡から着信があり、俺は買ってきた500mlのミネラルウォーターを一口飲んでから電話に出る。 「もしもし」 『もしもし?いま家?』 「おー。ちょうど着いたとこ」 電話で話すときはまだ少しだけ気が張ってしまうのだけれど、先程バイト先で会ったばかりなので今はそれほど緊張はしていない。 『今日は突然ゴメンな』 「いいよ、別に。つーかよく場所分かったな。俺教えたっけ?」 『んーん、店の名前が珍しかったから覚えてた。駅降りて、イッチーが超でかい声で「おれんじマートどこですかー?!」ってめっちゃ人に聞いてくれて‥すげー楽しかった』 その光景が簡単に目に浮かんで思わず吹き出してしまった。一ノ瀬のコミュニケーション能力はもはや才能だと思う。 ‥それはそうと、中岡がこんな時間に電話を寄こすなんて珍しい。 「それで‥何?急用?」 『あ、そうそう!なっちゃん今度の水曜って夜時間ある?』 「水曜は‥早番だから夜なら‥」 『ホント?!やった!』 急に大声をだすもんだから、耳に直撃して思わず眉間にシワが寄る。 「び‥っくりした。何?」 『ゴメンゴメン!そしたらさ、水曜日17時に俺んちの最寄り駅で待ち合わせな』 「ちょっ、詳細なしかよ」 『へへへー、当日のお楽しみ!』 「はあ??」 ‥ちっとも話の趣旨が分からない。そのまま電話を切られて、俺の疑問はその後も深まるばかりだった。 * 水曜日、16時52分。電車が待ち合わせの駅に到着してホームへ降りる。“電車乗るからホームで待ち合わせな!”とメッセージをもらったから、改札へ向かう人の波に逆らって反対方向に歩く。間もなくして名前を呼ばれ、振り返ると笑顔で手を振りながら中岡が駆け寄ってきた。 「なっちゃん早かったね。待った?」 「‥‥」 「あれ?怒ってる‥?」 「‥当日まで情報一切なしとかありえねえんだけど」 結局電話のあとも詳しい話は全くされなくて、俺のモヤモヤは現在ピークだ。ジト目で中岡を見ると、慌てて謝ってきた。 「わー、ゴメンって!今日はさ‥ここに一緒に行きたくて」 中岡が指差した先には夏祭りのポスターが貼ってあった。 「だったら‥別に隠すことないだろ」 「や、『夏祭りデート』って言ったら、なっちゃんに引かれるかなぁ‥とか思っちゃって」 いつも突拍子もないことを平然と言うくせに、時々こんな風に変に気を使われるから調子が狂う。 「バーカ、引かねえよ」 頭を掻きながらはにかむ中岡を小突くと、俺はホームに入ってくる電車に視線を移した。 電車に揺られること20分。会場が近づくにつれて浴衣を着ている人が目立ってくる。 「なっちゃん絶対浴衣似合うわー‥‥‥‥あ、うん、似合う」 「おい、勝手に変な想像してんじゃねえよ」 「え‥あ、声出てた?」 「丸聞こえだっつーの」 少しだけ気まずかった中岡との距離も、いつの間にか普段通りに戻っていて安心した。 車内にも先程と同じポスターがいくつも貼られている。しかし‥流石に“隣町でやる”しか情報をもらっていない俺は不安しかない。 「なあ、今日のって結構有名なやつなの?」 「んーん、地域の祭りだから規模は小さいみたい。だけどラストに結構本格的な花火があがるらしくて‥出店もあるんだって」 そう言われて地元の夏祭りを思い出した。家の近くの神社で毎年行われている小さな祭りで、近所の人たちが屋台をやってた。それなりに花火もあがって、小学生のときにばあちゃんや空手の仲間と行ったっけ。最近はすっかり縁がなかったけど。 「なっちゃんは何食いたい?」 「ん?あー‥焼きそばとお好み焼き。じゃがバターだろ、フランクフルトにあんず飴と‥」 「‥前も思ったけど、なっちゃんってめちゃめちゃ食べるよね」 「そうか?‥あ、あと絶対かき氷」 「あははっ、じゃあ全部食うか!」 そんなことを話していると、間もなく駅に到着した。 祭りの会場は住宅地を抜けたところにある小学校のグラウンド。花火は近くの城跡から打ち上げられるらしい。地域の祭りとは言え、それなりに人が集まって賑わいを見せる会場に、久しぶりに胸が踊る。 「なっちゃん‥俺もうお腹いっぱいなんだけど‥」 「早くね?さっき全部食うって言ってただろ。あ、次イカ焼‥」 「待って、さっきイカ焼きとか言ってなかった!!あ、あっち行こ!射的とか!金魚すくいとか!!」 「‥しょうがねえなぁ」 まだまだ食い足りないけど、中岡に促されてグラウンドの中央にある特設会場へ行ってみることにした。 「見て見て!金魚すくい大会やってる!」 会場の中央に置かれたブルーのプラスチック製プールを、たくさんの見物客が囲んでいる。どうやら準決勝が行われているようで、かなりの盛り上がりようだ。 「この辺、“金魚の町”って言われてるらしいよ。金魚すくいの全国大会とかもここでやるんだって」 「全国大会とかあんだ。すげ‥つーか全然破れねえじゃんアレ‥‥うわ、一気にあんなにすくえんの?え、まだいく?!すごくね?!」 「‥‥ふふっ」 「何?」 「んーん。あ、せっかくだから俺たちもやってみる?屋台あったよ」 「あー‥生き物飼う余裕ねえなぁ」 「うーん、そうだよな‥‥あ、アレは?あそこのやつ」 大会会場の片隅に、“ソフト金魚すくい”と書かれた子供向けの屋台があった。ビニールプールに色とりどりのおもちゃの金魚が浮かんでいて、少し透明なそれは明かりに照らされると何だか宝石みたいに見えた。 「よーし、これなら10個はいけるだろ」 「マジかよ」 「カッコイイとこ見せる!」 「おーがんばれー」 「ちょっ、棒読み!!」 ‥そんなこんなで、意気揚々と挑んだ中岡だったのだが。 「あははは、お兄ちゃん気合入りすぎ」 「‥‥‥‥」 調子に乗って一気に3個もすくおうとしたから、ポイはすぐに破れて撃沈。周りの子どもたちにも笑われる始末だ。 「10個はいけるんじゃなかったのかよ」 「とどめ刺さないでよ‥‥つ、次はなっちゃんの番!」 「‥‥ふう」 中岡のを見て学習した。 ここは慎重に1個ずつ‥‥‥‥ 「なっちゃんすげー!2個もすくえた!」 「へへっ、簡単かんた‥」 「うわー、あのお兄ちゃんたち2個で喜んでやんの!かっこ悪ー!」 「なっ‥」 そう言われて振り返ると、大量の金魚を持った子どもたちがドヤ顔で立っていた。 さらに。 「普通はこれ、5個くらいはすくえるんだわ」 「‥‥‥‥」 屋台のおっちゃんの言葉を聞いて、一刻も早く立ち去りたかった。 「金魚すくいって難しいんだなー」 「お前が下手すぎんじゃね?」 「えー!なっちゃんだって人のこと言えないじゃん」 「お前には勝ったし」 手のひらに収まる緑とオレンジの小さな金魚を眺めながら、そんな話で笑い合う。本気で悔しがる中岡がすごく子供っぽく見えて、なんだか可笑しかった。 「中岡、手ぇ出して」 「ん?こう?」 「はい」 「え‥?」 「ソレ、一個やるよ」 「いいの?」 「おー。お前があまりにも不憫だから」 「なっちゃん、真顔で傷口抉らないで」 堪えきれずに吹き出したタイミングで腹の虫も鳴った。そういやまだ全然食ってなかったんだった。 「さー続き食うぞー。お、イカ焼き発見」 「やっぱ食うのね、イカ焼き」 手に持った緑の金魚をジーンズのポケットにしまい、俺は少し早足で再び屋台の方へと向かった。 「だいぶ人が増えてきたな」 「もうすぐ花火が打ち上がる時間だからね」 「帰りの電車混みそ‥」 「最後までいたらちょっと電車待つかもね。‥帰ろっか」 「花火見なくていいのかよ」 「んー、歩きながらでも見れるし」 「そっか。‥あ」 「どうしたの?」 「かき氷、食ってねえ」 「‥‥‥ぷっ、買ってきていいよ」 会場は人で溢れていたのに、少し住宅地に入ると灯も少なくて通り過ぎる人も疎らだった。 「早く出て正解だったね」 「だな」 駅までのわずか10分ちょっとの距離を、かき氷を食いながらゆっくりと歩く。 「それレモン味?」 「ん。食う?」 「うん。あーん」 「しねえよ」 「そこは勢いでしてよ!」 「なんだよ勢いって。ほら」 容器を中岡に渡すと、不機嫌そうな顔で一口頬張った。‥と、にわかに空が明るくなり、間もなくしてドンという破裂音が聞こえてくる。 「お、始まった」 振り返って空を見上げると、真っ赤な光が夜空を彩っていた。 「少しだけ見てく?」 「そうだな」 道の端に寄ってもう一度空を見上げる。この辺りはマンションが少なくて、ここからでも十分に花火を見ることができた。最初は間をあけてひとつずつ単色の花火が打ち上がり、一瞬で消えてしまう赤や緑の光の花に寂しいような切ないような、複雑な感情が湧き上がる。徐々にその間隔が短くなり、気がつくと夜空一面を光の粒が覆い、その華やかさと儚さに俺は目が離せなくなっていた。 「綺麗‥」 「‥‥うん、すげー‥綺麗だ」 すぐ近くで声がした気がして咄嗟に中岡の方を向くと、唇に柔らかくて温かい感触が伝わってきた。それはすぐに離れていって、俺は状況を飲み込めないままゆっくりと中岡を見た。 「やっとキスできた」 そう言われて急に恥ずかしさが込み上げてくる。いま、キス‥‥したのか。 「ははっ、なっちゃん真っ赤。‥‥ねぇ、もう一回してもいい?」 「〜〜〜っ、しねえ!!!」 「あっ!待ってなっちゃん、かき氷‥」 「もういらねえ!お前にやるっ!」 いつの間にか花火の音は止んでいた。祭りは終わって、すぐにこの辺りは電車で帰宅する人でいっぱいになるだろう。電車が混む前に、早く帰らないと。‥そんな模範解答で本心を隠しながら、俺は中岡に背を向けて駅へと急ぐ。首元の汗を拭うフリをしてそっと唇に触れると、ぴりっと全身に電気が走った。 “ファーストキスはレモンの味”なんてくだらねえとか思ってたけど‥なにときめいてんだよ、俺は。

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