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〈第2部〉第5話

「‥‥‥‥‥」 「あー‥今日は楽しかった、ね」 「‥お、おー。‥‥」 早めに会場を出たおかげで乗り込んだ電車はそれほど混んでいなかった。ドアの近くに立ってポツポツと会話を交わすが、中岡の問いかけに俺はぎこちなく答えることしかできなくて、それは中岡も然り。ついには会話も途切れ、妙な沈黙が続く。 「‥ははっ、なーに緊張してんだか」 お互い探り探りの中、先に現状を打開したのは中岡のほうだった。いつもの明るい口調に少しホッとして、俺も不器用な笑顔で応える。 「‥‥ホント。かっこ悪」 「‥じゃあ、はい!なっちゃん今日のハイライトは?」 「は?なんだよいきなり」 「だって知りたいんだもん。今日一番楽しかったところ、教えて」 「そうだな‥‥やっぱ金魚すくいで誰かさんが結果ゼロだったとこかな」 「えー、そこかよっ!!」 相変わらずのオーバーリアクションに思わず笑い声が漏れた。‥と、車内アナウンスが聞こえて次が中岡の降車駅だと気づく。振り返ればあっという間だった。そう思えるのはきっと楽しんでいた証拠だ。 「‥なっちゃん、あのさ」 「んー?」 「今日、ウチ泊まんない?」 「‥‥‥‥え?」 「あっ、やましいこととか考えてないから!なんかこのまま別れるのも寂しいし、もう少し一緒にいたいなって思って。あわよくばもう一回くらいキスできるんじゃないかとか、全然考えてないからっ!!」 予想外の誘いに思わず固まっていると、中岡は慌てて釈明を始め、それがなんか‥正直すぎて笑えた。時々垣間見えるこういう裏表のないところに安心して、俺は中岡の前ではほんの少しだけ素直になれるのかもしれない。‥俺も、中岡ともう少し話をしたいと思っていたから。 「‥俺、何も持ってきてないんだけど」 「っ‥ふ、服は俺の着て!足りないのはコンビニで買ってこ!あ、飲み物切らしてる‥これもコンビニで買ってこ!!」 「お前‥なんか必死すぎて引くわ」 「えーー!!」 本気で凹む中岡が可笑しくて、俺はもう一度声を出して笑った。 駅前のコンビニに寄って必要な日用品や食材を買い、中岡のアパートに着いたのは22時過ぎ。「先にシャワー使って」という言葉に甘えて、俺は中岡に借りた着替えと今しがた買ってきた下着を持って浴室へと向かった。 「‥‥‥‥‥はぁ‥‥」 「なに?」 「やばい、なっちゃんが俺の服着てる‥」 「‥‥‥」 いつもよりワンサイズ上のTシャツとジャージは俺には少しだけ大きめだった。両手で顔を覆って項垂れる中岡に冷ややかな目を向けながら、俺は小さくため息を漏らす。 「お前、いちいち反応しすぎなんだよ」 「いやいやいや!するでしょ、普通‥‥あ、次はぜひ彼シャツを」 「着ねえよ!‥はぁ。今度来るとき自分の持ってくるから‥置いとけよ」 「あ、うん‥‥‥‥‥‥え?それって‥」 中岡の視線を受けてようやく自分の失言に気づいた。“置いとけ”って‥これからも泊まりに来るって言ってるようなもんじゃん。 「あ‥いや、今のナシ」 慌てて訂正したけど遅かった。反らした顔からは火が出そうだ。 「なっちゃん可愛いすぎ‥」 「はぁ?!可愛いとか嬉しくねえんだけど!つーか早く風呂入ってこいよ、先寝んぞ」 「えっ、あ、ちょっと待って!寝ないで!すぐ行ってくるから」 着替えを引っ掴んで風呂場に駆け込む中岡を見送って、俺はベッドにもたれ掛かる。 “綺麗”とか“可愛い”とか言われるのは嫌いだ。だって俺は男だから、そんな女に言うような言葉はいくらもらったって嬉しくも何ともない。それなのに今日は、何か変だ。言われる度に動揺して、うまく対応できない。‥そんなことをぐるぐると考えていると 「なっちゃーん!起きてるー?!」 風呂場から中岡の叫ぶ声がして我に返る。 「うるせーぞ!」 そう言い返して思わず笑ってしまった。ひとりで考えすぎて、馬鹿みたいだ。 「なっちゃんベッド使ってね」 宣言通り10分ちょいで風呂を済ませた中岡は、クローゼットから布団を取り出しながらそう俺に言う。 「何でお前んちなのに俺がベッドなんだよ」 「だって、布団硬いし‥」 「そのくらい平気だって。それに俺、普段布団だから慣れてるし」 「え、そうなの?うーん‥‥いや、やっぱベッド使って!俺だけベッドで寝るとか無理!これからなっちゃんが泊まりに来るたびにこんな気持ちになるの、俺耐えられ‥」 「あーもう分かったから!ベッド借りるから!」 ‥結局断りきれなくて、俺がベッドを使うことになった。 「なっちゃん、先横になってていいよ」 「お前、さっきから気ぃ使いすぎ」 中岡の家に着いてから、もてなされっぱなしで何だか落ち着かない。何か手伝うことはないかと聞いても「座ってて!」と言われるばかりで、今もこうして中岡が布団を敷き終わるのをベッドに腰掛けて待っている。色々してくれるのはありがたいが、いつまでも客人扱いされるのは少し面白くない。 ‥いつから俺は、そんな風に思うほど我儘になったのだろうか。 「よし、できた。‥あ、そうだ!」 「‥‥なにしてんの?」 「えーと‥あ、あった!これこれ」 「あ、さっきの‥」 突然鞄の中身を物色し始めた中岡がおもむろに取り出したのは、祭りの戦利品のオレンジ色の金魚だった。 「これをここに‥‥お、どう?可愛くね?」 「ははっ、まあ‥いいんじゃねーの」 ウッドラックにちょこんと置かれた一人暮らしの男の部屋には似つかわしくないファンシーな小物も、それを見て満足げにしている中岡も何だかすごく可笑しい。可笑しいけど‥嫌いじゃない。 「‥そういえば、お前の今日のハイライト、聞いてないんだけど」 「俺の?」 「おー。やっぱ金魚すくい?」 「‥なっちゃんって時々すごく意地悪だよね」 「そうか?」 今日はどうやら笑いのスイッチが入っているらしい。中岡の反応がいちいち可笑しくて、ケタケタと笑っていたら、不覚にも中岡が隣に座ったことに気づくのが遅れてしまった。 「そんなの決まってるじゃん。俺のハイライトは、なっちゃんとキスできたことだよ」 吐息が頬を掠めて咄嗟にビクつく。 「ふふっ、なっちゃんやっぱ可愛い」 「‥っ、だからそれ言うなって!俺男だっつーの‥!」 前触れもなくやってくるこの甘ったるい空気が、俺は少し苦手だ。中岡の肩を押し返して距離をとるが、腰が引けてまるで威圧感がない。 「なっちゃんは可愛いよ?笑った顔も、照れてる顔も、そういうこと気にしちゃうところも、可愛くて俺は好き」 そんなセリフ、真顔で言うなよ。‥そう言って小突くと、中岡は笑って俺の顔を覗き込んできた。 「なっちゃん、もう一回キスしてもいい?」 「やましいことは考えてないんじゃなかったのかよ」 「ごめん、ホントはちょっと考えてた」 「‥バカ正直」 見つめ合うと自然と笑みが溢れる。今日は笑ってばかりだ、そう思いながらゆっくり目を閉じると間もなくして中岡の唇が触れてきて、さっきよりも少しだけ長めのキスをした。 「あーーークソっ!」 「は?えっ、何?」 「ホントはベッドで一緒に寝たいけど、初めての泊まりでそれは下心見え見えでどうなのかなって思うから別々に寝るって決めてるけど‥我慢するのマジつらい!!」 「‥それ、口に出さなきゃホント紳士だと思うよ、お前」 中岡の肩をポンポンと叩き、俺は早々にベッドへ潜り込んだ。 今日は本当によく笑った。明日もそうであったらいいな、なんてガラにもなく思ってみたり。 背中越しに俺を呼ぶ中岡の情けない声は、最後まで聞こえないふりを決めこんだ。

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