20 / 31
〈第2部〉第6話
早朝6時。深夜勤務のスタッフと挨拶を交わして持ち場を代わる。引き継ぎの連絡ノートに目を通しながら閑散とした店内からドア越しに行き交う人を眺める、朝のピークが始まる前のほんの少しの時間が俺は好きだ。
「夏生さーん!おはようございます!はーー今日もいい匂いですねぇ‥」
「‥‥‥‥」
そんな俺の時間を見事にぶち壊してくれた友利は、今日も相変わらず‥声がでかい。最近のシフトは友利とほぼ一緒で、終始こんな調子なもんだからいい加減気が滅入る。
「‥ホント懲りねえな、お前」
「だって好きなんですもん!」
“好き”
そう言い切る友利は清々しい。‥そういえば俺、中岡にそんな風にちゃんと言ったこと‥ないかも。
「夏生さん?」
「え?なに?」
「どうかしました?」
「‥なんでもねえよ。お前もこれ見とけ」
乱暴に引き継ぎノートを手渡して、俺はピークに備えて品出し作業へと向かった。
「夏生さんって、なんでピアス片耳だけ開けてるんですか?お守り的な何かとか?!あー俺も開けようかなー」
「何も言ってねえし。っつーかマジでやめてくれ、さすがに引くわ」
「えーー引かないでくださいよー!」
朝のピークが一段落して、店内の掃除をしながらそんな会話を交わす。友利のテンションの高さとオーバーリアクションを見て“若いな”なんておっさんみたいなことを思う。
友利がこの店に来てもうすぐ1ヶ月になる。意外にも物覚えが良くて、もう教えることはほとんどなくなり、最近はこうして雑談することも増えた。しかし‥相変わらず何でここまで俺に執着するのか訳がわからない。ルックスだって悪くないから、普通にしていたらそれなりにモテそうなのに。
「‥なあ、お前何でバイトしてんの?」
そういえば。いつも一方的に話を振られるばかりで、俺はこいつの事をほとんど知らない。以前からなんとなく気になっていた事を、この際だから聞いてみようと思った。
「あれ?言ってませんでしたっけ?俺んち片親なんっすよ、だからビンボーで。小遣いくらい自分で稼ごうかなって思って」
もっとテキトーな答えが返ってくると思っていたから、真っ当な理由で面食らってしまった。しかも、よりにもよって一番触れてはいけない部分に触れてしまった気がする。
「あー‥なんか悪い、変なこと聞いて‥」
「わーー全然っ!気にしないでください!母ちゃんと楽しくやってるんで!っていうか言ってなかったのかよ俺ー!凹むー!!」
「え?そこで!?」
いつもと変わらない様子にホッとして思わず笑い声が漏れた。もう少し話が続けられそうだ。
「お前、趣味とかあんの?」
「趣味ですか?ありますよーたくさん!ゲームにファッション雑誌見ることに‥あ!でも一番はサッカー観戦です。俺、地元チームのファンなんですけど、今度バイト代出たら友達と観に行こうって約束してて!」
「へぇ‥いいじゃん。サッカーは観るだけ?やったりはしねえの?」
「昔はやってたんですけど、中2で怪我しちゃって‥それからは観る専です」
「‥度々悪い‥」
「わーーー大丈夫ですからっ!未練とか全然ないんでっ!!」
二度もやらかしてしまったけれど、友利の明るさに度々救われた。
俺は人と話すのがあまり得意ではない。他人と関わることを避けてきたから、自分から話しかけるということに必要性を感じていなかったのだ。だから今も正直、何の話を振ったらいいかずっと頭を悩ませている。そのくせ、“相手のことを知りたい”と思っている自分がいて‥すごく不思議だ。もしかしたらこれは、身近にいるお人好しでお節介な誰かさんの影響なのかもしれない。
「高校はこの辺りだっけ?」
「はい!チャリ通してます!あ、俺こう見えて結構勉強できるんですよー!」
「へえ、そう‥」
「あー信じてないでしょ?!絶対信じてないですよね?!金髪だから?眉毛ないから?いいです、わかりました。今度テストの順位表持ってきますから!褒めてください!!」
「いいよ持ってこなくて‥あと褒めねえし」
「褒めてくださいっ!!」
「‥じゃあ次の試験で学年5位以内だったら」
「それはムリですーー!!」
「うるせえ!声がでかいんだよ、お前!」
‥こんな調子で、その後も友利とは手が空くと話をした。1聞くと10返ってくるから、中にはホントどうでもいい情報もあるんだけど‥全てに全力で答えている姿が妙に可愛いなと、またおっさんみたいなことを思ってしまった。
「‥俺、お前のこと誤解してたわ」
「え?誤解ですか?」
「今までずっと、チャラくてただの変な奴かと思ってたけど」
「そ、そんな風に思ってたんですか?!」
「まあ‥っつーか今もそうだけど」
「えー!!で、で、変わりました?」
「おお。‥‥いい奴だな、お前」
「‥で、でしょー!俺いい奴です!!」
「自分で言うなよ。‥ははっ。ホント、お前と話すのすげえ楽しいわ」
「‥‥っ、夏生さ‥」
「お、もうこんな時間か。お疲れ友利。先、上がっていいぞ」
「‥あ、はい。お疲れ様でした。‥」
友利の背中を見送り、俺は上がり作業に取りかかる。
話してみて分かることがたくさんある。そんな当たり前のことにやっと気づくなんてつくづく馬鹿だなと思う。今まで散々人との繋がりを断ってきたことを思い返して少しだけ寂しく感じたけれど、今更悔いてももう遅いんだと悟って、俺は小さく苦笑った。
13時過ぎ、午後勤務のスタッフに軽く引き継ぎをして店を出る。今日はこのあと中岡との約束があって、“店の前で待ち合わせ!”とバイト中にメッセージが来ていたのを思い出し辺りを見回していた。
「夏生さん!」
名前を呼ばれて振り返ると、そこには先ほど別れたはずの友利がいて驚いた。
「お前、帰ったんじゃなかったのかよ」
「夏生さん、あの‥‥好きです!」
「‥そりゃどーも。じゃ、また明日な」
わざわさそんなことを言いに戻ってきたのだろうか。友利のことは中岡には話していない。なんとなく、面倒になるのが嫌だったから適当にあしらったが、立ち去ろうと歩き出したところで腕を引かれた。
「なに?まだ何かあんの?」
「俺‥本気です。今日たくさん話して、前よりもずっと好きになりました。夏生さんのこともっともっと知りたいです。俺と、付き合ってくれませんか‥?」
いつもの明るい雰囲気はなくて、初めて見る真剣な表情に少し動揺してしまう。それでも友利に応えることができない俺の返事はいつもと変わらない。
「だから、そう言われても困るんだって」
「なんでですか?俺が‥男だからですか?」
「それは別に‥」
「じゃあどうして」
「あー‥」
“付き合っている奴がいる”
きっとそう言えばいいんだろうけど、まだなんとなく恥じらいがあって言葉に詰まる。普段は粗暴なことも躊躇いなく言うくせに、肝心なときに何も言えないなんて情けない。
返事を急かすように視線を送られ、掴まれた腕に力が入ったその時。
「なっちゃんどうしたの?」
声のする方を振り返って中岡の姿を確認すると、思わず安堵のため息が漏れた。が、安心したのも束の間、この状況は非常に‥ややこしい。友利はめちゃめちゃ中岡のこと睨んでるし、中岡は固まってるし。
「どちら様ですか?いまちょっと取り込み中なんですけどっ!」
「友利!‥おい中岡っ、なんとかしろ」
思わず助けを求めてしまった。‥でももしかして中岡なら、何か上手いこと言ってこの場をおさめてくれるかもしれない。俺はそんな淡い期待を抱いたんだけど。
「え?え??‥‥うん、分かった」
そう言うと中岡は何故か俺の体を引き寄せて、そのまま勢いよく唇を重ねてきた。
‥ちょっと待て。なんだこの展開は‥‥!!
訳がわからず固まっていると、中岡の笑顔が目に飛び込んでくる。
「これでよかった?」
「‥‥っ、よくねえ!!!」
叫ぶのと同時に右手が動いていた。
そうだ、こいつはこういう奴だった‥
「あれ?相沢と友利じゃん。何やってんの?店の前で‥」
「あ、店ちょ‥」
「店長ー!夏生さんに‥フられましたー!!」
「え?今更?!最初からフられてたじゃ‥」
「うわーーん店長ひどいーー!!」
「‥‥‥はあ」
店長に一部始終伝え、泣きわめく友利をなんとか落ち着かせて、俺と中岡はその場をあとにした。明日も早番で友利とシフトが被る。面倒だがそのときにちゃんと話をしないとな、‥そんな風に思うと早くも気が重い。
「なっちゃん、なんか‥ゴメン」
「‥ああ、いいよもう。結果的になんとかなったから‥っつーか俺の方こそ悪い、加減できなくて‥」
「いいよいいよ、3回目だから多少慣れた」
俺の右手は中岡の顔面にクリーンヒットしていた。自分でやっといてなんだけど、赤く腫れた頬が痛々しい。
「それにしても‥大学以外にもライバルがいたなんて盲点だった」
「は?なに?」
「んーん、もっと頑張んなくちゃって思っただけ」
「なんだよそれ」
頬をさすりながら笑顔でそう言う中岡につられて、俺も小さく笑った。
駅へ向かう道、さっきの事なんか何もなかったみたいに中岡はいつもの調子で話しかけてきて、それに安心しきった俺は、中岡の問にただただ答える。‥今まではそれで十分だったけれど、今はそれだけじゃ駄目な気がした。
自分が話し下手なのは分かってるし、なにを今更とも思う。それでも変わらなければ。失ってから後悔するのはもうやめたい。中岡のことを知りたいという気持ちは、自分でも驚くほどこんなにもたくさんあるのだから。
「なあ、中岡」
「んー?」
「お前‥た、誕生日‥いつ?」
頭をフル回転させて出てきた質問がこれとか‥すげぇ情けない。話し下手にも程がある。
「誕生日?4月21日だけど‥そういえば言ったことなかったね。なっちゃんは?」
「俺は‥‥あ、来週だ」
「‥えええ!?ちょっ、もっと早く言ってよ!なんにも準備できないじゃん!」
「え、いや‥準備とかいいか‥」
「ダーメ!来週誕生日会な!」
「誕生日会って、小学生かよ」
「いいじゃん。‥あ、何か食べたいものとかある?なんでも作るよ」
なんか自分から誕生日アピールしたイタい奴みたいになってんだけど、中岡はすげー乗り気みたいだから‥いいのかな。
「じゃあ‥カレー」
「カレー?そんなんでいいの?」
「おう。お前の自慢の手作りカレー、そういえばまだ食べたことないなって思って」
「覚えててくれたんだ‥‥食べたら俺のこと、もっと好きになっちゃうかもよ」
その根拠のない自信は一体どこから来るのか、毎度不思議で仕方がない。でも迷いがなくて真っ直ぐで‥‥中岡のそういうところが、俺は“好き”だ。
「‥言っておくけど俺、カレーの味にはうるさいから」
「ははっ、頑張ります!」
友利や中岡のように、素直に言えるようになるのはまだ先になりそうだけど、その気持ちに気づけたことは、俺の中で大きな一歩だと思う。
*
翌日。いつもと同じように引き継ぎノートに目を通していると、出勤してきた友利に声をかけられた。
「夏生さんおはよーございます!!」
「お、おはよ」
昨日の今日で会うのは気まずいだろうな‥なんて思ってたんだけど、いつもと変わらないテンションだったから俺ひとり動揺してしまった。‥かっこ悪。
品出し作業中、何気ない会話をポツポツ交わしながら、どうやって昨日の話を振ろうか考えていると、突然立ち上がった友利に勢いよく頭を下げられて思わず動きか止まる。
「昨日は‥すみませんでした!」
「ビ‥ックリした。もういいよ‥っつーか、俺がちゃんと言わなかったのがいけなかったんだし、その‥悪かった」
友利には悪いことをしたと思う。最初から伝えていたら、こんなにややこしくはならなかったはずだ。
「ズルい‥そんな顔されたら諦められないじゃないですかぁ‥」
「は?」
そんな顔ってなんだよ。普通に謝っただけなんだけど。
「相沢、友利、おはよー」
「あ、店長!おはようございます!」
「お疲れ様です。‥‥?」
店長は今日、昼からの勤務のはずじゃ‥‥もしかして、昨日のことで俺たちを気にかけて来てくれたのかもしれない。こういう気配りが有り難い。
「友利は今日も元気だなー。失恋の傷はもう癒えたのか?」
「い‥癒えてませんよー!昨日めっっちゃ泣きましたーー!!!」
‥って、傷抉ってるから!!
どこか抜けている店長は、もしかしたら一番の要注意人物なのかもしれない。‥と思ったのも束の間、俯いた友利が震えだし‥爆発した。
「だけど‥悔しいけど‥‥あんなイケメンに勝てるわけないじゃないですかー!!!なんなんですかあの爽やかな笑顔!安定感!抱擁力!!一個も勝てませんよ!!それに、あんなのドラマとかでしか見たことないですよ!!俺にはできません‥あんな大胆に道のど真ん中でキ‥むぐっ」
「もういいから!!」
店長の一言で急にネジが外れたみたいに喋りだした友利に呆気にとられていると、突然大声でとんでもないことを言いそうになったから、俺は慌てて友利の口を押えた。‥っつーか、アレのどこに安定感と抱擁力を感じたんだよ‥。
「え?なに?昨日何があったの?!」
「いいんで、店長は知らなくていいんで‥!」
「んぐぐ‥‥ぷはー!俺決めました!俺やっぱり‥夏生さんのこと好きです!だからこれからは、人生の先輩として夏生さんのことリスペクトします‥!一生ついて行きますんで!!」
「いや、ついてこなくていいから!」
「相沢は本当モテモテだなー」
「‥店長はもう帰ってください」
「えー!ここ俺の店ー!!」
早朝6時。客のいない店内で男三人何やってんだか。せっかくの俺の時間が台無しだ。
‥でも割と、嫌な気はしなかった。
ともだちにシェアしよう!