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〈第2部〉第7話
“明日は17時にウチに来てね!カレー作って待ってます!”
中岡からのメッセージに気づいたのは、バイトが終わって日付が変わった頃だった。
8月22日。今日は俺の誕生日だ。
ここ数年は何をするわけでもなく過ぎていって、“特別な日”なんて感覚はとうの昔に忘れていた。もちろんこれからも、そんな日が来るなんて思ってもみなかったんだけど、メッセージと共に届いていた陽気に踊るうさぎのスタンプを見ていたら、何だか不思議な気持ちになる。ふと鏡に映った自分のにやけ顔に気づいて、俺は慌てて顔を反らした。
*
「なっちゃん、誕生日おめでとー!」
部屋のドアを開けたと同時に、クラッカーの破裂音と中岡の陽気な声が耳に入る。“玄関開けとくから入ってきてね”とメッセージが来ていて不思議に思っていたんだけど‥こういうことか。ホント、いつも子供みたいなことをするなと少し呆れてしまうけれど、頭に乗っかった紙テープを摘んで火薬の匂いがほんのり香ると、なんだか少しくすぐったく感じた。
「なっちゃん早く早く!」
急かされるように手を引かれて部屋の中に入ると、テーブルにはたくさんの料理が並べられていた。タンドリーチキンにココットに夏野菜の煮浸しに春巻きにマリネに‥っつーか多すぎんだろ、これ!
「じゃーん!見よ、今日の優介スペシャル!」
「名前サイアクだな」
「うわっ、いきなりダメ出し!」
「‥今日、他に誰か来んの?」
「ん?来ないよ?」
「量多くね?」
「気合入りすぎて作りすぎちゃった」
「‥‥お前、マジでアホだな」
「てへ♡」
「気持ち悪いわ。でも‥美味そ」
「カレーもあるからね!一番の自信作!」
「おー、早く食おうぜ。俺腹減って‥」
「‥‥ふっふっふ」
「な、何?」
「ちょっと待ってて!」
怪しげな笑みを浮かべてキッチンへ走っていった中岡。戻ってくると手に持っていたのは洒落たワインボトルだった。
「じゃーん!祝、ハタチ!祝、アルコール解禁!」
「‥?」
「俺、誕生日4月じゃん?だから一人でちょこちょこ飲んでたんだけど‥これからはなっちゃんと一緒に飲めるなーって思って!初めてだからフルーツワインにしてみました」
‥‥あれ、もしかして俺‥
「あのさ、中岡」
「ん?」
「俺、今年21なんだけど」
「‥‥‥‥‥‥え?えええーっ?!知らない!何その告白!!なんで言わないんだよそんな大事なこと!!」
「え、聞かれなかったか‥」
「いやいやいや、聞かないでしょ!同じ学年なんだから同い年と思うでしょ!普通!!」
「お前うるさい」
あまりの大声に思わず顔を顰めると、我に返った中岡は小さくごめんと謝ってきた。‥いや、話さなかった俺も悪いんだけど。
「なっちゃん年上なんだ‥浪人したの?」
「まあ‥色々あって」
「‥そっか。うん、でもまあ‥なっちゃんはなっちゃんだし!今までと何も変わらないで好きだよ!‥っつーかむしろ、萌え要素が前よりも増したんじゃ‥」
「なに急に真顔で意味の分かんねえこと言ってんだよ」
中岡のポジティブさにはいつも驚かされる。あとサラッと好きとか‥言うなよ‥。
「‥じゃあ、改めて乾杯しよっか!」
「俺、酒あんま強くないんだけど‥」
「少しくらいならいけるでしょ?」
「‥すぐ寝てもいいなら‥」
「‥‥‥‥それはヤダ‥」
「‥メシ、食うか」
「‥うん」
買ってくれていたワインは“また別の日に”っていうことで、結局今日は飲むのをやめた。
テーブルに並べられた中岡の料理は実に多国籍だ。和食が得意って言ってたけど、リクエストのカレーに合わせてメニューを考えてくれたようで、ちょっと感心した。
「中岡って、いつから料理するようになった?」
「んー‥中学ンときからかな。ウチ、弟妹と結構歳離れててさ。両親の帰りが遅いときは俺が夕飯作ったりしてて、そのまま趣味兼特技になった感じ」
「へぇ‥お前、弟妹いんだな」
「うん。それがさ、超好き嫌い多くて。俺がなんとかしなきゃー!って思って色々試行錯誤してたら、段々楽しくなってきちゃったんだ。で、今の大学選んだの」
俺たちが在籍しているのは栄養学科だ。最終的には管理栄養士の資格取得を目指してるんだけど、その理由はそれぞれ違うんだなと、当たり前だけどそんなことを思った。
「なっちゃんは兄弟いるの?」
「いねえ。俺んちも共働きだから、両親いないこと多くて」
「じゃあ料理は独学?」
「最初はばあちゃんに習った。そのあとは本とかで色々勉強した」
「なっちゃん勉強家だもんね。前に見せてもらったレシピノート、あれホントすげーって思ったもん」
昔から気に入った料理や食材をノートに書きとめている。これはばあちゃんの真似なんだけど‥前に一度、そのノートを中岡に見せたことがあった。それを覚えていてくれたことにも驚きだけど、俺からしてみたら中岡も十分勉強家だと思う。
「お前も‥すげーと思うよ。今日の料理、俺作ったことないのばっかりだし」
「ホント?なっちゃんにそう言ってもらえると嬉しいー。もっと褒めて!」
「‥そう言われると褒める気なくすわ」
「えー!ケチー!」
「ケチってなんだよ」
少し褒めただけで凄く嬉しそうで、そんですぐ調子に乗る。そんな俺とは正反対の性格を、時々すごく羨ましく感じる。
「あ、あのさ‥なっちゃん」
「なに?」
「今日は、その‥泊まれる?」
「明日もバイト」
「‥そっか」
「けど遅番だから‥平、気」
「!そっ‥か。あ、じゃあ今日は彼シャ」
「着替え持ってきたから」
最近ツッコミの腕が上がったように感じるのは気のせいだろうか。全身で残念がる中岡を横目に、俺は食べかけのカレーを口いっぱいに頬張った。
「はーーお腹いっぱい!」
「すげー食ったわ」
絶対に残ると思っていた大量の料理は、結局ふたりでほぼ完食していた。
「ふふっ、うん、なっちゃんすげー食ってた。‥俺、なっちゃんが食べてるとこ見るの好きだな」
「は‥?!何だよ突然‥」
「だって超美味そうに食うんだもん。作った方としてはすげー嬉しい」
「それは‥‥美味かったから。‥」
「本当?良かったー」
満面の笑みを浮かべてそう言うもんだから、なんだかこっちが照れる。
「あ!そうだなっちゃん、今からちょっと外出ない?」
「買い出し?」
「んーん、家の目の前」
「?」
「これ、やらない?」
そういって中岡はテーブルの下に置いてあったビニール袋を引っ掴んで中身を取り出した。
「‥花火?」
「うん。今日スーパー行ったときに見つけて思わず買っちゃった。どう?」
「いいぜ。なんかすげー久しぶりだわ」
「俺も俺も。‥あ、バケツ用意してくから先に外出ててね」
時刻は20時少し過ぎ。食後のいい気分転換になりそうだなと思いながら、俺は一足先に玄関を出てベランダ側へとまわった。
「この前のでっかい花火も良かったけど、二人でこうやってする花火もいいもんだな」
「まあ‥そうだな」
小学生ぶりにやる手持ち花火は、昔と少しも変わっていなかった。パチパチと音をたてながら様々な色に変化する灯に見入っていた‥のだが。
「なっちゃん見て見て!あ、これ何て書いてるか分かるー?」
‥いたいた、両手で持ってはしゃぐ奴。空中に文字書いて遊ぶ奴。
「あー‥‥“バカ”?」
「ちがーう!“スキ”だよ、“ス・キ”!しかもそれ、なっちゃんが今思ってることでしょ?!」
「お、正解」
「やった正解‥って、嬉しくなーい!!」
「‥あ、終わった」
タイミングよく火が消えてバケツに放り込むと、花火はジュッと小さな音を立てた。
昔は夏休みになると、庭先で近所の奴と一緒によく花火をやった。別に俺が家に呼んだわけではなくて、ただうちの庭がそれなりに広かったから自然と集まるのは俺の家で、子供だけだと危険だからと、ばあちゃんがいつも見ていてくれた。あの頃から俺は特定の誰かとつるんだりすることはなくて、いつもばあちゃんの側にいて遠くから様子を眺めていた。
「はい、なっちゃん。これが最後」
「‥あ、どーも」
珍しく思い出にふけっていると、中岡に肩を叩かれふと我に返る。手渡されたのは一本の線香花火だった。俺はこの花火が一番好きだ。いつも最後にばあちゃんとふたりでやっていた、思い出の花火。
火をつけると花火の先端には小さな火球ができ、間もなくしてパチパチと弾けて火花が散る。他の花火に比べれば華やかさはないが、必死に燃えて光を放つ様子に目を奪われる。徐々にその火花を強く、激しくさせていく線香花火を見ていたら、昔ばあちゃんがしていた話が頭を過ぎった。
『線香花火はね、人の人生を表してるんだよ。命が宿って、迷いながら一歩一歩進んで、大きな出会いや出来事を経験して‥そしてゆっくり歳をとって静かに幕を閉じる。夏生の人生もきっと素敵なものになるよ』
俺の21年の人生はいつも迷ってばかりだ。人付き合いも進路も、そして今の中岡との関係も、自分が今までとってきた行動が正しかったのか正直分からない。これから先も、変えられない過去を悔いて生きていくのだろうか。目の前の現実に悩み苦しむのだろうか。俺の人生はばあちゃんの言うように、素敵なものになるのだろうか。
「あ‥」
花火を持つ手が少しだけ震えると、小さくなってもなお必死に燃えていた灯がぽとりと落ちて、思わず声が漏れた。終わりがあると分かっていても、その瞬間はやはり寂しい。
「夏生」
突然名前を呼ばれてドキリとした。慌てて顔を上げたからきっとすごく微妙な表情だったと思うけど、後悔する間もなく唇が重なっていた。不意にキスをされるのは三回目だ。どんだけガードが緩いんだよって思ったけど、伝わってくる温かい体温に抵抗することはできなくて、そのままゆっくりと目を閉じた。
唇が離れて、お互い言葉を出せずに無言の時間が過ぎていく。視線を感じて反らしていた顔を中岡のほうに向けると、バチッと目が合ってしまった。
「なっ、なに見てんだよ」
「‥あんな顔、俺以外の奴にはしないでね」
「なんだそれ、意味わかんねえ。あと‥‥なんで急に名前で呼ぶんだよ!なっちゃんでいいだろ!」
「なんか急に名前呼びたくなっちゃって。‥つーか、前は『なっちゃんって呼ぶな!』って言ってたのに‥ふふっ、変なの」
キスよりも名前で呼ばれたことのほうがドキドキするなんて‥訳わかんねえ。
「‥なに考えてたの?」
「あー‥」
“別に”
今までだったらきっとそう答えていたと思う。そうやって相手を拒絶して、遠ざけて、自分の殻に閉じこもっていた。だけど今は‥ほんの少しだけ、話してもいいかなと思った。
「昔‥ばあちゃんから聞いた話思い出してた」
「‥その話さ、俺にも教えてくれない?‥ってか、なっちゃんのばあちゃんのこと、もっと聞きたいな」
本当はずっと聞いてほしかったのかもしれない。大好きなばあちゃんのことを、好きな奴にも知ってほしいと思った。
「‥‥おう」
俺は自分が嫌いだ。ひねくれ者でネガティブ思考、オマケに素直じゃない。‥でも最近、そんな自分が変わったと思う瞬間がよくある。それはきっと、中岡や色々な人たちの影響なんだと思う。皆が俺の手を引いて、新しい世界に導いてくれているのだ。
そう思ったら、嫌でしょうがなかった自分の人生が少しだけ好きになれた気がする。俺の人生も、ちゃんと一歩一歩前に進んでいるのかもしれない。
「そろそろ部屋戻るか‥って、何してんの?」
なかなか立ち上がらない中岡を不思議に思って声をかけると、真剣な眼差しを向けられて再びドキリとしてしまう。
「待ってなっちゃん、立てない‥」
「‥え、なんで?足痺れた?」
「いや、そうじゃなくて‥‥////」
「‥‥?!おまっ‥なに欲情してんだよ!」
「だって!なっちゃんの笑顔が可愛すぎるんだもん!!」
「は?!逆ギレとか意味わかんねえし!先戻ってんぞ」
「え、待ってよ‥痛っ!」
‥ドキドキして損した。しゃがみこんだままの中岡の頭を軽く引っ叩き、俺はバケツをひっつかんで一足先に部屋へと戻った。
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