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〈第2部〉第8話
バケツの中の花火を引っ掴んでキッチンのゴミ箱に捨てて、部屋へと戻る。そういえば‥夕飯食ってそのまま外に出たからテーブルの上には皿が置いたままになっていて、俺はそれらを流し場に運ぶ。しばらくして戻ってきた中岡は少し気まずそうだったが、俺の姿を見て慌てて駆け寄ってきた。
「なっちゃん座ってて!片付け俺がやるよ」
「いいよ。‥優介さん大変そうなんで」
「ちょっ‥その哀れなものを見るような目やめて!もう治まったから!あとこの流れで優介さんとか言わないで!ありがたみなくなるから!!」
「ありがたみって何だよ」
「なっちゃんに名前で呼んでもらえたありがたみ!ほらほら、なっちゃんはあっちに‥」
そう言いながら背中を押す中岡の手をピシャリと振り払う。前から時々感じていた違和感を、この際だと思って俺は中岡にぶつけた。
「なあ、客人扱いすんのやめてくんない?‥あ、いや‥色々してくれるのはありがたいんだけどさ、その‥俺にも何か手伝わせろ。食うだけ食って何もしないのは俺がモヤモヤする」
中岡は一瞬驚いたような顔をして、でもすぐにいつもの笑顔に戻って「わかった」と頷いた。
「そしたら、風呂の前に片付け全部終わらせるか」
「おう」
「風呂のあとでばあちゃんの話な!」
「‥おう」
風呂に入っている間、何を話そうかずっと考えていた。改めて話さなければと思うと妙に考え込んでしまって、風呂から上がって中岡を待っている間も悩んでいたが、考えれば考えるほどまとまらなくて、余計わからなくなってしまった。
「はい、どーぞ」
「‥あ、サンキュ」
ベッドに寄りかかっていると風呂から上がった中岡が隣に腰を下ろし、俺は手渡された麦茶を一気に飲み干して小さく息を吐いた。
「あー‥えーと、その‥」
「‥ぷぷっ、顔引きつってる」
「わ、笑うなよ!こっちは真剣に‥っ痛!」
言葉の途中で鼻をつままれて面食らってしまう。鼻を押さえながらしかめっ面で瞬きしていると、整った顔がぐっと近づいてきた。
「なっちゃんは深く考えすぎなの!」
「‥‥」
「客人扱いするなーって言っておいて、俺には他人行儀なの何か不公平ー。‥なんでも話してよ。はい、じゃあまずさっきの話から!」
「‥ははっ、そうだな」
中岡の言う通りだ。自分がされてモヤっていたことを、俺も相手にしてしまっていた。‥何も深く考えることはない。ただありのままを話せばいいだけのことなのに、何をそんなに怖がっているのだろうか。
花火の話をきっかけに、俺はばあちゃんとの思い出話をした。ばあちゃんがよくしてくれた話や一緒に出かけた場所、得意だった料理とか施設のこととか‥一度話し始めたらいつの間にか止まらなくなってて、そんな俺の話を中岡は楽しそうに聞いてくれていた。
「なっちゃんはおばあちゃんっ子なんだね」
「まあ‥そうだな。引いた?」
「全然っ!‥あのさ、なっちゃんのばあちゃんって、その‥まだ施設にいるの?」
「いや、ニ年前に‥。‥俺さ、浪人したって言っただろ?ホントは別の大学行くつもりだったんだけど、合格発表の数日後にばあちゃん亡くなって‥で、そんとき初めて自分の将来のことちゃんと考えたんだ。俺には何ができるだろうって考えたときに、一番に思い浮かんだのが料理だった。だから栄養士になろうって思って今の大学受け直したんだ」
「そうだったんだ‥」
「‥俺、昔からこんなんだから、周りの奴に避けられたりとか、せっかく声かけてくれる奴がいても自分から壁作って、ずっとひとりで生きてる気になってた。別にそれで良かったし、これからもずっとそうだろうって思ってたんだけど‥ホントはばあちゃんとか、周りの人にたくさん支えられてたんだなって思う。だから恩返しができたらって‥‥っつーか俺、喋りすぎじゃね?すげー恥ずかしいんだけど」
ふと我に返り、なに自分語りしてるんだろうと急に恥ずかしくなって慌てて中岡のほうを振り向くと、大きく心臓が跳ねた。
「‥何でお前が泣くんだよ」
いつも明るく笑顔の絶えない奴が、大粒の涙をぽろぽろ零している、そんな奇妙な光景に思わず動揺してしまう。
「なんか‥俺、なっちゃんのことなにも知らなかったなって思って」
「それは俺が話さなかったから‥」
「んーん。口では好きって言っときながら、なっちゃんのことちゃんと知ろうとしてなかった」
おもむろに手を握られて顔を上げると、中岡の目は真っ直ぐ俺を見ていた。
「ひとりでいいとか悲しいこと言うなよ。これからは俺も、なっちゃんの力になりたい」
中岡の手は温かくて、とても優しい。言葉にも嘘がなくて、‥だから時々不安になる。
俺は中岡が思っているようなできた人間ではないし、いつも中岡がくれる言葉は俺には不釣り合いだと思っている。嬉しいのに素直に喜べないのは、きっとそのうち愛想尽かされるんじゃないかって、常に心のどこかで思ってるからだ。
だけど、今日こうして俺の話を聞いて、それでも変わらずにこんな風に言ってくれるから、俺は中岡のその優しさに、また甘えてしまう。
「‥わかったから、とりあえず鼻水拭け」
相変わらずそんな事しか言えない俺は、本当に駄目な奴だと思う。
「落ち着いたか?」
「‥‥うん。ごめんね」
「‥お前、ホント変な奴だな」
「へへっ」
不思議だ。ずっと重苦しかった心の中が少しだけ軽くなったような気がする。もしかしたら、ずっと泣きたかった俺の代わりに中岡が泣いてくれたのかもしれない。中岡のはにかんだ笑顔につられて、俺も小さく笑った。
「あ、そうだ忘れてた」
「なに?」
「ちょっと待ってね、えーと‥」
おもむろに立ち上がった中岡は、ウッドラックの引き出しから小さな箱を取り出して再び俺の隣に座った。
「はい、これ。誕生日プレゼント」
「なっ‥あんなにメシ作ってもらったのに、こんなのまで受け取れねえ‥」
「いや、せっかく選んだのに受け取ってもらわないと‥俺泣いちゃう」
「‥また泣かれんのは困るけど‥」
笑顔で半ば強制的に手渡された小箱を呆然と見つめていると、中岡に「開けて開けて!」と急かされてリボンを解く。蓋を開けるとバングル型の腕時計が入っていた。
「ここの時計、デザインが変わってて俺好きなんだ。あ!大丈夫、お揃いじゃないから!なっちゃん引くと思って、俺のとは違うのにしたから!」
以前一緒に買い物をしたとき、“お揃いのもの”を全力で拒否したことを覚えていたらしい。羅針盤のような文字盤は、アンティーク調でシンプルながら飽きのこないデザインだ。ごついイメージのバングル型の腕時計だが、きつね色の革のベルトは高級感があって普通の時計とは一味も二味も違った。
「ど、どうかな?」
「‥俺、お前が付けてるの見てすげーお洒落だなって思ってたから‥嬉しい」
「よかったー。“いらない!”って突き返されたらどうしようかと思ってた!」
「俺、そこまで酷くねえし」
「‥そうだね。なっちゃん優しいから、絶対そんなことしないや」
「べ、別に優しくもねえし‥!」
そんな憎まれ口を叩いて、俺は手の中の腕時計に視線を落とす。たくさんの料理も、花火も、プレゼントも、自分のために用意された物だと思うと感慨深い。
「中岡」
「ん?」
「‥ありがとな」
「ははっ、そんなに時計気に入ってくれた?」
「そうじゃなくて‥今日は、ありがとう」
誰かと過ごす誕生日も悪くないなと思えた。今日は少しだけ、素直になれた気がする。
「‥って、なんでまた泣いてんだよ!」
「だってぇぇえ‥!」
再び涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を見て、せっかくのイケメンが台無しだなと呆れながら、俺は思わず吹き出した。
「もう12時過ぎてるね。そろそろ寝よっか」
「そうだな」
気がついたらだいぶ話し込んでいたみたいだ。用を済ませて部屋に戻るとちょうど布団を敷き終わったところで、俺は中岡に促されて今日もベッドに横になる。先程まですぐ隣で会話をしていたせいか、急にできたこの距離が少しもどかしく感じた。
「‥なぁ」
「ん?どうかした?」
「こっち‥一緒に寝ても、いい‥ぜ」
「‥‥‥‥‥‥マジで?」
思いっきり真顔で固まってるから、なんかすげー恥ずかしくなった。
「あ‥やっぱナ」
「ナシとかナシ!!!」
布団から飛び起きて勢いよく飛び出すもんだから、躓いてコケそうになっていて、漫画かよ!と思わず心の中でツッコんだ。
ぎしっとベッドが軋む音がした次の瞬間、心臓が急に速くなる。
「は‥?近っ!」
「だね」
いざ中岡が横になると、予想外に距離が近くて若干パニックに陥る。そりゃそうだ、ベッドはシングルなんだから狭いに決まってる。
「ちょっ‥もっとそっちいけって」
「これ以上うしろさがったら落ちます」
「いやいや、いけんだろ。‥っつーか何で逆に寄ってくんだよ、ふざけんな。しかも真夏にこの距離はおかしいだろ、余計暑‥」
「なっちゃんってさ、照れるとめちゃめちゃ喋るよね」
「は?!んなこと‥」
「顔真っ赤」
さっきまで号泣してたくせに、なんで急にこうなるんだよ‥!ジリジリと距離を詰められて後ずさっていると、ついに壁際まで追い詰められてしまった。中岡の伸ばした手が俺の頬を掠めて壁につくと、いよいよ逃げ場がなくなる。
「ははっ、壁ドンだ」
そんな恥ずかしいセリフを口にしても全然嫌味じゃないのが腹立つし、ちょっとときめいた自分自身にも腹立つ。そんなことを思っていたらもうすぐ目の前に中岡の顔があって、俺は咄嗟に目を閉じた。
唇が優しく触れたと思ったらすぐに離れたから、疑問とほんの少しの物足りなさを感じていると、中岡のクスクスと笑う声が聞こえてきて目を開ける。
「なっちゃん口がへの字」
「し、しょうがねえだろ、どうしたらいいかわっかんねーんだから!」
「それじゃあ先輩が教えてあげようー」
「上から目線うぜえ。ドヤ顔うぜえ。‥つーか俺のほうが先輩なんだけど」
「あ、そうだった!じゃあ‥先輩に優しく教えてあげる」
「‥それもなんかうぜえ」
「あはは。‥ねえ、もっとしてもいい?」
「‥どうせ無理って言ってもすんだろ」
「うん」
「即答かよ」
小さく笑って、俺はもう一度目を閉じた。
「なっちゃん少しだけ口、開けて」
言われるまま薄く唇を開くと、中岡は軽く触れては離れるキスを繰り返し、その度に大袈裟な音を立てて俺の羞恥心を煽る。
「あ‥っ」
頬に中岡の手が触れて思わず声が漏れた。その後もしつこく頬を撫でてくるからいい加減キレようかと思ったけど、再びキスが始まって完全にタイミングを逃してしまった。頬に手を当てたまま先程より長めに唇を塞がれ、そのうち唇で軽く噛まれたりしたが、情けないことに俺はどうすることもできなくて、中岡にされるがままだった。
突然唇を這う舌の生温かい感覚に驚いて思わず目を開く。中岡の今まで見たこともないような熱っぽい視線とキスの合間に漏れる荒れた息遣いをすぐ目の前で感じて、急に恐怖心が芽生えた。
「お‥い、待っ‥」
「‥ん‥っ、はぁ‥」
「‥‥待て‥ってば!!」
そう声を上げるのと同時に、ドスっと鈍い音が響く。
「うっ、ぐ‥‥」
「あ‥」
防衛本能が働き、俺は無意識に正拳逆突きを繰り出していた。しかも利き手が中岡の腹にクリーンヒット。
「わ、悪い‥」
「‥や、俺こそ‥調子‥乗りました‥」
腹を押さえてうずくまりながら息絶え絶えにベッドを降りていく中岡の背中を目で追い、申し訳ないのと自分自身が情けなさすぎるのとで、俺は久々に少し凹んだ。
結局この日も別々に寝ることにしたんだけど‥
「なっちゃん‥」
「なに?」
「俺、キスだけでイきそうになった‥」
「‥いや、その報告いらねえから」
‥正直者かよ。両手で顔を隠しながらそう告白してきた中岡に、俺は真っ赤になりながら心の中で本日二度目のツッコミを入れた。
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