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〈第2部〉第9話
8月頭から始まった夏休みも気がつけば半分以上が過ぎていて、今日みたいに特に予定のない日は大量に出された課題を消化するのに手一杯だ。切りのいいところでレポートを進める手を止めて、空になったグラスに飲み物を補充しようと立ち上がると、ふと卓上カレンダーが目に入る。‥そういえば、明日は中岡の家に行く予定が入っていた。
『そうだ!今週末からイッチーが遊びに来るんだって。しばらくこっち来れなくなるから、また一緒にメシでも食べない?』
誕生日の翌日、帰り際にそう誘われて俺は二つ返事で了承した。今思うと、あのときなんの躊躇いもなく承諾した自分自身に驚きだが、一ノ瀬と譜久田と中岡の三人と一緒にいる空間は居心地が良くて嫌いではない。
冷蔵庫を開けると、この前料理に使って余った無塩バターとドライフルーツが目に入り、おもむろに手に取ってキッチンへと向かう。飲み物を取りに来たことも忘れて、俺は鼻歌交じりにレシピノートを開いた。
*
翌日、早番が終わって15時過ぎに中岡の家に着くと、玄関ドア越しに賑やかな声が聞こえてきて一瞬怯んでしまう。‥なに緊張してんだよ。苦笑って俺はインターホンに手を伸ばした。
「あ!なっちゃんだ!いらっしゃーい!」
ドアが開いて真っ先に飛び出してきたのは一ノ瀬で、予想外の展開にいきなり面食らってしまった。返事をする間もなくグイグイと腕を引かれて部屋の中に入ると、譜久田と中岡にも声をかけられた。
「あ、なっちゃん!バイトお疲れさま」
「おー」
「ふぅ、相沢がきたからもう安心だな」
「なにそれー!フクちゃん、俺じゃ満足できないってこと?!ヒドーイ!」
「言い方!!」
包丁を持って何やら作業中の二人だが、いきなり夫婦漫才を見せつけられて思わず苦笑う。時々、二人の仲の良さに嫉妬する‥なんて口が裂けても言えないな。
「今日はね、タコパだよ!!」
状況が読めなくて立ち尽くしていた俺に、一ノ瀬は満面の笑みを浮かべながらそう教えてくれたのだが‥。
「‥悪い、タコパって‥何?」
たこ焼きパーティーはもちろん知ってる。けど‥タコパって何だよ!何でもかんでも略せばいいってもんじゃねえだろ。‥一ノ瀬にタコパの意味を教えてもらいながら、そんなことをうだうだと思っていると、最近考え方がおっさん化してるなぁと急に虚しくなった。
「そっかー、なっちゃんタコパ初めてなんだね!超楽しいよ!」
「へえ、そうなんだ。‥‥にしても‥」
部屋の中をキョロキョロと見回すと、全くと言っていいほど準備ができていないことに気がついた。同じ食材に譜久田と中岡の二人がかりだし、一ノ瀬はワーワー騒いでるだけだし‥段取り悪すぎるだろ。
「‥なあ、このままだとメシ食うの明日の朝になるぞ」
「えーー!それ困るー!!」
ちょっと盛って言ったんだけど、一ノ瀬のマジなリアクションに譜久田と中岡も顔を見合わせ、二人揃って俺の方に視線を送ってきた。
「なっちゃん何とかして‥」
「お前がそれ言うのかよ」
‥同じ食品栄養学科の人間として情けないわ。中岡のセリフに盛大なため息が溢れた。
一ノ瀬と譜久田がたこ焼き担当‥って言っても食材切るだけなんだけど、俺と中岡は副菜を担当することにして、とりあえず作業再開。今はネットで簡単にレシピ検索ができる。たこ焼きに合いそうな副菜をいくつかピックアップして、冷蔵庫の食材と相談しながら4品ほど見繕うことにした。
「準備完了ー!今何時?!」
「6時前!夕飯に間に合ったー!」
「相沢のおかげだな」
「そりゃどうも」
目の前に並んだ料理を眺めて、俺は安堵のため息を溢す。‥‥とここで、ふと疑問に思う。三人でいたときは一体誰が仕切り役をしていたんだろうか。一ノ瀬は‥まあ無理だろうな。中岡も一ノ瀬とはしゃいで全然駄目だろうから、そうするとやっぱり譜久田かな。‥譜久田か‥‥仕切れんのか?あんまり怒らなそうだけど、‥でも意外とキレたら怖いのかも。
激ギレしている譜久田を想像してみたら思いの外しっくりきて、思わずニヤけるのをグッと我慢した。
「それじゃ‥タコパスタートぉ!!」
中岡のバカでかい掛け声を合図に、手に持ったグラスをチンと合わせる。「焼くのは任せて!!」と、一ノ瀬は意気揚々と器械に生地を流し込んでいった。
‥が。
「このタコ誰が切ったの?!でかすぎ!!」
「タコは修くん担当だよー!」
「‥これ、なんかすげー甘いんだけど‥」
「ちょっとナナ!チョコはあとでって言っただろー!」
生地からはみ出しているタコの足、ソースと青のりが大量にかかったチョコレート味の物体。‥罰ゲームかよ。
男四人で小さなたこ焼き器を囲んで一喜一憂して、最初はくだらないとか思ってたけど‥‥そのうち“誰のたこ焼きが一番おいしいか”とか競い合ったりして、気づいたらめちゃめちゃ楽しんでた。
「わー!このフライドポテト超うまーい!」
「でしょでしょ?!居酒屋の味を再現してみましたー!」
「ゆうすけくんスゴーい!カッコいいー!」
「照れるー!もっと褒めて!!」
目を輝かせている一ノ瀬と自慢げに踏ん反り返っている中岡は、さながら兄弟のようだ。そんな風に思って見ていると、隣に座っている譜久田に声をかけられた。
「これ相沢が作ったの?」
「そうだけど‥」
「すげぇ美味いよ。なんか優介のと違って繊細っていうか‥」
「‥‥ぷっ。サンキュー」
「えー!俺のは大味ってこと?!今日のフクちゃん、なんか俺に冷たくない?!」
「え?いつもだけど」
「ひどいっ!説教だ説教!だいたいフクちゃんはさぁ‥」
譜久田の手を引いて隣に座らせ、烏龍茶しか飲んでないのに酔っ払いのように譜久田に絡みだした中岡は、正直とてもウザい。
「じゃあ言わせてもらいますけどー!‥」
そんな中岡に面と向かって言い返す譜久田が何だか新鮮で、ちょっと面白かった。
「修くんとゆうすけくんってホント仲良しだよねー!」
相変わらずの夫婦っぷりを眺めていると、いつの間にか隣に座っていた一ノ瀬にそう言われ、その笑顔につられて「そうだな」と言葉を返した。
一ノ瀬はとにかく元気な奴だ。人懐っこい笑顔と明るい性格で、きっとクラスでは人気者に違いない。俺とはまるで正反対のタイプだから、そんな一ノ瀬とこうして話をしているのがとても不思議だ。
「ねえねえ!なっちゃんって、ゆうすけくんとよく会ってるの?」
「まあ‥学科同じだから。今は夏休み中だから週イチくらいかな」
「そっかー。いいなぁ!オレ、修くんにたまーにしか会えないから羨ましい」
そんな一ノ瀬の言葉を素直に受け取れない俺は、相当性格が悪いなと思う。
「俺は‥お前が羨ましいよ」
「‥どうして?」
驚いた顔をしてそう尋ねる一ノ瀬を見て、本音を溢したことを後悔したけれど、今更訂正できなくて、そのまま言葉を続けた。
「俺なんかより全然仲いいじゃん」
「それは修くんとってこと?それともゆうすけくんと?」
「んー‥どっちも」
会う頻度と仲の良さは比例しない。それは三人を見ていたらよく分かる。だから俺は、ふと感じる疎外感に時々すごく苛ついて‥すごく羨ましかったんだ。
「俺なんかがいたら邪魔じゃない?」
自虐気味に笑って、心の中にずっと引っかかっていた言葉を吐き出す。言ってしまえばどうってことなくて、こんなに気持ちが楽になるんだったらもっと早くに認めてしまえばよかったと思った。
「そんなことない‥!」
グラスの中の烏龍茶を飲み干してカラカラの喉を何とか潤すと、一ノ瀬にぐっと腕を掴まれて、俺は再び視線を向ける。
「なっちゃんがいてくれた方が100倍楽しいよ!‥オレ、受験頑張るから‥合格してこっちに来たら、いっぱい遊ぼう!オレ‥もっとなっちゃんと仲良くなりたい‥!」
真っ直ぐな瞳を向けてちょっと泣きそうになりながらそう言う一ノ瀬は、やっぱりどこか中岡に似ている。言葉に嘘がなくて、とても温かい。本当は俺も、そんな一ノ瀬と仲良くなりたいと思っていたんだ。‥‥つーか、受験前で不安な後輩に何逆に励まされてんだよ、俺は。
「‥‥おう」
ネガティブ思考でひねくれ者で、こんな不器用な返事しかできない俺よりも、一ノ瀬のほうがよっぽど大人だと思った。
「あ、そうだ」
バッグを引っ掴んで、俺は中から小さめの紙袋を取り出して一ノ瀬に手渡した。
「それ、よかったら」
「いい匂いがする‥お菓子?」
昨日思い立って作ったフルーツとチョコ、二種類のパウンドケーキ。タイミングを図りそこねて渡すのを忘れていた。
「そんなんしか準備できなかったんだけど、景気づけに。良かったら食って」
「超嬉しい‥なっちゃんありがとう!!」
「絶対受かれよ、一ノ瀬」
「‥うんっ!!」
太陽みたいな笑顔を見て、やっぱりまだまだ子供だな、なんて思ったり。
「あ!!」
「なに?」
「“一ノ瀬”じゃなくて、“七海”ね!」
「‥は?」
「もー!友達なんだから、名前で呼んで!」
「‥‥‥‥‥いや、無理だわ」
「えーーなんでーー?!?!」
“友達”と言われて照れる俺も、十分子供だ。
散々たこ焼きを食ったあと、10時過ぎて突然「アイス食べたくなった」とコンビニに走る一ノ瀬と中岡。その間、取り残された俺と譜久田は時間つぶしに何故か腕相撲をしたりして。気がつけばあっという間に12時を過ぎていた。
「そろそろお開きにしよっか」
「そうだな」
「えーー!もっと話したーい!」
「俺もー!!」
「ナナ、優介、声でかい!近所迷惑!」
一ノ瀬と中岡の口を慌てて手で塞ぐ譜久田の保護者っぷりも、今日でもうだいぶ見慣れた。
「なっちゃん泊まってくよね?」
「おう。明日はバイト昼からだから」
「なっちゃんはエライなぁ!修くんバイト休みまくってるよ!」
「え、それ酷くない?ナナのためだろー!」
「あはは、ごめーん!‥それじゃあ、ゆうすけくんなっちゃんおやすみなさい!」
バタバタと帰り支度をして、一ノ瀬と譜久田は部屋に戻っていった。しばらくして隣の部屋から二人の笑い声が聞こえてきて、それがなんだかとても不思議な感覚だった。
「さっきさ、イッチーと何話してたの?」
流し場で洗い物をしていると、グラスを運んできた中岡にそう声をかけられる。
「ん?ああ‥ちょっとな」
「ふふっ」
「なんだよ」
「なっちゃんが嬉しそうで嬉しい」
「なんだそれ」
きっと相当ニヤけてるんだろうな。それは俺も自覚してる。
「そういえば‥今日はたくさん夫婦漫才を拝めて眼福でした」
「え?夫婦漫才って‥誰と誰が?」
「お前と譜久田に決まってんだろ」
「えー!!なにそれ!やだ!!俺なっちゃんと夫婦がいい!!」
「は?!無理‥って、ドサクサに紛れて抱きつくなよ!」
「いいじゃんいいじゃん!今日初のなっちゃん補給〜」
「ちょっ‥意味わっかんねえ!!」
両手が塞がってるのをいいことに、後ろから力いっぱい抱きついてきたから、俺は中岡のすねをかかとで思いっきり蹴り上げてやった。
俺がベッド、中岡が布団というのは今日も変わらずで、この日は一日の疲れから二人して早々に眠りに落ちた。
‥このあと人生最大のピンチを迎えることになるなんて、このときの俺は知る由もなかった。
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