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第5話 デート
「たーかーらっ」
後ろからそろりと近づいた悠心は、背伸びをしてその目元に手を当てた。
「……おい」
「だーれだっ」
人通りの多い駅の改札口。姿勢良く待ち合わせ場所に立っていた長身を見つけた悠心は、胸をキュンキュンさせながら駆け寄っていた。
貴良の目元を手で隠すと、すぐに低い声が聞こえる。
「……矢沢だろ」
「あたり!」
へへ、と笑って手をぱっと離すと、貴良が呆れたように見下ろしてくる。
悠心はイヒヒと笑い、さっそく貴良の私服姿を目に焼き付けた。
(え、今日も俺の貴良、ビジュ良すぎん……?)
シンプルな白いシャツに黒のパンツ。地味ともいえたが、いかんせん抜群のプロポーションの良さでまるでモデルのようだ。
それに、よく見るとシャツもパンツも安物ではなく、しっかりとして上質なつくりなのがわかる。
「……派手だな」
「え、可愛くね?」
一方、悠心の姿を見た貴良は眉をひそめていた。
今日の悠心のスタイルは柄物のシャツに黒のワイドパンツだ。シューズは白地に蛍光ピンクのアクセントが入っている。ゆるいシルエットがこだわりポイントだ。もちろん、お気に入りのシルバーアクセサリーたちは今日も身に付けている。
「……目、悪かったのか」
「ああ、これ? 違う違う、伊達メ。度なんかねえよ」
大きめのスクエア伊達メガネを外して、レンズのないフレームに指を通して見せる。
「なんのためにつけるんだ」
「え? 可愛いだろ」
「……まあ」
「かけてみる?」
悠心は背伸びをしてその高い鼻にメガネをかけてみた。
「おい」
「……」
「……なんだ。何か言え」
「……やば。妊娠しそう」
「は?」
悠心はぎゅんぎゅんと甘く疼く胸を抑えながら、はわわと目を潤ませた。
清廉な雰囲気にこじゃれたオシャレさが加わって、なんかもう……とにかく色気がすごい。
「かっこいいぃ……」
「……はあ。返す。落ち着かん」
「えぇ」
その時、ドン、と肩に何かがぶつかった。
「チッ。邪魔くせえとこにいんなよ」
「……あぁ?」
ぶつかってきておいて小言を言う男に、とたんに悠心のスイッチが入る。凶悪な顔で睨みつけ、ドスのきいた声を出せば、びくりとぶつかってきた男が震えた。
「てめぇ誰に向かって口きいてんだコラ」
「ひ、ひぃ……」
男の肩を力ずくで引き寄せ、ずい、と男に詰め寄ると、後ろから腕を掴まれた。
「矢沢。構うな」
「あっ、うん」
困った顔の貴良に悠心はまたきゅんとしながら、もうどうでも良くなった男の体をぱっと離した。男は悲鳴を上げてつんのめりながら逃げて行くが、もう悠心の眼中にはない。
「ごめん、貴良」
「いや……。いつも、ああいう感じなのか?」
「え? だって、向こうから先にふっかけてきたから」
きょとんと首を傾げると、貴良はしばらく悠心をじっと見つめた後、はぁ、とため息を吐いた。
「余計なトラブルになりかねない。今後は無視したほうが良いぞ」
「うん、じゃあそうする」
悠心は即座ににこにこと頷いた。
「お前は……」
貴良は悠心を見て何か言いかけたが、結局口をつぐんだ。
「なになに?」
「なんでもない。行くぞ」
「うん」
うきうきしながら頷き、歩き出した貴良の背中を悠心は小走りで追いかけた。
二人で並んで歩くと、周囲の者たちの視線を感じた。まず初めに貴良を見て、それから小走りでついていく悠心を見てぎょっとしたような表情をする。
系統が真逆……というか、正統派イケメンと柄の悪いピンク頭が一緒にいると目を引くのだろう。
悠心はむしろその視線が心地よかった。
ふふん、どうだ。羨ましいだろう。こんなに格好良い貴良の隣(正確には少し後ろ)にいるのは俺なんだぞ。
そんな気持ちで口元が少しニヤける。
やがて商業施設の中にある大きな書店へと辿り着いた。悠心は迷いなく歩く広い背中に見惚れながら着いていく。
「ここらへんが良いんじゃないか」
「ほー」
連れてこられたコーナーは、悠心が生まれて初めて足を踏み入れる場所だった。
参考書コーナーだ。
貴良は「はじめての数学」を手に取った。
「これが良いの?」
見てみると、小学生向け、と書かれている。
「基礎からやったほうがいい」
そう言う貴良の表情も声も全てが真剣だった。悠心は貴良の横顔をうっとりと見つめながら頷いた。
「わかった。じゃあ、それにする」
貴良とこうして出かけることになった理由は、悠心が勉強が苦手だと話したことからだった。
連絡先を交換してからというもの、貴良に何度もメッセージを送っていた。
悠心「今日何してたー?」
貴良(既読)
悠心「好きな食べ物なに?」
貴良「特にない」
悠心「今日、貴良に似た石見つけた」(写真)
貴良(スタンプ)
悠心「数学わかんねえ」
貴良「どこが分からない」
貴良の返信は淡白で、一言返したり返さなかったりするが、勉強の話題になると食いつきが比較的良かった。
――これだ。
閃いた悠心は、勉強を教えてほしいということを口実に、休日にこうして会うところまでこぎつけたのだ。
「じゃあ、そこのカフェで少し見てやる」
「い、いいの?」
貴良の提案に思わず声が上擦った。
今日は参考書を見繕ってもらうだけかとも思っていたので、突然の誘いに体が興奮で震えてくる。
(た、貴良に勉強を教えてもらう……)
途端に悠心の脳内には薔薇が咲き乱れた。
『どこがわからないんだ』
『先生……ここがわかんないです』
『いけない子だな。手取り足取り教えてやろう』
『あ……そんな。貴良先生……』
「こ、恋の勉強もしたいです……」
「は?」
「あ」
思わず声に出てしまっていた。はっと我に返る。
「な、なんでもない」
「……変なやつだな」
にへ、と笑うとため息を吐かれる。
「お前、何にするんだ」
「え?」
「注文してくる」
「えええ」
悠心は口元に手を当てた。貴良が注文してくれる。悠心の分まで。
もしかして、さりげなくエスコートされてる?
悠心が「ルビーショコラ」と答えて震えていると、「席とっとけよ」と言われた。
あ、そういうことか。いや、そうだよな。
大人しく席を取って座る。
注文を終えた貴良が席にやってくると、早速参考書が机の上に出された。
「じゃあ、まずはわからないところから洗い出すぞ。分数は微妙なんだな?」
「う、うん……」
数字の並んだ文字だらけのページに思わず数学アレルギーという名の拒否反応が出かける。しかしぐっとこらえて、悠心は数年ぶりに数学(算数)に向き合うことにした。
「三分の一足す六分の一は?」
「……えっと、九分の二?」
「なぜ分母まで足した」
「だって足し算じゃん」
「……」
きょとんと言うと、貴良が黙り込んだ。
(やべ、さすがに引かれたかな)
貴良の反応を見るに、おそらく間違えているのだろう。しかもけっこうとんでもない間違いなのかもしれない。
「なるほど。そういう考え方もあるか」
「え」
しかし、貴良の反応は違った。神妙に頷くと、ページの余白に図を書き始める。
「たとえば、りんごを三つに割るだろう。そのうちの一つが三分の一。そして、りんごを六つに割ったものが六分の一」
「ほお」
りんごだと頭に浮かびやすい。悠心は貴良の説明を聞くうちに、はっと気がついた。
「ちょっと待てよ! ってことは、三分の一って、六分の一が二つあるのと同じじゃね!? ……あれ、ってことは、六分の一は三分の一の半分……?」
目を見開き、また気がついて考え込んだ悠心に、貴良が目元をわずかに和らげた。
「そうだ。よく気がついたな」
「す、すげえ! なんか、できる気がしてきた!」
そう言って無邪気に喜ぶ。悠心は興奮しながら次の問題に進んでいった。時折質問を投げかけるが、そのたびに貴良はわかりやすい回答や導きをしてくれる。
「で、できた……!」
一面を解き終わって、悠心は信じられない思いで参考書のページを貴良に見せた。
「ああ。できたな」
「お、俺……やればできる子だったんじゃん?!」
興奮で震えていると、貴良が小さく口角を上げた。
「そうかもな」
よくできたな、と頭をぽんと撫でられた。
「!?」
その瞬間、ぼんっと頭が爆発しそうになる。
「な、な、な……っ」
真っ赤になって固まっていると、はっとしたように貴良が手を外した。まるで自分でも意識していなかったようだ。
「悪い。……置きやすそうな頭で」
「お、おおおう」
ぎぎぎ、と音がしそうなほどぎこちなく頷く。なんだか微妙な空気が流れた。
悠心は参考書のページに視線を落とす。
最後まで解けた問題たち。今はもう訳のわからない数字の羅列には見えない。
「……あ、あのさ。貴良」
悠心はおずおずと口を開いた。
「ありがとな。俺……ずっと、勉強なんて嫌いだったけど……ちょっとだけ、好きになれた気がする」
素直にそう言うと、貴良は悠心のピンク頭を見つめながら静かに頷いた。
「矢沢は地頭は悪くなさそうだから、きっと基礎からやれば見違えるぞ」
「そ、そかな……へへ」
じゃ、じゃあさ、と意を決して唾を飲み込む。
「これからも……貴良が教えてくれる?」
そっと貴良を覗き込むと、精悍な顔立ちに薄く笑みが浮かんだ。
「お前がやる気ならな」
「や、やるやる! やる気満々! てかやる気しかない!!」
「そうか。俺は厳しいぞ」
「えっ……厳しくてもいい! むしろちょっと怒られたい……」
お仕置きだ、なんて言われたい……。
貴良はちょっと引いていたが、無事にその後次の約束も取り付けることができて、悠心は天にも昇る心地だった。
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