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第11話 来訪者
「矢沢悠心、いる?」
毅然とした、やわらかなテノール。その声には聞き覚えがあった。
「ああ? ザワ先輩に何の用だコラ」
「良いから、矢沢悠心、出してよ」
「なに呼び捨てにしてんだコラァ!」
黒条の一年生たちがいかつい怒鳴り声を上げながら詰め寄る。
線が細い美少年は、後ろに大柄でいかにも体格の良い白蘭の生徒たち数人を引き連れ、ガラの悪い連中に囲まれながらも怯む様子もなく、堂々と立っていた。
「……何してんだ、お前」
人だかりをかき分けて悠心たちが前に出ると、その少年――凛がはっとしたように悠心を見た。
「……矢沢悠心」
「だから呼び捨てにすんなっつってんだろ!?」
激怒しながら凛の胸ぐらを掴もうとする一年生を、凛のすぐ後ろに控えていた大柄な白蘭の生徒が止める。どうやらアルファなのだろう。
止められてさらに激昂しかけた一年生を、悠心は「いい」と制した。
「で、でも……」
「こいつは俺の客だ。お前ら、散れ」
「う、うす!」
凛は黙って一連の流れを見ていた。じっと悠心を探るように眺める。
一年生たちが悠心たちに一礼して退散するのを見て、悠心は口を開いた。
「……で、何の用だよ」
「……なんか、やつれたね」
「っせーよ。本題はなんだよ」
凛はちらりと悠心の背後を見た。宏樹と那智は物珍しそうに凛を見ている。
「……二人で話したい」
「は?」
「あ、別に俺ら気にしないんで、いいすよ」
「そういう問題じゃないから」
那智がへらりとよそ行きの顔で笑うが、凛は硬い表情のままぴしゃりと叩き切る。
「……分かった。那智、宏樹、先帰ってろ」
那智は凛をじっと見た。
「……なんかあったら連絡しろよ」
「おう」
頷くと、凛が片眉を器用に持ち上げる。
「保護者?」
「ちげえよ。……じゃあな、那智、宏樹」
「また明日な、悠ちゃん」
那智と宏樹が手を挙げる。去っていくのを見届けて、悠心は凛と向き直った。
「……場所変えっか」
下校途中の黒条の生徒たちの視線を集めている。
「そうしよ。……もうここまでで良いよ」
凛にそう言われた白蘭の生徒たちは、少し心配そうに凛を見ていたが、凛が譲らないのを見てようやく立ち去っていった。
「何あいつら。お前の彼氏たち?」
「すぐ恋愛に結びつけようとするの、下品。お前と一緒にするなよ。彼らは柔道部と空手部で、ついてきてもらっただけ」
「あっそ」
悠心は苛立ちを覚えながら、足取りも荒く校舎裏へと凛を連れて行った。
「よりによってここ? 怖いんだけど」
「一ミリもンなこと思ってねえだろ。……良いから、なんだよ」
凛はすぐには答えなかった。
じっと悠心の顔を見て、それから口を開く。
「先週、貴良と一緒にいたよね」
「……いたけど」
名前を聞いただけで、胸がずきりと痛んだ。
「何があったの」
「は?」
「あの日。貴良と何があったの?」
凛の声が低くなる。
「……なんでお前にそんなこと言わなきゃなんねえんだよ」
「貴良、あの日から学校休んでる」
「……え」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「今日も来てない。連絡しても大丈夫としか言わないし、家に行っても会わせてもらえない」
「……」
「だから聞いてる。あの日、貴良に何したの」
「俺が……?」
さっきまで宏樹たちと話していたことが、頭をよぎった。
『もしかして、俺のヒートにあてられて、体調崩しちまったのかな』
急に、血の気が引いた。
「あ……」
動揺する悠心を見て、凛がすっと目を細めた。
「心当たりあるんだね。……サンクチュアリに行ったんだって? ヒートに巻き込んだの?」
「なんでお前がンなこと知ってんだよ」
「良いから、答えなよ。ヒートに巻き込んだの?」
「……」
悠心が黙っていると、凛がぐっと詰め寄ってきて、悠心の胸ぐらを掴んだ。
「なっ……」
「何してんだよ! 抑制剤は?! お前もオメガなら、マナーくらい守れよ!」
突然、烈火の如く怒りを露わにした凛に驚きながらも、悠心は搾り出すように答えた。
「……飲んだよ」
「は?」
「飲んだっつってんだよ!」
胸ぐらを掴んでいる凛の細い手首を掴む。
「予定日だって二週間先だった。俺、今まで周期ズレたことほとんどねえし、なんかおかしいって分かってから薬も飲んだ。それでも来たんだよ!」
「……」
「俺だってわけわかんねえよ……」
最後の声だけ、情けなく震えた。
「貴良だって、その前から具合悪そうだった。だから……俺のせいかもしんねえって……」
言葉にした途端、胸が締めつけられた。
「……それで、したの?」
凛の目に力が入る。悠心は力なく首を振った。
「してねえよ。……起きたら、薬と金だけ置いてあった」
「……そう」
凛の目からわずかに剣が緩む。悠心はそっと訊ねた。
「……貴良、そんなに悪いのか?」
凛の手から、わずかに力が抜けた。
「……僕も知らない。僕の方が聞きたいよ」
凛が悠心を突き飛ばす。悠心は一歩後ろに下がりながら、俯いた。
「貴良はオメガなんかに惑わされないようにずっと薬を飲んでた。それなのに……何してんの? なんだよ、薬飲んでもヒートがきたって……嘘つくのも大概にしろよ」
「ちげえよ、俺はマジで薬飲んだんだって」
「そんな話聞いたことないよ」
「だから、俺だってわけわかんねえんだって」
いらいらとピンク色に染めた髪をかくと、凛がむっとしたように眉を寄せた。
「何その態度。てかあんた、オメガだからって貴良に取り入ることができるとか思っちゃった? 残念。貴良はオメガになんか手が届かないよ」
「……はあ?」
腹の底が、一気に熱くなった。
「お前さっきから何なんだよ」
「何って」
「俺がオメガだから貴良に近づいたとでも思ってんのか?」
「違うの?」
「ふざけんな! 違えよ」
凛の手を振り払う。侮辱された怒りで拳が震えた。
「俺はアルファとかオメガとか関係ねえ。あいつが好きだから告った。それだけだ」
「……」
「つーか俺、あいつがアルファだって知ったの、好きになった後だから」
凛がわずかに目を見開いた。
「そんなわけ……」
「勝手に決めつけんなよ」
唸り、肩で息をする。
泣き腫らした目がじんじんした。
「そう……」
凛は悠心を黙って見つめていたかと思うと、目を伏せた。
「でも残念。貴良には、婚約者がいるから」
その言葉に、一瞬思考が止まった。
「……は?」
「大企業のご令嬢。アルファ。家格も容姿も貴良に釣り合う。……知らなかったの?」
頭がぐらぐらした。
知らない。そんなことは、貴良から一度だって聞いたことがない。
「話すまでもないと思ってたのかな。……まあ、そういうことだから。もう貴良には近づかないで」
「……」
何か言い返さなければと思った。
けれど、何も浮かばなかった。
婚約者。
その言葉だけが頭の中をぐるぐる回る。
「……貴良は」
ようやく絞り出した声は、ひどく掠れていた。
「そいつのこと……好きなのか?」
「さあ。知らない」
「……なんだよ、それ」
凛はふっと乾いた笑いをこぼして、肩をすくめた。
「でも、そんなの関係ないでしょ。婚約者なんだから」
その言葉に、悠心はその場に立ち尽くした。
夏の終わりの西陽が、じりじりと肌を焦がしていく。
「あんたが貴良と結ばれるなんてこと、万に一つもないよ。運命の番でもない限り」
「運命の番……」
その言葉に、ぴくりと指先が動く。凛は顔をしかめた。
「なに、その顔。希望持っちゃった? ありえないでしょ。おとぎ話みたいなもんだし。運命の番だったら、出会った時から強烈に惹かれ合うんだっけ? しかも、生まれる子供は高確率で親を凌ぐ優秀さを持つ……うん、それなら、あんたにも可能性あるかもね」
凛は考え込むようにそう言った後、ふっと鼻で笑った。
「そもそもさ。あんたは知らないけど、貴良があんたのこと好きだって、一言でも言ったわけ?」
「……」
黙って俯いた。そんなこと、言われるはずがない。
悠心は何度も好きだと言った。貴良も、楽しそうだった。でも、好きだなんて言われてない。
ましてや、悠心にヒートがきたのに、貴良は抱くどころか施設から悠心を置いて出て行ってしまった。
言葉では直接言われていないが、実質フラれたようなものだ。
「ほら。……諦めなよ。あんたと貴良じゃ、住む世界が違うんだよ。……それじゃ」
言いたいことだけ言ってさっさと踵を返そうとする凛の腕を、悠心はとっさに掴んだ。
「ちょ、なに!?」
「……どこにいんだ」
「はあ?」
「貴良、どこにいんだよ」
凛の目が見開かれる。
「そんなの、家に決まってるじゃん」
「家、どこだよ」
「……は? まさか、貴良の家のこと、知らないの?」
信じられないというような顔をしている凛に、悠心は引っかかりを覚えた。
「どういうことだよ」
「……はあ。調べたらすぐ出てくるから。じゃ」
凛は呆れたように言って、悠心の手を振り払った。
悠心はすらりとした背中を見つめながら、しばらく動くことができなかった。
やがて、のろのろとスマホを取り出す。
(まさかな……)
検索に、『桜井貴良』と入れる。そして、息を呑んだ。
画面いっぱいに並ぶ見出しを、悠心は呆然と見つめた。
『桜井ホールディングス――』
『次期後継者――』
『御曹司――』
「……は?」
何度見ても、そこには知っている名前がある。
桜井貴良。
「…………御曹司?」
その時、ハッと思い出した。
『金……大丈夫か? なんか、買った方が安かった気が……』
『心配するな』
そう言って、ピンクくまを取るまで課金し続けた貴良。
支払い済みの高級施設。封筒に入った多額の金。
「え……そういうこと?」
悠心の掠れた声が夕焼けの校舎裏に落ちた。
スマホの画面には、悠心でも聞いたことのある大企業の名前が、これでもかと並んでいる。
住む世界が違う。凛の言葉が、これ以上ないほど重くのしかかってくる。
――相手は巨大財閥の御曹司で、釣り合う婚約者もいる。
だったら、あんな施設に放り込んで、金だけ置いていったのも納得だ。完全に遊ばれていたか、同情されていたか、そのどちらかだろう。
悠心はその場でうずくまった。
普通なら、ここで諦める。
惨めな思いをする前に、身を引くのが今までの悠心のやり方だった。
じりじりと夏の終わりの夕暮れが背中を焼く。
影を濃くして身を縮めていると、ふと、カバンの中にしまってある封筒を思い出した。
「そうだ……金、返さなきゃ」
悠心はそこでやっと顔を上げた。
今までならさっさと引き返していた恋。だけど、今回は、少し変わりたかった。
『きっとやれば見違える』
そう言って勉強の楽しさを教えてくれた貴良。悠心がバカでも笑わないでいてくれた。
ゲームセンターではむきになってレースゲームで競い合った。クレーンゲームでは意地になって貴良がピンクくまを取ってくれた。
スマホを裏返して見る。そこに映っている貴良は直立不動だが、かすかに笑っている気もする。
金だけじゃない。
このままじゃ——終われない。
立ち上がった悠心の目には、力が戻っていた。
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