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第12話 特攻
――自分は何をしているんだろう。
凛と話したその足のまま、悠心は明らかに格式高い門扉の前で立ち尽くしていた。
「…………」
スマホを見る。住所は合っている。
もう一度、門の向こうを見る。
「…………家、どこ?」
悠心はぽつりとつぶやいた。
門の向こうには、綺麗に手入れされた木々と、奥へ続く長い道が見えるだけだった。
肝心の家が見えない。どういうことだ。
「いや、家だろ? ここ」
地図を見る。
間違っていない。
「……家って門から見えねえことあんの?」
悠心の家なんて門すらない。一軒家だが、チャイムがドアの横に付いているのみだ。
とりあえずチャイムを押してみる。これで合っているのかもわからない。
応答はなく、悠心は立ち尽くす。
「……てか、どうしよ」
勢い勇んでつい来てしまったものの、よく考えれば悠心は貴良に拒絶されているかもしれないのだ。
それに、学生服のまま来てしまったが、その学生服もまずいような気がしてきた。どぎついピンク色の頭。耳にも口にも開いているピアス。着崩してこれまでの喧嘩やらなにやらで汚れた学ラン。落書きだらけのカバン。
場違い感がハンパない。
帰ろうかと逡巡した時。
『……ご用件をお伺いいたします』
インターホンから声が聞こえて来た。びくりとして、慌てて顔を近づける。
「あー……桜井貴良、くん。いますか」
『……お名前を頂戴してもよろしいでしょうか』
「矢沢悠心……っす」
『矢沢様ですね』
(や、矢沢様……!?)
様付けでなんて呼ばれたことがなくて、思わず尻込みする。
『貴良様よりお名前は伺っております。迎えに参りますので、その場でお待ちください』
「……え」
通信が切れる。
悠心はしばらくインターホンを見つめた。
「……俺のこと、知ってんの?」
じわ、と胸の奥が熱くなる。
(貴良が……俺のこと、家で話したってこと?)
予想もしていなかったことに、少し照れ臭くなる。
しかし、すぐに凛との会話を思い出して気持ちがまた沈んだ。
しばらくして、門が開いた。自動で両開きになっていく門は滑らかに動き、音一つ立てない。
奥から、黒服を着た壮年の男が歩いてくる。
「お待たせいたしました。それでは、こちらへ」
「う、うす……」
恭しくお辞儀をされ、悠心も背筋を伸ばす。
「…………」
この人はいったい誰なんだろう。どう見てもお父様ではない。これが俗に言う執事や使用人なのだろうか。ドラマや漫画でしか知らない世界だ。
男の後ろについて歩く。しばらく歩くが、家らしきものはまだ見えない。
(……遠くね?)
「あの……」
「はい」
「家って……まだっすか」
「もう少々でございます」
「……うす」
(もう少々ってなんだよ)
心の中でつっこみ、綺麗な庭園を眺めながら石畳を歩く。しばらく歩くと、ようやく建物が見えて来た。
それは悠心の知る家じゃなかった。
予想はできていた。こんなに立派な門で、こんなに家までが遠いのだ。
さぞすごいんだろう。そう思っていた。けれど、想像よりもすごかった。
「……」
悠心は大きなドアの前で立ち尽くす。
(マジで……世界ちげえじゃん)
『大企業のご令嬢。アルファ。家格も容姿も貴良に釣り合う』
凛の言葉を思い出す。
悠心は自分の格好を見下ろした。
明らかに浮いている。派手な髪をした、汚い不良学生が来る場所ではない。
こんなところで、貴良は暮らして来たのか。
そして、婚約者も、こういうところが似合う令嬢なのだろう。
「……」
「矢沢様?」
「あっ、すいません」
ぼーっとしていた。ドアを開けて待っていた男に控えめに声をかけられて、はっと我に返る。
促されるまま、悠心はおそるおそる中へ足を踏み入れた。自分の姿が映るくらい、ぴかぴかに床が磨き上げられている。
(……やべえ)
何がどうやばいのか、もうよく分からない。
とりあえず、何にも触らない方がいい気がした。
(いつ靴脱ぐんだ……?)
「矢沢様、こちらでお履き物を」
「あ、はい!」
横から声をかけられて、思わず返事が裏返った。恥ずかしすぎる。
(靴下、穴あいてねえよな……?)
靴をおそるおそる脱いでから、自分の靴下を凝視して確認する。良かった、今日は穴があいてないものだった。
「こちらへどうぞ」
「……うす」
男の後について歩きながら、悠心は何度も口を開きかけた。
「……あの」
「はい」
「貴良って……」
一度、言葉に詰まる。
「そんな具合悪いんすか」
思い切って訊ねると、男は予想していたかのようににこりと笑った。
「お会いになれば分かります」
「はあ……」
悠心は眉をひそめた。
そんなに具合が悪いんだろうか。いや、でもそうだとしたらこの男のこの笑顔はなんなんだ。仮にも貴良がそんなに具合が悪かったらこんな風に笑うだろうか。
混乱していると、一つの部屋の前に到着した。
「貴良様。矢沢様をお連れいたしました」
一瞬、沈黙があった。悠心はそわそわと前髪を直す。
「……入れ」
聞き慣れた低い声。
それだけで、悠心の心臓がどくんと跳ねた。
部屋に通されると、広い部屋の真ん中、大きなソファに貴良が座っていた。
ネイビーのTシャツ姿で、艶のある黒髪は少し乱れている。目元にはいつもの力強さはなく、疲れがうっすらと滲んでいた。
一瞬、貴良の無防備な姿にきゅんとときめいて身悶えしそうになったが、甘い波の後に黒いもやが追いかけてきて打ち消される。
もしかして重症なのでは、と身構えていたが、ソファに座っている様子を見るとそれほど重症には見えないので、それだけは安心できた。
「貴良……」
貴良の名前をつぶやく。貴良は悠心の姿を見て、細く息を吐いた。
「矢沢」
ずっと聞きたかった、自分を呼ぶ低い声。会わなかった期間は一週間ほど。それまでも毎日会っていたわけじゃない。それなのに、なぜか涙が出そうになった。
顔を合わせた瞬間、それまで考えていた胸のもやもやや不安が和らいでいく。
「……ごめん」
つぶやいて、悠心は俯いた。
「何がだ」
そう聞き返す貴良に、ぐっと拳を握る。
「ヒート……巻き込んで。俺のせいで、体調崩したんだろ?」
「矢沢のせいと決まったわけじゃない」
「でも……」
悠心が唇を噛むと、貴良がため息を吐いた。
「とりあえず、座れ」
「……うん」
貴良と向かいのソファに座ると、それを見た男が目礼した。
「それでは、わたくしはこれで」
「ああ」
貴良が慣れた様子で短く答える。
男が出ていくと、部屋には悠心と貴良の二人きりになる。
広い部屋に静寂が降りる。
ごくりと喉を鳴らした。
「あ、あのさ――」
「そういえば――」
「え?」
「なんだ」
口を開いたら、貴良とかぶってしまった。二人して聞き返すが、それもまたかぶる。
「……ふっ」
思わず見つめ合って、小さく吹き出す。すると、貴良の目元も和らいだ。
悠心はとたんに体から力が抜けて、ソファの肘掛けにもたれた。
いろいろと思うところはある。だけど、本人を目の前にしてしまうと、やっぱり心はどうしても浮き足立ってしまう。
それが……嬉しくて、悔しい。
「……先に言えよ」
「いや、お前からでいい」
「いいって。貴良から」
貴良は少し黙った。
「……ヒート、終わったんだな。体調はどうだ」
「あ、うん。もう平気。……貴良は?」
「俺は大丈夫だ」
「でも……学校行ってないって聞いた」
「ああ……」
気だるげに貴良は前髪をかき上げた。額がさらされて、思わずじっと見つめてしまう。
「体の不調もそうなんだが……少し、精神的に参っていた」
その言葉に驚く。なんというか、貴良は悠心の中では常に肝が据わっていて、超然とした態度でいるイメージがあったので、何かに悩んだりする姿が想像できなかった。
「だ、大丈夫? お、俺なんかでよければ、話聞くよ?」
婚約者のことや、家のこと。いろいろと確かめたいことがあって家に突撃したというのに、悠心は気がついたら心配で前のめりになっていた。
「……あの日から、妙に調子が悪い」
珍しく、貴良は歯切れが悪かった。本人もまだ整理しきれていないのかのように、言葉を一つ一つ確かめるように呟く。
「何をしていても……集中できない。眠ろうとすると、うまく寝れない。こんなことは、生まれて初めてだ。薬の副作用なのか、それとも……」
貴良は途中で言葉を切った。
悠心がうかがっていると、目が合う。その目の奥にほんの少し、普段の貴良にはない熱のようなものを感じてどきりとした。
「矢沢はこの一週間、どうだったんだ」
「お、俺?」
貴良の話を聞いていたと思ったら、突然自分に投げかけられて悠心は戸惑った。
常に理路整然と話す貴良らしくない。
「俺は……」
ここ一週間のことを思い出す。
貴良にラブホテルに一人置いて行かれて、ピンクくまを抱きしめて泣きながらヒートを耐えた。
もう、貴良に嫌われたんじゃないかと不安になって、気分は最悪で。
人生で多分一番、凹んでいた。
そんな時に、凛が来て。
「……普通。ヒートも、なんとか耐えられたし」
はは、と渇いた笑いが漏れた。
ヒート、という言葉に貴良がぴくりと反応する。
「一人で耐えたのか?」
「あー……うん」
那智から連絡は来たが、それでも一人でヒートを乗り越えた。悠心の人生では初めてのことだった。
「あいつ……那智が迎えに来たのか?」
「ん? いや、那智からは連絡きたけど……一人で帰ったよ?」
貴良が那智の名前を覚えていたことに驚いた。一瞬の紹介だったと思うのに。やっぱり、貴良は記憶力がいい。
「そうか」
貴良はわずかにほっとしたように見えた。
「あ、那智がアルファだから心配してくれたんだろ? 大丈夫だよ、付き合い長いし」
「……そうか」
同じ相槌なのに、今度はなぜか貴良の声が低くなった。何か、気に入らないことを言ってしまっただろうか。
(那智のこと、嫌いなんかな)
真逆のタイプだし、もしかしたら単純にあまり好きではないのかもしれない。
けれども、貴良が理由なく人を嫌うだろうか? と不思議に思った時、貴良が向かいのソファから腰を上げた。
「え……?」
大きな手が伸びてきて、さら、と前髪を触られる。突然のことにとっさに動けず、悠心はどぎまぎとしながら貴良の感情の読めない顔を見つめた。
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