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外伝 飴を溶かす①(那智視点)

※閲覧注意 那智視点の過去編です。 中学時代の悠心と那智の出会いや、二人の過去の交際について深く描いています。 読後感はかなり暗め・重めです。 本編の幸福感やハッピーな余韻のまま終わりたい方には、閲覧をおすすめしません。 那智の過去や、本編では描かれなかった裏事情を知りたい方向けです。 全八話あります。那智を主人公にした短編小説のような位置づけです。     本編の最終カップリングに変更はありません。  1 転落    那智(なち)の育った家庭は、はたから見れば完璧だった。    美男美女で仲の良いアルファの両親。裕福で広い家。使用人たちが身の回りの世話をする。眉目秀麗な兄。毛並みが美しく、賢いゴールデンレトリバーまでいる。  理想の家。  そう言って那智を羨む者は多いだろう。  でも、いつからだろうか。  那智が初等部に上がり、父親が愛人のオメガの家に入り浸るようになった時だろうか。  母親がそれに対抗するように、夜な夜な派手なドレスを着て遊びにいくようになった時だろうか。  使用人たちがそんな両親の陰口を面白おかしく言っているところを見てしまった時だろうか。  ゴールデンレトリバーが脚を悪くしても、心配の色ひとつ浮かべず、世話を面倒くさがって使用人にすべて押し付ける両親や兄に幻滅した時だろうか。  那智は、いつからか周囲の人間の浮かべる笑顔が気持ち悪くてしかたないものに思えていた。 「香山(かやま)くんって、何考えてるかわかんないよね」  私立白蘭(びゃくらん)学園初等部の同級生たちは、那智のことを見てそう言った。いつもぼんやりとしている、変わったやつだと遠巻きにした。    学校ではいつも一人だった。  人の笑顔が信用できない。だから、友達なんて作れるわけもない。  ずっとこうして、自分は誰とも繋がらず生きていくのだと思っていた。    だけど、十二歳で受けた第二性診断で、那智がアルファだということが判明すると、 「――えっ、香山くん、アルファなの?」    周囲の反応は手のひらを返したように変わった。  小柄でひょろひょろしていた体も、アルファ性が診断されてから、時を待っていたかのように大きくなり始め、幼かった顔も、だんだんと輪郭がはっきりしてきた。  中等部に上がる頃には、周囲からの評価は一変していた。 「前から香山って面白いやつだと思ってたんだ」 「一人だけオーラ違うから、絶対アルファだと思ってた」 「香山くんってかっこいいよね」    昨日まで話したこともない男子が、笑顔で話しかけてくる。女子が顔を赤らめて様子をうかがってくる。オメガに至っては男女問わず、何か期待するような眼差しを那智に向けてきた。  それが気味が悪くて仕方がなかった。  両親と兄も変わった。 「お前は香山の自慢の息子だ」 「やっぱり私の血を濃く引いてるわ」  両親は過剰に那智を褒め、ベータの兄は嫉妬の目を向けてくるようになった。 「良い気になるなよ」  そう言って、両親や使用人の見ていないところで地味に嫌がらせをされた。それでも、きっと兄はそうするしかないのだろうと思って、誰にも言わずに耐えた。  学校には毎日行った。  朝、起きて学校に行って。気味の悪い同級生や教師たちの媚びた笑みを見て。放課後には塾や習い事に行き、帰ってゴールデンレトリバーのフォスを撫でて。  また、朝がきて学校に行って。お面にしか見えない同級生たちの笑顔を見て。塾や習い事に行って。帰ってフォスを撫でて。また、朝がきて——。  そんな日々が続いた、中学一年生の夏の終わり。  突然、限界がきた。 「……あれ」    急に、布団から出られなくなった。    体が動かない。  学校に行かなくちゃ。そう思うのに、体がまるで鉛のように重い。  母親は泡を食ったように慌てて、すぐに医者を呼んだ。  那智を診察した医者は、しばらく学校や習い事は休んだ方がいいと言った。  その時の母親の第一声が忘れられない。 「どうしましょう。これじゃ、人様に見せられないわ」  その日の夜、母親と父親が何か話していた。  次の日から、那智は白蘭中等部に通わなくて良いことになった。  そしてほどなくして、私立でもない、普通の中学に転校が決まった。  転校が決まってからも、しばらくは自室から出られなかった。  環境を変えたって、どうせ一緒だ。そう思っていた。  唯一の救いはフォスだった。脚が悪くなって、最近ではもう老衰してきたフォスを撫でることだけが、那智の中の最後のよすがだった。  フォスは優しい目をしている。  那智が撫でると嬉しそうにゆっくりと尻尾を振り、くふんと小さく鳴く。両親や兄、使用人にもそんな態度はとらない。那智にだけだ。  フォスの寝床を那智の自室に移し、常に一緒にいた。  フォスの世話をして、一緒に過ごすことで、那智はだんだんと体が動くようになってきた。    その年の冬、転校先の中学に初めて登校した。  あの日のことは、きっと一生忘れない。 「赤沼(あかぬま)那智です。よろしくお願いします」  転校先では母親の旧姓を名乗ることになり、香山那智ではなく、赤沼那智として過ごすことになった。  教壇で無難な挨拶だけをして、さっさと席に座った。まばらな同級生たちの拍手。白蘭の生徒たちよりも洗練されていない同級生たちの視線は、露骨だった。 「ねえねえ、赤沼くんって、前はどこにいたの?」  休み時間になった途端、人に囲まれた。その多くは女子で、男子たちは遠巻きにこっちを見ながら少し面白くなさそうな顔をしている。  訊ねてきたのは、見た目が派手な女子生徒だった。その目には抑えきれない好奇心とわずかな熱があって、後ろには那智をじっと見つめる清楚で顔立ちの整った女子が顔を覗かせている。  本当はこの女子が那智のことを気にしていて、斥候としてこの派手な女子が情報収集にきたというところか。   「……別に。珍しくもなんともないとこ」  白蘭なんて答えたくなかったし、女子たちもわずらわしい。    すると、遠くでやり取りをうかがっていた男子たちから嫌な笑い声が上がった。 「やば。かっけえー」 「俺も言いてえ!」  ギャハハ、と響く笑い声には、隠す気もない嫉妬が滲んでいた。とたんに胸がずんと重くなる。  めんどうくさい。  やっぱり、学校なんて来るんじゃなかった。  そう思っていた昼休み。 「矢沢(やざわ)ぁ! お前はまたそんな頭で……!」  突然、廊下から教師の怒鳴り声が聞こえてきた。

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