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番外編 失踪とカラオケとコンビニ②
すっかり秋の気配が色濃い屋上は、少し肌寒かった。風に乗って、わずかに金木犀の匂いが香ってくる。
「なんだよ」
那智はだるそうに首に手を当てた。悠心は那智をじっと見つめた。
「……なんで、何も言わなかったんだよ」
しばらく那智は何も言わなかった。ふっと目を逸らすと、ズボンからタバコの箱を取り出す。
「別に、特に意味はねえよ。悪かったな、心配かけて」
「……それだけじゃねえよ」
こめかみに力が入る。那智は悠心と目を合わせないまま、取り出したタバコに火をつけた。
「……悠心、お前なんか顔色悪くね」
ふう、と煙を吐き出した那智は相変わらず悠心を見ない。
でも、こんな時でもちゃんと悠心の顔色を見ている。
悠心は胸がぎゅっと引き絞られるような心地がした。
昨日は一睡もできなかった。
寝ようとしても、昼間にたどり着いた可能性が頭から離れなくて、ぐるぐると考え込んでいた。
勘違いかもしれない。
けれどもし、自分の想像が正しかったら。
——自分は、一体どれほど那智を傷つけていたのだろう。
「……俺のことはどうでも良いよ。そうじゃなくてさ……那智、俺は、お前と腹割って話してえよ」
「何をだよ」
那智は表情を変えない。悠心はぐっと口を引き結んだ。
「だから、悪かったって。……まあ確かに、お前があっさりあいつ選んだのには、腹立ったけどさ。でもそれだけじゃなくて、ふつーに調子悪かったんだよ」
那智はがしがしと頭をかいた。揺れる金髪をじっと見つめる。
「……本当に、それだけなのかよ」
「あ? そんだけだよ」
那智が咥えたタバコから、灰が落ちる。
「俺たちさ、中一の時からつるんでたよな」
「そうだな」
那智の相槌には特に何の感情も見えない。悠心は那智の様子を注意深くうかがった。
「付き合ったこともあったよな」
「……なんだよ、昔話してえの?」
「良いから、聞けよ」
悠心はそこで一度区切る。一つ深呼吸をした。
「あの時、那智、俺のこと好きだって一言も言わなかったよな」
付き合っていた交際期間を思い出す。悠心と那智は付き合っても甘い関係にはならなかった。当時の悠心には、那智は恋愛というより、性行為への好奇心の方が強かったように見えていた。
でも、悠心は当時処女だったから、うまくいかなかった。それで気まずくなってしまって、別れた。
「別れ話もあっさりしてて、普通に次の彼女も作って。それからも、いろんな奴と付き合ってたよな」
「……だから、なんだよ」
悠心はぐっと拳を握った。秋風が吹いて頬を冷たく撫でる。
「だから、ずっと俺は……お前が俺をダチとしてしか見てねえんだと思ってた。だから、別れた後も、あれですっぱり終わったんだと思ってた」
那智は黙っている。
悠心は地面を見下ろした。
乾いてひび割れたコンクリートを眺めながら、ぽつりと呟く。
「でも……もし違うなら」
——ここから先は言いたくない。でも、言わなければならない。
目をぐっとすがめた。
「悪い。俺は……もう、お前とはいられねえ」
喉から搾り出すように告げる。
那智をこれ以上、自分の都合で傷つけるわけにはいかない。
那智との関係は、親友だけでなく——悠心にとっては、それだけで語れるものではない。兄弟でもあり、家族でもあった。
二人を括る名前が分からないほど、近い存在だった。
だからこそ——中途半端にはしてはいけない。
「……はあ?」
その瞬間、ぱちり、と音がした。
見てみると、那智が携帯灰皿を開けていた。
「お前、さっきから何言ってんの」
心底うんざりしたようなため息を吐くと、那智は吸い殻を灰皿へ押し込む。代わりにポケットから飴を取り出した。一つ口へ放り込むと、悠心をじっと見つめる。
「深刻そうなところわりいけど、俺らが付き合った時なんて何年前の話だよ。……もう、終わった話だろうが。だりいわ」
「つーかさむっ」と言いながら、那智は腕をさすり、不機嫌そうに目を細めた。その顔には特別何かの感情が浮かんでいるように見えない。
悠心はわずかに目を丸くした。
那智は面倒くさそうに俯き、金髪をかく。
「別に、俺は悠心のこと一番のダチだと思ってるけどよ……まあ、でもお前がもう離れてえなら、それで——」
「んな訳ねえだろうが!」
とっさに答えると、頭をかく那智の手が止まる。
一拍の後、さらりと流れた金髪からひっそりと口角が持ち上がるのが見える。
「……じゃあ、二度とくだんねえ妄想すんじゃねえ」
那智は顔を上げた。悠心に近づき、頭を乱暴にこづく。
「いって!」
悲鳴を上げると、頭上から小さな笑い声が漏れ聞こえた。
「今更俺たちに離れる離れないなんてねえだろ。何年の付き合いだと思ってんだよ」
「那智……」
「つーか、まだお前に貸した五百円返してもらってねえし」
悠心は目を丸くした。
目を瞬くと、那智がにやりと笑う。
いつもの、那智だ。
「はっ……」
その瞬間、変な息が漏れた。
「はああぁ〜〜……」
悠心はどっと体から力が抜けた。
思わず体を折って、深いため息を吐く。
「……んだよもうー……。俺、どんだけ悩んだと思って……つか五百円は後で返すし」
那智は飴を口の中で転がしながら、悠心のピンク頭を乱暴にかき混ぜた。
「うわっ」
「まあ、桜井のやろーにあっさり靡いたのはマジで腹立ってたけどな」
「だから悪かったって」
ふわりと嗅ぎ慣れた那智の匂いがする。その匂いに安心感を覚えて、悠心は思わず目頭が熱くなった。
「いつも心配してくれて、ありがとな……那智」
「そう思うなら、夜飯奢れ」
「……いや、俺も心配してたからそれはチャラ。てかむしろお前がカラオケ奢れ」
鼻を啜りながらそう言うと、那智は飴を口の中で転がしながら目を細めた。
「しゃあねえな。貧乏人に恵んでやるか。あ、別で五百円には利子付けとくわ」
「おい!」
脛を蹴ると、那智が「痛えよ」と顔をしかめながら苦笑した。
◆
「さよならと〜言った君の〜!」
「……もうお前それわざとだろ、宏樹」
カラオケで宏樹が熱唱する姿に苦々しい顔をしている那智に、悠心は首を傾げた。
「うし、次は——」
またデンモクに手を伸ばす宏樹に慌ててストップをかける。
「いや次俺だから! マイク離せよ!」
「生きていーくーんだ〜! それでいいーんだ〜!」
「あーもう那智! 演奏中止押せ!」
「俺は誰にも止められねえ!」
悠心はマイクを離さない宏樹からなんとかマイクを奪い取ろうとする。
演奏中止になると、宏樹が残念そうに唇を尖らせた。
「んだよ、せっかく気持ちよく歌ってたのによぉ」
「おめぇのライブじゃねえって何度も言ってんだろ」
悠心が宏樹に間接技を決めると、宏樹が悲鳴を上げる。その横で那智が曲を入れて平然と歌い始めた。
「あっ! 那智! 俺も俺も!」
デュエット曲だったので乱入して歌う。肩を組みながら歌うと、那智は最初は嫌そうにしていたが、宏樹がタンバリンを叩き始めておかしくなったように笑った。
最後は全員で肩を組みながら合唱して、そのまま馬鹿笑いをしていた。
カラオケから帰ってる途中、宏樹と別れた悠心たちはいつものコンビニの裏で話していた。
中学の頃から、通い慣れたコンビニ。ここでダラダラと話してから解散するのが、いつもの流れだった。
「……あ、ちょっとわりい」
ふと、悠心のポケットでスマホが振動した。見てみると、貴良からだった。
明日、会う予定になっている。そのことだろうかと思って見てみると、そこには複数の日程がならんでいた。
貴良:この日なら会える
短くそう書いてある文面に、思わず口元が緩む。
「……桜井か?」
「おー」
「お前本当にあいつのことになるとわかりやすいよな。……なんだって?」
「デートの日程。めちゃくちゃ送られてきた」
那智はタバコに火をつけて口に一本咥える。
「あいつもたいがいだよな」
苦笑する那智に、悠心はにやけながら頷いた。そして、ふとある日付に目が留まる。
悠心は貴良に素早く返信を送った。
「どうせ全部行くんだろ」
「ん? いや、行かねえよ」
呆れたように煙を吐き出す那智に、悠心は首を振った。
「は? なんでだよ」
「いやいや、お前俺のことなんだと思ってんだよ」
「暇人」
驚いた顔のままそう言う那智を小突く。
「だって、今年も行くだろ」
「あ?」
怪訝な顔をする那智。悠心は「そろそろだろ」とズボンのポケットに入っている那智のスマホをこんこんと指で軽く叩いた。
那智がスマホを取り出すと、ゴールデンレトリバーの姿がロック画面に現れる。
「ああ……」
那智は目を見開いて、それからふっと目を伏せた。
出会った当初、那智はゴールデンレトリバーを飼っていた。毎年命日が近くなると、墓参りに二人で行っていた。
「……別に、良いんだぞ。毎年来なくても」
「は? 何言ってんだよ。え、来てほしくねえの」
「そういう訳じゃねえけど」
「じゃあ行くよ」
たった一度だけ会ったことがある那智の愛犬を思い出す。
「……そうかよ」
那智は掠れた声で呟いて、静かにため息を吐いた。携帯灰皿にタバコを押し付ける。
「てかさ、もう髪黒くしねえの」
ふと、悠心は那智の金髪を見てプリクラを思い出した。
「急になんだよ」
「いや、黒髪の時の那智も可愛かったなあって」
「はあ? なんだよ可愛いって」
「あんときはこーんなにちっちゃくてさ」
「んなわけねえだろ」
人差し指と親指で小ささを表すと、那智に苦笑される。
「……まあ」
ふと、那智が空を見上げながら呟いた。
秋の澄んだ空には、星たちがかすかに瞬いているのが見える。
「そのうち、だな」
そう言って、那智は薄く笑った。
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