35 / 49
外伝 飴を溶かす④(那智視点)
4 君がため
◆
翌日の昼すぎ。
「……え」
フォスの容体が急変したと、使用人から連絡が入った。
那智はスマホの画面を見て青ざめた。
フォスは最近、調子が良かった。だから、安心していた。それなのに。
画面には、病院の名前と、もう危ない、という文字。
身体中から血の気が引いて、頭が痺れた。
手が震える。
足が地面に張り付いたように動けない。
次に、何をしたら良いのか、何をするべきなのかがわからない。
病院へ行く? その前に使用人に車を寄越すよう言う? いや、それとも、教師に言う?
ぐるぐる。頭の中で思考が絡まる。もう春が近いのに、じっとりと背中が冷たい。
「……那智?」
その時、聞き慣れた声がして、はっとした。
見慣れた金髪が目に入る。悠心が深刻そうな顔で那智を見ていた。
「どうした」
「あ……」
問われた時、震える手からスマホが滑り落ちた。
カシャン、と音がして、悠心が拾い上げる。そして画面に目を落とし、表情を厳しくした。
「那智、来い!」
突然、腕を取られた。
戸惑いながらも、引かれるがままに着いていく。
廊下では教師や生徒たちが驚いたような顔をしている。誰かに呼び止められた気もするが、もう頭には何も入らない。
確かなのは、自分の腕を掴む、力強い手の感触だけだった。
校舎を飛び出すと、悠心はそのまま駐輪場の外れへ向かう。
「乗れ」
悠心のバイクの後ろに乗る。
フォスとの思い出が、頭の中で走馬灯のように流れていた。
悠心は何も言わず、何も聞かず、バイクを走らせる。
自分とそれほど変わらない背丈をした悠心の背中が、やけに大きく見えた。
――その日、フォスは亡くなった。
老衰だった。
那智が到着するのを待っていたように、その姿を一目見ると、ゆっくりとまぶたを閉じた。
泣きながら病院を出ると、悠心が壁にもたれて待っていた。
「……悠心」
「那智」
悠心は那智に駆け寄り、その後ろから運ばれてきたフォスを見た。
「やっと会えたなあ。フォス。……可愛いなぁ」
そう言って薄く笑った悠心。その目に確かな親しみと悲しみが見えて、那智は息を震わせた。
使用人とともに車に乗り込む那智を、最後まで悠心は見守っていた。
もう日は暮れて、夕焼けが悠心の金髪を照らす。那智ははっとした。
「悠心、今日……」
先輩との約束があるんじゃないのか。
すると、悠心は笑いながら首を振った。
「大丈夫、大丈夫。先輩には連絡したし。怒ってねえみてえだから」
「悠心……」
那智は目元を拭う。悠心はいつものように笑みを浮かべている。
車が走り出しても、悠心はいつまでもそこに立って那智を見送っていた。
その後、那智はフォスの亡骸に寄り添って眠った。
数日、久しぶりに学校を休んだ。フォスの肉体がこの世から消えて灰になるその時まで見届けた。
その間、時折頼もしい背中を思い出していた。
◆
久しぶりに登校すると、悠心は来なかった。
次の日も、来ない。
おかしい。そう思っていると、男子たちの噂話が聞こえてきた。
「悠心、大丈夫かな……」
「キョン先輩と揉めたって。マジでやばくね? あの人、反社とつながってるって噂だし」
「え、まじ?」
那智は思わず男子たちに詰め寄っていた。
「それ、どういうこと」
「わっ、な、なんだよ」
男子たちは突然現れた那智に驚いたようだが、素直に話してくれた。
「そ、それがさ――」
那智は全速力で走っていた。
生まれて初めて、こんなに全力で走っているかもしれない。
何をしているんだろう、自分は。
これからいく場所が危険かもしれない。
それでも、止まれなかった。
『那智、来い!』
あの日、掴まれた腕の感触。
大きく感じた背中。
『……可愛いなぁ』
優しい眼差し。
止まる理由なんて、なかった。
ともだちにシェアしよう!

