36 / 49

外伝 飴を溶かす⑤(那智視点)

5 光  やがて、河川敷に数人の人影が見えた。  着崩した黒い制服は、有名な不良高校のものだ。それが、三人。そして、中学の制服を着た金髪の男が、一人。悠心だ。  悠心はそのうちの一人に殴りかかられるが、それをかわして殴り返す。だけど、別の男が悠心を羽交い締めにして、一番体の大きな男が悠心を殴りつける。 「……はっ。三人がかりって、ダセェっすね」  口端から血を流しながらも、悠心は不敵に笑って挑発する。  また、殴られる。だらんと首が垂れた。 「悠心よぉ。俺がおめぇを呼んだ理由、知ってっか?」 「……」  体の大きな男が悠心の前髪を掴んで上を向かせる。あれがキョンらしい。悠心は静かに男を睨み返した。 「俺はよぉ、おめぇのこと好きだったんだよ。だから、可愛がってやろうとしたのによぉ。……俺のメンツ、丸潰れだぜ」 「……そうすか。さーせん……、っ!」  男は半笑いで返した悠心の首をもう片方の手で締め上げた。 「お仕置きが必要だよなあ。……おい、お前ら、抑えてろ」  悠心の顔がこわばる。 「オメガだからよぉ、つがいにしてやってもいいと思ってたのになあ」 「はあ……っ?!」  それまで不敵に笑っていた悠心に、初めて怒りの色が浮かぶ。 「犬一匹のために、俺との約束蹴ったんだって? バカにしてくれるよなぁ」  そう言って、キョンが悠心の首輪に手をかけた時。  その瞬間、那智の頭の中で何かが切れる音がした。  気がついたら、那智は地面を蹴っていた。  次に感じたのは、足裏に伝わる硬くてやわらかな感触。  「ぐっ」という呻き声とともに、キョンの体が吹き飛ぶ。 「さわんな!」  気がつけば、那智はキョンに飛び蹴りを食らわせていた。    人を蹴ったのも、怒鳴ったのも、これが人生で初めてだった。 「那智……?」  悠心が信じられないと言うように声を上げる。 「キョンちゃん! テメェなんだコラ!」  悠心を抑えていた男が、吹き飛んだキョンを見て殴りかかってくる。腹に拳を受けて、重い痛みとともに一瞬えづくが、その腕を掴みながら那智は渾身の力で男の横面を殴り飛ばした。  人を殴った拳がじんじんと傷む。けれど、そんなことはどうでも良かった。 「な、なんだコイツ!」  生まれて初めてする喧嘩。  不思議と恐怖はなかった。どこか現実から乖離したような、ふわふわとした心地なのに、頭だけが静かに冷えている。  体が軽かった。どこに誰がいるのか。自分がどこに位置取れば有利なのか。  考えるより先に、体が動いた。 「つ、つよ……」  悠心の呆然とした声が聞こえる。    そうか、自分は強いのか。  それも、もしかしたらアルファに生まれたからかもしれない。  それなら、やっぱり良かった。 「なんだテメェこのやろう!」  そのとき、立ち上がったキョンからぶわりと濃厚なフェロモンが香ってきた。  威嚇フェロモンだ。 「お前こそなんだよ」  那智も睨み返す。  どうすれば良いかなんて、誰にも教わっていない。  それなのに、本能でわかった。  体の奥からフェロモンが溢れ出す。    フェロモン同士がぶつかった瞬間、キョンの顔色が変わった。一歩、後ずさる。 「キ、キョンちゃん?」  仲間の一人が戸惑うような声を上げる。  那智はまばたきもせずに睨みつける。    理屈じゃなかった。  自分の方が強い。ただ、それだけがわかった。   「……ちっ」  どのくらいそうしていただろうか。  やがて、額に脂汗を浮かせたキョンが忌々しそうに舌打ちをした。 「……行くぞ」  キョンが後の二人に声をかけ、その場から離れていく。  キョンの仲間たちも那智たちを睨みつけたが、少し困惑した様子でキョンの後を追っていった。  那智はしばらくその後ろ姿を睨み続けた。    完全に見えなくなってから、悠心に駆け寄る。 「悠心、大丈夫……!?」 「那智……」  悠心は那智をぽかんと見上げていた。  その瞳が、きらきらと輝いている。 「……お前、やるじゃん!」  そして、がしっと肩を組まれた。   「かっけえよ! 那智!」  悠心に嬉しそうに顔を寄せられ、那智は思わず体をこわばらせた。ムスクのような香りが鼻をくすぐる。  かっと体の奥が熱くなる。うまく言葉が紡げなくて、那智はぎこちなく頷いた。  傷だらけの顔で嬉しそうに笑う悠心の顔が、なによりも綺麗に見えた。  ――この日、那智は悠心にどこまでもついていくと、そう決めた。  

ともだちにシェアしよう!