38 / 49

外伝 飴を溶かす⑦(那智視点)

7 すれ違い   「なんかさー、俺たち、付き合ってからなんかやりにくくね?」  ある日、悠心がぼそりとそんなことを言った。ぐさり、と胸に鋭い痛みが走る。なんとなく、那智も感じていたことだった。 「デートっつってもいつも通りだし、セックスも……思ってた感じじゃねえし。なんか、付き合う前とあんま変わんないのに、ちょっと気まずくなっててさ。そんなら……付き合ってる意味、あんのかなって」  そうぼやく悠心に、那智は何も言い返すことができなかった。  本当は、そんなことない、と言いたかった。けれど、事実、二人は付き合う前と付き合った後で、それほど日常に変化はなかった。……ただ、セックスがうまくいかないという不和を除いて。 「……だな」  短く、掠れた声しか出なかった。  ——那智の中で最も恐ろしいことは、悠心に気持ちを伝えて、隣という居場所すら失ってしまうことだ。  悠心は少しの沈黙の後、「だよなぁ」と頷いて、大きく伸びをした。 「俺さ、那智といんのが一番しっくりくるからさ。……良かった」  良かった。  そう言う悠心に、那智はぎこちなく笑うことしかできなかった。    秋の初めの夕暮れが、那智と悠心の影を濃く映し出していた。    それから、那智と悠心の体のふれあいはなくなった。  いつも通り馬鹿笑いをして、いつも通り隣で単車を走らせる。  それでも、那智の心にはどこか一点だけ穴が空いたように隙間風が吹いていた。  ◆     「なあなあ、俺、彼氏できた」 「……は?」  一ヶ月後、悠心がいつものように明るく笑いながらピースをしてきた。 「……早くね?」 「そう?」 「……相手は?」 「マイマイ先輩」  その名前を聞いて、思い出した。襟足まである金髪で、黒条高校に通う長身の男だ。顔立ちは薄いが、唇の右下にあるほくろが色っぽいと、悠心が騒いでいたのを思い出す。 「……まじ?」 「まじまじ」 「……ヤッた?」 「おう」  悠心が屈託なく笑う。その顔はどこか晴れ晴れとして見えた。 「お前……ヤレたんかよ」  あんなに痛がっていたのに。   「いやあ、それがヤレちゃったんだよな」    その瞬間、かさかさになっていた心からびしりと音がした。   「……へえ」  良かったじゃん。そう、ちゃんと言えたのかはわからない。 「マイマイ先輩、慣れてたからかなあ。あ、でも那智の方がでかかっ……那智?」    無言になってしまった那智に、悠心は一瞬怪訝そうな顔をした。それからはっとしたように目をわずかに開く。 「……」    きまり悪そうに目を伏せて、悠心はそれ以上何も言わなかった。    それから数日後、悠心にコンビニ裏に呼び出された。 「なあ、那智。俺たちさ……」  声をかけられて那智が振り返ると、悠心は驚いたように目を丸くした。那智の手元を見ている。 「お前……タバコ、吸うようになったん」 「まあな」  片手でタバコを咥えていると、那智の後ろからひょこりと女が顔を出す。 「ねぇ、なっちゃん。この人だあれ?」 「悠心。俺のダチ」 「こんにちはぁ。なっちゃんがお世話になってまあす」 「……なっちゃん?」  悠心が困惑したような顔をするのを、那智は見逃さなかった。 「こいつ、俺の彼女。悪いな、ついてくるってきかなくて」  那智はじっと悠心の反応を観察した。 「……あ、そうなん」    悠心がわずかに表情を強張らせるのを見て、乾いてカラカラだった心に、わずかに湧水が沁みる。  那智は薄く笑いながら、「で、どうしたんだよ」と吸い殻を携帯灰皿に押し付けた。 「あー……や、なんでもねえわ。俺の気のせいだったみてえだ」  そう言って笑う悠心は、気を取り直したように愛車のハンドルを手に取る。 「んじゃ、俺行くわ」 「もう行くのかよ」 「おー」  悠心はひらりと手を振って、愛車にまたがる。  ふと、悠心は那智の方を見た。その顔はどこか遠いところを見ているようだった。 「……お前、口悪くなったよな」 「そうか?」  自分ではあまりわからない。  悠心はそんな那智を見て、ふっと笑った。 「じゃあ、またな」    走り出した悠心の背中を、ぼんやりと見つめた。  悠心のこわばった顔が脳裏に焼き付いている。  ――何を言うつもりだったんだろう。  何か自分が取り返しのつかないことをしてしまったような気がしたが、もう引き返せなかった。  その翌日、悠心が数日前にマイマイ先輩と別れていたことを知った。   ◆    それから、那智も悠心も、恋人ができては別れる、というサイクルを短いスパンで回すようになった。 「お前、今度は一週間しか保たなかったのかよ」 「悠心だって似たようなもんだろうが」  軽口を叩きながら、結局はお互いのもとへ帰る。  悠心は惚れっぽくて、恋の始まりにも終わりにも躊躇がなかった。  失恋した悠心は必ず那智のところへ来て、落ち込む悠心を那智が慰める。それが二人の間の鉄板だった。  那智はいろんな男や女と付き合った。  告白されれば好みじゃない限りとりあえず付き合うし、良い雰囲気になったら口説いた。セックスだって数えきれないほどした。もう、処女の悠心を前にうろたえていたあの頃とは違う。  それなりに好意を持った相手もいた。  それでも、誰とも長く続かなかった。  理由はほとんど同じで、最終的には那智が振られる。  『私と悠心、どっちが大切なの』。  このセリフが相手から出たら、だいたい終わりだ。  デートをしていても、セックスをしていても、時には別れ話の最中でも、 「おう、那智。ひま?」  と悠心から連絡が来れば、そっちを優先した。    初めは「仲良いんだね」なんて理解者を気取る恋人たちは、それが毎回にもなると、だんだんと口を閉じて顔色を変えていった。    交際相手が不満に思う気持ちもわかる。  けれど、比較にすらならないし、那智の中で悠心より誰かを優先するということが、思いつかなかった。  『もう悠心と付き合えば?』。  そんな言葉も何回も聞いた。  それを聞くたびに、そうしたんだけどな、という苦い思いが胸に滲む。    そして、付き合って、別れてを短いスパンで繰り返すうち、那智は遊び人として界隈に知られるようになっていった。

ともだちにシェアしよう!