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第3話

 その日、居酒屋の個室で十人程度がひしめくなか、匠海の目の前には洲永が座わった。  テーブルに並んだほっけの開きに箸をつけた洲永は丁寧に身をはがすと細かく骨を取るような行為や無駄口も叩かずに、ひたすらほっけの身をコンスタントに口へ運んでいた。  癖のない箸の持ち方。  咀嚼する音は一切聞こえない。  言葉にしなくても、そのほっけが美味しいと伝わる表情──。  一連の流れを見つめていた匠海の胸はずんと鈍い音を響かせ、匠海は冷や汗をかいた。  しつけが厳しかった匠海の父親が洲永の姿と重なる。父以外にこんなにも美しい所作で食べる男性を匠海は初めて目のあたりにした。そう気づいた瞬間、下半身に熱が集まったのだ。 (ずっとこの症状が出ていなかったから、すっかり治ったもんだと……)  初めてこの症状に見舞われたのは匠海が中学一年生のときだ。  父は食事中に喋ることを許さず、母が作った料理をゆっくりと正しい所作で味わうことが感謝に繋がると、毎回、食事前に言った。もちろん匠海が食べこぼしたり、喋ったりすることは許されない。常に食事中は緊張状態で、体調不良以外で食べ残すことは禁止だ。  それが当たり前だと思っていた。  しかし初めてその症状が出たのは、父親が家に同僚を呼んで晩酌をしていたときだった。ふだん寡黙に食す父だけれど、酒が入れば多少は乱れてしまうのでないかと匠海は期待した。母がおつまみを彼らに配膳し、気分も声も大きくなっているだろう二人は母の料理を食べ始める。すると父の同僚とは目を見張るくらい違う所作の美しさに匠海は改めて驚いた。一緒に食べている人と比べると、父がどれだけ食事に対して敬意を払って食べているのかを初めて理解した。  おそらく匠海はファザーコンプレックスだ。  父を敬いながらもどこか敵わないという恐怖心が常にあった。それに父の食事姿を見ると火照ったように身体がおかしくなるのだ。父親の傍にいればいるほど匠海の心は乱される気さえした。  その日を境に、父と食事すると必ず身体が感じてしまう体質になった。  塾や習い事、部活を言い訳になるべくひとりで食事をするように努めた。  高校は寮生活ができる遠くの学校を選んで受験した。実家へ帰るのは正月だけ。そのうちに父は早くに亡くなってしまった。もう二度と父の美しい所作を見ることはないと安堵したのもつかの間、後悔が匠海を襲った。  どんなセクシーな女性の写真や動画を見ても興奮できない身体になってしまっていたのだ。父と同等な人物を心の奥底から求めてしまい、女性たちを父親と比べてしまう。  いくら感じの良い女性と食事をしても、彼女たちはいつの間にかお喋りに夢中になる。だから匠海は四十になるというのに結婚はおろか恋人ができても続かなかった。女を抱くことができない男なんて、いつだって彼女たちを大いに傷つけた。 (女性には反応しないのに、どうして洲永さんに……?)  二度と父と食事することができないという事実が匠海をこうさせるのだろうか。

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