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一章 第四皇子、白百合との婚姻を命じらる。(2)
「宋 家の……たしか、名は清歌 と言ったか。家柄も申し分ないし、皇后も気に入っておるようだったが」
そう口にしつつ、父皇帝はゆるく首を振った。またしても、ひとつ、ふう、と、相手のついた重たい嘆息が聴こえてくる。
「そなたも十八歳 だ。婚姻の話があっても、早すぎるということもない」
今度のそれは、どうも、独り言のようだった。父は、燎琉に下すべき処分に、あるいは、どこか迷いを拭い去れずにでもいるのだろうか。その声は、自らを納得させんとするかのような響きを帯びてもいる。
父帝がいま口にしたとおり、燎琉 は今年、無事に加冠の儀を終え、成人を迎えていた。宋家令嬢の清歌と引き会わされたのは、その儀式から間もなくのことである。母皇后の勧めによるものだった。
宋家は代々皇帝に仕えてきた所謂 名門の家柄である。現当主である宋 英章 ――清歌の父――は官吏の人事を司る吏部 の尚書 ――長官――を勤める、朝廷の重臣だった。
すなわち宋家は、皇族との婚姻の話が出ても何らおかしくはない権門名家なのである。その家の妙齢の令嬢と、我が腹の皇子である燎琉とを、敢えて逢わせた母后の思惑は、当然、機を見てこの娘を燎琉の妃に、と、そういうことであったのだろう。
母はどうも、燎琉を皇太子に据えることを考えているらしい。
そのために、代々高位を得、高官を排出してきた家柄である宋家を、ぜひとも身内に引き込みたいのだ。
そうした母皇后の裏の意図を、燎琉とて、まるで知らないわけではなかった。
だが、それとは別のところで、引き合わされた少女のたおやかでうつくしい様に、心惹かれたのも確かなのだ。彼女を伴侶 に迎えられるならばさいわいだ、と、そんなきもちさえ抱いていた。
このままいけば、近い将来、そういう流れになるのだろう、と、漠然と思ってもいた。
だが、ここへきて、燎琉の淡い期待は、はかなくも打ち砕かれそうになっている。そのことを燎琉はひしひしと感じ取った。
「とはいえ、いまのところはまだ正式な婚約には至っておらなんだな」
父帝は思い口調でそう言った。
「……はい」
燎琉は力なく父の言葉に応じて、そのまま沈黙した。
婚約はまだ、と、わざわざそう口に出した父の意図を思う。言うまでもなく、もちろんのこと、燎琉の婚約が、父の許可なく成るわけもなかった。
なにしろ燎琉は、現皇帝の子のうち、唯一、皇后の生んだ皇子なのである。その婚姻は、当人といえど、母皇后といえど、一存で決められるものではありえなかった。
必ず、国主たる父の許可が必要だ。しかし、父帝はもはや、燎琉と宋清歌の結婚を認めることなどはないだろう。ここまでの話の流れから、なんとなく、そう感じる。
「父上……陛下」
それでも燎琉は、窺うようにじっと皇帝の顔を見た。相手は、悩ましげな表情はそのままに、額を軽く押さえて首を横に振った。
「一度結んだ婚約の破棄ともなれば、外聞が悪いといったこともあろうが……そうなる前であったのは、幸いと言うべきか」
つぶやくように言うのは、またしても独白らしい。
その後で父皇帝は、うむ、と、何かを決心したかのように、重々しくひとつ頷いた。
それから、戸惑う燎琉を前に、手で軽く合図をして近侍 官を招く。
「陛下……?」
自分に下される処分はいったいどういうものなのだ、と、燎琉が問う暇 はない。皇帝の命を受けた近侍官は、すぐさま、燎琉の正面に立っていた。
彼がいま恭 しく捧 げ持っているのは、聖旨 ――皇帝の下す勅命を記した書――である。
いったい父帝は、燎琉に何を命じる気なのか。
だが、それを考える間もなく、近侍官が聖旨を開いた。
燎琉ははっとして、勅命 を享 ける際の形式に則り、深く頭 を垂れる。
こちらが場に畏 まったのを確認して、官は勅書を滔滔と読み上げはじめた。
「天命を享 けて勅を下す。――嶌 国第四皇子・朱 燎琉 は、加冠以来、朕を輔 け、申し分ない働きである。よってここに、朱燎琉と、戸部 書吏 ・郭 瓔偲 との婚姻を、皇帝の名において、許可するものとする……欽此 」
読み終わると、近侍官は聖旨を再び巻子の形に巻き取り、燎琉に差し出した。
許可する、と、文言こそそういうものだが、これは郭瓔偲と婚姻せよとの勅命だ。
すなわち、燎琉はたったいま、不慮の事故によって意ならずもつがいになってしまった郭瓔偲を、自らの妃として迎えることを、父帝から正式に命じられたということだった。
父は、それを以て、この件の収拾とするということだ。
「婚、姻……」
燎琉は目を瞠 り、思わずそう、呆然とつぶやいてしまっている。
しかし、いかに意に染まぬといっても、皇帝の聖旨を拒む術など、あるはずはなかった。たとえ燎琉に意中の者が他にあろうと、勅によって命ぜられた以上、もはや燎琉は、郭瓔偲と娶 うよりほかないのだ。
「どうした、皇子よ」
不服があるか、と、父帝の視線はまるで言外にそう問うかのようだった。
「……いえ」
燎琉はちいさく答える。それから、形式通り、その場に平伏した。
「聖恩に……感謝いたします」
もはや燎琉に出来るのは、ただ規則 の通りに、父皇帝の勅を受け取ることだけだった。
跪 いたまま、いっそう深く頭 を垂れ――父に見えぬところではきつく眉根を寄せながらも、何ら抗議の声を上げることもできずに――近侍官の差し出す聖旨を恭 しく押し戴 いた。
*
皇族男子は、十八歳 を迎えるまでは後宮に――母たる后 、あるいは妃 に与えられた殿舎に、共に――住まうが、成人と同時に、楽楼宮 内にある殿舎のうちのひとつを賜 って独立するのが慣例 だ。燎琉 が成人した際に与えられたのは、皇帝が起居する正殿の東側に立ち並ぶ殿舎群のうちのひとつ、椒桂 殿 と呼ばれる場所だった。
朝堂で父帝に謁見し、不本意な婚姻の勅命を授けられた燎琉は、いま、父帝のもとを辞して居宮である椒桂殿への帰途にあった。
楽楼宮の中を縦横に走る、壁と壁の間の路 を抜けた先、虎と牡丹 の図柄が彫り込まれた影塀 の向こうが椒桂殿の表門 だ。それを越すと横に細長い前院 があり、そこから更に華垂門 を越えたところには、院子 が広がっていた。
そして、院子を抜けた北正面、短い階 を上ったところに建つのが正堂 である。中央に居房 、その左右の並びには耳房 と呼ばれる小房 が附属し、それぞれが臥房 と書房 となっていた。
さらに、院子 を東西に挟むようにして、東廂房 と西廂房とが建っている。四合院 と称されるつくりで、楽楼宮内の殿舎は基本的にどれも――堂宇の規模の大小こそはあれ――同様のものであった。
燎琉がちょうど椒桂殿の院子へと足を踏み入れかけたときである。御座房 ――表門の並びにある南側の堂宇で、侍者や下男・下女など、側仕えの者たちの房間 となっている――から、一人の青年が姿を見せた。
「殿下、おもどりなさいませ」
そう呼びかけてきたのは、幼い頃から燎琉に仕える侍者の李 皓義 である。
李家は、由緒ある武門の家柄だ。皓義は現当主の孫――二男坊――にあたるが、燎琉にとっては乳母子 でもあった。皓義の母が、燎琉の母に乳母 として使えた縁 で、幼い頃から兄弟のように生い立った相手である。
形の上では侍者とはいえ、燎琉にとって、誰よりも気安く接することのできる存在だった。相手もまた――燎琉自身がそう望んだのもあって――変に隔 てを置いたりせず、良い意味で、遠慮会釈なく付き合ってくれていた。
「殿下、それで……陛下からは、何と?」
皓義に訊ねられ、正堂 へ向かって院子 を抜けながら、燎琉は眉根を寄せる。
「どうもこうもない」
振り返ると、くちびるを引き結びつつ、相手を軽く睨 めつけるような視線で見た。
燎琉に仕える者として、いまの皓義の質問は当然のそれではある。が、なにしろこちらは機嫌がよくない。もちろん、不愉快、不機嫌の原因は、先程父皇帝から命じられたばかりの意に染まぬ婚姻にあった。
「郭 瓔偲 を娶 れ、と……ちなみに婚儀はひと月後だ」
燎琉が吐き捨てるように言うと、皓義は一瞬、目を瞠 る。
「それはまた随分と急なことで……えらいことになりましたね、殿下」
苦笑するように言った。
「笑いごとじゃない」
扉を押し開けて、居間である正房へと足を踏み入れつつ、燎琉は言う。
「まあ、そうでしょうね」
後ろに続く皓義は軽く肩を竦 めた。
「それで、宋家の御令嬢とのお話は?」
「白紙だ」
「ああ、それは残念でしたね……宋家のお嬢さまでしたら、殿下のお相手として、家柄も申し分ない。それよりなにより、殿下もお嬢さまをお気に召しておられるようでしたのに」
皓義の言葉に、まったくだ、と、燎琉は眉間に皺を寄せた。
そんな燎琉を見ながらふと沈黙した皓義だったが、やがて、ふう、と、しずかな溜め息をついた。
「皇族ならば、もとより想う相手と娶 えるとは思わない。ならばせめて愛を紡 げそうな相手との婚姻を、と……それが夢見がちな殿下の常からの口癖でしたし、叶いそうだっただけに、誠 に以 て、ほんとうに、遺憾 」
「……夢見がちは余計だ」
従者の要らぬ付け足しに、燎琉はますます表情を険 しくして、低い声で言った。
燎琉とて曲がりなりにも皇族だ。しかも現皇帝と皇后の間の唯一の男子である。己が置かれている立場が――望むと望まざるとに関わらず――重いものであることだって自覚していた。
だから、いずれ自分が誰かと婚姻を結ぶ折には、それはかなりの確率で当人同士の意思とはまるで関わらない、所謂 政略によるそれになるだろうことは想定の上である。
想いを寄せる相手と、そうそううまく婚姻が叶うなどとは、最初から期待してはいない――……皇族に生まれたものの、それは宿命 ともいうべきものだ。
仕方がない。
だが、それでも、だからこそせめて、愛し、愛されることができそうな相手との縁があれば、と、そう願っていたのは確かだった。
妃に迎える相手を、燎琉は、出来れば愛し、大切にしたいと望んでいた。そして、母皇后が燎琉の相手として白羽の矢を立てたらしい宋家の娘は、おっとりと可愛 らしく、この少女が妻ならば互いに情愛を交わせそうだ、と、そう思える相手だった。
それだけに、今度のことで、彼女との縁が切れてしまったのには、正直言って残念だ。腹だって立っている――……誰に向けるべき業腹かは、わからないが。
燎琉は、はあ、と、これみよがしに大きく溜め息を吐 いた。
苛立ちにまかせて、がしがし、と、頭を掻 く。それを見た皓義はまた、ちらり、と、苦笑していた。
「お茶でもご用意しましょうか。一服して落ち着かれては?」
そう提案されたが、燎琉は首を振った。
「いや……これから叔父上のところへ行かなければならないんだ」
この燎琉の言葉に、皓義は軽く目を瞬 いた。
「鵬明 皇弟 殿下のところですか? それは、えっと、鵬明殿下に、陛下へのお取り成しを頼みに行かれるとか?」
燎琉には意中の相手がいる。しかし、今度のことで、それとは別の人物との婚姻を皇帝その人から命じられてしまった。
その婚姻について、たとえば、皇帝に近く、力のある人物に頼めば、再考を願うこととてかなうかもしれない。だから皇帝の弟に会うつもりなのか、と、皓義は燎琉の意図をそう読んだようだった。
「いや……」
けれども燎琉は、皓義の問いかけに静かに頭 を振った。皇帝に婚姻についての再考を願うことはしない、と、ちいさく息をつく。
「俺はすでに聖旨 を承 けた……皇帝の思し召しを、皇子である俺が、蔑 ろにはできないだろう?」
長い吐息とともに言うと、はあ、と、皓義はやはり微苦笑である。
「相変わらずというか、何というか……殿下はまったくもって、物わかりが良すぎるほどに良いですよね。でも、ほんとうに後悔しないんですか? そんなふうに唯々諾々と命令に従ってしまって」
すこしくらい反抗して――有態にいえば、ごねて――みてもいいのではないか、と、皓義はそんなことを言う。
「お前な」
いくら父であるとはいえ、今上 皇帝を相手にごねてみせろとは、と、燎琉は呆れ半分に、咎めるように幼馴染をひと睨みした。
けれどもそれから、ふう、と、気を取り直すように、大きく呼吸 をする。
「そりゃあ俺にだって、思うところは、あるにはあるが」
燎琉はつぶやくように言った。
「だが……父の言い分も、わからないではないんだ。癸 性の地位向上を掲げる皇帝の息子が、癸性の者を無理に番 にしておいて見捨てたとあっては、外聞も悪いし、面目が立たない。それは、確かだと思う。だからよほどのことがなければ父の翻意はないだろうし、俺も敢えて翻意を願うつもりはない」
事故とはいえ、燎琉が郭瓔偲を無理につがいにしてしまったのは事実なのだ。ならば、皇子として、責任はとらなければならないと思う。
癸性の官吏への登用を――あるいは、それ以外も、社会一般へ彼ら・彼女らが出てくることを――父帝は、積極的に推し進めようとしている。燎琉だとて、それが必要な政策であることは、理解しているつもりだ。
ならば今度の決定は簡単には覆 らないだろうし、覆していいものでもないような気がしていた。
宋 清歌 との関係は、諦めるよりほかはない。
「生 真面目 ですよね、殿下は」
一歳年上の侍者はそう言いつつ、どこか複雑な感情を、ちらりと口許の微苦笑ににじませた。
「せめて愛せそうな方だといいですね、今度のお相手。戸部 の書吏 でいらっしゃるとか。宋家の御令嬢とは、ずいぶん、毛色が違いそうですけれども」
「毛色って……お前はもうすこし言葉を選べよ」
燎琉が鼻頭に皺を寄せると、すみません、と、皓義は軽く肩をすくめて詫びた。
「でも、実際、どうします? お相手の方が、とっても捻 くれてたり、意地悪 だったり、高慢で高飛車だったりして、とてもではないけれど仲睦まじくしていくなど不可能そうだったりしたら……有り得なくはないでしょう?」
続けて、そんな厭 な想像を口にする。
「知るか。その時考える」
遠慮のない口をきく従者に燎琉が短く答えると、さようですか、と、相手は苦笑した。
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