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四章 第四皇子、白百合と共に真相に迫る。(2)

「ああ……申し訳ない、驚かせてしまいましたか」  わずかに目を(みは)った燎琉(りょうりゅう)の、その反応に気がついたのか、首輪(くびかざり)に手をやった相手が言う。彼はこちらの反応を気にしたふうもなく、にこやかな表情だった。  とはいえ燎琉は、自分がうっかり見せてしまった迂闊(うかつ)な反応を詫びるような気持ちになる。 「いや、こちらこそ……申し訳ない」 「無理もございませんから」  男はゆるく首を振ると、微笑んだままで言った。 「この国では、()性の者は家の中にいるのが普通。ほとんど外で働いたりはせぬものでございますからね。わたくしはたまたまこの店の一族で、手先が器用だったものですから、匠工(しょくにん)として勤めることが出来ておりますが、癸性に生まれついた者としては、実に幸運だったと言うべきでございましょう」  匠工は(てら)いなくそんな言葉を続けた。  相手の言を受け、燎琉は昨日の工部での出来事を思い出す。ちら、と、傍らの瓔偲(えいし)の様子をうかがい見た。  瓔偲の表情はしずかなものだ。いまの遣り取りに、なんら感情を動かされたふうはなかった。  が、燎琉には、その瓔偲の静謐(せいひつ)さが、かえって切ない気がする。  瓔偲とて、癸性ゆえにままならぬ生き方を強いられ、これまでにどれほどにか辛酸を舐めてきたのだろう。だったら、目の前の匠工の言葉に対し、きっと思うところはあるはずなのだ。  それにも関わらず、感情の起伏を欠片(かけら)ほども覗かせないところが、いかなる理不尽をもただ黙って(こら)えてきた――あるいは、それよりほかに方策(ほう)がなく、否が応にも堪えさせられてきた――彼のつらい立場を思わせた。  燎琉もまた、第弐性を持ってはいる。が、甲性である燎琉にははかりしれない苦悩を、癸性である彼らは――瓔偲や、目の前の匠工(しょくにん)の彼は――抱えてきたのに違いなかった。  癸性であるという、ただそれだけで、生きたい道を歩むことが(ゆる)されなくなってしまう。そのままならぬ人生を思うと、なんとも(たま)らない気分に襲われた。  かといって、情けなくも、彼らに何と言ってやっていいのかもわからない。燎琉はくちびるを引き締め、てのひらをきつく握り込んだ。  こちらの沈黙をどう取ったのか、匠工(しょくにん)の男がまた穏やかに笑む。 「すみませぬ。要らぬことをお聞かせしてしまいましたようです」  頭を下げられ、いいや、と、燎琉は首を振った。  ちっとも要らぬことだとは感じなかった。  それに、と、燎琉は思う。自らも癸性であり、それゆえの苦労を身に沁みて知っているこの匠工(しょくにん)が携わってつくられ、手入れされているものであったならば、瓔偲の首輪(くびかざり)が粗悪なもの――いざというときに持ち主の意に反して外れて、望まぬ相手と番になってしまう危険を帯びたようなもの――であるはずがあるまい、と、そう確信された。 「さて、お訊ねはなんでございましたでしょか、公子(わかぎみ)さま。吏部(りぶ)に卸しました首輪(くびかざり)の件とか」  匠工が改めてこちらに本題を促した。  それを受けて燎琉は、瓔偲の手から首輪(くびかざり)をいったん受け取ると、それを男に示して見せた。 「これを見てもらいたい。――あなたが作られたもので間違いないだろうか?」  男は燎琉の手にある瓔偲の首輪(くびかざり)を見ると、それから、真っ直ぐに燎琉を見返してきた。 「たしかに、わたくしの手になるものかと……しかし、留め金が外れておりますね。いかがなさいましたか」  匠工(しょくにん)の男がこちらに問うてくる。これに対して返事をしたのは瓔偲だった。 「これは、定期的に、手入れのためにこちらに預けられているはずのものかと思うのですが……最後は、ひと月ほど前にも。それでも、このように(こわ)れてしまうようなことはあり得るのでしょうか?」  瓔偲の問いに、男は、はて、と、首を傾ける。 「ひと月やそこらで外れるようなことは、まずもってないかと思いますが……すこし、見せていただいても?」  求められ、燎琉は男に首輪(くびかざり)を手渡した。相手はそれに目を近づけ、向きを変えつつ、しばらくしげしげと眺めている。 「ああ、皮革と金属の鍵の部分を繋ぐ留め金のところに、ちいさな傷がございますね。これは……自然に出来たものとは思われません」  顔を上げると、厳しい顔つきをして、真っ直ぐに燎琉を見た。  やはりか、と、燎琉は眉をひそめる。 「その首輪は、すこし強めに引いただけで、留め金が毀れて外れたんだ。誰かが細工をした可能性はあるか?」  続けて問うと、匠工(しょくにん)の男はまたしばらく首輪(くびかざり)をまじまじと見て確かめていたが、やがて、苦々しげにつぶやいた。 「むしろ……それしか、有り得ません」  やはりそうなのか、と、燎琉は、ぎり、と、奥歯を噛んだ。 「公子さま」  おずおずと、匠工(しょくにん)の男が呼びかけてくる。 「これの持ち主の方は、その……いま、(つつが)なく過ごしておられるのでしょうか?」  男にそう訊ねられた燎琉は、けれども一瞬、相手が何を問おうとしているのかがわからなかった。  が、一拍ののちに、この首輪(くびかざり)が毀れたことによる不幸が――すなわち、望まぬ相手につがいにされてしまうようなことが――なかったのかどうか、と、男がそれを案じているのだと気が付いた。  息を呑む。  答えるべき言葉がなかった。  これの所持者である瓔偲は、事実、燎琉に(うなじ)を咬まれ、いまや燎琉のつがいである。もちろんそれは、本人が望んでのことではありえなかった――……彼は表にこそ出さないが、それをやはり、重たい不幸だと思っているのだろうか。  燎琉は、ちら、と、傍の瓔偲のほうを見た。  男の声を聴いた刹那、瓔偲は、ふと、表情を消していた。  が、すぐにしずかに微笑して、だいじょうぶです、と、匠工(しょくにん)にそう返事をする。 「お気遣いには及びません」  きっぱりとした瓔偲の言葉を聴いて、匠工の男はほっと息を吐いた。己の手になる首輪(くびかざり)の不備で――それがたとえ自分のせいではなく、おそらくは誰かの悪意によって、意図的に細工を施されたゆえであったとしても――己と同じく癸性を有する者がつらい目を見たのではないのだ、と、そう安堵するようだ。  男のそんな表情を見てしまうと、瓔偲の言葉がまったくもって(うそ)(いつわ)りでしかないと知る燎琉も、敢えて口を挟むことは出来なかった。 「――そういえば、公子さま。もうひとつおかしなことがございます」  やがて思い出したように匠工(しょくにん)が言葉を継いだ。 「なんだ?」  燎琉は男の言葉に気を引かれるように顔を上げた。 「たしか先程、ひと月前に手入れを、と、そう仰いましたが……その頃に手入れのためにお預かりした首輪(くびかざり)は、なかったように記憶しておりますのです」  なんだと、と、燎琉は思わず鋭い声を上げていた。 「それは確かか?」 「念のため記録を見て参りますが、間違いないはずでございます」  お待ちを、と、言い置いて、匠工の男は裏へ下がっていった。  間もなく戻っきた手には一冊の帳面があった。 「やはりございません」  帳面を見ながら、男はそう言う。 「その前にお預かりいたしましたのが四月ほど前でございますが、そのときにはもちろん、どこもおかしなところは見受けられませんでした。留め金を締め直して、吏部へとお返ししております」  では、その時には首輪はまだ正常のそれだったのだろう。それから四月――……その間に、誰かが瓔偲の首輪に細工をした。  燎琉は瓔偲と顔を見合わせる。瓔偲は難しい表情をすると、いかにも思案げに、かたちのよい眉を寄せた。 *  店の外へ出ると、先程までの晴天はどこへやら、なにやら雲行きがあやしくなっていた。  早く戻らねばひと雨あるかもしれない。ふたりはどちらからともなく、城壁の南門へ向けて、やや足早に歩きはじめた。 「ひと月前……わたしは間違いなく、吏部(りぶ)首輪(くびかざり)を預けております」  店からある程度離れたところで、隣を歩む瓔偲(えいし)がつぶやくように言った。 「うん。そうだろうな」  燎琉(りょうりゅう)はうなずいた。瓔偲と出逢ってまだわずかだが、その間に交わした会話などを思い起こしても、彼に限って、実は預け忘れたが記憶違いをしているなどということがあろうとは思えなかった。  瓔偲はたしかに、いまからひと月前に、首輪(くびかざり)を手入れに出したはずなのだ。けれどもそれは、下請けの(りん)珠寶(しゅほう)店に預け入れられることはなかった。  そのことは、いったい何を意味するのか。誰がどの段階で、瓔偲の首輪(くびかざり)に細工をしたのか。  燎琉は思案して、難しく顔をしかめる。  瓔偲の暮らす官舎に忍び込んで、隙を見てやったのでもない限り、それは瓔偲が吏部に首輪を預け、手元に戻されるまでの間になされたのではなかったのか。林珠寶店に首輪(くびかざり)を預かった記録がないことからみても、そう考えるのが自然なように思われた。  そうなると、導き出される結論がある。 「吏部か」  無意識につぶやいた。 「薬も、たしか吏部の医局で処方してもらっていると言っていたな」  燎琉の確認に、瓔偲は、はい、と、頷いた。 「吏部……」  もう一度そう言ったとき、燎琉は、瓔偲がなにか考え込むように地面を見詰めているのに気が付いた。 「どうかしたか?」  燎琉が不審に思って訊ねたときだった。天から一条(ひとすじ)、すぅっと銀糸が流れ落ちた。  雨だ。  燎琉ははっとして、反射的に羽織っていた?子(うわぎ)を脱ぐと、瓔偲に頭からかぶせかけた。 「こっちへ」  肩を抱くようにしながら促して、一緒に近くの軒先へ走り込む。  雨は見る間に(しの)()くごとくの降り方になっていた。狭い軒の下、燎琉は瓔偲を雨粒からかばうように、その身を抱え込みながら立っている。 「殿下、いけません」  燎琉の?子の下から顔を覗かせた瓔偲は、戸惑いを滲ませた小声で言った。 「御身が、濡れてしまいます」  わたしなどのために、と、瓔偲はつぶやく。  燎琉はそれに対し、むっとくちびるを引き結んだ。 「俺がお前を濡らしたくないんだ。何が悪い」  ぶっきらぼうに言う。  すると瓔偲は一瞬黙し、それから、すっと燎琉から顔を背けてしまった。 「こまります」  消え入りそうな声で、ちいさくこぼす。 「何が困るというんだ?」  燎琉が問うと、相手はなにやら言葉を探しあぐむふうだった。燎琉は、ふう、と、長い溜め息をついた。 「おとなしくしてろ。お前が暴れると、軒からはみ出した俺がもっと濡れるぞ。それでもいいのか?」  最後は半ば冗談(かるくち)のつもりで脅してやると、瓔偲ははっと息を呑んだ。  どうも脅しは効いたらしく、そのまま黙り込み、言われた通りに燎琉の腕の中におとなしく収まっている。その身体はどこか――あるいは、なぜか――緊張したように強張っていた。 「……どうして」  やがて、ぽつん、と、聞こえてきた声は、地面を打つ雨音に掻き消されそうなほどに頼りない。  もしかすると瓔偲は、それが燎琉に届かずとも、それでもよいと思っていたのかもしれなかった。だが、燎琉にはちゃんと聴こえた。だから、どうした、と、相手の顔を覗き込む。  瓔偲はまるで、迷子になって途方に暮れた子供のような表情をしていた。 「殿下はどうして……そんなにも、おやさしいのですか」  眉を寄せて問うてきたのは、そんなことだ。 「どうしてそんなに、わたしを……まるでだいじなものかなにかのように、扱ってくださるのですか。だってわたしは、()性で、しかも、殿下のお邪魔にしかならぬような者なのに……ご婚約も、立太子も、だめにしてしまうような」  途方にくれたような瓔偲の口調は、けれども、わずかに燎琉を責めるような響きすら帯びていた。(かず)けてやった?子(うわぎ)の隙間から、こちらを睨むように見る黒曜石の眸が、それなのに、ゆら、と、揺らいでいる。  そのたのみない眼差しに出逢った瞬間、燎琉は思わず瓔偲を引き寄せていた。ぐ、と、力を籠め、相手の身を己のほうへと近づける。 「べつに、ふつうだ。とくべつ何か考えてやってるわけじゃない」  こんなのはふつうのことだ、と、耳許にそう告げる。 「だからお前も変に気にするな。何も気にせず、おとなしくかばわれていればいい。これくらいのことなんでもないんだから」  そう続けると、それでも瓔偲は、頑固にちいさく(かぶり)を振った。 「だって、いままで誰も……癸性だとわかって以来、誰も……わたしのことを、そんなふうに扱ったりしなかった。こんなに無条件にだいじにしてもらったことなど……なくて」  言った瓔偲の柳眉が切なげに寄せられる。相手は、まるでひどくまぶしいものでも見るかのように、目を(すが)めて燎琉を見詰めた。 「それなのに、殿下は……どうして」 「だから……べつに特別な理由なんかない。それに、叔父上だってお前をだいじにしてたろう?」  燎琉が言うと、瓔偲はわずかにうつむいた。 「鵬明(ほうめい)殿下は、公平な御方です。だから、仕事さえしっかりしていれば、それなりに使ってはくださいます。ただそれだけだと思います」  ほう、と、せつなく息をつくように言う。 「そんなわけはない」  叔父の名誉のためにも燎琉はそう思うが、瓔偲はどうやらそうは考えないようだった。  けれども、燎琉は容易には瓔偲の考え方を責められなかかった。なぜなら、瓔偲がそう思うのもまた、彼がこれまで不当に低く扱われてきた(ゆえ)なのかもしれない、と、そう思うからだ。  何に対するものか判然としない(いきどお)りが湧いてくる。  けれども、腹で蜷局(とぐろ)を巻く重たい感情を燎琉が言葉にあらわせずにいるうちに、瓔偲のほうが言を継いだ。 「わたしは、殿下にとって邪魔でしかない者です。何の役にも立ちはしない。望まずつがってしまった相手、癸性の妃など、皇帝の命さえなければ、いますぐにも放り出したいでしょうに……どうしてですか? 殿下には、想う相手さえいらっしゃるのに」  瓔偲の口許にはほの笑みこそ浮かんでいるが、彼がいま見せる表情はまるで泣き出す寸前のそれのように見えた。  ざんざん、ざん、と、雨粒が地を、:(いらか)を、際限なく叩いている。わずかにうつむいた相手のひそめ眉がせつなくて、燎琉は思わず、瓔偲の形よいちいさな頭を己の肩に押しつけていた。 「普通だ。これが、普通……いままでお前が大事に扱われてこなかったというなら、そっちのほうが、間違いだ。癸性だろうがなんだろうが、役に立つとか立たないとか、そんなこととも関係なく、お前だって(ないがし)ろにされていいわけがないんだ」  燎琉は瓔偲を抱く腕に力を籠めた。 「だって、そんなの、当然だろう? 蔑ろにされていい人間なんて、この世にいるはずがない。すくなくとも、俺はお前のことを……邪魔だなんて、思っていない。思っていないからな」  燎琉はなぜか必死になって、念を押すように、瓔偲の耳許に言い募っている。瓔偲はしばらくなにも言わず、その身体も強張ったままだった。  だがふいに、くた、と、その身から力が抜ける。それと同時に、ことりとこちらの肩に重みがかかった。  刹那、甘い百合の香が匂い立つ。 「殿下」 「……ん?」 「すこしだけ……こうしていても、いいですか。いまだけ……この雨の間だけですから」  すみません、と、この期に及んで申し訳なさそうにそう口にする瓔偲は、これまで一度も、こんなふうに、誰かに寄りかかったことなどなかったのかもしれない。それを思うと胸が詰まった。 「うん」  燎琉はちいさく答え、相手の背にそっと腕をまわして、瓔偲を改めて抱き締める。ずっとこうしていてやれるなら、もういっそ、雨などずっと()まなければいいのに、と、そう思った。  どれだけそうしていたか知れない。  晴れすらまた永遠には続かぬのと同じ理屈で、篠突くごとく、()()みなく地面を打ちつけていた雨も、ようよう小康を見せていた。向こうのほうでは雲も切れ、高く透明な秋空も覗いている。  空が明るくなってきたのを、燎琉は瓔偲を腕に抱えたまま顔を上げて確かめた。燎琉が身動(みじろ)ぎしたので、それまでおとなしく燎琉に身を添わせていた瓔偲も視線を上げる。 「雨……()みそうですね」  ほう、と、その言葉とともにそっと嘆息がこぼされるのは、彼もまたこの時間を、貴く、得難いものだと感じていたからだとしたらいい。燎琉はそんなことを考えつつ、そうだな、と、短く応じた。  その時だった。 「あ……」  ふと、瓔偲が大経(おおどおり)のほうを見て声を上げた。同時に、燎琉の身体を押すようにして、ふたりの間に距離を取る。  いったい急にどうしたんだ、と、ふいに離れていってしまったぬくもりが惜しくもあり、いきなりの反応に目を瞠るうちに、燎琉もまた気が付いた。  国府と(まち)とを隔てる城壁の、その南門のほうへむけて走って行く、一台の馬車がある。ゆっくりとこちらへ向かって近づいてくるその馬車には、宋家の札が下げられていた。

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