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第4話
新緑がキラキラと太陽の光を反射してきらめく。
ゴールデンウィークだ、長い人で何連休だ、海外のどこの国に出国する人が多いだの、空港の出発ゲートや新幹線乗り場からの中継がテレビを賑わせている頃、千冬は眉間に皺を寄せ、小さくため息を漏らす。
「ちー、お前どっかで振替休日もらえるの?」
千冬の前の席に座っている遠藤は、千冬のことを『ちー』と呼ぶ。その理由が名前の頭文字を取って、ではなく『小さいから』とうっかり言ってしまったときは、千冬に『僕、身長170センチありますから』と散々怒られた。
勤務中に人前で呼ぶことはないが、ゴールデンウィーク真っ只中で、しかも2人しか出社してないとなれば、人目を気にすることなく慣れた様子で千冬を呼ぶ。
「遠藤さん。振替もらえるぐらいなら、今出勤してません」
モニタから視線を外さず、白磁のような指で軽やかにキーボードを打ちながら返事をする。
遠藤も振替休日がもらえるという甘い考えはなかったが、プロジェクトリーダーである千冬は仕事において全面的に無理をしがちだ。
「そういえばあのプロジェクトマネージャー様、この間、3歳ぐらいの小さい女の子連れて夫婦で歩いてたの見かけたぞ」
千冬のキーボードを打つ手が止まる。
都築恭吾と再会したのは、つい最近のことだ。
しかし、お互い特に声を掛けることはなかった。
そのあとも何度となく、客先のビルですれ違うことはあったが、千冬も遠藤や山城と一緒に行動をしているため、恭吾に話しかけるのは憚られた。
一つ気づいたのは、よく千冬の髪をくしゃくしゃと撫でていた左手の、その薬指にはシンプルなデザインのプラチナリングが光っていたことだった。
「あ、あぁ……。都築さんですか? ご結婚されてるんですね」
努めて「普通」に返事をしたつもりだったが、少し声が震えた。
自分自身の執着の強さに呆れて、千冬は少し笑ってしまった。
「遠藤さんは結婚願望とかないんですか?」
これ以上恭吾の話が続くと、声の震えを遠藤に気づかれてしまうかもしれないと、千冬は話題を変えた。
「んー? 俺? 俺はなー。理想高いし。ちーだったらすぐに奥さんにしたいけど」
「バカは休み休み言ってください」
千冬は心底呆れた表情で、遠藤の返事をバッサリと切り捨てた。
「バカとはなんだ、バカとはー! 年上に向かって!」
本気で怒っているわけではない遠藤の言葉を聞き流しながら、千冬は目の前の仕事に没頭することにした。
5年前のあの日に思い知ったはずなのに、千冬の胸はチクリと痛む。
プレゼンの資料のほかに、形だけでも良いから動きが見たい、というユーザーの要望に対応するために、千冬も遠藤もプログラムの開発に取り組んでいた。
山城や他のメンバーも平日はかなり遅い時間まで頑張ってもらっているが、さすがにゴールデンウィークを返上で出てきてほしいとは『鬼の佐宗』と呼ばれている千冬でも言えなかった。
プレゼンの資料は千冬が作成したほうが早いというのもあり、自宅に帰った後に毎日、東の空が白みはじめるころまで1人で作成している。ある程度形になったら山城に英訳してもらい、英文の資料も作らないといけないがまだそちらまで手が回っていないのが現状だ。
時計の短針が文字盤の10を過ぎたころ、会社での仕事を切り上げてノートパソコンをバッグに詰める。
遠藤とは会社を出たところで別れ、千冬は最寄り駅まで歩を進める。
電車のシートに座ると、一定のリズムで揺れる車体が心地よく、千冬は目を閉じた。
ガクンと体が揺れ、千冬は一瞬自分がどこにいるかわからず、何度かまばたきをする。
自分が降りる駅で、しかも『ドアが閉まります』というアナウンスが耳に入ると、急いで電車から降りた。
背後でドアが閉まる音がする。
「あ」
両手を見て、鞄を持っていないことに、嫌な汗が額に滲む。
鞄には社外秘の書類も、パスワードがかかっているといってもノートパソコンが入っている。
「鞄、忘れてるぞ」
動揺していた千冬に、耳触りのいい低い声が届く。
顔をむけると、そこには千冬の鞄を持った恭吾が立っていた。
「都築さん……」
「この鞄の中をライバル会社に見られたとしたら、情報漏洩……か。始末書、あとは関係各所に謝罪回り……大変だな」
機密情報が入った資料を持ち歩く際は、タクシーを使うことを推奨されている。
それを無視して電車を利用した上に、置き忘れて紛失したとなると、かなりの罰則を覚悟しなければならない。
「すっごいクマだな」
千冬に鞄を手渡しながら、もう一方の手で目元のクマに親指を這わせる。
ちょうどプラットフォームに滑り込んできた電車の音で、無理するな、と千冬を心配する声はかき消された。
恭吾の自宅の最寄り駅はここではなかったようで、到着した電車に乗り込む。
「あ、ありがとうございました」
頭を下げ、恭吾にお礼を言う。拾ってくれたのが恭吾でよかったと千冬は安堵する。
恭吾はわざわざ千冬のために、電車を降りて忘れ物を届けてくれたのだ。
走り去っていく電車を見送りながら、顔がほころんでいた。
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