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第5話
何度か乾いた咳をする。
ここ数日体調が悪い。疲れは抜けないし、ベッドに入っても全然眠くならない。
体は休みたいと悲鳴を上げているのに、脳はまだ働ける、と言わんばかりに、寝ようとすればするほど覚醒する。
ついには、寝ることをあきらめて、気怠い体のまま、満員電車に揺られる日々を送っている。
最近の千冬の友は栄養ドリンクとブラックコーヒーだ。
「佐宗さんって家に帰ってるんですか?」
就業中、隣の席の山城がおもむろに口を開いた。
チームの誰よりも早く出勤し、帰りは毎日終電のせいで、過去にも何人か山城と同じ言葉を口にしたことがある。
「毎日帰ってるよ」
資料に目を通しながら、簡潔に返答する。
白い肌に色濃く残る目元のクマが、日々濃さを増しているのを、山城は感じていた。
山城と同じく、遠藤も千冬の体力が限界に近いことを薄々感じ取っていたが、かける言葉が見当たらなかった。
湿気を含んだ生暖かい風が、千冬の頬を撫でる。
プレゼン用に持参したノートパソコンが入った鞄を持つ手が汗ばむ。
今日は最終プレゼンの日だった。
初めに恭吾の会社がプレゼンで、時間を置いて次に千冬達の会社のプレゼンが行われるスケジュールになっていた。
先にプレゼンを終えた恭吾たちとロビーですれ違う。
「都築さん、楓(かえで)ちゃん今何歳ですか?」
「先月3歳になったばっかりだ。この間写真撮ったの見るか?」
嬉しそうに恭吾がスーツの胸ポケットからスマホを取り出す。
「相変わらずの溺愛っぷりですね」
「そりゃなー。目も緑だし俺にそっくりだろ」
恭吾の娘の話で盛り上がっている恭吾の同僚たちを横目に、千冬は静かに深呼吸をした。
プレゼン前で緊張している上に、さらに動揺してしまいそうで、自分を落ち着かせようと何度か深呼吸する。
恭吾たちが通り過ぎてから、山城は千冬と遠藤に話しかける。
「都築さん、確かクオーターですよね。しかも帰国子女だとか。今日のプレゼンなんて余裕だったでしょうね」
外資系企業ということもあり、社内公用語が英語とのことで、最終プレゼンはすべて英語、という指定になっていた。
千冬は英会話には全く自信がないため、頼みの綱は山城だ。
「山城の情報網はすごいな。どこからそんな情報仕入れて来るんだ」
千冬ですら知らなかった情報がスラスラと出てくる。
「トップシークレットです。なんていうのは嘘で、会社説明会の時にもらった社内報がちょうどプロジェクトリーダーの特集だっただけです。もちろん都築さん以外の人も載ってました! ちなみに歳は32です。その社内報に載ってた個人情報はこのくらいです」
鼻息荒く山城が恭吾の情報を話し終わると、千冬は力なく苦笑した。
プレゼンは恙なく終わり、あとは結果を待つのみになった。
この期間は絞首刑を待つ死刑囚のような気分だ。
ユーザーのリアクションは思ったより良かったし、手応えは確実にあった。
もし負けても、悔いはない。全力を尽くしたと言える出来だった。
会社に戻る途中、仲間の労をねぎらい、とりあえず肩の荷が下りたとほっと胸をなでおろした瞬間、突然目の前が真っ暗になった。
足元がふらつき、山城の悲鳴にも似た声を聞いたと同時に、千冬は意識を手放した。
目を覚ました千冬は照明が薄暗く燈る病室にいた。
「佐宗さん? 気がつきました?」
山城が辛そうな顔で千冬を覗きこむ。
千冬がゆっくり頷くと山城は安堵の表情を見せた。
「働き過ぎですよ。睡眠不足と風邪をこじらせて肺炎になってるみたいです。最低でも2週間は入院が必要ってことでした」
「わかった……。病院でも作業はできるから、結果が来たらすぐに知らせてほしい。指示はその時電話で出す」
「わかりました。遠藤さんは先に会社に戻って、上長と相談してくれたみたいです。とにかくコンペの結果がわかるまでの間は、佐宗さんは治療に専念してください」
山城は千冬が倒れたときに咄嗟に支えることができなかった。千冬の整った顔や細く白い腕に残る擦り傷を見ていると、自分の無力さを痛感させられるのだった。
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