18 / 24
Ⅲ 湖畔の夜
夕食後。三人はそれぞれの部屋に戻った。
私服に着替えてエドウィンが部屋で寛いでいると、スマホがメッセージの受信を告げた。確認するとユリウスからだった。
Julius:少し話せないか?
――なんだろう?
勤務時間はとうに過ぎている。不思議に思ったものの、エドウィンはすぐに返信した。
Edwin:はい、大丈夫です
Julius:では10分後にラウンジで
Edwin:わかりました
「ライリー、俺、ちょっと出てくる」
エドウィンはそう言って立ち上がり、半袖シャツをTシャツの上から羽織ると部屋を出た。
一方その頃。
Edwin:わかりました
ラウンジでエドウィンの返信を確認したユリウスは満足そうに微笑み、スマホを胸ポケットに仕舞った。
――当初の計画通りエドウィンとルームメイトになれれば、この休暇を通して徐々に親睦を深めていくつもりだったが……
ユリウスが思う。だが予定外に彼が友人のライリーを雇用してほしいと言ってきたことによって彼の計画は崩れてしまった。この夏、仕事以外での関わりが持てなくなってしまったが故に、ユリウスは今、エドウィンを呼び出すというアクションを起こすに至った。
ホテル1Fのラウンジは白い光沢のある大理石の床に、グレーの円形カフェテーブルとシックな黒い椅子のセットが十分な間隔を空けて置かれた広い空間だった。パノラマウィンドウからは、瀟洒な外灯の明かりに浮かび上がる幻想的な夜の湖が見える。客の姿はまばらで、ゆったりとしたクラシック音楽が流れていた。
――俺、こんな格好で来てしまったけど、大丈夫かな?
エドウィンは自身のシャツとカーゴショートパンツ姿を見下ろして、ラウンジに足を踏み入れるのを一瞬躊躇したが、ラウンジの奥、窓辺の席に座っていたユリウスが微笑み、軽く手を振ったのに気づき、意を決して歩き出した。
「こんばんは。話って……」
「とりあえず、掛けてくれ」
エドウィンが近付き話しかけると、ユリウスが椅子を勧めた。彼は黒いスウェットシャツとオフホワイトのストレッチスラックスを合わせたラフな格好で、手元ではグラスワインが揺れていた。寛いだ服装にも関わらず、やや暗めの照明とこの豪華なラウンジが、ユリウスをより一層魅力的な大人の男性に見せていた。
――仕事の話じゃない、のか?
そう思いながら、エドウィンが椅子に掛ける。
「何か飲むか?」
「いえ、特には……」
慣れた手つきでメニューを差し出されたものの、エドウィンは自分がこの場所には不釣り合いに思えて、早く話を終えて立ち去りたかった。
「せっかくこのリゾートに来たのだから、プラムのジュースを飲んでみないか? この辺りの名産なんだ」
「……ではそれを」
だが名産品と言われては断りづらく、エドウィンは仕方なくそれを頼むことにした。ユリウスがスマートに手を上げてウェイターを呼び、オーダーを通す。
「さて……」
ウェイターが去ると、ユリウスはエドウィンに向き直り、優しく微笑んだ。
「仕事の方はどうだ? 期間中、やっていけそうか?」
「ええ。お客様のきめ細かな要望に応えるサマー・パーソナル・サポートスタッフはやりがいのある仕事です。改めて、この仕事を紹介してくださり、ありがとうございます。あなたの期待に応えられるよう、頑張ります」
「そう言ってくれて私も嬉しいよ」
ユリウスはエドウィンの目を見つめながら、心からの言葉を返した。
――ハーバータウンでのドライブで、君は言った。
『ハーバータウンは、俺の一部です。あなたもこの街を好きになってくれたら、嬉しいです』
――自分の故郷を好きになってほしいということは、自分自身を受け入れてほしいということ。だからエドも私に好意を持ってくれているはず。……だが、あれから一向に前に進んでいない。今こそ、はっきりさせるべきだ。
ユリウスは思い切って口を開いた。
「エド……」
「はい」
「私はこの前、ハーバータウンを訪ねてみて、君の育った街が本当に気に入ったよ」
ユリウスはまず、それを伝えるべきだと思った。相手の生まれ育った街を尊重してこそ、誠意が伝わるはずだと信じていたからだ。
「よかった……! 俺、あなたのこと、本当の兄のように思っているので、ハーバータウンを気に入ってもらえてすごく嬉しいです……!」
――………………兄?
弾けるような笑顔で答えたエドウィンの言葉に、ユリウスは頭を殴られたような、愕然とした心地になった。
「……? ユリウスさん?」
ショックのあまり固まってしまったユリウスを見て、エドウィンが不思議そうに首を傾げる。ユリウスははっとして居住まいを正した。ちょうどタイミングよくウェイターがやって来て、プラムジュースをエドウィンの前に置いて去っていく。
「……美味しい」
遠慮がちに口を付けたエドウィンが思わず呟くと、ユリウスはどうにか笑みを作ってみせた。
「なにせ名産品だからな」
そう言ったきり、暫く会話が途切れた。そして――漸くショックの底から這い上がったユリウスが、本題へと入る。
「実は君に聞きたいことがあるんだ」
「聞きたいこと?」
「君が過去に交際した人、或いは、好きになった人のことを教えてほしい」
その質問は、過去の恋愛遍歴からエドウィンの性的嗜好を探るためのものだった。ユリウス自身はバイセクシャルだったが、ドライブでの彼の言葉が恋愛感情からのものではなかった以上、自分が彼にとって恋愛対象に成り得るのかどうかを知る必要があった。
「……え?」
だがエドウィンは思いがけない質問に目を見張り、固まってしまう。
――なぜ、ユリウスさんはそんなプライベートなことを聞くんだろう?
「……それは、あまり……覚えていないというか……ええと……いえ、いません。誰とも付き合ったことはないです」
当惑しながらも、エドウィンはポツポツと正直に答えた。
「いない?」
ユリウスは驚いて聞き返した。エドウィンの年齢ならば、恋愛の一つや二つ、当然経験があると思っていたからだ。
「俺……幼い時からじいちゃんに厳しく武道の稽古をつけられて、ついていくのに必死だったんです。母が祖母の店を継いだり、父が首都へ赴任したりと家庭内の変化もあって、何というか……家族以外の誰かが、自分の心に入る余裕がなかったというか……」
エドウィンは正直に自分のこれまでの人生を話した。ユリウスは彼の話に静かに耳を傾ける。
「それに、俺にはルーがいたからか、他の誰かと新しく特別な関係を築く必要性を感じなかったのかもしれません。……あ、もちろん友達はいましたよ? でも、さっきもライリーからグループデートに誘われたんですけど、新しく誰かと知り合うことにあまり魅力を感じなかった……すみません。上手く説明できなくて……」
エドウィンが申し訳なさそうに不安気な目を向ける。
――ああ、そうか。
聞き終えて、ユリウスはすべてを理解した。
――エドウィンの今までの人生は、厳しい鍛錬や家庭環境の変化で彼のキャパシティがいっぱいだったのだ。彼自身の性的嗜好はおろか、恋愛そのものについて深く考える機会さえなかったのだろう。
それでもユリウスには、彼を諦めるという選択肢は微塵もなかった。
――今まで存在しなかった“SPS”という特別な雇用枠を新設してまで、この夏、一緒にいたいと思うくらい、彼に恋しているのだから。
ユリウスはライリーがいなければ、エドウィンとルームメイトになることも計画していたのだ。
――ずっと“兄のような存在”ではいたくない。何とか彼との関係を前に進めたいが……
恋愛経験がなく、自身の性的嗜好についても深く考えたことのない相手にどうアプローチすべきか、ユリウスは思考を巡らせる。
――ここで唐突に『好きだ』と告白するのは得策ではないな。
ユリウスは慎重に判断した。明確に好意を伝えてしまうと、相手に交際するのかしないのかという二択のプレッシャーを与えてしまい、同時に同性が恋愛対象に成り得るのかという、自身のアイデンティティに関わる重い問いを突き詰めて考えさせることにもなって、彼を怯えさせかねない。
――ここで彼を追い詰めては駄目だ。……引かれてしまえば、終わりだ。
ユリウスはそう結論を出すと、細心の注意を払って言葉を選び、静かに口を開いた。
「……ああ。ちゃんと君の説明で理解できたよ、エド。……それでね。私は君にとって、自分が単なる『年上の友人』や『兄のような存在』以上になる可能性があると信じているんだ」
「え……」
「君のセクシャリティがどうであれ、私は君という人間に強い興味がある。お互いを一歩踏み込んだ特別な存在として、少しずつ知っていき……その上で恋愛対象になり得るかどうか、試してもいいと思えたなら、前向きな返事をくれないか? 無論、今すぐである必要はない。時間をかけて、ゆっくり考えてみてほしい」
「……」
エドウィンは、予想もしなかったユリウスの真摯な提案に、あっけに取られて彼を見つめた。急に顔が熱くなり、自身の心臓が早鐘を打っているのが分かる。今まで“頼りになる年上の知人”、あるいは“兄のように”思っていたはずのユリウスに、『恋愛対象に成り得る』可能性を示唆された瞬間、目の前にいる彼を、酷く洗練された、圧倒的な魅力を持つ“一人の大人の男性”であることを強烈に意識した。
「……はい。少し、考えさせて下さい」
エドウィンは痛いほどに暴れまわる心をどうにか抑え、やっとのことで、小さく返事をした。
ともだちにシェアしよう!

