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第18話:どうして僕は

   一方その頃ルッツは、1週間前に歩いたばかりのエニグマ森へ続く草原を歩いていた。  日は傾き始め、少しずつ空の青にオレンジが滲み始める。吹き抜ける風が、汗ばんだ身体を優しく冷やしてくれた。  ルッツは念のため鉄の胸当てをつけ、大きな肩掛け鞄の紐を握りながら進んでいく。  魔物討伐は何度も同行し、この道だって何度も歩いている。今更迷う事はないが、いつもより急ぎ足で来たから少し疲れが出てきたようだ。  魔物の主な生息地は森の中だが、道中のこの草原にも全く居ない訳ではない。とはいえ、エピセの葉から作った香水が効いているおかげか、今のところは魔物に襲われていない。 「もうすぐ着くはずだ。そう、確かあの辺……」  目の前に海に面した小高い崖の上が見え始める。  背の高い草はある程度刈り取られ、踏み固められた地面が草の間から顔を覗かせている。大人数で野営した名残がまだ残っているので離れていてもすぐ分かった。  しばらく歩くと、あの時シュヴァリエと会話をしていた岩も見え始める。傍まで歩き、日陰になる位置の地面をじっくり見ていると、白い花が風に煽られて静かに揺れていた。 「間違いない、エリ草だ!!」  持ってきていた図鑑を片手に思わず大声が出る。偶然とは言えこんなに珍しい薬草を見つけられるなんて運が良い。  ルッツは早速鞄から小さなスコップを取り出し、エリ草を球根ごと掘り出す。上手くいけば自室で育てる事が出来るかもしれない。掘り出したエリ草は持参していた水入りの瓶に入れて蓋をしっかり閉めた。 「これだけじゃ少ないな……もっとないかな?」  ここに1輪咲いているのだから、近辺にもっと生えているかもしれない。図鑑には日の光に弱いと書かれていたので、日陰になる位置を中心に根気強く探していった。  意識して探せば案外見つかるもので、少ないが他にも見つけることが出来た。次々と掘っては瓶に入れていき、瓶の隙間が埋まっていく。この瓶が一杯になったら帰ろうと決め、スコップを握る手に力が入った。 ―――――――――  それから数時間が経過した。  空はもう日が暮れ始め、少しずつ紺色に染まり始めている。ゆっくりとはいえ作業が順調に進んでいく影響で、ルッツは外が暗くなっているのに気付いていないようだ。  フレンダは驚くだろうか、シュヴァリエは喜んでくれるだろうか、自室で上手く育てる事が出来たら他の兵士たちにもお茶を振舞いたい。  考えれば考える程、思わず口元が緩んでいく。そんな想像を膨らませていたのが悪かったのか、周囲に対する警戒心が散漫になっていった。 「いつの間にか外が暗くなってきた……これで最後にしよう」  もうすぐ瓶が一杯になる。欲張って大岩の裏側に咲いているエリ草にスコップを伸ばした時、ある違和感に気付いた。 「……地面が濡れている?」  キラーヴォルフ討伐時から1週間が経ったが、その間雨は降っていない。いや、降っていてもこの一部分だけバケツをひっくり返したかのように湿っているのは不自然だ。それになんだか処理前の下水のような異臭もする。  その違和感に気付いた途端、岩陰から何かが蠢いた気がした。ルッツは反射的にスコップを捨て、鞄を盾にするように前に持ってから慌てて後ろへ数歩下がった。 「わあっ!?」  その瞬間、粘り気のある液体が勢いよくルッツめがけて飛んできた。  咄嗟に鞄を盾にして後ろに下がったおかげで直撃は免れたが、飛び散った液体は肩掛け鞄に命中し、麻布の生地をジュウウ……と音を立てて溶かしていく。その鞄からしたたり落ちた液体の一部が右足に零れ、まるで焼けるような激痛が走った。 「ぐあ”ああっぁ……!!」  皮膚が焼けるような激痛に、ルッツは草原に倒れ込む。  身体を転がして数メートル岩から離れた後、痛みが走る右足を見た。先ほど液体がかかった部分の皮膚が真っ赤にただれていた。鞄の底にも穴が空き、中の物が飛び出ている。強酸性の液体をかけられたようだ。  ルッツは鞄の穴から落ちた水筒の中身をひっくり返して傷口にかける。酷い激痛が傷口から広がるが、皮膚を溶かす体液を洗い流さなければならない。歯を食いしばって痛みに耐え、液体を飛ばしてきた何かを見据える。 「スライムか……」  地面に広がっていた水が、生きているかのように一ヶ所に集まって直径30cmくらいの塊になる。粘性のある液体は、這うかのように動くたびに水音を立てる。それがまるで獲物を見定めて舌なめずりをしているようで、悪寒で背筋が震える。  スライムは不純物が混ざった粘性のある液体の魔物だ。日光が弱点の為、主に湿地帯に生息している。日が暮れてきているとはいえ、日陰の少ない草原ではまず見かけない。 (一応護身用のナイフは持ってきたけど液体生物のスライムには効かない……逃げなくては……)  スライムは強酸性の体液を作り出し、それを吐き出して攻撃する。  傷薬は持ってきているとはいえ、悠長に塗っている時間はない。足は非常に遅いため通常であれば走って逃げ出すことは容易だが、右足が酷く痛むため立ち上がる事も出来ない。  あまりの激痛で眩暈がし、額に汗が滲む。叫び声を上げる余裕もない痛みに悶えながら、右足を引きずりなんとか逃げようと試みる。しかし日の光が弱点だというのに、スライムが岩から離れてルッツの方へ這い出てこようとしていた。理由は分からないがルッツに対して強い怒りを覚えているようだ。  スライムの身体が少しずつ膨らんでいく。先ほどの体液を作り出す、ゴロゴロと水がかき回される音が聞こえる。ルッツを確実に仕留めたいようだ。 (どうして僕はこんなに無力なんだ……)  身体が一層膨らみ、その内側に蓄えられたものが吐き出されるのだと悟った。顔を守るように腕を前に出し、目をきつく閉じた。その時だった。 「失せろ……!!」  それは強い憎悪が入り混じった、地を震わせるような低い声だった。沸々と煮えたぎるマントルのような、強烈な熱が秘められた威圧感が全身を駆け巡る。  突き刺すようなその怒りは、ルッツではなくその向こう側に居るスライムに向けて放たれているものだとすぐに気付いた。それなのに全身に鳥肌がぶわりと立つ。  異変に気付いたスライムが一瞬身を固めた瞬間、真っ赤な炎がルッツの視界を覆った。  この炎がなんなのかはすぐに分かった。産毛が焦げそうな熱波に包まれながら、ルッツは静かに下唇を噛みしめ瞳を閉じた。  

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