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第19話:君と戦う事を選んだ
ルッツを守るように目の前に現れた炎の壁が、そのまま波のようにスライムを飲み込んでしまった。
スライムはなんとか逃げようともがき苦しむも、炎の勢いは止むどころか増していき、早送りの映像かのように身体がしぼんでいく。叫び声にも蒸発音にも聞こえる不快な音と、不純物が焦げる異臭が鼻をつく。
炎が空気に溶けるように消えた瞬間には、もうスライムの姿はなかった。目の前にあるのは僅かな燃えカスと焦げた草原の葉だけ。ルッツがそのまま呆然とへたり込んでいると、背後から慌てたように駆け寄る音が聞こえてきた。
「ルッツ、無事か!?」
「シュヴァリエ隊長……」
走ってきたのは、ルッツの予想通りシュヴァリエだった。愛用の剣は持っているが、着替える時間も惜しかったのか鎧は着けていない。
さらに離れたところにはシュヴァリエの愛馬の姿も見えた。慌てて駆けつけてくれたのだと、ルッツには嫌というほどよく分かった。
シュヴァリエはルッツの目の前に立つと、膝を地面に着いて俯くその顔を覗き込んだ。先程スライムに向けていた業火のような強い殺気は嘘のように鎮まっている。心配そうにルッツを見つめる瞳には、慈愛と安堵だけが宿っていた。
無断で国から出たというのに、それを叱咤するような怒りも感じない。ただただ太陽のような温かい慈しみがルッツの胸を刺す。
「どうして、ここに……?」
ルッツは震えた声で尋ねる。どうしてシュヴァリエがここにいるのか、どうして助けてくれたのか、迷惑をかけたのに怒らないのか……聞きたいことは沢山あるし、謝罪だってしたい。それなのに胸が締め付けられるように苦しくて言葉がまとまらない。掠れた空気の音だけが喉から溢れる。
顔色が悪いルッツを見て、シュヴァリエは慌てたようにルッツの全身を見る。溶解液で皮膚が溶けた右足に気付いて、痛ましいように目元がピクリと動く。
「……とりあえず治療しよう。俺は君のように薬は作れないから、念の為に癒しの魔法石持ってきた」
「で、でも……魔法石は貴重で……」
「俺の私物だ。気にしなくて良い」
ルッツが唇をはくはくと上下させていると、シュヴァリエは胸ポケットから緑色の魔法石を取り出す。それをルッツの右足の患部にかざすと、柔らかい癒しの光が包み込んだ。じんわりと温かい光が染み込んでいくと共に、焼けるような痛みが引いていく。
ただれた肌まですっかり健康的な状態に戻り、シュヴァリエは安心したようにふっ……と笑った。ルッツは軽く足を動かしたが痛みも一切なく、本当にここに来る前と同じ状態に戻っていた。
「心配したよ。それよりどうしてここに? 君のことだから何か理由があるだろうけど、次からは俺も同行させて欲しい。君の手助けをしたいんだ」
「い、いえ……あの……」
手助けなんて必要ない。むしろルッツにとってはシュヴァリエを手助けしたいくらいだ。だからこそここに来た。ひび割れていた心が更に大きな音を立てて軋む感覚がした。
(薬草……エリ草を採りに来た事を伝えなくては……)
この薬草から特別な薬茶が作れると、きっと自分はシュヴァリエや他の兵士たちの役に立てると伝えたかった。ルッツは震える手で鞄を手繰り寄せ、その鞄を見て目を見開き硬直する。スライムの溶解液が鞄の中にまで滲み、鞄の表面どころか入っていた物の一部も溶かしてしまっていた。
ルッツが採取したエリ草の瓶も、底の部分が溶けて水が完全に漏れ出ている。球根もドロドロに溶け、草も悪影響を受けているのか完全に萎れてしまっていた。
どう見ても、今日採取したエリ草は全滅だった。
「あ……ああ……」
心にビシリと大きな亀裂が入るようだった。パラパラと破片が溢れるかのように、ルッツの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。鼻の奥がジンと痛み、言葉にならない仄暗い気持ちが嗚咽となって喉の奥を締めつける。
今度こそは成功させると意気込んでいたのに、結局なんの成果も得られなかった。
シュヴァリエは今日の午後から非番で、故郷に帰るかもしれないと聞いていた。それなのに自分の為だけに、こんなところに来させてしまった。個人で持つには貴重な魔法石まで使わせてしまい、何の為にここに来たのだろうと惨めな気持ちになる。
シュヴァリエの役に立ちたいのに、恩を返したいのに、何から何まで迷惑しかかけていない。自分があまりにも無力で、泣くことしか出来ないのも嫌だった。泣いたところでどうにもならないのにこぼれ落ちる雫は増えていく一方だ。
「……怖かったか? もう大丈夫だ。また魔物が出ても俺が必ず君を守るよ」
それでもシュヴァリエは自分の事は全く気にしていないかのように、ルッツの肩を優しく撫でる。取り出したハンカチでルッツの涙を拭いながら、落ち着かせるように何度も大丈夫と囁いた。
「ごめんなさい……」
「ルッツ……?」
どこまでも包み込む温もりにどうすれば良いのか分からず謝罪の言葉が出る。シュヴァリエの優しさも、今のルッツにとっては真綿で首を締めつけられているようなものだ。
「いつも、迷惑をかけてごめんなさい……僕はシュヴァリエ隊長に恩返しをしたかった。強くていつも優しくて、努力を怠らない貴方の手助けをしたかった。なのにいつも貴方の足を引っ張ってばかりいる。今日こそはと思ったのに駄目でした。全て無駄でした。僕は、いつまで経っても役立たずだ……」
涙と一緒に言わずにいた本音がこぼれ落ちていく。
言葉を重ねるたびにシュヴァリエの顔が曇っていく事にルッツも気付いていた。こんな事を言っても心配させるだけなのに、懺悔をするかのように次々と溢れる言葉を止める事が出来なかった。
「そんな事ない!! 君が居てくれるだけでどれだけ救われているか!! ほら、1週間前の傷だってもう塞がっている。思ったより深かったから、薬が無ければ完治にもっと時間がかかっていた」
シュヴァリエはルッツに見せるように横を向いて切り傷があった頬を指で指す。あの時の傷は確かに塞がっていたが、よく見ればうっすらと痕が見える。それに気付いたルッツの目から、更に涙が零れた。
「魔法石があれば薬なんて……僕なんて必要ない!!」
「……っ!!」
自分で叫んだ言葉に、心が悲鳴を上げている。吐き気を覚える程の苦しみに包まれながら、止まらぬ涙が服を濡らしていく。
惨めで情けなくて、どうにかしたいのにどうにも出来ない。暗い沼底に足を取られているかのように身体が重かった。こんな顔をシュヴァリエに見られたくなくて、ルッツは項垂れて地面を見つめる。
涙でかすむ景色の中、倒れ込んでしまいそうな小さな身体を大きな手が支えた。瞼が閉じかかった顔を上に向けられた瞬間、唇に柔らかい何かが重なってきた。
(――!?)
温かく潤んだそれは、怯えるかのように僅かに震えていた。
ルッツが目を見開くと、目の前にシュヴァリエの顔があった。長いまつ毛が上瞼を掠りそうなほど近く、潤んだ真っ赤な瞳が宝石のように揺らめく。一拍置いて、ルッツはシュヴァリエにキスをされているのだと気付いた。
しばらく重なっていた唇は、名残惜しそうに離れていく。シュヴァリエはルッツの両肩を掴み、大きく口を開けた。
「それでも俺は、君と戦う事を選んだ!!」
シュヴァリエは真っすぐルッツの顔を見つめ叫んだ。
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