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第23話:ルームフレグランス

   男性から離れると、少しだけ香りが薄れていった。  それが落ち着かなくて時々男性の方を見てしまう。気持ちを切り替えるためにも、シュヴァリエは陳列棚を整理していた女性に声をかけた。 「すみません、少しよろしいですか?」 「はーい! ……ひぇ!」  声をかけた瞬間、笑顔で振り返った女性は、シュヴァリエの姿を見て顔を青くする。一歩後ろに下がられ、シュヴァリエは目を丸くした。 (ああ、そういえば今の俺はすごく怪しい恰好をしていたな……)  いつも強盗だと勘違いされる服装であることを思い出した。 「すみません、肌の病気で醜い皮膚を隠すためにこの服装をしているのです。怪しい者ではないので質問してよろしいでしょうか?」  シュヴァリエはいつも言っている設定を口にする。  優しくこう言っておけば一旦は警戒を解いてくれる。女性はやや怯えつつも頷いてくれたので、シュヴァリエは薬の効果や使用されている薬草について訊ねた。  本当は会計カウンターに居る男性に声をかけたかったが、丁度他のお客様と会話中だったので諦めた。 (そういえばあの男性、俺の姿を見ても笑顔で挨拶してくれたな)  入店した時の屈託のない笑顔を思い出す。  今の黒フード姿だと、いつも目の前に居る女性のように不審な目で見られる。それなのに彼は真っ直ぐシュヴァリエを見て笑顔で歓迎してくれた。だから一瞬、今の自分の姿を忘れてしまったのだ。 「あの……ルッツに何か御用なのでしょうか?」 「えっ……?」 「さっきからずっと見ておられるので……」  警戒した眼差しの女性にじっと見られて、シュヴァリエは慌てて首を振った。むしろ言われてずっと男性……ルッツの事を見続けていたのに気付いたくらいだ。 「る……ルッツに手を出すなら母である私が許しませんから……!」 「ち、違う! そんなつもりは一切ない! ただあちらから良い匂いがするなと思って……」  慌ててそう言いながらシュヴァリエが会計カウンターの方へ指を向けると、女性は「ああ」と呟いた。 「良い匂いですよね、金木犀のルームフレグランスなんですよ」 「フレグランス?」 「ええ、簡単に言えば室内用の香水です。ほら、あのカウンターの隅に置かれている物がそうです」  シュヴァリエはそう言われて女性が指さす方を見ると、確かに会計カウンターの端に三角錐の形をした大きめの瓶が置かれていた。中には淡い金色の液体が入っており、木製のアロマスティックが挿しこまれている。 「当店では薬だけでなく、薬草や花から作られた香水やルームフレグランスもございます。カウンターに置かれているものはこちらになります。是非どうぞ」  女性は棚から手のひら大の紙箱を取り出すと、シュヴァリエに押し付けるように握らせる。先ほどと違ってぐいぐい来る様子から、宣伝と見せかけて暗に早く帰れと言われているのだと察した。 (なんだか気分を害させてしまったみたいなので、早く帰った方が良いだろう……)  シュヴァリエはまた明日薬を買いに来れば良いだろうと思い直し、そのまま会計カウンターに押し付けられた商品を置いた。 「あっ、金木犀のルームフレグランスですね! 芳香製品は最近作り始めたのですが、手に取ってくださって嬉しいです!」  シュヴァリエが置いた箱を確認したルッツは、嬉しそうに笑った。その瞬間甘い香りが広がり、心臓がドキドキと高鳴るのを感じた。 (可愛い……可愛い……?)  シュヴァリエは正直混乱していた。男性に対して、しかも今日初めて会う相手にそんな気持ちを抱くなんて思いもしなかった。 「ああ、良い匂いだなと思って……」 「そうなんですね! 僕も金木犀の香りが一番好きなんです。甘くてとても幸せな気分になって、お部屋がこの香りに包まれていたらリラックス出来るだろうと思って作りました。ご購入、有難うございました!!」  満面の笑みを向けられ、心に明かりが灯ったかのように温かくなる。  早くなる鼓動で胸が苦しいような、気持ちいいような不思議な感覚だった。どこか夢心地の気分に包まれながら、シュヴァリエはルッツに頭を下げてから店を出る。店を出た扉の前で余韻に浸るかのようにしばらく立ち尽くしていた。 「おいそこのアンタ、邪魔なんじゃが!」  目の前から罵声が聞こえ、ぼんやりしていた意識が引き戻される。目の前には髭を生やした老人がシュヴァリエを睨みつけていた。ただでさえ顔に皺が刻まれているのに、眉間にまで皺が寄っている。頬が僅かに染まっており、なんだか酒臭い。  先ほどまで心を満たすほどの心地よい香りに包まれていたのに、不快なアルコールの匂いに思わず眉をしかめた。それが気に食わなかったのか、老人は近くにある柵を苛立ち混じりに蹴りながら舌打ちをする。 「……申し訳ございません」  相手は明らかに喧嘩腰だが、どう見ても酔っ払いだしこれ以上構うのは厄介だ。シュヴァリエは素直に謝罪して扉から退くと、老人はブツブツと愚痴を吐きながら中へ入って行った。扉を強い力で叩きつけるように閉じ、バンッと大きな音が鳴る。 (あんな客の対応もしないといけないとか彼は大丈夫だろうか? 激昂した老人が彼に手を上げたり……いやいや、俺がそんな事気にする必要もないだろ……)  まだ自分の気持ちを自覚しきれていないシュヴァリエは悶々としながらそのまま家に帰った。帰りまでの道でも時折ルッツの笑顔を思い出してしまい、自分はどうしてしまったのだろうと頭を抱えていた。 ―――――――――  その後、家に着いたシュヴァリエは早速購入したルームフレグランスの箱を開けた。  騎士団の宿舎に引っ越した際、大切なものは全て運んでいるので、実家の自分の部屋は殺風景である。今は最低限の家具と暇つぶし用の指南書くらいしか置いていない。だが有難いことに部屋はちゃんと掃除されているので寝泊まりする分には十分だ。  そんな殺風景な部屋に、お洒落なルームフレグランスはやや浮いている。シュヴァリエはリビングに置くべきか悩んだが、なんだかあの心地よくて甘い香りに包まれたい気分だった。  包装されていた瓶の蓋を開け、同封されていたアロマスティックを挿して机の上にコトンと置いた。開けた瞬間からふわりと甘い花の香りが部屋中に充満していく。でもなんだか、妙な感じだった。 「良い香りだが、なんだか違う……」  確かに甘い花の香りがする。部屋中が金木犀の香りに包まれ、ベッドの上に横たわればリラックス出来そうではある。  でもあの店員……ルッツから感じた匂いはこんなものではない。もっと胸の奥をざわつかせるようで、それでいて柔らかな花畑の中で横になっているかのような心地よさとは程遠い。 「不良品というわけでもないだろうし、何だったんだ」  どれだけ考えてもこの時点では結論が出せなかった。  元々あの店には薬を探すために行ったのに、結局薬を何一つ買えなかった。明日も行って確認すれば良い、そう結論付けてシュヴァリエは夕食が出来るまで仮眠を取ることにした。  

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