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パパ、空を飛ぶ

 翌朝、目覚めた恭平がカーテンと部屋の窓を開けていると、ベッドの横で来客用の布団がもそもそと動いた。  掛け布団から飛び出していた尻尾が引っ込んだかと思うと、寝ぼけ顔の楓が起き上がる。好き勝手に跳ねる赤い髪の下から覗く、ぼんやりとした目と視線が合った。 「あ、起こしちゃいましたか楓さん」 「いや、別に……」 「すみませんが先に朝陽を学校に送り出さないといけないので、市役所に連絡するのはちょっと待ってくださいね」 「うむ、承知した」  昨日干しておいた楓の服は、意外にも縮むこともなく綺麗になって乾いていた。楓に服を渡した後はトーストと目玉焼きの簡単な朝食を準備し、朝陽を起こす。 「ほら、早くご飯食べて」 「はあい……」  のそのそと起きてきた朝陽が、緩慢な動きでランドセルを開ける。その目がぱちりと開いた。 「あっパパ」 「何」 「体操服忘れてた!」 「はあ?」  バツの悪そうな顔をした朝陽がランドセルに手を突っ込む。出てきた手は体操服袋を持っていた。 「どうしよ今日体育ある! あと上履きも!」 「金曜のうちに出しとけつっただろ! もう上履きは諦めろ!」 「ごめんなさいー」  集団登校の集合時間まであと30分である。  恭平はざっと手洗いした体操服を洗濯機に突っ込み、脱水をかけた。 「できるだけ乾かすけど、期待すんなよ」  ドライヤーで乾かすが、乾ききる気がしない。まだランドセルの中を探っていた朝陽が、今度はくしゃくしゃになった封筒を引っ張り出してきた。 「そういえばなんか、きょーざいひ? の集金もきてた」 「あああもう! いいから朝陽、さっさと朝ごはん食べて!」  どうして今頃そんなことを言うんだ。締め切り先週って書いてあるじゃないか。生乾きの体操着を置いて財布を取りに立ったところで、寝室から着替えた楓が出てきた。さっきよりも大分しゃっきりした顔になっている。 「あっ楓! おはよう!」 「おは……よう?」 「すいません楓さん、朝食はそこに置いてあるので俺らのことは気にせず食べてください!」 「いや……」  小銭を数えながら入れていく。ソファの上に置きっぱなしになっていたドライヤーと体操着を楓が見下ろし、楓が首を傾げた。 「服を乾かしているのか?」 「うん! 楓、ドライヤーかけてよ!」 「こら朝陽! 図々しいぞ!」  こいつ、本当に楓のことをペットだと思ってるんじゃないか?  パンくずを口元につけたまま平然としている朝陽に恭平が目を剥いていると、楓が体操着を手に取った。 「あーっ楓さん、もうほんと朝陽が悪いんで濡れたままにしといてくださいそれ」 「なに、大したことではない」  体操着を広げ、顔の前にかざすように持った楓が、筋の通った鼻を軽く上に向けた。ちらりと牙をのぞかせた口が細く窄まり、体操着へと息を吹きかける。  襟から袖へ、それから裾へ。謎の動きをしたのち、ぱたぱたと楓は体操着で宙を扇いだ。 「ほら朝陽、これでどうじゃ?」 「えっ?」  食べかけのパンを持った朝陽が楓に駆け寄る。渡された体操着に頬ずりして、「うおっ」と声を上げた。信じられない、という顔でまた顔を体操着に当てる。 「すご! 乾いてる!」 「乾いたぁ?」  恭平も手を伸ばす。さっきまでびちゃびちゃだった体操着が、乾燥機から出したばかりのように温かくふわふわになっていた。 「ええっ?」  楓を見る。「ふふん」と口元をニヤつかせて得意そうだ。 「火吹の応用じゃ」 「火吹……? いやとにかく、ありがとうございます!」 「すっげえ楓! ありがとう!」  紅白帽や三角巾も乾かしてもらった朝陽が、むぎゅむぎゅと小さな手で体操服袋の中身を詰めなおす。 「ほらもう時間だ! 急げ朝陽!」  黄色いカバーのかかったランドセルを背負わせ、まだモグモグしている朝陽を玄関へと追い立てる。 「行ってくるね、楓!」 「ちょっと朝陽送ってきます、すぐ戻るんで待っててください!」  叫んで家を飛び出した恭平は、朝陽の手を引っ張って集合場所に向かった。学校に出発しようとしていた小学生の小群に朝陽を無事合流させ、家に引き返す。  今日も朝から蝉が鳴いている。暑い一日になりそうだ。 (やれやれ、朝から疲れた……)  毎朝同じことをしているはずなのに、いつも忙しいのはなぜだろう。  ぐったりと玄関の引き戸を開ける。ダイニングではパンの前に楓がちょこんと座っていた。戻るのを待っていてくれたらしい。 「すみません、朝からバタバタしてしまって。冷めちゃう前に食べてくれてよかったのに」 「いや。大変よの」  軽く首を振った楓は、少し言いづらそうにソファを指さした。 「ところで、そこにあるのは……その。朝陽が必要だから準備しておったのではないのか?」 「え?」  指さされたソファの上には、体操服袋が残されていた。ご丁寧に隣には水筒が寄り添っている。 「あああああああ!」  なんでだよ! 忘れていくくらいなら朝から洗わせるなよ!  恭平ががっくりと膝をつくと「す、すまぬ」と楓が身を縮こまらせた。 「待っていろと言われたゆえ……」 「い、いや、楓さんは悪くないです! 大丈夫です!」  体操服袋と水筒を持った恭平は、またよろよろと玄関に向かった。 「すみません、ちょっとこれ朝陽に渡してくるので、もう少し待っててもらっていいですか? 朝食食べててください」  脱いだばかりの靴にまた足を入れる。ため息をついて蒸し暑い家の外に出ると、なぜか楓も一緒に出てきた。 「あの、楓さん?」  「何度も行き来するのは大変じゃろう。送ってやる」  ぐらりと視界が揺れた。楓に横向きに抱き上げられたのだ、と思った時には、体がふわりと宙に浮いていた。  楓の背中から伸びた羽が、恭平の髪を乱す。 「か、楓さんっ!」  眼下で小さくなっていく家に恐れをなし、恭平は思わず楓の首にしがみついた。さらりとした首後ろの鱗に指が触れる。 「落ちる落ちる落ちる!」 「安心せい、落としたりはせぬ」  くるくると楓の喉が鳴り、恭平の体が抱き直される。力強い腕と胸板に挟まれると、不思議と怖さが軽減された。 「さて、朝陽はどこかな」  屋根がすっかり下になった頃、楓は左右を見渡した。 「お、同じ帽子の子供らが集まっておる。あすこかの」 「っ……!」  ひゅう、と風を切る音に思わず目を閉じ、恭平は楓の首元に顔を押し付けた。同じボディーソープで洗っているはずなのに、なんだかいい匂いがするのは竜だからだろうか。  胃の底が浮くような浮遊感が続き、軽い衝撃を最後にそれが終わる。 「ほら、ついたぞ」  うっすらと目を開けると、見覚えのある校庭に着いていた。 (え。今俺、飛んできたの? 本当に?)  楓に抱かれたまま呆然としていると、校庭で遊んでいた子供たちが恐る恐る近づいてくる。 「え、飛んでたよね?」 「ドラゴン?」 「あ、朝陽くんのお父さんじゃん」  寄ってきた子供のなかに朝陽のクラスメートの顔を見つけ、途端に恥ずかしくなった恭平は慌てて楓の首から手を離した。転がり落ちるように降りる。 「お、おはよう。ごめん朝陽もう来てるかな?」 「んー……いや、まだ来てないと思う」 「そっか、ありがとう」  途中で追い越してきてしまったのかもしれない。  教室にでも置いて、早く帰ろうかな。  楓を物珍しげに眺める小学生の視線に考えていると、「あれ?」と朝陽の声がした。 「パパ、なんでいんの? 楓も……あ、体操服!」  恭平が持っていた体操服と水筒をひったくるように取り、「ありがとう!」とつけ足すように礼を言う。 「すげえ! 朝陽んちドラゴンいるの?」 「うん、昨日裏山で見つけた」 「えー、いいな、あたしも空飛んでみたい」 「炎とか吐ける?」 「もちろんじゃ。見るか?」 「ダメです!」  朝陽の家のドラゴンだとわかって警戒心が解けたのか、ワラワラと小学生たちが集まってくる。 「は、早く帰りましょう楓さん」 「おっ、そうか」  当然のように恭平を抱き上げようとしてくる楓に、恭平は叫んだ。 「それは大丈夫です!」 「なぜじゃ? 飛んだほうが早いじゃろ?」 「そうですけど、でもダメです!」  子供たちの前でまたお姫様抱っこをされて空に飛び立つなんて、考えただけでも恥ずかしすぎる。  納得していない顔の楓の背を押し、恭平は校門を出た。

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