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ドラゴン、虫を捕まえる
「いなーーーーーい!」
夕闇の迫る裏山に、朝陽の声が響く。梢にいた山鳩が、声に驚いて飛び立つ。
「カブトムシー! どこー?」
「うん……いや、やっぱ野生だともういないんだよ」
虫取り網を持ち、恨めしげに太い木を見上げる朝日の後ろで恭平は汗を拭った。虫よけスプレーをかけたはずなのに、耳元で蚊がうるさい。
午後になり、少し気温の下がってきたところで裏山に来たが、案の定カブトムシなんて影も形もない。たくさんいるのは蚊とセミの抜け殻ばかりだ。
ついてきた楓も、成果がないせいか居心地の悪そうな顔で林の中をきょろきょろとしている。
「残念だけど、また来年挑戦しようよ」
「えー……だって本当に11月まで生きてたのに」
「それはお家で大事に飼われてたカブトムシだからだよ」
「でもー」
不満そうに唇を尖らせる朝陽の頭上で、ツクツクボウシが鳴く。
むう、と押し黙った朝陽が俯いた。虫取り網を強く握りしめ、悔しそうに唇を噛みしめる。
「ね、朝陽。今日はもう暗くなってきたし……もう帰ろう」
立ち尽くしたままの朝陽の手を引くと、のろのろと歩きはじめる。
山の中は、日が落ち始めると一気に暗くなっていく。急いで足を進めるものの、朝陽の歩みは遅々としている。
それでもなんとか麓に近づいたところで、ぐす、と鼻をすする音が聞こえた。
恭平が振り向くと、もう一度朝陽が鼻をすすり、繋いでいるのと逆の手で目の辺りを擦るのが見えた。
(気持ちは分からないでもないけど……でも、どうしようもないもんなあ)
リーンリーン、と藪の中から聞こえる虫の声は、完全に秋の趣だ。どう足掻いたっていないものはいない、としか言いようがない。
大体、今日までカブトムシのことを忘れていたのは朝陽本人である。いや恭平も忘れていたが。
今更そんなことを言い出して泣く朝陽に対してなのか、それとも忘れていた自分に対してなのか、よく分からない苛立ちが募る。
「……カブトムシ、飼いたかった」
「そうだな」
朝陽を見下ろしながら頷く声が、思わず低くなってしまう。
「早く帰るぞ、朝陽」
「っ……」
ついに朝陽の足が止まった。強めに手を引くと、つんのめるように前に一歩進んだ。もう一度引っ張ると、また一歩だけ進む。
「あのなあ……!」
声を荒げかけ、恭平は深呼吸した。じっと朝陽を見下ろす。
恭平の怒りが伝わっているのだろう。暗くなってきた森の中、ますます朝陽も下を向いてしまう。
「朝陽、籠を開けるのじゃ!」
遠くから楓の声が聞こえ、恭平は顔を上げた。山道の向こうから楓が走ってくる。
「な、なに……?」
少しだけ期待した面持ちの朝陽が、首から掛けていた虫籠の蓋を開けた。楓が中で手を振ると、何かがポトリと落ちる。
「えっ……?」
黒い。黒いが、明らかにカブトムシのサイズではない。
怪訝そうに覗き込む朝陽の横から、恭平も虫籠の中を見る。
大きく特徴的な羽に、長い触角が見えた。
「鈴虫ですね」
恭平が言うと、楓がにこりと笑った。暗い中に、大きな牙がギラリと光る。
「ええ……」
これは欲しかった虫じゃない。口には出さないものの不満げな朝陽が楓を見上げる。
「これからの時期、よく鳴くぞ」
「ううん……」
手に持った虫籠を朝陽が見つめていると、鈴虫が羽を動かした。リーン、と小さな体に似合わない大きな音がする。
「鳴いた!」
「な?」
三人で鼻先を突き合わせて虫籠の中を覗くが、それに驚いたのか少し鳴いただけで鈴虫は黙り込んでしまった。
「えっ、どうやったらまた鳴くのこれ」
「さあ……ただ、今のような小さい虫籠で振り回していたら鳴くものも鳴かぬじゃろうな」
「えっじゃあ早く帰ろ! 大きな虫籠にうつしてあげなきゃ!」
シャキッと立ちあがった朝陽が、さっきまでの様子を忘れたように走り出す。
「昆虫ゼリーあげよう」
「こやつが食べるのは野菜屑だと思うが」
「虫だから昆虫ゼリーだよね、パパ?」
「帰ったら図鑑で調べてみなよ」
「たしかに!」
今度は今度で、手元の虫籠しか見ずに走っていこうとする朝陽が車道に飛び出さないかはらはらしてしまう。
「なんなんだよもう……」
「元気でよかろう」
小走りで駆ける恭平の耳元で、くすくすと楓の笑い声が聞こえた。太い腕が腰に手が巻き付いてきたかと思うと、体が浮かぶ。
「わ、ちょ、楓さん!」
ばさりと羽音が聞こえ、滑るように地面の上を飛ぶ。楓が左手を伸ばし、同じように朝陽も持ち上げた。
「うおっ、すげえ!」
「早く帰るのじゃろ?」
ふわりと視界が高くなる。
大きな浴衣の干された家は、すぐに見つかった。
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