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第16話 子供、お泊まりに出かける
「ねー、楓も一緒におばあちゃんち行こうよー!」
「しかしなあ、さすがになあ……」
「朝陽、楓さんはおばあちゃんに会ったことないから。おばあちゃんにも、『朝陽が泊まる』としか言ってないから。いきなり楓さんが来たらびっくりしちゃうよ」
「えーっ」
口を尖らせる朝陽は、久しぶりの「おばあちゃんちお泊まり会」に楓も連れていきたいらしい。
でも、と言いつつリュックサックに服を詰めていく朝陽の髪を、網戸を通り抜けた十月の夕風が揺らしていく。
「じゃあ次! 次は一緒に行こうね!」
「うーむ……」
渋い顔で楓が耳先を下げる。子供にとっては「楽しいお泊まりイベント」だが、大人になってしまうとそうではない、というのは、まだまだ朝陽には難しいのだろう。
「ほら、もうそろそろおばあちゃんの家行くよ」
「はぁい」
「お土産を忘れぬようにな」
持っていくのは、朝陽と楓で午前中に焼いたクッキーだ。恭平も味見用にもらったが、サクサクとして牛乳に合う味だった。
「それじゃあ、行ってくるね!」
「楽しんでくるのじゃぞ」
留守番する楓に手を振り、車で母の――つまり朝陽の祖母の家に向かう。家に戻った時には、辺りはすっかり夕方になっていた。
「ただいまー」
玄関を開けると、隅で霧吹きを構えた楓が振り向いた。
「お帰り、恭平」
「鈴虫ですか」
「ああ」
楓の手元にある飼育ケースの中では、鈴虫たちがもぞもぞと歩き回っている。最近寒くなってきたせいか動きも鈍くなり、鳴く頻度もめっきり減ってしまった。
「……随分と数、減っちゃいましたよね」
「な。儚いものよ」
「また来年、捕まえないとですね」
鈴虫のエサなんか、まだだいぶ残っているというのに。楓の横からケースを覗き込むと「いや」と楓がそっと土に霧吹きをかけた。
「メスも入れたからな。おそらく卵を産んでいるから、うまくすれば来年ここからまた生まれてくるぞ」
「へええ」
「鈴虫がいなくなったからとて、土も捨てるでないぞ」
「気を付けます」
こんな小さな容器内で命が生まれるなんて、不思議なものだ。しみじみと見つめる恭平の眼の前で、楓がプラケースの蓋を閉める。
リビングに戻ると、後から楓がちょこちょことついてきた。とりあえずコーヒー用のお湯を沸かす恭平の後ろを行き来してはチラチラと視線を投げかけてくる。
「あの……あのな」
「……何ですか、楓さん」
「ええと、な、恭平、少し時間はあるか?」
「ありますけど……?」
運動会の一件から、仕事量を増やしすぎないように意識している。土日の片方は基本的に休みだ。
しかし、改まって何の用だろう。
恭平の怪訝そうな視線に、楓は両手を組んだ。
「ならな、『りれきしょ』とやらの書き方を教えてもらえぬか?」
「履歴書? いいですけど……どうしたんですか?」
「んあー、あのなあ」
肩を縮めて尻尾を振った楓が、小さな声で何かを呟いた。
「なんですって?」
「す……スマホがな、我も欲しいんじゃ」
「スマホ?」
恭平が聞き返すと、楓は恥ずかしそうに顔を覆い、尻尾を体に巻き付けた。
「この前、運動会に行った時に、自分でも写真や動画を残しておきたいと思ったんじゃ。連絡にも使えるというし……だが、高いんじゃろ?」
「まあ、ものによりますけど」
恭平の答えに、楓は頷いた。
「翔太くんのママに聞いたらの、ちょうど自分の働いているパン屋でバイトを募集しているとのことでな、その、我も……」
「パン屋ですか」
「う、うむ」
上目づかいで恭平を見てくる楓が、エプロン姿でレジに立っているところを想像する。結構似合っているような気がした。いや、力持ちだし熱々のオーブンの天板なども素手で平気なのだから、作る方がいけるかもしれない。
「いいんじゃないですか。向いてそうですよ、楓さん」
「そ、そうかの」
恭平が笑いかけると、楓の頬がほんのりと色づく。
「履歴書の紙はありますか?」
「あるぞ」
いそいそと寝室に引っ込んだ楓が、履歴書用紙を持って戻ってくる。
「それじゃあ、まずは鉛筆で下書きしていきましょうか。住所、氏名……は、楓さん苗字ないんで名だけでいいんじゃないですかね。生年月日、延暦は……いつでしたっけ、ちょっと西暦調べますね」
「うむ」
朝陽が置いて行った鉛筆を削り直し、楓に渡す。妙に立てた持ち方で鉛筆を持った楓が、文字を紙に書きこんでいく。
「学歴とか職歴って……ありますか?」
「それはなんじゃ?」
「学校とか、仕事とかしてたことあるかってことなんですけど……学校、行ったことあります?」
「ないのお」
「ですよねえ」
以前見た楓の夢から考えて、職歴もなし……いや、強いて言えば「狩猟採集に従事」くらいだろうか。その次の免許と資格欄についても、仮に何か持っていたところでとうの昔に失効している。
「……まあいいや、志望動機書きましょう。なんでパン屋で働きたいか、ってことですね」
「スマホが欲しい、でよいか?」
「よくないですねえ」
空欄ばかりの履歴書は、思ったより早く書き上がった。
「ていうか……楓さん、字、めっちゃきれいですね」
うまい、というか、達筆、というか。達筆すぎるというか。
昔大学生だったころ、おじいちゃん教授の字が読めなかったのを思い出す。
(……これ、採用されるのかなあ……?)
いくつも空欄が並ぶうえに、書いている部分も解読が難しい履歴書を見ていると、なんとも落ち着かない気分になる。
「そ、そうかの」
だが、照れ笑いをする楓にそんなことは言えない。
「それじゃ、最後に写真貼ったら完成ですね。証明写真機……はちょっとどこにあるか分かんないんで、コンビニ印刷でいいですよね」
「任せる」
壁際に立たせた楓の写真をアプリで撮り、恭平はジャケットを羽織った。いつの間にか、夜は冷えるようになっている。
外に出た恭平の手を、当たり前のような顔をして楓が握る。
「そうだ、二人しかいないんで、コンビニ行くついでにお酒でも買って帰りましょうか」
朝陽がいたら絶対しない提案をすると、すうっと縦に細い瞳が大きくなった。
「よいのう」
にやりと笑う楓と、なんだか悪巧みでもしているような気分だった。
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